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もの書きから遠ざかった人間のリハビリ&トレーニング場。 目指すは1日1題、365日連続投稿(とハードルを高くしてみる)

2024

1129
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2013

0725
ひょんなことから衣咲の人探しに付き合うことになったあいりだが、それはのっけから災難を背負うことになる。
 衣咲の話によると、これから訪れる店は夕方五時から開くとのことだった。それまでの間、あいり達は買い物で暇をつぶすことにする。嫌がるあいりを引きずり衣咲が訪れたのは彼女いきつけのお店だった。
 店に放り込まれ、身ぐるみ剥がされたあいりはハンガーにかかっていた服を片っぱしから着せられた。逃げようものなら店員が三人がかりであいりを抑える。結局あいりは真夏の太陽が傾くまで着せ替え人形をさせられる羽目になったのである。
「本当、おねーさまって何でも似合うんですねぇ。これなんか素敵。もう最高」
 サカエ界隈までの道の途中、携帯の画面を見ながら衣咲ははふぅん、とため息を漏らす。あいりがいろんな服を試すたびに携帯のカメラで撮っていた衣咲は新たなコレクションが増えてとても嬉しそうだ。
 あいりはいーさーきーぃ、と恨めしそうな声を上げる。
「その店に入るのにこんな準備必要なわけ?」
「だって、シングルズバーなんて、私にとって未知の世界なんですから。ちょっとはお洒落しなきゃあ」
「だからって、私もスーツでキメなくても……」
「さっきのおねーさまの格好じゃドレスコードに引っかかってお店に入ることもできません。それに、おねーさまには衣咲をエスコートしてもらう義務があるんですっ」
 衣咲の言葉には前半説得力があったが、後半は意味不明だ。シングルズバーというのは男女の出会いを楽しむ場ではなかったのか?
 しばらく歩いて行くと、繁華街のアーチが見えてくる。そこをくぐれはサカエ町だ。目的の店、シークレットベースは大通りから一本離れた道沿いに店を構えていた。
 案内人は長身のあいりを見て一瞬体を引く。でもすぐに会員の方でしょうか?と聞いてきた。とっさに衣咲が答える。
「こちらの会員ではないのですが、お店に入ることはできますか?」
「会員ではないお客様も夜九時まででしたら席をご案内することができますが」
「じゃあそれでお願いします」
 余裕たっぷりの口ぶりで衣咲が頼むと、案内人はあいりたちを店の奥へと案内した。
 店内を巡るのはジャズの調べ。小さな舞台にあるグランドピアノは酒を楽しむ人の傍らに寄り添って、その出番を待っていた。決して広い店内ではないが丸みを帯びたテーブルや椅子が茶系で統一されていてとても落ちついた雰囲気だ。照明も洒落ている。
 最初はテーブル席に連れて来られたが、私達は店員との距離が近いカウンター席を希望した。丁寧に案内され席に着く。開店してそんなに時間がたってないせいか、客足は少ない。あいりと衣咲の他は奥のソファー席に男女二組のカップルとカウンターに男が一人いるだけだ。
「どのお酒を飲まれますか?」
 バーテンダーに促され、私達はメニューを手にする。すると衣咲が酒に手を出そうとしたので、私はメニューを取りあげてビールとウーロン茶を注文した。
 バーテンダーとは別に中年の男性が声をかけてきた。
「本日は当店にご来店頂きありがとうございます」
 その口ぶりからして、目の前の人物がこの店の主だとすぐに分かった。お二方はこのお店に来るのは初めてだと聞きましたが? そう問われ、衣咲がええ、と頷く。
「実は私達、ピアノ弾きのアキ――さんという方を探しているんです。今度こちらの店でピアノの弾き語りをすると聞いて来ました。今日は出勤していますか?」
「――あんたら、アキの友達か?」
 突然店長の口ぶりが変わる。そのドスの効いた声に衣咲がひるんだ。店長は店を訪れた理由が気に食わなかったのだろうか? そう思い、あいりがすかさずフォローを入れた。
「その、彼女とは友達と言うか、知り合いのようなものでして――」
