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もの書きから遠ざかった人間のリハビリ&トレーニング場。 目指すは1日1題、365日連続投稿(とハードルを高くしてみる)

2024

1124
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2013

1106

  教師を殴ってしまったということで学校側は私の親を呼び出した。
 血相を変えてやってきた母親は私を見るなり頭に拳骨をお見舞いする。母は見た目か弱いイメージだが、ボクシングが趣味なので攻撃力は極めて高い。多少手加減していたとは思うけど、しばらくの間私は立ちあがることすらできなかった。
「本当、うちのバカ娘が申し訳ありません」
 深々と頭を下げる母親に担任はいつもの愛嬌で対応した。そんな頭を下げないで下さい、と母親を諭す。件の原因となった疑惑が親にチクられなかったのはひとえに彼のおかげだろう。
 学年主任の怪我は鼻血だけで済んだと思われたが床に倒れた時頭も打っていて脳震盪を起こしていたらしい。今は保健室で休ませているが意識が戻ったら念のため病院で一度検査をすると保健の先生は言っていた。なので学年主任には後日改めて謝罪することで話はまとまった。
 とはいえ、私が先生に手を上げたことは校則違反に触れる。正当防衛でも、だ。運がいいのか悪いのか校長は研修旅行に出かけてて不在だ。その間学校を任されている教頭先生からは校長が戻ってくるまで自宅学習してなさいと指示された。
 でもそれって――事実上の停学処分だよね?
 教師たちから開放された私は昇降口で靴を履き替えながら思う。外では母親が携帯電話で何か話していた。おそらく父親に報告しているのだろう。このぶんだと家に帰ってからも雷が落ちそうだ。
 未だ痺れる頭を抱えながら私はのろのろと歩く。校門の前まで来た所で私の足がふと止まった。つい昨日乗ったばかりの黒塗りが停まっていたからだ。
 私の頬がぴくりと動く。それと同時に車の扉が開き、ヤツが現れた。
「おお親友ではないか。なんというタイミングだ」
 まるで運命の出会いを喜ぶかのようにニシは言う。その、本気だかわざとなんだか分からない台詞に私の眉が右に上がった。隣りにいた母親も怪訝な顔をして誰、と私に聞いてくる。
「こんな所で何をしている」
「何の用?」
 私はニシの顔を見ることなく問い返す。今にも爆発しそうな「何か」を必死で堪えた。だがニシはそんなことに気づいちゃいない。よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに俺様風を吹かせていた。
「制服を届けにきてやったんだ。郵送でいいと言ったが、やはり早い方がいいと思ってな」
 そう言ってニシはきちんと折りたたまれた制服を私の前に差し出す。それも一着分だけ。
「――これって、久実のよね?」
「そうだ。ヒガシの分も預かったはずなんだが、どういうわけかないのだ。何故だかわかるか?」
 その言い回しに私の体が震えた。ふつふつと湧いてくるモノが限界すれすれまで満たされる。
「一応同じものを用意したのだが、サイズが分からなくてな。とりあえず全サイズを取り寄せて――」
 こいつにとって制服の紛失は代用品で賄える、その程度のものらしい。さすが財閥の御曹司。責任もなにもありゃしない。全ては金やモノで動かすって?
「ふざけんな!」
 私はスクールバッグの手提げを強く握りしめる。体をひねり大きく振りかぶるとバッグでニシを殴り飛ばした。やつの体が一メートルほど吹っ飛んで尻から着地する。
「アンタが制服無くすから酷い目にあったじゃない! どうしてくれるのよ」
 私はありったけの声で叫んだ。感情をむき出しにしたものだから尻もちをついたニシが目をぱちくりとさせて驚いている。すぐに運転席にいた男が私を取り押さえようとするけれど、ニシがそれを制した。
「親友の怒りはごもっともだ。これは俺が悪い。俺の責任だ」
