2013
教師を殴ってしまったということで学校側は私の親を呼び出した。
血相を変えてやってきた母親は私を見るなり頭に拳骨をお見舞いする。母は見た目か弱いイメージだが、ボクシングが趣味なので攻撃力は極めて高い。多少手加減していたとは思うけど、しばらくの間私は立ちあがることすらできなかった。
「本当、うちのバカ娘が申し訳ありません」
深々と頭を下げる母親に担任はいつもの愛嬌で対応した。そんな頭を下げないで下さい、と母親を諭す。件の原因となった疑惑が親にチクられなかったのはひとえに彼のおかげだろう。
学年主任の怪我は鼻血だけで済んだと思われたが床に倒れた時頭も打っていて脳震盪を起こしていたらしい。今は保健室で休ませているが意識が戻ったら念のため病院で一度検査をすると保健の先生は言っていた。なので学年主任には後日改めて謝罪することで話はまとまった。
とはいえ、私が先生に手を上げたことは校則違反に触れる。正当防衛でも、だ。運がいいのか悪いのか校長は研修旅行に出かけてて不在だ。その間学校を任されている教頭先生からは校長が戻ってくるまで自宅学習してなさいと指示された。
でもそれって――事実上の停学処分だよね?
教師たちから開放された私は昇降口で靴を履き替えながら思う。外では母親が携帯電話で何か話していた。おそらく父親に報告しているのだろう。このぶんだと家に帰ってからも雷が落ちそうだ。
未だ痺れる頭を抱えながら私はのろのろと歩く。校門の前まで来た所で私の足がふと止まった。つい昨日乗ったばかりの黒塗りが停まっていたからだ。
私の頬がぴくりと動く。それと同時に車の扉が開き、ヤツが現れた。
「おお親友ではないか。なんというタイミングだ」
まるで運命の出会いを喜ぶかのようにニシは言う。その、本気だかわざとなんだか分からない台詞に私の眉が右に上がった。隣りにいた母親も怪訝な顔をして誰、と私に聞いてくる。
「こんな所で何をしている」
「何の用?」
私はニシの顔を見ることなく問い返す。今にも爆発しそうな「何か」を必死で堪えた。だがニシはそんなことに気づいちゃいない。よくぞ聞いてくれたと言わんばかりに俺様風を吹かせていた。
「制服を届けにきてやったんだ。郵送でいいと言ったが、やはり早い方がいいと思ってな」
そう言ってニシはきちんと折りたたまれた制服を私の前に差し出す。それも一着分だけ。
「――これって、久実のよね?」
「そうだ。ヒガシの分も預かったはずなんだが、どういうわけかないのだ。何故だかわかるか?」
その言い回しに私の体が震えた。ふつふつと湧いてくるモノが限界すれすれまで満たされる。
「一応同じものを用意したのだが、サイズが分からなくてな。とりあえず全サイズを取り寄せて――」
こいつにとって制服の紛失は代用品で賄える、その程度のものらしい。さすが財閥の御曹司。責任もなにもありゃしない。全ては金やモノで動かすって?
「ふざけんな!」
私はスクールバッグの手提げを強く握りしめる。体をひねり大きく振りかぶるとバッグでニシを殴り飛ばした。やつの体が一メートルほど吹っ飛んで尻から着地する。
「アンタが制服無くすから酷い目にあったじゃない! どうしてくれるのよ」
私はありったけの声で叫んだ。感情をむき出しにしたものだから尻もちをついたニシが目をぱちくりとさせて驚いている。すぐに運転席にいた男が私を取り押さえようとするけれど、ニシがそれを制した。
「親友の怒りはごもっともだ。これは俺が悪い。俺の責任だ」
「そうよ、何もかもアンタのせいよ! この疫病神っ。私の前から消えなさいよ!」
私はありったけの言葉を浴びせると母親を置いて一目散に走り出した。昨日から続く訳の分からない嫌がらせは私のキャパを超えている。頭の中がめちゃくちゃだ。
何で私がこんな目に遭わなきゃならないわけ?