「アキならここには来ない。この間客に暴力をふるったから出入禁止にしたんだ」
「嘘だ。アキちゃんがそんなこと――」
「あの、よかったら詳しい話を聞かせてもらえませんか?」
 店長の話によると、彼女は一週間前にピアノを弾きに現れたという。でも演奏を途中で止めてしまうと、ある客に話が違うと怒鳴ってつかみかかった。彼女は側にあった酒をグラスごと投げつけ、店をめちゃくちゃにしたらしい。客は彼女の行動に怒り、その場で会員退会の手続きをしたのだという。
 相手の客はこの店の常連で、気前よくこの店にお金を落としていった――いわゆるVIPだった。その人物は彼女の弾くピアノを心酔していて、彼女もそれを聞いて最初は喜んでいたそうだ。温厚な関係が続くと思われた二人の関係だが、何故こうなったかは店長自身も分からないらしい。もちろん、彼女が何処に居るのかも分からないし、匿ってもいないそうだ。
 ひととおりの話を聞いたあいりは駄目元で本題を切り出した。
「あの、アキさんの連絡先って分かりますか? 最近顔を見なくなって私達も心配しているんです。それと、アキさんともめたっていう客の名前とか住所とか分かると助かるんですけど……退会したってことは以前ここの会員だった方ですよね?」
「そうだけど。でも個人情報だから教えるわけにはいかないよ」
「――ですよね」
 あいりは予想していた切り返しに嘆息する。今日は非番だ。ここで身分を明かして情報提示を迫ったら職権乱用になってしまう。さてどうしたものか。
 どう返事しようか迷っていると、時間だけがあっという間に過ぎて行く。やがて店長がしびれを切らした。
「アキを探しに来ただけなら帰ってくれないか? こっちはあの子のせいで常連客を失った。正直その話をするだけで気が滅入るし腹が立つんだ。それに――」
 店長は視線をあいりから逸らすと、衣咲を睨んだ。
「あんた。服や化粧でごまかしてるけど未成年だろ? ここは子供の来る所じゃない。さっさと帰れ!」
 厳しい言葉に衣咲は体を強張らせる。何か言いたげだったが、あいりはそれをやんわりと諭した。
「もう帰ろう」
「でもぉ」
「最初に言ったでしょ。店の中を覗くだけだって。本人がいないならここにいる理由はない。それに」
 店長は荒っぽい喋り方をするけど、話の筋は通っているしオトナとコドモの境界線をきちんと引いている。怪しげな店が展開している中、店長はこの界隈では珍しい、良心のある人だとあいりは評価した。詳しい内容を聞きたいのは山々だけど――あいりは後ろ髪を引かれながらも店長の言葉に従うことにした。
「そちらの気分を害してしまったなら申し訳ありません。でも、私達もアキさんの行方を探していて――心配しているんです。もしアキさんがこちらを訪れるようなことがありましたら、連絡を下さい」
 あいりはカウンターにあったナプキンを一枚抜きとると、衣咲の持っていたペンで携帯番号を書く。自分の名を添え店長に渡そうとした――その時だ。
「君、もしかして瀬田あいりさん?」
 カウンターで飲んでいた男に突然話しかけられ、あいりは息を呑む。年はあいりよりも少し上だろうか。あいりは当然、見覚えがない。なのに何故名前を知っているんだ? あいりが豆鉄砲を食らったような顔をしていると男はやっぱり、と呟く。
「前に見た写真そのまんまだ。でも本物の方が凛々しい顔をしている」
「あの、どなたでしょうか?」
「瀬田さんの噂はこっちでも絶えないからね。甲斐は元気にやってる?」
 そう言って男はにやりと笑う。知っているものの名を聞いた瞬間、少しだけあいりの緊張が緩んだ。
「甲斐くんの知り合い――なんですか?」
「そう。あいつの二年先輩」
 男の返事にあいりはへぇ、と感嘆の声を上げる。甲斐の先輩ということはこの人も警察事務官なのだろうか。
「今の話耳に入っちゃったんだけど――何? 人探ししているの」
「ええ、まぁ」
 歯切れの悪い返事をする私に男は小さく唸ると、店長のいるカウンターへ向き直る。そして次の瞬間信じられない言葉を聞いた。
「店長ーこの人俺の知り合いだから客の情報教えてあげて。責任は俺が持つから」