「そうよ、何もかもアンタのせいよ! この疫病神っ。私の前から消えなさいよ!」
 私はありったけの言葉を浴びせると母親を置いて一目散に走り出した。昨日から続く訳の分からない嫌がらせは私のキャパを超えている。頭の中がめちゃくちゃだ。
 何で私がこんな目に遭わなきゃならないわけ?
 一体何したっていうんだこの野郎!
 私はポンコツの膝を引きずりながら駅前までたどりつく。あまりにもイライラしていたのですぐ目についたファストフード店で季節限定のハンバーガーセットとシェイクを二人前頼んでぺろりと平らげる。腹が満たされると、少しだけ冷静になれた。
 さて、これからどうしよう。
 ストレス解消にひとりカラオケに走ろうかとも思ったけど何だか虚しくてすぐに却下した。服や好きな雑貨を買おうにも財布がさみしい。なのでゲーセンに行ってみる。けど気が乗らなくてすぐに建物の外へ飛び出した。
 電車に乗り家の最寄駅にたどりつく。さんざん彷徨った上にたどり着いたのは昨日訪れた河川敷だった。
 二年前まであのダイヤモンドの中に私はいた。恋もお洒落も二の次でひたすら白い球を追いかけていたのだ。
 私は整備されたグラウンドを避けながら外野に向かって歩いていく。途中草むらに置いてけぼりにされたボールを見つけた。傷一つないからはぐれてまだ日が経ってないのだろう。
 ボールを握った瞬間、懐かしさがこみあげる。しばらくの間、私は高架の柱とキャッチボールをしていた。自分の中にある怒りや悲しみをぶつけてみたけど、返ってくるのはいつも自分の胸の中で気は一向に晴れない。ボールがあさっての方向に飛んでいったので私はゆっくりと遊歩道へ戻っていった。
 日は傾き、鉄橋の下をくぐろうとしている。風が草をなでた。流れる雲を眺めながら今後のことを考える。
 ああ、これからどうしよう。家に帰ってもいい事なさそうだし。かといって家出するわけにもいかないし。
 頭をぐるぐるさせていると、ふいにお腹が鳴った。そういえば昨日もこの位の時間にお腹が鳴っていた。昼にあれだけ食べたのに。私の腹時計はかなり正確らしい。
 またおかみさんの所でもんじゃでも食べようかな、どうしようかな。この時間なら知ってる人いなさそうだし。
 そんなことを思った時だ。
「ナノちゃん」
 ふいに久実の声がした。目が自然とそちらに向かう。久実は土手の下の道で私を見上げていた。そして何故か後ろに黒塗りの車とニシの姿がある。
「先生から話聞いたよ。大丈夫?」
 滑りやすいローファーで斜面を登りながら久実は私に問う。まったくひどい話だよね、と続けながら。
「これって動画の件と同じ人間の仕業なのかな?」
「分からない」
「ナノちゃん傷つけて何が楽しいんだろう。ほんっと、犯人見つけたらタダじゃおかないんだから!」
 久実はまるで自分のことのように怒っている。その姿を見て目が湿っぽくなってしまった。やばい、このままじゃ泣きそうだ。
 私がしょっぱいものを堪えているとふいに影が差す。見上げるとちょっと拗ねた顔のニシが立っていた。
「制服がなくなったことでどうやら変な疑いをかけられたらしいな。ヒガシよ。こんな大事なことを俺に隠すとは水臭いじゃないか」
 ヤツの言葉に私は微妙な顔を向けてしまう。隠すも何も、話すつもりもなかったんですが。何で知ってるわけ?
 私はいぶかしげにニシを見上げるが、その答えはすぐに見つかった。ニシの後ろで話しちゃった、と言わんばかりに手を合わせる久実の姿があったからだ。
 ニシは私の肩をポンとたたき安心しろ、と言葉をかける。
「この件は俺がなんとかしてやる。親友の疑いをすぐに晴らしてやろうじゃないか!」
 その自信に満ちた言葉は正直、聞きたくなかった。だって、それは私に今後も関わってやるぞというストーカー宣誓みたいなものだからだ。
 でも――
 私に諦めに似た笑いが浮かぶ。
 ニシの励ましはぶっちゃけ有難迷惑だ。でもほんのちょっとだけ気持ちが軽くなったのも事実だ。
 だからありがとね、とだけ私は言う。まだあんたは知り合い以下の存在だけど、と毒を吐きながら。


