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もの書きから遠ざかった人間のリハビリ&トレーニング場。 目指すは1日1題、365日連続投稿(とハードルを高くしてみる)

2024

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2013

0801
駄菓子屋でアイスを買った後、超特急で楓を大家の元へ送り届けた甲斐はその後、暑さと慣れない運動のせいで貧血を起こした。次に目を覚ました場所は大家の家の一室で、大家からは相変わらずひ弱な体だねぇとのっけから苦言を吐かれた。
「こんなんじゃ嫁の貰い手もつかないわ。アンタ、もっとしっかりしなさいよ」
 甲斐は余計なお節介だと思いつつも、はぁ、と返事をする。そして楓からは猫は? いつ猫ちゃん助けるの? とせがまれた。
 結局甲斐が再びあの家を訪れたのは夕方五時を回ってからだ。甲斐は暑さの和らいだ道をゆっくり歩く。家の前の工事はだいぶ進んでいて、今日の仕事は終わったらしい。工事現場にいた男たちは片づけを始めていた。
 不審がられても仕方ないので、彼らがいなくなったら行動に出よう、甲斐がそう判断した矢先だった。工事現場にいた男の一人が甲斐に近づき、声をかけてきた。
「よぉ。さっきここにいた兄ちゃんじゃねぇか」
 五十代前半とおぼしき男の言葉に甲斐はえぇ? と声をしゃくりあげる。
「さっき子供背負って勢いよく飛び出していったろ?」
「げ、さっきの見てましたか?」
「そりゃ真っ青な顔してたからなぁ。何かあったのか?」
「ええとその。実は迷い猫を探してまして――」
 その時、甲斐の耳にみゃあ、という声が届いた。
「今、鳴きましたよね?」
「鳴いてたな」
 甲斐は工事の男から離れると、再び家の敷地に足を踏み入れた。あの鬼畜な売主の姿がいないか念入りに確認しながら声のする方へ向かう。鳴き声は何回かしたあとでぴたりと止まった。たどりついた所はやはり地下の換気口のあたりだ。
 甲斐は持ってきた工具箱を地面に置いた。グレーチングの蓋を改めて見据え、つくりを確認する。だがボルトの位置も良く分からず、どうすれば外れるのかも分からない。甲斐が口をへの字にして考え込んでいると、
「ふーん。ここにその迷い猫がいるのか?」
 気がつくと、工事現場の男が後ろにいた。顔に滴る汗をタオルで拭いながらグレーチングの下をのぞきこんでいる。
「こんな所に猫が迷ったら助けるのも骨折りだろうに。あ、あそこの窓から出られるじゃないか。この家の鍵借りて家の中に入るってのは?」
「それが、売主の人に連絡したらちょっと――」
「無理なのか?」
「せめてこの蓋が開けられればなんとかなるかと思ったんですけど」
「なら俺がその蓋はずしてやろうか?」
「え? できるんですか?」
「蓋開ける位ならなんてこたねぇよ。仕事でよくやってるし」
 工事現場の男の言葉に甲斐はそういえば、と思い出す。歩道を作る時は道の脇にある側溝の整備も行われることが多い。つまり工事現場の男にとって側溝の蓋開けなどたわいもないことなのだ。
 思いがけない幸運に甲斐の心は晴れやかになる。早速彼にお願いすると、持ってきた工具を渡した。
「ああ、兄ちゃんの持ってる家庭用の工具じゃ使いづらいんだ。俺の道具持って来るから待っててな」
 そう言って工事現場の男は一分もたたないうちに、長いスパナと太い針金二本を持って戻ってきた。
「外すのは一枚分でいいかな」
 そう言って男性は一番隅にある蓋に手をつける。ボルトが締まっている部分にスパナを当て力を込めて捻ると、軋む音とともに部品が動きだす。ネジの緩みを感じとった男はそのあと小気味よくスパナを回した。あっという間にボルトを外すと、今度はフックのついた太い針金を両手に持つ。カギの部分をグレーチングの升目に引っかけ上に持ち上げると、金属の重々しい音とともに蓋が開いた。