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2013

0724

 あいりが店でランチを楽しんでいる頃、甲斐は自分の住んでいるアパートの隣りにいた。如何にもな日本家屋の茶の間で小さなため息が広がる。
 事の発端は十分前のこと。
 甲斐が布団の中で夢の世界に漬かっていると、インターホンが一回鳴った。平日のこの時間、友人も知り合いも仕事に追われているため、甲斐の部屋を訪れる人間はほとんどいない。だから甲斐も宅配か何かの勧誘だと思い居留守を使った。宅配なら再配達できるし、勧誘は門前払いで結構。せっかくの休日をつまらないことで費やしたくない。布団をかぶって無視していると連打のごとくピンポンを鳴らしてくる。
 ずいぶんしつこいな、甲斐は枕元に置いてあった耳栓を使って音を封じた。扉の向こうで何か叫んでいた気がするが、徹底的に無視した。やがて、扉の周りが静かになる。そして甲斐が再びまどろみの世界へ足を突っ込みかけた頃――机に置いた携帯が盛大に震えた。発信者がこの家の大家だと知り、甲斐は全てを悟る。
「隣りの大家ですけど、ちょっとウチへおいで。というか来なさい。今すぐに」
 その、命令口調にも等しい物言いに甲斐の目がいっきに冴える。このアパートは甲斐が上京した時からかれこれ十年ほど住んでいるが、大家にはいつも頭が上がらない。お金がなかった苦学生の頃は家賃を滞納しても快く待ってくれたし、甲斐を家に呼んで食事を御馳走してくれたこともあった。そんな恩人と言うべき人を勧誘だ迷惑だと勘違いしたことは罪にも等しい。
「うわぁぁ! 今行きますすぐ行きますっ飛んで行きます」
 焦った甲斐は大家に向かってそう叫ぶと服だけ着替え外に出た。鉄骨の階段を一気に駆け下りる。隣りにある立派な門扉の前で一度呼吸を整え、カメラ付きのインターホンを押した。かなり慌てていたので顔も洗っていない。マスクをつける余裕もなかった。だから今は鼻から沢山の情報が入ってくる。
 大家の家は独特の臭いが籠っていた。玄関から入って最初に鼻についたのは線香の香りだ。それは大家が毎朝仏壇に手を合わせ、線香をあげているせいだろう。二年前に亡くなった大家の夫も気心の知れた良い人だった。
 軋む廊下を歩き茶の間へといくと、今度は魚の臭いが届いた。隅っこには大根の瑞々しさと大豆の香ばしさが伺える。甲斐がこの家の朝食メニューを想像すると、起きぬけの腹がぐう、と音を立てた。そう言えばまだ何も食べていない。すると音を聞きつけた大家がすかさず茶受けのせんべいを差し出す。甲斐は砂糖醤油の甘い香りごとそれをほおばった。
 「ふで、ふぉぐになぶのよおぶぇ?」
 甲斐は固いせんべいを噛み砕きながら大家に訊いた。だが、食べながらの言葉は意味不明で宇宙語を話しているようにしか聞こえない。大家は何言ってるか分からないわよ、と言って入れたばかりのお茶を差し出した。甲斐がそれ一気に飲み干し、で? 僕に何の用ですか? と改めて問う。ようやく言葉を理解した女家主はちょっと困ったような顔をして実はね、と話し始めた。
「うちの孫がさぁ、三日前から近所で子猫が迷子になっているから助けてって言ってくるんだよ。でもどこを探してもその子猫どころか泣き声も聞こえなくて」
「はぁ」
「でね。もしかしたら飼い主や親猫が子猫見つけたんじゃないかなーって思って。孫にそう話してみたんだけど、孫はまだ猫の声が聞こえるっていうの。変でしょ?」
「そうですねぇ」
 甲斐は相づちを打ちながら指に残ったざらめを舐める。
「私もこの年だし、今は孫に付き合うのもしんどくてねぇ。で、孫に言ったのよ。こうなったらいぬのおまわりさんに探してもらおうって」
「……はい?」
「つまりはそういうことだから、頼むわね」
「え? わ、はぁい?」
 話の流れが読めない甲斐は思わず変な声を上げる。
 大家の話をもう一度思い返した。重要なのはたぶん「いぬのおまわりさん」の所だろう。いぬのおまわりさん――言葉を一度口にした後、甲斐はあることを思い出した。それは大家の孫娘が自分をワンちゃんと呼んでいたことだ。その瞬間甲斐の目がぱっちりと開いた。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ大家さん。僕にその猫探せってことですか? 僕、犬でもおまわりさんでもないし」
「でも警察で働いているんだろう?」
「そうですけど。でも僕の仕事は事務で。というか、そう言う話は警察じゃなくてええと――」
「聞いたわよぉ。たまに捜査に借りだされているんだって?」
「げ。誰からそれを」
「あの背の高い刑事さん、すらっとしてかっこいいわよね。私がもう三十年若かったら口説き落としてたわぁ」
 今年で還暦を迎えようとしている女主人はそう言って頬を赤く染めた。背の高い刑事と言う話で、甲斐の頭にすぐ浮かんだのは今春刑事課に配属になった瀬田あいりだ。
 あいりという名の通り、彼女は女性である。だがあいりは男前ないでたちと度胸を持っていて、初対面の人間の大半はあいりを男と間違える。実際甲斐も初めてあいりに会った時はずいぶんでかい男だなぁと、彼女の上の部分だけを見て思ったものだ。
 でもあいりは甲斐の住んでいる場所も知らないし、捜査情報を簡単に漏らすような人物じゃない。だとしたら、考えられる人物はあとひとりしかいない。
 その人物は甲斐の高校時代の先輩でもあり、甲斐を捜査の前線へ放り投げた張本人だ。本店の管理官――中上は前科こそないが昔は相当やんちゃをして周りを困らせていて、甲斐も何度かとばっちりをくらった過去がある。
 今も捜査の途中で冗談とも思えない暴走をするから正直ひやひやする。そして重大な情報をぽろっとこぼすから困る。全く余計なことを。甲斐はこっそり毒づいた。
 悶々としている甲斐をよそに、大家は勝手に話を進めていく。
「今日は保育園が半日で終わるから。そしたら孫の話を聞いてやって。私、午後から友達と約束があるから。よろしくね」
 にっこりと笑う大家に甲斐は苦笑で返した。今の言葉、裏を読めば孫のお守をしろと言っているように聞こえる。もしかしたら大家はそうしたくて甲斐を呼びつけたのかもしれない。猫探しというのは体のいい言い訳かなんかで――
 大家の最終目的を知った甲斐はなんだろうな、と小さく呟き肩を落とした。