 

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2013

1105

  次の日、私は重たい足取りで通学路を歩いていた。時々ポケットから携帯を見てはため息をつく。それを何度か繰り返していると名前を呼ばれた。振り返ると久実がこちらに向かって歩いてくる。おはよ、と言われた。間髪入れず、で、例の件はどうしたの? と聞いてくる。
「とりあえず知ってる限りの友達にメールは送って、サイトにも削除頼んだ」
 私の報告に久実は安堵のため息をつく。そっか、と言葉を続けた。
「ナノちゃん自分で解決しようとしてたから心配だったけど――そっか、誤解解いたんだね」
 よかったよかった、と久実は言っているけれど当の本人はよかったかどうかも分からない。
 今朝、私は携帯に登録されている友達全てに「届いているかどうかわからないけど、私に関する不適切なメールは悪戯だからすぐに削除して。私は何も関係ありません」といった内容のメールを送った。
 おかげで私の携帯は今も震えっぱなしだ。大半は「了解」とか「嫌な思いしたね。元気出して」といったメールだったけど、中には電話してくる子もいて、事の詳細を聞きたがって困ってしまった。
 削除依頼の件もそうだ。昨日家族が寝静まった頃を狙ってリビングのパソコンを操作したけど、途中水を飲みにきた母親とかちあわせて理由を取りつくろうのに大変だった。
 私はパソコンで酷使した双璧をしょぼしょぼとこする。どうも目が乾いて仕方ない。頭がすっきりしないのは明らかにあの動画サイトのせいだ。 
 メールを送るにあたってガイドラインを読んだわけだけど、某の動画サイトは一分間に数十時間以上もの動画がアップロードされるらしい。明らかに違反だというものはすぐ削除するけれど対応には時間がかかると書いてあった。
 今回のは(合成とはいえ)未成年の飲酒喫煙が撮られているから数日中に削除はされるのだろう。でも私としては一刻も早く消えてほしい。
 ああ、誰だよ。こんな馬鹿なことをしたの。
 見つけたら一度ぶん殴ってやるんだから!
 怒りと不安と切実な願いを抱えながら私は学校へ向かう。教室に入っても久実は私の気持ちを察してかチャイムが鳴るまで側にいてくれた。私のメールを受け取ったクラスメイトも大丈夫だよ、と励ましてくれる。彼女たちの言葉は温かい。私にとって唯一の救いだ。
 やがて始業のチャイムが鳴る。すぐに先生が教室に現れ、教卓に立った。一日の始まりの挨拶が交わされる。ウチの担任は三十を超えている眼鏡男子だ。童顔で愛嬌があるので生徒からは割と慕われている。その舌っ足らずの口から今日の予定や連絡事項が伝えられた。
「――今日の連絡は以上。何か質問は?」
 担任の声に生徒は静まりかえったままだ。うむ、と担任が頷く。こうしていつものHRが滞りなく終わる――そんな時だ。
「ああ、ヒガシさん。ちょっと来て」
 いきなりの呼び出しに私はどきりとする。黒板を見れば担任が私にっこりと笑いながら手招きをしていた。優しい顔に私はちょっとだけ胸をなでおろし、席を立つ。
「何ですか?」
「このあと僕とお話しようか?」
 まるで小さい子どもに語りかけるように担任が言ったので私はえ? と思う。担任の眼鏡がきらりと光っていた。
「ちょっと違う場所に行こうか。次の授業の先生にはもう話してあるから。ね」
 口調はいつもと同じなはずなのに、嫌と言わせないようなオーラが担任に漂っている。私の頭の中に最悪のパターンがよぎった。
 まさか。そんなことないよ……ね?
 私は一生懸命否定を続けながらあとをついて行ったけど、悪い予感は見事的中した。話し合いにと担任が選んだ別室がパソコンの実習室だったからだ。そこには先客がいて、厳しい表情でマウスを動かしている。私の姿を見つけるなり鋭い睨みを利かせた。私の体が一瞬で凍りつく。
「あの……お話って何でしょうか」
 私は恐る恐る問いかけた。そのマウスが変なサイトとか開かないように、と願いながら。
 担任はくるりと振り返ると実はね、と話を切りだす。机に置かれた包みを私に見せた。紺のブレザーに赤いタータンチェックのスカートはうちの制服だ。
「これはヒガシさんの?」
 担任に聞かれ、私はビニール袋に包まれた制服を手に取ってみた。確かにサイズは丁度好さそうだけど――けどこれが自分のものかどうかは分からない。