一体何したっていうんだこの野郎!
私はポンコツの膝を引きずりながら駅前までたどりつく。あまりにもイライラしていたのですぐ目についたファストフード店で季節限定のハンバーガーセットとシェイクを二人前頼んでぺろりと平らげる。腹が満たされると、少しだけ冷静になれた。
さて、これからどうしよう。
ストレス解消にひとりカラオケに走ろうかとも思ったけど何だか虚しくてすぐに却下した。服や好きな雑貨を買おうにも財布がさみしい。なのでゲーセンに行ってみる。けど気が乗らなくてすぐに建物の外へ飛び出した。
電車に乗り家の最寄駅にたどりつく。さんざん彷徨った上にたどり着いたのは昨日訪れた河川敷だった。
二年前まであのダイヤモンドの中に私はいた。恋もお洒落も二の次でひたすら白い球を追いかけていたのだ。
私は整備されたグラウンドを避けながら外野に向かって歩いていく。途中草むらに置いてけぼりにされたボールを見つけた。傷一つないからはぐれてまだ日が経ってないのだろう。
ボールを握った瞬間、懐かしさがこみあげる。しばらくの間、私は高架の柱とキャッチボールをしていた。自分の中にある怒りや悲しみをぶつけてみたけど、返ってくるのはいつも自分の胸の中で気は一向に晴れない。ボールがあさっての方向に飛んでいったので私はゆっくりと遊歩道へ戻っていった。
日は傾き、鉄橋の下をくぐろうとしている。風が草をなでた。流れる雲を眺めながら今後のことを考える。
ああ、これからどうしよう。家に帰ってもいい事なさそうだし。かといって家出するわけにもいかないし。
頭をぐるぐるさせていると、ふいにお腹が鳴った。そういえば昨日もこの位の時間にお腹が鳴っていた。昼にあれだけ食べたのに。私の腹時計はかなり正確らしい。
またおかみさんの所でもんじゃでも食べようかな、どうしようかな。この時間なら知ってる人いなさそうだし。
そんなことを思った時だ。
「ナノちゃん」
ふいに久実の声がした。目が自然とそちらに向かう。久実は土手の下の道で私を見上げていた。そして何故か後ろに黒塗りの車とニシの姿がある。
「先生から話聞いたよ。大丈夫?」
滑りやすいローファーで斜面を登りながら久実は私に問う。まったくひどい話だよね、と続けながら。
「これって動画の件と同じ人間の仕業なのかな?」
「分からない」
「ナノちゃん傷つけて何が楽しいんだろう。ほんっと、犯人見つけたらタダじゃおかないんだから!」
久実はまるで自分のことのように怒っている。その姿を見て目が湿っぽくなってしまった。やばい、このままじゃ泣きそうだ。
私がしょっぱいものを堪えているとふいに影が差す。見上げるとちょっと拗ねた顔のニシが立っていた。
「制服がなくなったことでどうやら変な疑いをかけられたらしいな。ヒガシよ。こんな大事なことを俺に隠すとは水臭いじゃないか」
ヤツの言葉に私は微妙な顔を向けてしまう。隠すも何も、話すつもりもなかったんですが。何で知ってるわけ?
私はいぶかしげにニシを見上げるが、その答えはすぐに見つかった。ニシの後ろで話しちゃった、と言わんばかりに手を合わせる久実の姿があったからだ。
ニシは私の肩をポンとたたき安心しろ、と言葉をかける。
「この件は俺がなんとかしてやる。親友の疑いをすぐに晴らしてやろうじゃないか!」
その自信に満ちた言葉は正直、聞きたくなかった。だって、それは私に今後も関わってやるぞというストーカー宣誓みたいなものだからだ。
でも――
私に諦めに似た笑いが浮かぶ。
ニシの励ましはぶっちゃけ有難迷惑だ。でもほんのちょっとだけ気持ちが軽くなったのも事実だ。
だからありがとね、とだけ私は言う。まだあんたは知り合い以下の存在だけど、と毒を吐きながら。