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2013

0723

 非番だったその日、あいりはひととおりの家の用事を済ませると、昼ご飯を食べに出かけることにした。
 家事で汗ばんだ服を脱ぎ捨て洗濯機に放り込む。箪笥の引き出しを開けた。手前にあった大きめのTシャツとカーゴパンツの組み合わせを選ぶ。薄手のパーカーをはおりキャップを被り、背の高い少年の姿に変身する。
 寮の玄関の扉を開くと灼熱の太陽がアスファルトを直撃した。あいりは一定のリズムで歩き出す。外に居る時間を少しでも減らそうと大股で歩くと、人々の視線が集まる。それは紫外線を嫌がる女性が日傘を揺らして姿を見たがるほど。身長一八五センチの存在は通りすがりの人間にも絶大なインパクトを与えていた。
 大通りの交差点を右に曲がると、右手に飲み屋の小さな看板が見える。昼間はランチで夜はお酒。週末になるとちょっとしたライブも楽しめる酒場は仕事場である警察署の目と鼻の先で、あいりはちょくちょくこの店を訪れていた。
 店に到着すると時刻は十一時。ちょうどランチタイムに入った所だった。あいりは扉を開ける。いらっしゃいませーの声とともに、店員の笑顔がとびこんできた。
「あいりさんこんにちはー。あれ? 今日はワンコ連れじゃないんですかぁ?」
「ワンコ連れって……ペットを飼った覚えはないんだけど」
「だってあの人、本当に犬っぽくて。あいりさんのこと『ご主人様』って言いそうな感じじゃないですか」
 ふふ、と思いだし笑いをする店員になによそれ、とあいりは呆れる。確かにあいつは犬っぽいけど、私がご主人様ってのは何か気に入らない。あいつは本物の犬じゃないし。そんなことを思いながらあいりは帽子を取る。
 二人の会話に出てきたワンコとは同じ署に勤務する甲斐健(かいたける)のことだ。甲斐は警察事務官でそのネーミングから「甲斐犬」とか「飼い犬」と呼ばれていて署の連中からは足蹴にされている。
 甲斐は本来、事件の捜査をしない「警察事務官」なのだが、上からの指示で殺人や強盗事件といった凶悪犯罪が起こるとあいり達といっしょに捜査を手伝うことになっていた。それこそ犬のごとく周辺の臭いを嗅ぎ、事件の証拠品を集めたりするのだ。
 その実力は確かで、この間は次期国会議員が殺された事件の犯人を現場に残っていた匂いだけでつきとめた。甲斐は今、署にとって欠かせない戦力だ。
 そんな甲斐の欠点は他人への説明が下手ということと、死体を見るとすぐに気絶するということだろうか。今では甲斐の失態をフォローするのがあいりの仕事になってしまった。
 あいりの脳裏に甲斐ののほほんとした顔が浮かぶ。が、あいりはそれをすぐに打ち消した。今日は休みなのだから仕事のことは忘れよう、そう心の中で呟きながら、案内されたカウンター席にむかう。今ではすっかり馴染みとなったマスターがあいりを迎えた。
「お、あいりちゃんじゃないか。この時間に来るとは――今日は休みかい?」
「そうなんです。野菜カレー、お願いします」
 あいりの注文を受けあいよ、とマスターは返事をする。すぐに出されたカレーは一口ほおばると、ピリリとした辛さが広がった。一緒に煮込んだ夏野菜は甘く、こんがりと揚げた玉ねぎチップスとの相性もいい。そしてつけあわせのらっきょうのほどよい酸味がまた食欲をそそる。まさに至福のひととき――のはずだった。 
 半分ほど食した所で、あいりが持っていたスプーンがぴたりと止まる。背中に悪寒が走った。その強烈な視線に思わず振りかえると、店の扉の前で店員と同じエプロンをつけた少女が目を輝かせている。あいりの口からげ、という言葉が漏れる。
「きゃーっ、あいりおねーさまっ」
 お使いから戻ってきた少女はスーパーの袋を放りだすと、あいりの胸にとびこんだ。感動的な再会と言わんばかりの抱擁は小柄な体に似合わない位強力だ。その凄い力は一体どこから来るのだろうと思う。
「衣咲っ! なんでここに」
「夏休みだからここにバイトに来てるんですー」
「ちょ、マスターっ! 高校生を飲み屋で働かせるなんて、どーゆーつもりっ」
「バイトっていっても彼女に働いてもらうのはお酒を出さないランチタイムだけだから」
 そう朗らかな顔で返すマスターに、あいりはぐっと言葉を詰まらせる。
「衣咲、あいりおねーさまになかなか会えなくて寂しかったんですよぉ。でもこれからは毎日会えますねっ」
 そのきらきらとした眼差しにあいりは自分の体を引いた。いくら自分を慕ってくれるとはいえ、衣咲の言動は熱くねちっこい。ファンの度を超えた今は立派なストーカー予備軍だ。
 あいりが衣咲と出会ったのは一年前の冬のことだ。衣咲がストーカーのことで警察に相談してきたのがきっかけだった。
 当時生活安全課にいたあいりは衣咲の相談を受け、一度相手のストーカーに注意を促したわけだが、その時たまたま羽織っていたコートが男物だったこともあり、ストーカーはあいりを衣咲の新しい彼氏と勘違いした。ストーカーはいきなりナイフを出しあいりに襲いかかった。でも相手は警察官。あいりはナイフを蹴り落とすと相手の懐に入り見事な一本背負いを決めた。そして現行犯で逮捕しない代わりに衣咲には今後一切近づかないと条件を出したのだ。ストーカーに念書を書かせ、この件は解決した――はずだった。後日衣咲がおねーさまと言ってまとわりつくまでは。