 私はビニールを剥いでブレザーの襟を返した。懐のポケットに私の苗字が刺繍されている。確認のため胸ポケットを探ると見慣れた生徒手帳が出てきた。開くと冴えない顔の私が目に飛び込んでくる。
「これは私の――ですね」
 確かに私のだ。昨日の今日で出来上がりがやけに早いな。確か自宅に送るって話じゃなかったっけ?
 私が制服を見ながら不思議そうな顔をしていると、ずっと黙っていた学年主任の先生が口を開いた。これが何処から届けられたものだと思う? と聞いてくる。私は一瞬だけ口ごもったけどすぐに暁学園ですか? と問い返す。
「昨日暁学園の文化祭に行ったんですけど制服を汚してしまって――だからクリーニングに出してもらったんですけど」
 私は事情をかいつまんで説明する。何故か学年主任に鼻で笑われた。
 え、何今の。
 あからさまな嘲笑に私はむっとする。
「何が可笑しいんですか?」
「あーいや。もっと上手な嘘はつけなかったのかな、と思っただけだ」
「私は嘘なんかついてないですけど?」
 嫌みったらしい言い方の学年主任を私は睨む。すると不穏な空気を悟った担任があのね、と口を挟んできた。しごく穏やかな口調で私に説明する。
「これ、ホテルに泊った客の忘れ物なんだって。気づいた従業員がウチの卒業生で――こっちに連絡して届けてくれたんだよ」
 それを聞いた私は何で? と思う。他の学校に預けたはずの制服が何でホテルに落ちてるんだと。
「一体どういう事ですか?」
 私は担任に向かって尋ねる。するとそれはこっちが聞きたいな、と学年主任に返された。
「ホテル側の話によれば制服が落ちてた部屋は五十代の男性が泊っていたという話じゃないか」
「え?」
「しかもその夜はヒガシと言う名の女子高生と親密そうに部屋に入っていったのを別の従業員が見ていたとか」
 ちょ、ちょっと待って。何なのよそれは。
 暁学園に置いたはずの制服がホテルに置き忘れてて、そのホテルに私がオッサンと一緒にいて――つまり私ってば、援助交際の疑いをかけられてるってわけ?
「そんな馬鹿な事あるわけないじゃない!」
 私は思わず声を荒げた。
「何それ、どうしたらそんな話になるわけ? ありえないんですけど」
「じゃ、その男性とは何の関係も――」
「ないに決まってるでしょ!」
「だよねぇ」
 私の声を聞いた担任がほっとしたような表情をした。ほらやっぱり、と言いながら学年主任に食いつく。
「彼女はそんなことをするような子ではないって言ったじゃないですか。そんな真っ向から疑うのはどうかと……」
「でもホテル側はヒガシだと言ったんですよ。生徒手帳の写真と同じだって。それはどう説明を?」
「それは――」
 担任は言葉に詰まる。私を必死にかばってはくれたけど効力はすぐ切れた。
 学年主任の尋問はまだ続く。
「念のために聞いておくが、昨日の夜九時以降は何をしていた?」
「家にいましたけど? なんなら親に聞いてみますか?」
 私は直立不動のまま、握った拳に力をこめる。私の回答になるほど、と学園主任は頷いた。
「それは残念だな。アリバイがないということは、夜更けに抜けだすことも可能だということだ。それに家族の証言は信用性が低い。ということでおまえの言う事は信用ができないな」
「はあ?」
 何それ。刑事ドラマの見すぎじゃん? 聞いてりゃ最初から私のこと一方的に疑っているし。そんなにも私をクロにしたいのかよ。
 ああもう、馬鹿馬鹿しくてやってらんないわ!
「とにかく、私は何もしてませんので」
 失礼します、と言って私はくるりと踵を返す。教室に戻ろうとするとすぐに学年主任が追いかけた。待て話は終わってないと言いながら私の腕をぐっと掴む。歪んだ視線がぶつかった瞬間、私は思わず悲鳴を上げた。
「何するのよっ!」
 私はその手を振りほどこうと思いっきり体を翻す。すると反対の腕が振り子のように動いて学年主任の鼻にヒットした。しかも拳で。
 ぐへ、という声と共に中年男の体が床に転がる。その伸びた鼻からつう、と出てくる赤いものに私は一瞬の爽快さを覚えた。が、すぐに我に返る。
 どうしよう。不可抗力とはいえ、先生を殴っちゃった。
「あ……の」
 私はこの場に居合わせた担任を覗き見る。担任はふるふると首を横に振ると、ご愁傷さんといわんばかりに私の肩を叩いたのである。


