2013
私がヤツと最初に顔を合わせたのは学園のエントランスと呼ばれるところだった。いわゆる昇降口らしい。先を進むと奥にお洒落な長机が置かれていて、そこに男女三人の生徒が座っていた。おそらくここが受付なのだろう。彼らはヤツの顔を見るなり起立してお辞儀をした。
「この者に来客カードを渡してやってくれ」
ヤツの言葉を受け、私は来客カードを受け取る。
「飲食の際はこのカードを提示すればいい。精算は俺が後日することになっている」
ええと、それっておごりって事ですか?
私はちょっとだけラッキーと思いつつ、カードをポケットにしまった。ヤツの背中を探す。するとヤツはエントランスの先にある回廊を臨んでいた。そこには美術の教科書で見たことのある作品がずらりと並べられていた。それはそれは絵画から彫像から、オブジェに至るまで。
「これ全部レプリカ?」
「まさか。全て本物だ。美術クラブの連中が各国のコレクターに交渉して買ってきたものだ」
「へぇ……って、んん?」
なんかおかしい? 美術クラブって自分で描くじゃなく、買う方なわけ?
私はヤツにその真意を問おうとする。だがヤツがさっさと先に行ってしまったので、その答えを聞くことができなかった。作品ひとつひとつをじっくり見ることなく、その場を通り過ぎる。
次に訪れたのは大理石の階段を上ってすぐの教室だった。どういうわけか古めかしそうな車があって、運転席に座るのに男子生徒たちが列をなしている。
「これはクーペのブガッティタイプ57というものだ。こんな良品はめったにお目にかかれるものじゃない」
車のことに私はあまり詳しくないけど、なだらかで個性的なフォルムは聞かずともレアで高いシロモノなのだろう。ヤツに乗ってみないかといわれたけど、触るのも恐れ多かったので私は外から眺めるだけにした。つうか、どうやって車を運び込んだのかしら?
そのあとも私は幾つか連れまわされた。本場インドのカレーとか、フランス料理とか、高級エステとか……それらの桁違いの値段に私は泡を吹きそうになる。さすがというか何と言うか。普通の私立高でもこんなことはしないだろう、というか。ひとクラスいったいどんだけの予算で出し物運営してるんだ?
ヤツに振り回されて一時間弱、私の頭は許容範囲を遥かに超えてショート寸前だった。ようやくたどりついた英国喫茶でお茶を頼んだ私は円形のテーブルに顔を伏せる。一気に疲れが押し寄せた。隣の席ではここの紅茶は私が現地に足を運んで選んだのとか、このお菓子作るためにパテシエを呼んだとか、自慢話が聞こえてくる。私はそれを左から右へ流すと、届いた紅茶に手を伸ばした。
「どうだ。ウチの学園祭は。すごいだろう」
紅茶を飲んだあとで、とにかくすごい、とだけ答えた。私の評価にヤツの口元が上がる。
「それは褒め言葉として受け取っていいのか?」
そこで素直に頷けば、遠回りすることもなかったのかもしれない。でも、私の顔は嘘をつけなかったらしい。
「何だ、何か不満でもあるのか?」
「そんなこと――ないけど」
私は煮え切らない言葉を吐いてからティースタンドにある菓子をひとつついばんだ。ここのケーキはスポンジがしっとりとしていて私好みである。とても美味しい。美味しいのだけど。
「文化祭って言葉からはすごくかけ離れた感じがする」
「どういうことだ?」
「すごいんだけどぐっとくるものがないというか――体温を感じられない?」
私はこれまでに見た場所を振り返った。エントランスで見た絵画は確かにすごいものばかりだった。けど、それはかの有名な人達の作品であり、生徒たちが描いたものではない。珍しい絵画や彫像を集めて並べました、ってだけじゃ美術館と何ら変わらない。それは次に見た車も一緒だ。
この英国喫茶を含めた飲食やエステもそう。給仕や裏方の仕事はどう見ても大人としか呼べない人達(ここの教師なのかは分からないが)がやってるし、生徒たちは客として食べるだけ。紅茶をたしなむ女子高生たちは一見きらびやかだ。でも、歯の浮くような台詞が薄っぺらいものにしか聞こえない。そりゃ、紅茶や食材はそうそうないものかもしれない。でもそれを調達した自分はすごいんだって偉そうな口を叩かれても、ぴんとこない。それは相手の顔が全然見えないからなのかもしれないけど。
私の中にある文化祭のイメージは机を繋げてクロスを敷いた喫茶店とか家庭用のタコ焼き機を使った縁日とか、暗幕を張って暗くしたお化け屋敷とか、そういったものだ。廊下の壁にはそれぞれの宣伝ポスターが不揃いに貼られたり風船や紙で作った花が飾られたり。とにかくごちゃっとしている、そんな感じ。
素人が作るものだから、食べ物に焦げたものが入ったり失敗したりする。内装だって段ボールや廃材を使ったりするからチープさが否めない。でも一生懸命作りました的な、あの手作り感が心を引きつけるのだ。
「つまりおまえは、ここの生徒たちが積極的に参加してないのが気に食わないと」
「気に食わないとは言ってない。ここの昔からの校風かもしれないし」
私は文字通りお茶を濁す。これ以上重箱の隅をつつくつもりはなかったし、早く久実を連れて帰りたい。そろそろ久実の所に連れて行って欲しいんだけど、と私は話を切り出す。だが、ヤツの耳にその声は届かなかったらしい。
「分かった。おまえが気に入りそうな所へ連れて行こうじゃないか」
何をどう思ったのか、ヤツは息を巻いていた。席を立ったヤツについて来い、と言われたので思わず嫌、と言いたくなる。だが、この学園はあまりにも広すぎて今自分がいる場所が分からない。コイツと離れたら絶対迷子になって外に出られない。
残念ながら久実の居場所を知ってるのは目の前にいるヤツだけなのだ。
私は渋々と席を立つ。のろのろとした足取りであとをついていくしかなかった。