 衣咲はどういうわけかあいりの居場所をつきとめる。行きつけの店はもちろん、事件現場に現れることもしょっちゅうで。その執拗な位の追っかけと熱っぽい目にあいりがドン引きしたのは言うまでもない。衣咲が男性よりも「男性以上に美しく強い」女性が好きなのだと知ったのもこの頃だ。まぁ、衣咲のストーカーが、女性だったという時点でアレだったのかもしれない。気づけなかったのは自分の落ち度だろう、そんなことを邂逅しながらあいりは氷水に口をつけた。
 春先に刑事課に移動になったことで、あいりの生活は激変した。ひとたび事件が起これば昼間は調査や聞き込みで外を駆け巡り、夜は調書の作成や会議に追われたまに徹夜で署に籠ることもある。たとえ定時で家に帰れてもたまった洗濯物やら掃除やらで時間を費やされ、あとは泥のように眠るだけ。
 なので休日、外で食事をすることはあいりにとって貴重なひとときだった。誰にも邪魔されず好きな物を食べれる幸福は削りたくない。しかしこのままだと唯一の休息でさえも衣咲に阻まれてしまうだろう。今後お昼はこの店以外の場所で取らないようにしよう。あいりはそう心に固く誓う。
 あいりは残ったカレーをかきこむと、いそいそ席を立った。カウンターで会計を済ませる。すると衣咲は体をくねらせながら、あのぉ、とあいりに声をかけた。
「私、もう少しでバイト終わるんですけど、このあとお暇ですか? おねーさまに付き合って欲しい所があるんですけど」
 衣咲の誘いにあいりはげ、と言葉を漏らした。また服を買いに行こうというものなら即断らなければ。あいりの背中にじわり汗が浮かぶ。
 衣咲はまだ高校生だがあいりの世代が着そうな大人びた服をワードローブにしている。色のチョイスも服のセンスも悪くない。だが、衣咲があいりの為に服を選ぶとなるとその趣向がまた違ってくるのだ。それはキラキラ素材のパンツスーツだったり、ヨーロッパの騎士を思わせるひらひらのブラウスだったり。それは男装の歌劇団さながらのチョイスで、あいりはほとほと困っていたのだ。
「あの、買い物なら間にあってるから」
 あいりはやんわり断る。すると衣咲は違います、と舌っ足らずな声をあげた。
「衣咲、お友達の所に行きたいんですよ」
 お友達? あいりがオウム返しすると、お友達って――アキちゃんのこと? とマスターが口を挟んできた。衣咲がこくりと頷く。
「私、あの子のことがすごく心配で」
「確かに、最近は顔を見てないしね。元気だといいんだけど」
 二人の神妙な顔にあいりは首を横にかしげた。アキちゃんって誰? とマスターに聞く。マスターは作業の手を止め、布巾で手を拭くとその人物について教えてくれた。
「たまにライブの助っ人で来てくれてる子なんだけどね。この間から連絡が取れなくて。ライブにも顔を出さないし、こっちも心配してるんだ」
 あの写真に写っている子なんだけどね。そう言ってマスターは壁にかかっている掲示板を指で示した。掲示板には毎週末に行われるミニライブの日程や、バンド募集の広告が掲げられていた。その片隅に演奏をしているバンドメンバーの写真がピンで留められている。
 衣咲はマスターに一言断ると、ピンを抜き写真をあいりに渡した。
「後ろの右端にいるのがアキちゃんです。素敵なひとでしょ?」
 写真をうっとりと見ながら衣咲は言うと、写真を見たあいりは確かに、と頷く。パンクファッションに身を包んだ「アキちゃん」は、衣咲が好きそうな麗人だった。短く刈りあげた髪に細みの体型。挑むような眼差しときゅっと結んだ口元。写真を見るだけで尖った雰囲気が読み取れる。
 衣咲の話によるとアキちゃんの本名は誰も知らないらしい。バンドメンバーの一人がたまたま訪れた店で彼女がピアノを弾くのを見て、助っ人にスカウトしたという。
 彼女自身、自分の事を語ることはあまりなかったという。
「最後にアキちゃんに会った時、今度サカエ町のお店で弾き語りするって聞いたの思い出して――私そこに行きたいんです。でも、そのお店ちょっと行きづらくて……」
「――店の名前とか住所ってわかる?」
 あいりが問うと、衣咲はエプロンのポケットから一枚の名刺を出した。「シークレットベース」と書かれたそこは会員制のバーらしい。店の名前はあいりも聞いたことがない店だったが、住所を見ると仕事で一度通ったことのある道沿いにあるとわかった。
 あいりは生活安全課に配属していた頃に一度だけサカエ界隈の店の摘発を手伝ったことを思い出した。その時交番の警官にも周辺の情報を聞いたのだが、それはあまりいい話じゃなかった。
 あの界隈は窃盗事件をはじめ、客や店の小競り合いが毎晩あるという。薬の売買や違法カジノといった商売が横行していることも。あまりにも犯罪が多すぎて気が滅入るとのことだった。その中に年端もいかない少女を行かせるのはライオンの群れに兎を放りこむに等しい。
 あいりはひとつため息をついた。非番の日も人探しだなんて、警察官の正しい休暇の使い方とは言えないだろう。でもこのまま見て見ぬふりをするわけにもいかない。
「今日は非番だからお店に付添うだけね。彼女がいるかどうか確認するだけよ。それでもいい?」
「きゃー、おねーさま大好きぃ」
 衣咲が再びあいりに抱きついた。思い切り体重をかけられたあいりはぐえ、と変な声を上げる。食べたばかりのカレーが逆流するのを必死に堪えた。

