2013
それから私は何もできないまま、無駄に時間を過ごすことになった。
窓の外の様子を伺おうにも手足の自由がきかないから何もできない。今の私にできるのはソファーに横になることか、扉の前に立っている無愛想な見張りとにらめっこをすることだ。
そうこうしていくうちにも夜が更けてゆく。あれからどのくらいの時間が経ったのだろう。私はいつまでここに閉じ込められるんだろうか。
家に帰らなくて親は心配しているのかな? 久実に電話をかけて確認してるとか?
久実に私のことが知らされたならニシに連絡が行くのも時間の問題だろう。
でもあの女、自分が情報操作に長けていると自慢していたし。攫われた時に携帯電話も取り上げられたんだっけ。
だとしたら嘘のメールを親に送っている可能性もあるわけで――そしたら完全にお手上げだ。
期待は時間とともに諦めへ変わっていく。そのうち考えることも疲れて体を横にした。自然と眠気に襲われる。
事態は急変したのはそんな頃だ。
カタカタ、と窓が震える。部屋全体が揺れ始め私は体を起こした。
何、地震?
私は体を強張らせ、気を張る。すぐにサイレンのけたたましい音が家中を巡った。
「庭にて不審者を発見。危険レベル二。これより第四次防衛体制に入る。従業員および関係者は各配置につくように」
無機質な声に無愛想な見張りは目を丸くした。
「レベル二で第四次体勢だと?」
一体どういう事だ? と見張りは疑問符を浮かべる。当然ながら私にはレベル二や第四次なんちゃらというのはよく分からない。だから見張りの男に聞いてみようとするけど――
「あれ?」
気がつけばさっきまで睨みを利かせていた見張りがいない。どうやら私を放り出して部屋を飛び出したようだ。
予想外の展開に私は開いた口がふさがらない。出て行った見張りに自分の持ち場離れちゃっていいの? なんてツッコミたくなったけど、よくよく考えれば私の方がイレギュラーだったんだっけ。そりゃ人質より家や主を守る方を優先するわな。
私はソファーから降りると開きっぱなしになったドアに両足飛びで近づいた。部屋の前の廊下では人がせわしなく動いている。みんな不審者の方に気を取られて私の方に目もくれない。そのうち、一方向に向かって皆消えてしまった。
突然訪れた豪邸の珍事だけど――これって脱出のチャンスかも?
私はきゅっと唇を結ぶと、部屋をもう一度見渡した。ぴょんぴょん跳ねて窓辺に向かう。
まずはここが何階かを確かめなければならない。逃げるなら膝のことも考えて最短のルートを取るべきだろう。最悪、窓から飛び降りて――
その時部屋の扉がぎい、と音を立てた。人の気配を感じ私は肩を揺らす。
誰?
私はくるりと体を翻そうとする。でも急ぎ過ぎたせいでバランスを崩してしまった。ここは手足を使って踏ん張りたい所だけど、今の私にそれは無理。おかげで顔面を床に打ちつけてしまった。絨毯があったのが唯一の救いだ。
無様だな、とぼやく声が耳に届く。何だか馬鹿にしたような感じだったので、私はむっとする。
「うるさい、あんたが突然現れるからこうなったのよ!」
私はそう文句を言いながら起き上がる。相手の顔を睨もうとして――ぎょっとした。目の前の相手が長い耳の持ち主だったからだ。
ふっさふさの毛にくりくりの目、口からちょろっと出した前歯が何ともキュートな兎、じゃなくて兎の面を被った女子高生。
私は唇をわなわなとふるわせる。喉から出かかった悲鳴がようやく上がると、兎は自分の手で私の口を封じた。
「大声を上げるんじゃない」
その声をはっきり聞きとった私はああっ、と再び悲鳴をあげそうになる。何とか堪えこくこくと頷く私の姿に無表情の兎の顔がふっと笑った――気がする。
兎は私の手足を自由にすると、何かを私に差し出した。それは世界的に有名な癒し系キャラクターのマスクで、目の前の動物と同じ面をしている。どうやらこれをかぶれというらしい。
私にはこれを着用する理由がよく分からないけど、とりあえず兎の指示に従うことにした。
「こっちだ」
兎の行く方向に私はついていく。部屋を出るとやたらでかい屋敷の廊下を右へ左へと進んでいった。時折、サーチライトの光が窓辺を照らす。その度に私たちは立ち止まり、息をひそめて様子を伺う。
そして何度目かの曲がり角で人とばったりと出くわした。突然現れた兎二匹におっさん達が驚く。一瞬目が点になってたけど、すぐにいたぞー、とおふれが回ってしまった。あっという間に囲まれてしまう。
「おまえら、一体何のつもりだ?」
おっさんの中でもとりわけ背の高い男が私たちに問いかける。兎は私を自分の後ろに追いやると男を見上げた。
男が予告もなく突進してくる。兎は自分の両手を前に差し出し型を作ると、男の脇に滑り込み腕を掴んだ。勢い余った男の足が浮く。くるりと一回転したあとで大男は見事にひっくり返った。
それがあと二回ほど続くとおっさん達の動きが急に止まった。
「コイツできるそ。気をつけろ!」
おっさん達がじりじりと間を詰めながら威嚇すると兎は私をかばうようにじりじりと後退する。兎の息づかいは相当荒い。マスクをしたままだから体力の消耗が激しいのかもしれない。
壁際に押しやられた私は何とかしてこの状況を打破しようと頭を振り絞った。そして偶然視界に入った消火器を見つけこれだ、と思う。
「どいて!」
私は消火器を抱えたまま兎を押しのけた。すぐさまピンを抜き、渦中に向けて噴射する。驚きの声とともに白い煙が辺りを取り囲んだ。
視界が遮られ、皆が慌てる。そんな中――
「ヒガシ! こっちだ」
兎の声に私は消火器を投げ捨てた。差し伸べられた兎の手を迷うことなく掴む。反対の手で私の両足をすくった兎はそのまま私を抱きかかえて走り出した。
ぃええええええ?
「ちょ、何するのよ!」
「おまえの膝考えたらこっちが早いだろ!」
しっかりつかまってろ、そう言って兎は廊下の奥へと突進していった。がたがたと揺れる腕の中で、私は自分の体制をキープするのに必死だ。助けてくれたのはありがたいけど、誰がしがみつくもんかと、こんなときにまで変な意地を張ってしまうから笑ってしまう。
私と兎は長い廊下の終点にたどりつくと、バルコニーに繋がる扉を開いた。冷たい風が私たちを襲う。そこはどこの部屋にも繋がらない、単なる見晴らし台だけかと思ったけど――中央に四角い穴が開いていた。
兎は私を下ろすと、迷いもせずその穴の中へと向かっている。穴には梯子があって――どうやら緊急時に使う非常梯子らしい。
でも、その仕様がちょっと違うのは気のせいかな? 普段閉まっているはずの扉は何故か開いているし。どう見ても怪しいんですが。
そんな私の不安とは裏腹に兎は梯子へ手をかけた。ぎしぎしと音を立てながら下の階へと降りて行く。私もあとに続き、ぽっかりと空いた穴の中へ向かった。