 

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2013

1101

  家までの距離を一気に駆け抜ける。すぐに膝が笑ってしまったけど、そんなの気にしている場合じゃない。今にも車で追いかけてくるんじゃないかとひやひやだ。
 足を引きずらせやっとこさ家のドアに手をかける。入る前に振り返り、追手がいないか確認した。うん、大丈夫。ヤツの姿はない。私は家に入るとすぐさま鍵をかけた。疲れがどっと溢れてくる。
「アンタ何してんの?」
 玄関でひとりうずくまっていると母親に声をかけられた。 
「帰ってきたならちゃんと『ただいま』って言いなさいよ。夕飯もうすぐできるわよ」
「いらない。外で食べてきたから」
「やだ、夕飯いらないからちゃんと連絡しなさいっていつも言ってるでしょ――って、アンタその服どうしたの? 昼間制服で出てったでしょう?」
「……もう寝るわ」
 私は母親の愚痴をすり抜けると階段を昇った。二階にある自分の部屋へひきこもる。部屋着に着替え落ちつくと携帯と家の固定電話が同時に鳴った。
 私は思わず肩を揺らす。まさかヤツから? と思うけど、よくよく考えればヤツは私のメルアドなんて知らないはず。
 私は胸をなでおろすと携帯を手にした。固定電話の呼び出しもすぐ止んだので母が取ったのだろう。
 改めてメールを確認しようとするとドアがノックされた。
「菜乃花、電話きてるけど」
「誰?」
「久実ちゃんから」
 それはある程度予想できた相手だった。でも固定電話にかけてくるなんて珍しい。くるならメールか携帯だと思っていたのに。
 私は母親から電話の子機を受け取ってもしもし、と声をかける。何で先に帰っちゃったのよ、こっちは大変だったんだからと毒づくけど、久実はそれを一蹴した。切羽詰まった声で私に問う。
「さっき私が飛ばしたメール見た?」
「まだだけど」
「今すぐ見て!」
 危機迫る声でせっつかれた私は疑問符を浮かべながら、とりあえず言うとおりにした。子機を顎と肩の間に挟み空いた手で携帯を操作する。届いたメールの題名は「Fw:」。本文には動画サイトのURLが表示されていた。
 一体何だろう?
 私は指定されたサイトへ飛ぶ。見たことのある黒い長方形が色づき始めると一瞬で目が釘づけになった。映し出されたのが私だったからだ。
 けだるい表情で缶ビールを飲んでる姿、旨いと言わんばかりに煙草を吸う姿がスライドで表示された。胸を露わにしてセクシーポーズで決める姿なんてのもある。
「ちょ、何なのこれは!」
「それはこっちが聞きたいわよ。ナノちゃん、あなたいつからこんな破廉恥なこと」
「するわけないでしょ! だいたい私はこんなに胸でかくないわ!」
 私はつい大声で反論する。勢いとはいえ、言ったあとで自分が虚しくなった。けどそれはそれで説得力があったらしい。久実に確かにナノちゃんの胸は頑張ってもBカップよね、と追い打ちをかけられたから。ショックで私の胸が更にひっこみそうだ。
 私が静かに落ち込んでいると、なるほど、と久実は唸った。
「ということはアイコラなんだ。よくできてるなぁ」
「アイコラ?」
「合成ってこと。誰かがナノちゃんの写真に他の画像を組み合わせて投稿したかも」
 久実の話によると、メールは三十分ほど前に届いたという。差出人のアドレスは久実の携帯には登録されてなかったので誰かは分からない。ただ、メールは他にも送られたらしく、メールのCc欄には高校のクラスメイトや中学の同級生のアドレスがあったという。
「この様子だと私だけじゃなくナノちゃんの知り合い全員に送られたんだと思う。ナノちゃん。こんなことする人に心当たりある? 恨み持たれてるとか」
「どう、だろう?」
 その質問に私はない、と自信を持って否定することができなかった。本人に自覚はなくても相手が一方的に恨んでる可能性もあるからだ。
 久実は私の曖昧な答えを聞きつつ、とにかく、と声を上げる。
「このまま放置するのは危険だと思う。動画見た変なヤツがナノちゃんの居所突き止められちゃうかもしれないし。先生や親に見つかったらもっと大変だよ。というよりナノちゃんがイタイ人になっちゃう」
「そうだね」
 私は携帯をぎゅっと握りしめた。 
「まずはナノちゃんが送られたメールは自分と一切関係がありませんって周知しないとね。あと動画の削除依頼かけないと」
「確か――動画に問題があったら管理人が削除してくれるんだっけ? 誰が投稿したのか問い合わせできるのかな?」
「削除はできるだろうけど個人情報ってよっぽどのことがないと教えてもらえなさそうじゃない?」
「だったら警察に被害届出すとか? でも、それだと親や先生にバレちゃうよね」
 私たちは電話を挟んで考え込む。ああ、こう言ったのに詳しくないからどこから手をつければ分からない。一体どうすれば――  
「『あの人』ならこういったトラブルもなんとかしてくれそうだよね?」
 ふいに久実が呟いた。頼んでみる? と言う。
 あの人、というのはたぶんでなくてもヤツのことだろう。確かにヤツの力をもってすればこのけったいな写真を作った犯人もその動機もすぐに解明するかもしれない。でも――
 私はぶるぶると首を横に振る。やっぱりいい、と突っぱねた。
「なんで? ナノちゃん、このままじゃ大変なことになるよ。それでいいの?」
「そりゃ嫌だよ。けど、アイツに相談するのはもっと嫌なんだって!」
「?? ナノちゃん――あの人と何かあった?」
 私は答えに困った。今ここでヤツから一方的に親友認定されたとは言えない。そんなことを言ったら久実は尚更相談しなさいと言うに決まってる。ヤツが勝手に思ってるならそれを利用しなさいって。
 でも私にそれはできない。それをしたら誤解が解けた後もヤツに付きまとわれるのが目に見えているからだ。そしたら毎度ヤツに絡まれるわけで、そのとばっちりで命とか狙われちゃうわけで。
 私の中でヤツの不気味な笑いが蘇る。身震いが走った私は自分の肩を抱いた。
「とにかく。他の方法を考えるから久実は心配しないで」
 じゃあ、といって私は強引に電話を切る。いつまでも耳に残るヤツの声をかき消すとベッドに転がった。布団の中で他に誤解を解く方法はないか考える。けど、どうにもいい案が浮かばない。
 結局その日はなかなか寝付けず、とても長い夜を迎えることになった。