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2013

0720

***

 その日、私は母に頼まれた食材を届けるため城に来ていた。重い台車を引きながら本棚の間を通り、奥にある書庫の扉を叩く。
「スピンおじさま。いつもの魚を届けに参りました」
「おお、ありがとうなぁ」
 スピンおじさまは私が引いてきた台車を覗きこむ。水槽の中で泳いでいる巨大魚の群れを見てにんまりと笑った。
「ダックにクロム。お前らの餌が届いたぞ――ほうら」
 スピンおじさまは水槽の魚を手づかみすると、飼っているグリーンドラゴンの双子に向かって一匹二匹と放り投げた。彼らは魚が床に落ちる前に口を大きく開けてごくりと丸飲みをした。幼獣だった少し前まではそんな姿も可愛らしかったけど、私の背の三倍あるだろう今は食べ姿を見るのもおどろおどろしい。私はそっと目をそらす。奥のテーブルに視線を移せばシフおじいちゃまと母がのんびりと茶をすすっていた。ああ、今日も三人で秘密の会議をしているわ。私は心の中でつぶやく。本当、この三人が揃うとろくなことがないんだから。
 私は彼らをこの世の三大悪魔と呼んでいた。身内を悪く言うことに抵抗がない、と言えば嘘になるけれど、彼らの所業は目に余るものがある。彼らの恩恵を受けている以上ある程度は目をつぶるけど、悪さはほどほどにしてほしいと切に願っている。今はシフおじいちゃまの弟子が可哀想でならない。
「それで今回のことじゃが――あれは、ワシの弟子が『たまたま』出会ったブラックドラゴンに服従魔法をかけたら『たまたま』上手くいって、最終的に助かった、と。偶然が偶然を呼んだ――ということで王に報告しとこうかと思うのじゃが」
「それでいいんじゃね? あの子は最後まで踏んだり蹴ったりだったから。ちょーっとくらい褒美を与えてもいいかと思うぜ」
「私も異議は唱えません。それでいいかと」
「ふぉっふぉ。じゃあ、それでいこうかのぅ」
 そう言ってシフおじいちゃまがにたりと笑うと、向かいにいたスピンおじさまがそれにしても、と口を開いた。
「今回は本当にヤバかったなぁ。ここから逃げたブラックドラゴンが卵産んだとは思ってもなくて。しかもすぐに羽化しちゃっただろ? びっくりしたのなんのって」
「研究のためとはいえ、成長を早める機械を発明するから変なことになるんです。生態を崩すのは犯罪行為ですよ。彼女を書庫に案内した時もそうです。私スピンおじさまの口が滑るんじゃないかと、ひやひやしてたんですから」
「こんなにも早く連れてくるとは思いもしなかったんだよ。クレアは俺とあの子が出会うのはずーっと後みたいなことを言ってたろ?」
「そうでしたっけ?」
「そうさ。だから俺は心の準備も何もできてなくて焦ってよぉ」
「その割には果物やお菓子が沢山置いてありましたけど」
「あの子が来るならもっといいものを用意したさ。で、あの子にごはんたらふく食べさせて丸々太った所をダックとクロムに食――あわわ」
「ほらやっぱり。ろくなことを考えてない」
「だってよー。魔力はドラゴンの大好物なんだぜ。こんなチャンスめったにないんだから。それにろくな事考えてないのはそっちだろ? 全てを見透かしているくせに何も言わない方が性質が悪いと思うが。おまえ、本当は夢で見てたんじゃないのか? ブラックドラゴンがシールド破ることも、あの子と一緒についてきた子供がこの国の危機を救うことも。だからあの時子供に魔法を教えてこいってジジィに頼んだんだろ?」
「そのことについてはご想像にお任せします」
「ったく、偉大なる魔導士さんの血を引く奴は曲者ばっかだな」
 スピンおじさまは母に悪態をつくと、お茶を一気に飲み干した。まぁ、スピンおじさまの言いたいことはわかるけどその言葉、聞き捨てならないわ。曲者なのはシフおじいちゃまと母だけで、父や私はいたって普通なのだから。というか、この人たちの血が私にも流れているかと思うとちょっと怖い。いつ魔法や予知夢の力に目覚めてしまうか――考えるだけで身震いが走るわ。
 母はひとつため息をつくと、シフおじいちゃまに向き直った。
「大おじさま」
「何じゃ」
「そろそろ彼女に本当の事を言ってもいいんじゃないんですか? あの腕輪が師弟の証でもお仕置きの道具でもないことを」
「ほぇ?」
「そりゃ、最初は何も言わないのが彼女の為と思ってましたけど――今回の事で、彼女は他の魔法使いから敵視されました。本人も自分には大した力がないんだって相当落ち込んでいたんですよ。可哀想に思えてなりません」
「そんなもの、自分で解決できんようじゃ魔法使いにもなれぬわい。他人に与えられることだけを求めるなら落ちこぼれで結構。一番の問題はあやつが魔法使いになるということを何かの資格か趣味ぐらいにしか思っておらんことだ。まぁ、最初に習い事でいいと言ってしまったワシにも責はあるが――あいつには魔法使いになる覚悟が足らん。そんな生ぬるい気持ちの者にワシの奥義など教えることはできんわい。それに、本当の事を話したら、ワシの方が殺されるじゃないか」
「ああ、それは言えてますね。あの時は大おじさまが本当に殺されるんじゃないかと思いましたから」
「何? ジジィってばあの子に殺されかけたの?」
「そうじゃ。あやつ魔法を使わなくても怪力で――まったく、誰があやつをそんな風に育てたんだか」
「そんなの決まってるじゃないですか」
「だな」
 母とスピンおじさまが顔を見合わせ、シフおじいちゃまに目を向ける。同時ににやりと笑った。偉大なる魔法使いがそれを誤魔化すかの如く咳払いする。
「まぁよい。で、次の作戦じゃが――」
 シフおじいちゃまの言葉に他の二人が身を乗り出す。遠く離れた異世界の彼女の話をする時はいつもそう。三人で書庫に籠りあーだこーだと悪だくみを展開する。それはまるで子供が大人に悪戯を仕掛けるかのごとく幼稚で単純で。いい大人が何をやってんだかと思うけど、三人はとても楽しそうだ。
 さてさて、次はどんな事件を巻き起こすのやら。私は一番の被害を受けている彼女を思い、そっとため息をついた。