 蓋の下に広がる世界を覗いた甲斐はごくりと唾をのみこむ。すぐ下に錆びた鉄の梯子があったので、甲斐はそれを伝って降りた。地面に足がついた所で一度マスクを外す。土と埃とほんの少しのアルコールが鼻腔をくすぐる。
 甲斐が降り立った小さな空間は部屋の換気と、地下室の湿気防止のために設けられた、いわゆるドライエリアと呼ばれる場所だった。そこは人が二人ギリギリ入れるかどうかの幅で、高さも甲斐の背より少し高いくらいだ。
 甲斐は四つん這いになりゆっくり進む。薄暗い中を進んでいくと先ほど見つけた小さな窓の近くで柔らかい「何か」にぶつかった。よく見ればくすんだ色の毛玉が地面に転がっている。小さな三角の耳が二つあるのを見つけ甲斐は安堵した。壊れ物を扱うように、両手で丁寧に持ち上げる。だが――
 甲斐は首をかしげた。持っている腹の部分が非常に固い。それに、動物の体温も獣らしき独特の臭いもしない。甲斐は猫の体をくるりとひっくり返す。小さな腹が出てくるかと思われたはずの場所にあったのは携帯電話ではないか。
「何だこれ!」
 甲斐は思わず叫んだ。声を聞きつけた工事現場の男が上から、どうした? と聞いてくる。
「猫がみつかったのか?」
「いや、それがその……」
 何ともいえぬ気持ちで地上に戻った甲斐は自分の戦利品を見せる。地下の空洞から出てきたものに工事現場の男も呆れていたが、まぁ、猫の死体じゃなくよかったじゃないかと笑った。
「せっかく手伝って頂いたのに――なんだか申し訳ないです」
「別にいいってことよ。それにしても良くできてるなぁ。最近はこんなのが流行りなのかねぇ」
 携帯にひっついた猫のぬいぐるみを見ながら工事現場の男は言う。まるで大事な物を抱きしめるように存在するそれはおそらく携帯のカバーの一種なのだろう。そして電話かメールの着信音もそれに合わせて猫の声にしたのだろう。種を明かせば何てことない話だ。それでも、楓の気がかりが減っただけでも探しがいはあったと言えよう。
 甲斐はその手伝いをしてくれた工事現場の男に改めてお礼を言う。
「この携帯は明日、仕事ついでに拾得物の届け出しときますね」
「そうか。でも昼休みとかに交番行ったりするのは面倒だろう?」
「そんなことないですよ」
 僕、こっちが本職ですし――と甲斐は言おうとして、はっとする。工事の男がおもむろに携帯を操作し始めたのだ。
「ちょ、何してるんですか」
「何って。持ち主に連絡いれるんだよ。電話帳とかに家族の携帯番号とか登録してるだろ? こういうのは早く知らせないと向こうも困っているだろうし、直接連絡した方が手間も省けるって」
「いや、それはこっちが困るんですって」
 甲斐は思わず声を上げた。甲斐が慌てたのにはちゃんと理由がある。携帯を拾った場合、拾得者はもちろん、警察も携帯の内容を見ることは基本禁じられているのだ。このままだと警察は持ち主が現れるのをただ待っていると思われるかもしれないが、決してそういうわけではない。警察は機械に内臓されているチップの番号を携帯会社に伝えることになっている。そして情報を受け取った携帯会社はチップから携帯番号を調べ持ち主に連絡し警察に取りに行くよう促すのである。
 だから工事の男がとった行動は有難迷惑なのである。気持ちは分かるがそれはプライバシーの侵害にあたり、トラブルの元になりかねない。
 甲斐はたどたどしい言葉で工事現場の男に説明した。
「そういうわけで、とにかく携帯動かすの止めてもらえますか?」
「そういうことなら分かったけど――でも」
「でも?」
「もう電話かけちゃって、相手出てるんだけど」
「えぇー」
 どうやらこの携帯の持ち主はロックもかけてなかったらしい。
 どうする? と工事の男に言われ甲斐は頭を悩ませた。でも相手が出てしまった以上、勝手に通話を切ったらこちらが怪しまれてしまう。甲斐は渋々ながら携帯の向こうにいる相手に声をかけた。