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2013

1030

  お腹がすっかり満たされたところで、私たちは店を出ようとする。だが、最後の最後で問題が起きた。聞けばヤツは現金を持ち合わせていないと言うではないか。下町のお好み焼き屋にはカード決済なんてものは存在しない。ヤツが持っているのはカードと小切手で、ヤツは後者で払おうとしたものだから私は慌てて止めた。
「どうした? 小切手での決済もダメなのか?」
「そもそも高校生が小切手持ってること自体がおかしいから。お願いだから止めて」
 とはいえこのままでは無銭飲食になってしまう。
 おかみさんは今度でいいよと笑顔で言ってくれたけど、それはそれで何だかバツが悪い。なので私が支払う事にした。ふたり分の夕飯二千三百八十円。一時的な出費とはいえ庶民の私にとっては痛い。ああ、でも手切れ金と思えばいいのか。
 店を出ると外はすっかり暗くなっていて、見上げた空の上に星がまたたいていた。月がまんまるだ。
 私はヤツの二歩先を意識して歩く。向かったのはヤツの乗っていた車じゃなく河川敷に繋がる土手の階段だ。私は階段を一段ずつ昇る。上にある遊歩道までたどりつくと、ここから歩いて帰れるから、と宣言する。
 私の家はこの遊歩道を少し歩いた先にある。夜だけど街灯はついているし、散歩やランニングをする人とすれ違うからそんなに怖くない。
 それじゃあ、と私は声をかけてからヤツに背中を向けた。二度と会う事もないけれど、と私は心の中で呟く。預かってもらった制服はさっきのお代と一緒に郵送してもらうことになったから、顔を合わせる理由はどこにもない。ヤツはさっきの一件以来口数が少なめだ。
 やっぱりさっきのが地雷だったのかな?
 私の心が少しだけざわつく。すると数歩歩いた所でヒガシ、と声をかけられた。振り返るとヤツの眼差しがまっすぐ私に向けられていた。
「さっきの質問の答えだが。やはりゼロのようだ」
「え?」
「俺に友と呼べる人間はいない」
 あまりにもきっぱりと言うものだから私は一瞬だけ言葉に詰まった。私はすぐに口を動かすけどそうなんだ、としか答えられない。
 ゆっくりとヤツが階段を昇ってくる。最後の一段を超えると、私と肩が並んだ。
「確かに俺の周りに寄ってくる人間はいるが、それはヒガシが思うような『友達』じゃない。皆俺のおこぼれに預かろうとしている。俺の気を引いて自分が有利になるよう事を運んでいるだけだ。
 生徒会だってすすんで立候補したわけではない。俺がトップに立てば生徒も言う事を聞くし、学園のイメージが上がると考えた大人たちの策略だ」
 それは私が聞こうと思っていた質問の答えでもある。回答までちょっとだけ時間はずれたけど。
 月明かりの下、私を見上げながらヤツは言葉を続けた。
「今の自分には友達なんてものは必要ないと思っている。でもその一方でこのままでいいのかという思いもある。友達がいないというのは、人間として何かが欠けているような、そんな気がしてならなくてな。
 本心を言うなら、俺は親友というものに憧れている。だから親友がいるヒガシが羨ましい。ヒガシ、教えてくれ。どうしたら友達が手に入る。どうすればおまえたちのような関係を築ける?」
「それは――」
 こんな話、他の人間が聞いていたら何を今更って笑っていたかもしれない。でもヤツにとってこれは大事なことで、私に話したのだって悩み抜いた末の結論なのかもしれない。冗談や生半可な答えはかえってヤツを混乱させるだろう。
 だからこそ私は頭を悩ませた。自分なりの答えを探す。すぐに思いついたのは漫画で読んだ台詞だ。
「気がついたら一緒にいたというか友達になってたというか? 友達って『作る』じゃなくて『成る』ものだっていうし」
「具体的には? 何をどうすればそうなる? 何がどうなって親友に発展するんだ?」
「知らないわよ。そういうのは勘がものを言うんだから」
 生まれ育った環境が一緒でも仲良くなるわけじゃない。共通の何かを持ってても慣れ合うわけじゃない。親友なんて特にそうだ。
「勘……か」
 ヤツはふむと唸った。
「それは一理あるかもしれん。おまえの友も同じことを言ってたし」
「へ?」
「初めてヒガシと話した時、仲良くなれると直感したらしい」
 それを聞いて口をぽかんと開けた。久実とはこれまでずっと一緒につるんでたけど、そんなこと一度も聞いてない。
 私は当時のことを思い出す。久実とまともに喋ったのは中学のキャンプの時。飯ごう炊飯で作ったカレーを食べていて美味しい? と聞かれたのが最初だったと思う。その時私は率直な感想を言ってしまった。誰が作ったのかは知らないけどどうしたらこんな不味いのが作れるのかな、と。それで久実を泣かせてしまったことも今となってはいい思い出だ。
 私と久実がここまで仲良くなれたのは何でだろうと私は考える。お互いの相性が良かったから? 信じあえるから? 理由をあれこれ考えてはみるけれど、全ては後付けでしかない。でもこれだけははっきり言えた。