(使ったお題:23.ほどほどに)


最後はクレアさんの娘視点で描いた後日談。魔法使いの話はこれで完結です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
明日明後日と(企画参加作品の執筆のため)お休み。来週火曜日から新しい話が始まります。今度はどんな話になるのやら。

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2013

0719

 全ての作業が終わった後で、ヤツは盛大な高笑いを上げた。
「さっき投げたのはシールドの核となるものじゃ。それを電気玉と間違えてこの馬鹿弟子が。こんな大事な場でお仕置きなどするか! 全くいい気味じゃのう」
 その、やーい引っかかった、とでも言いたげな様子に私は顔を赤くする。このクソジジィ! とヤツに噛みつくけど、その瞬間痛いほど強い視線が私を射抜いた。ヤツを偉大な魔導士と信じて疑わない魔法使いたちが私を睨みつける。その殺意とも呼べる眼差しに私は一歩どころか十歩近く後ずさりした。彼らの杖の先が一斉に私に向けられる。うわ。もしかして攻撃される? もう嫌だこんな世界。ヤツ至上主義なんてそれこそ詐欺だーーっ!
 四面楚歌状態で私が唇を噛んでいると、ヤツが一歩前に出た。ゆったりとした口調でやめんか、とたしなめる。
「口は悪いが、こやつはワシが認めた弟子じゃ。弟子の粗相はワシの粗相だ。手出しはするな」
 その威厳ある言葉に全ては収集した。ヤツが魔法使いたちを城に戻るよう指示すると、彼らは渋々それを受け入れた。箒の群れが空の彼方へ消えていくと私はヤツの杖でこつんと頭を叩かれる。
「師匠に感謝の一言もなしか? ぃえ?」
「もう師匠じゃないんだからそんなのするかっ! そっちが先に騙したんでしょ」
「じゃあ電気玉を出せばよいのかぇ?」
 うわ、それはもっと嫌だ!
「まぁ、冗談はこれくらいとして。このあと隕石の衝突でここの魔力も打ち消されるかもしれん。城もゴタゴタするじゃろうから、今のうちに向こうの世界に飛ばしてやろう」
「え、そんな急に?」
「何じゃ? 戻りたくないのか?」
「いや」
 飛ばせるものなら飛ばしちゃって欲しい。本当なら壊れた城の修復をしなきゃと思うけど、いかんせん体がバキバキで今は立つのもやっとなのだ。それに本音をぶっちゃけるなら魔法使い達の前で自分の失態を見せたのが一番痛い。騙されたとはいえあんな情けない悲鳴を上げちゃったし。ヤツを殺しそうになったことが暴露されてしまった以上、他の魔法使いたちにこれから何をされるかと思うとガクブルです。あ、でもプミラさんのことは気になる。彼女大丈夫かなぁ。先に帰ってしまうのは心苦しいけど、この世界が滅ばずに済んだのだからまた会えるよね?
 私はクロムの首に触れると、そっと抱き寄せた。ありがとう。今度会う時は好きな物、沢山もってくるからね、と伝えると、クロムは私の顔をべろんと舐めた。
 私の様子に何かを悟ったのか、ももちゃんがバイバイなの?と聞いてくる。私はそうだよ、と答えた。
「そこのジジ――魔法使いのおじいちゃんがもとの世界に戻してくれるって。ももちゃんもお母さんに会いたいでしょ?」
 この世界に飛び込んでから数時間もしないうちに、ももちゃんはお母さんを恋しがっていた。それは事実を歪める暗示をかけなきゃならないほどで。だからすんなり受け入れるかと私は思っていた。けど、ももちゃんから返ってきたのはいや、の一言だ。
「もも、ここにずっといたい。あのドラゴンさんのところにいきたい。おじーちゃんにもっとまほーおそわりたぁいーっ」
 だたをこねられ、私は困ってしまった。するとヤツが、おおそうじゃなぁ、と言って同調した。
「ワシとてもっとももと一緒にいたいぞよ。でも――そろそろ戻らないと、家の人も心配するじゃろう?」
 ヤツはももちゃんの頭をそっとなでる。小さな光がももちゃんの前に現れた。
「なぁに。またすぐ会える。今度はな、夢の中で会おう。ワシらはいつだってもものそばにおる。じゃから――またな」
 やがて光をじっと見ていたももちゃんの意識がぷつりと途切れた。突然倒れたものだから私は両手を広げて小さな体を支える。一体ももちゃんに何したの?
「ももの中にあるワシらの記憶を全て夢にすり替えておいた。こうした方がそなたも都合がいいじゃろう」
「そうね」
「さあ、時間がない。次元の扉を開くぞよ」
 そう言ってヤツが自分の杖をくるりと回した。私はももちゃんを抱き上げ、その時を待つ。すると突然ヤツが私の腕を掴んだ。いきなり何? 私が目を見開くと、ヤツは真剣な顔で言った。
「そなたのおかげでこの世界は救われた――ありがとうな」
「え?何を急に」 
「おまえじゃない。ももにいってるんじゃ。まぁ、おまえもそれなりに頑張ったんじゃないのかぃえ? ふぉっふぉ」
 それは褒め言葉として受け取っていいのかしら?私が眉をひそめていると、足元が宙に浮いた。光の泉の中へ吸い込まれる。長い長いトンネルを抜けたあとで、自分の部屋のベッドに放り出された。ももちゃんを抱えた私はそのままごろんと一回転して、布団ごとベッドの下にずり落ちる。腰を打った私は悶絶した。ヤツの移動ときたら相変わらず着地点の設定に難がある。今度会ったら文句を言ってやろう。
 私はぎこちない動きで体を起こすと枕元に置いてある目覚まし時計を取った。時刻はあっちの世界に行った日の三十分後。もう少ししたら従妹がももちゃんを迎えに来るだろう。それまでにせめて、この如何にもなコスプレを脱がないと。私は着ている服に手をかけようとして――あっと声をあげる。一度外れたはずの腕輪がそこに絡められていたからだ。そして私は悟る。ヤツめ。さっき私の腕を掴んだのはそういうこと?
 私はももちゃんを抱えていた腕を解くと仰向けになる。声を上げて笑った。ジジィとの師弟契約は一度切れてたはずなのに、向こうの世界を離れる時私は次に訪れた時のことを考えていた。それは私にとって詐欺魔法使いのあれこれも、あっちの世界も私の生活の一部になってしまったということ。慣れというのは恐ろしい。でも――それも悪くない。
 笑いすぎたせいなのか体中のあちこちが痛い。けど心はとても晴れやかだ。やがてインターホンが鳴る。私は痛む体を引きずりながら玄関へと向かった。


 結局、体の痛みが癒えるまで一週間かかった。
 その間は仕事を休むわけにはいかず――ええ、頑張りましたとも。ただ家に着いてからは何もする気がおこらず、風呂に入る以外は泥のように眠り続けた。おかげで洗濯物はたまるばかり。台所のシンクはコンビニの容器で溢れ、部屋は異臭を漂わせていた。
 体の錘がようやく取れた日曜日、私は朝から忙しかった。その間放置していた服を洗濯し部屋に掃除機をかける。午後には従妹が改めて先日のお礼にやってきた。ももちゃんも一緒だ。
「この間はももを見てくれてありがとう。母も大事に至らず退院したし。これ、よかったら食べてね」
 そう言って従妹が私に差し出したのは、一日限定十個しか売らないという極上スイーツだ。私の喉がごくりと鳴る。
「これ、高かったでしょう? いいの?」 
「いいのいいの。ももに服を買ってくれたでしょう? あの子すっかりご機嫌で。あの如何にもな魔女服、どこで売ってたの?」
 真剣に聞いてくるものだから私はさぁどこだったっけ、とすっとぼけた。元の世界に戻ってきた時、私とももちゃんはクレアさんの見立てた服を着たままだった。私とお揃いのそれを、ももちゃんはとても気に入っているらしい。小さな魔法使いは今日もそれを身にまとい、困っている人のために私の部屋をを奔走していた。
「わたしはまほうつかいもも。そなたのねがいをかなえるぞよ。なぬ? どらごんがしろであばれている? まほうつかいももがいまたすけるからまっててー」
 ヤツの影響を受けたせいかたまにおひょ、とか、ふぉっふぉとか、あと語尾がおかしくなるのが非常に残念なんだけど――ま、いいか。
 ももちゃんの大活躍は夢の中の出来事に変換されてしまった。でも、ももちゃんの将来を考えると、これが一番いいのだと私も思う。私たちの世界においての魔法はそれこそ夢のような存在だから。むやみに撒き散らすのはかえって迷惑だし周りの視線は冷たく厳しい。とはいえ、魔法を信じるのはその人の自由だ。だから何年かたって――そう、立派に成長したももちゃんが魔法を信じて、困った人を助ける魔法使いになりたいと言うようなら、あれは夢じゃなかったんだよと話してあげよう。その頃にはは私もいっちょまえの魔法使いになっているかな?
 私は新たに巻かれた腕輪にそっと手を触れる。あれからだいぶ日が経ったけどヤツは私の前にまだ現れない。事件の後処理が大変なのかもしれないけど――ヤツのことだ。そのうちまたひょっこり現れるに違いない。あの独特の喋りを聞かせながら。そしたらまた騒々しい日々が始まるのだ。だから今はひとときの休息を楽しもう。
 私は貰ったお菓子をほおばると満面の笑みをこぼした。(本編 了)


(使ったお題:58.騒々しい日々)


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すろーなもの書き人。今は諸々の事情により何も書けずサイトも停滞中。サイトは続けるけどこのままでは自分の創作意欲と感性が死ぬなと危惧し一念発起。短い文章ながらも1日1作品書けるよう自分を追い込んでいきます。
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