「相手の前では何でも言える――から?」
 私が出した答えにヤツが身を乗り出した。
「それが心の友の条件なのだな」
「私と久実の場合はね。私にとって久実はいい事も悪いことも言いあえる存在なんだ。たぶん、久実も同じことを思っていると思う」
「それだとたまに意見がぶつかることはないか?」
「そりゃあ喧嘩もするよ。でも今日みたいに久実に何かあったらすぐに駆けつける。向こうに突っぱねられても私は手を差し伸べる場所で待ってる。損得とか関係ない。好きで心配だから側にいるんだ――って、何言ってんだろ私」
 同性異性に関係なく「好き」という言葉を使うとどうも気恥しくなる。小さい頃はもっと簡単に言えたはずなのに。でも「好き」という言葉の重さを知ってしまったからこそ、私はその言葉を大切にしたいと思っていた。大切な言葉は大事な瞬間にしか使いたくないと。 
「まぁ、とにかくそういうことだから」
 私は火照る顔を手のひらで冷ましながらヤツに言う。果たしてこんな答えでいいのか迷った。
「こんなんで参考になった?」
「ああ」
 ヤツに満足げな笑みを浮かべながら今後参考にさせてもらう、と言った。どうやら恥ずかしい思いをした甲斐はあったらしい。ヤツも私に悩みをぶちまけたわけだし、これでおあいこだ。
「アンタにもそういう人見つかるといいね」
「見つかるだろうか」
「私には分からないけど――そういうのって意外と近くにいるかもしれないよ」
 灯台もと暮らし、ってよくいうじゃない、と私は続ける。ちょっとしたお節介が働いたのはヤツへの同情だ。
 私の言葉を真に受けたのか、ヤツはしばらくの間考え込んでいた。少しして小さくあ、と呟く。そのあとで私の方をまじまじと見つめた。
「いや、でも……いやいや」
 ぶつぶつと独り言を呟くヤツに私は首を横にかしげる。相変わらずヤツの思考は読みづらい。でもまぁ話は一区切りついたようだし、ヤツもある程度の方向性を見つけたようだし。私はこの辺でお暇をいただこうかしら。
 そう思って私は家のある方向に一歩二歩と後退する。くるりと踵を返そうとするとヤツからふいにこんな言葉を投げかけられた。
「ヒガシは――男女の間に友情は存在すると思うか?」
「え?」
「同姓の親友はいても異性の親友はそうそうできないと聞いた。そういった関係はいずれ恋愛に発展するんだとか。ヒガシはそこの所をどう思う?」
 今思えば、あの時適当にあしらっておけば、と思う。でもヤツが真剣な目でどうなんだ? と訴えるものだから私もつい真面目に答えてしまった。
「そりゃ、男女の友情はあってもおかしくはないんじゃない?」
 お互いが同じ価値観でいられるならね、と私は条件を加える。するとヤツは顎に手を乗せそうかそうか、と一人納得したように頷いた。
「なるほど、そういうことか。分かったぞヒガシ」
「何が」
「喜べ。俺にも親友と呼ぶ人間がいたんだ。それもすぐ近くに」
「あ……そうなんだ」
 あまりにもあっけなく見つかったので私は拍子抜けだ。でもよかったと私は素直に安堵する。
「で、誰だったの?」
 問いかける私にヤツがにやりと笑う。ヤツの人差し指が私の前につきあげられた。
「俺の心の友はおまえだ、ヒガシ」
 ――はい?
「俺はおまえと初めて出会った時手を差し伸べた。大した得もないのに、だ。これは俺にとって大事件だ。出会いは勘、これを運命と言わずして何と言う?」
「……えーと」
「ゲームを中断させた時もそうだ。今思えば俺はおまえの不調を一目で見破ったということになる。普段ならスル―して構わない所を俺だけが気づいて止めたのだ。これはもう親友に対しての情としか――」
「いや。それは――違うんじゃないかと」
「謙遜するな。今日からヒガシは俺の心の友だ。俺が許す」
「そうじゃなくて!」
 私はありったけの声を上げた。
「私はね、アンタと友達になる気はさらさらない! つうか金輪際関わりたくもないわ!」
 放った決定打にヤツがう、と言葉を詰まらせる。胸元を抑え体を強張らせた。全力で言い切った私は肩で呼吸する。言い方はキツかったかもしれない。けど、こういう勘違いはすぐに直さないと。これ以上ヤツの厄介事に巻き込まれるのはごめんだ。
 私はヤツに踵を返すと早足でその場を立ち去ろうとする。数メートルほど歩くとふふふふ、と不気味な声が耳に届く。思わず足が止まった。恐る恐る振り返る。
「そうか、それがおまえの正直な気持ちか。そうだな、おまえは親友の前では何でも言えると言ったな。いいじゃないか、いいじゃないか……」
 それは恨み節というより、恍惚ともいえる「萌え」発言と言ってもいい。つうか親友の定義がどっかで間違ってないか? そこはかとなく極端な一方通行にしか見えないんだけど。
「ヒガシよ。また会おうぞ」
 ヤツは大げさな位両手をぶんぶん振っていた。満面の笑みで見送るヤツを見て私は両手で自分を抱く。さっきから悪寒が走って仕方ない。
 怖い、怖すぎる。何なのよコイツはっ。
 ヤツの呪いが届く前に私は脱兎のごとくその場を立ち去った。

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2013

1028

  注文を受けたおかみさんは鉄板に火をつけると奥の厨房へ向かっていった。ほどなくして飲み物が届き、そのあとに銀色のボウル三つと大皿がテーブルに並べられた。ヤツは初めて見るお好み焼きの生地に口を歪ませる。まるで不味いものを見るような目だ。
「まさか。このまま食べるとかないだろうな」
「んなわけないでしょ」 
 そう言って私は服の袖をまくった。
 ここの店ではテーブル席につくと自分たちがお好み焼きやもんじゃを作ることになっている。作り方は家庭で作るときとさほど変わらない。私は食材と生地をスプーンでぐるぐるとかき回した。ほどよく混ざった所で豚バラを鉄板で焼き始め、その上に生地で二つの円を描いた。  
 焼いている間私は乾いていく生地をじっと見つめていた。この時間を使って焼きそばを作っても良かったのだけど、それぞれの味を楽しみたかったので、今回は別々に作ることにする。
 頃合いを見て生地をひっくり返すとヤツの口から驚きの声が上がった。
「これは綺麗に焼き上がったものだな。って、ああ、そんなにソースを塗ったらせっかくのきつね色が台無し――おおお! かつお節が踊っている? これは何かのマジックか?」
「はいはい」
 私は半ばあきれ顔で作業を進める。コテで食べやすい大きさに切ったあと、それぞれの分を皿に盛った。本当はコテに乗せて直で食べるのが美味しいんだけど、それをやるとヤツの眉間にしわが寄りそうだ――って、今の状態でも十分不審顔だし。
「どうぞ」
 私は皿をヤツの前に差し出した。ヤツが箸でできたばかりのお好み焼きを物珍しそうに眺めていた。匂いを嗅ぎ食べるべきかを本能で判断している。そのあからさまな警戒心にあのさ、と私は口を挟んだ。
「変な物は入ってないから。冷めないうちに食べてよ」
 ヤツは私の言葉を聞いてから恐る恐る口に入れる。まずは一口。ゆっくり咀嚼したあとでヤツの目が見開く。
「これは――旨いじゃないか!」
「でしょ?」
 ここのお好み焼きは豚とエビとイカの配分が絶妙でそれぞれの旨みが生きているのだ。生地の外はパリパリで、なのに中がもっちりしてるのは中にもちが入っているから。今はソースをかけて食べてるけど、生地自体はだし汁とかつお粉で味付けしてるからそのまま食べてもいけるのだ。
 ヤツの及第点を頂いたので、私もお好み焼きをほおばることにする。久々にありつけた絶品に目元が潤んだ。ああ懐かしい。美味しい。幸せで心と体がいっぱいになった。向かいには生まれて初めて食べたお好み焼きを夢中でほおばるヤツがいる。鉄板が全て綺麗になるまで、私たちは無言で食べ続けた。
 お腹が半分満たされた所で、私は焼きそばを作ることにした。どうせヤツに聞いてもやったことがないとかって言うんだろう。
 私は焼きそばの材料が入っている大皿に手をつける。肉と野菜だけを鉄板に落として焼いて。皿にたまった野菜の水はあえて残しておく。この水は麺を蒸す時に使用するのだ。 
 ヤツは私の動きを観察しながらほう、とため息をつく。
「ヒガシはずいぶん手慣れているようだな」
「昔、練習のあとここでで作ってたから」
「練習?」
「野球。中二までやってたの」
 野菜を大ぶりのコテで炒めながら私は言う。
 ここは私が所属していた野球チームの溜まり場だった。日曜日は朝からそこの河川敷で練習して、終わったら泥のついたユニフォームのままここで鉄板を囲むのがデフォだった。試合で勝った日は監督がおごってくれたこともある。
 通っていた中学には女子の野球部がなかったので私は同級生たちがいなくなってもチームに残って野球を続けていた。思えば、あの頃が私の黄金期だったのかもしれない。
 私はコテを置くと空いた手のひらを膝の上に乗せた。ここ最近冷え込んできてるから、そろそろタイツやサポーターが必要かな、と思いつつ、私は言いそびれてしまった言葉をヤツに伝える。
「そういえば――お礼言ってなかったね」
「お礼? 何のお礼だ? 服のことか? それともこの店に連れてきたことか?」
「ビーチフラッグのこと。アンタが止めてくれたから助かった」
 あのまま理不尽なゲームを続けていたら私の足は壊れていた。ヤツがどういう意図で言ったかは知らないけど、私としてはありがたい展開だった。ヤツには未だ憎たらしい気持ちはあるけれど、感謝の心がちょっとでも出てしまった以上、礼儀はわきまえなければならない。
「ありがとう」
 私は軽く頭を下げる。改まって話したせいか気恥しさが残ったけど、まあいいや。今日が終わったら最後、今後会うこともないだろうし――
 そんなことを思いながら私は顔を上げる。が。
「え……」
 私は自分の目を疑った。ヤツが手で口を塞いで何かを堪えている。よく見れば口から上が赤くなっていくではないか。
 え? えええっ! 何。何なのそのリアクション。耳まで赤くなってるんですけど。
「ちょ、どうしたの?」
「いや、その」
 ヤツの籠った声が私の耳に届く。
「これまで褒められることはあっても感謝を述べられたことはほとんどなくて……久しぶりに言われてかなり驚いているというか」
 えええ! 何ですかその恥じらいは。
 想像もつかなかった反応に私は思わず身を引いてしまった。
「えっと……そういうのってその、家族とか友達に普通に言わない?」
「家族とは昔から上っ面の会話しかしてないからな。それに友人は――」
 そこで会話はぶつりと途絶えた。ヤツの言葉が続かないのだ。訪れた沈黙に私は更に戸惑う。え? それってまさか。
「アンタってもしかして――友達いない、とか?」
 その質問にヤツの肩がぴくりと動いた。さっきの熱っぽい顔が一気に引き青ざめていく。沈黙が再び訪れる。ええと、これって地雷踏んじゃったとか? そんなのありえんだろ?
 目の前にいる男は一応生徒会長を務める人間だ。選ばれたということはそれなりに人から慕われているはずでしょ? なのに何で?
 聞きたいことは山ほどあった。でもすぐに我に返る。二度しか会ったことのない人間にそこまで突っ込むのは如何なものだろうか? それ以前にこれ以上ヤツに関わっていいものだろうか? 答えはNOだ。
 触らぬ神に祟りなし。そう、ヤツとの関わりは今日でばっさり斬られるんだから。
 私は話題をあさっての方向へ投げ飛ばした。
「あー、何か甘いもの食べたくなっちゃったなぁ」
 ホットケーキ焼こうか、なんて白々しい台詞を吐きながら次のボウルへ手を伸ばす。ヤツがゆっくりと顔を上げたが私はあえて目を合わさないようにした。この状況を打破すべく何か話さなきゃと思うけど、ちょうどいい言葉がみつからない。
 私はただ、鉄板とのにらみ合いを続けるしかなかった。


 

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プロフィール
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女性
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すろーなもの書き人。今は諸々の事情により何も書けずサイトも停滞中。サイトは続けるけどこのままでは自分の創作意欲と感性が死ぬなと危惧し一念発起。短い文章ながらも1日1作品書けるよう自分を追い込んでいきます。
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