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2013

0729

 工事中の音を背景に甲斐はゆっくりとした足取りで玄関にたどりつく。玄関の扉には空家を示す張り紙がべったりと貼られていた。さっきは遠目だったので売家の文字しか見えなかったが、よくよく見れば隅っこに売主の名前と連絡先が記されている。甲斐は自分の携帯をポケットから取り出すと書かれてあった番号に電話をかけた。呼び出し音が数コール鳴った後、音が突然切れる。耳に届いたのは男性の声だった。
「誰?」
 その、あからさまに不機嫌な声に甲斐はどきりとする。声が裏返った。
「ぁっ、あの、長島さんの携帯電話でしょうか?」
「だったら何?」
「○○町の売家の張り紙見て電話をしたんですけど」
「なに? あのボロ家買ってくれるわけ?」
「その、僕はこの家を買いたいとかなじゃくて」
「はぁあ?」
 ふざけんなてめぇ、と怒鳴られ、甲斐は思わず肩をすくめた。
「ったく、イタズラかよ。思わせぶりなことすんな! 冗談じゃねえ」
 男が受話器の向こうで舌打ちする。このままだと電話を切られそうな気がして甲斐は焦った。待って下さい、と声を上げる。
「ええと、こちらに電話したのはその、お宅の敷地に子猫が迷いこんでしまったみたいで――地下の換気口付近にいるかもしれないんです。助けたいので一度家の中に入らせてほしくて」
「何で他人のてめぇに俺の家の中みせなきゃならねーんだよ」
「だから、猫が閉じ込められたかもしれなくて。それを確認したいんです。その為には地下の窓から側溝の下に出ないといけなくて――こちらの家の鍵が必要なんです。鍵をお借りしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「冗談じゃねえぞ。この家は俺のものだ。勝手なことするんじゃねえ!」
 咄嗟とはいえ、男の口からでた言葉に甲斐は唖然とした。は? と間抜けな声を上げてしまう。
「あのー、この家って売りに出しているんじゃ」
「誰が売るっていった? 住んでいる奴がいるのに売るなんてありえねーだろうが」
「そう、なんですか?」
「当然だろ!」
 最初と間逆の言葉に甲斐は首を横にかしげた。最初は自分の失言を繕うための虚勢かと思ったが、男にはそういったうろたえがない。むしろ真剣に訴えているのだ。
 男の言っていることが分からない――甲斐が返事に困っていると、どうやらそれが向こうに伝わってしまったらしい。
「てめぇ何だ? 俺の事馬鹿にしてんのか? いい度胸じゃねえか そのへらへらした頭、斧でぶったぎってやろうか? 物置から今取ってくるから。お前をぶっ殺してやるから。首洗って待ってろ、いいな。ここにある包丁でぶっ殺してやる!」
 男の息まく声のあと、通話は突然切れた。甲斐の背中に嫌な汗が伝う。今日は真夏日だというのに寒気が一気に襲いかかる。しばらく固まっていると、ワンちゃん、と呼ばれた。ぎこちなく首をそちらに向けると、裏から追いかけてきた楓がきょとんとした顔でこちらを見ていた。
「どーしたの? 何かあった?」
 そのあどけない微笑みを見た瞬間、甲斐は現実に引き戻される。甲斐は手持ちのハンカチで汗をぬぐった。蒸れたマスクの中も丁寧に拭くが、その時になって自分の歯がガチガチと音を立てていたことに甲斐は今更ながら気づいた。
 男の言葉は支離滅裂で意味不明だ。もしかしたらこの暑さで理性を失ったのかもしれない。あるいは昼間から酒をあおって酔っ払っていたのだろうか。
 あからさまな悪意に甲斐の気が滅入ったのは言うまでもない。こんなことになるなら、最初に隣りの家の人間に相手の人となりを聞いておくべきだったと後悔する。
 男は正気とは言えなかった。暴言どおりに行動するかは分からない。でも、万が一男がここに来るようなことがあったら――甲斐は唇をぎゅっと噛みしめた。自分はともかく、楓を危険な目に合わせることはできない。
 甲斐は楓を呼び寄せると、自分の背中に乗るよう促した。
「ワンちゃんどうしたの? ねこちゃんは? 助けないの?」
「この続きは……またあとでね。ひとまずお家に帰ろう。外は暑いし、長くいると熱中症になるでしょ。そしたら大家さんも心配するから。そうだ。途中でアイスでも買っていこうか? ね?」
 甲斐は適当な理由をつけて楓を黙らせる。小さな体を背に背負うとすぐにその場を離れた。楓を背負っているため、帰りは表から出る。工事の人間の驚きの目をよそに砂利道を横切り、もときた道を一目散に走る。マスクから漏れる熱気が鼻をくすぐるが、今はそれを払う余裕もなかった。

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2013

0728

 白鳥の経営する音楽事務所は店から二本ほど通りを挟んだ先のビルにあった。
「あの、社長の白鳥さんはいらっしゃいますでしょうか?」
 入口の受付であいりが尋ねる。対応した女性は突然現れた男とも女とも判断しづらい巨人に口をあんぐりとさせた。
「あ、っ、ポイントメントは取りましたでしょうか?」
 言葉に詰まる受付嬢にあいりはいいえ、と自嘲じみた笑いを浮かべる。事前に話したら拒否されると思ったため、わざとしなかった。あいりは白鳥を試すかのようにこんな言葉を添えた。
「緊急の用件なので約束はしてません。白鳥さんに安芸翠さんの件で、大事な話があると伝えて頂きたいんですけど」
「少々お待ち下さい」
 受付の女性は電話の受話器を取ると、内線でその旨を伝える。あいりたちは白鳥の反応を静かに待った。電話で幾つかの会話がやりとりされたあと、彼女が分かりました、と答える。受話器を下ろし、あいりを見上げた。
「五分でよければ話を伺うとのことです。こちらへどうぞ」
 女性の案内され、あいりたちは事務所の中へと足を踏み入れる。普通の会社と変わらない、事務机が幾つか置かれたフロアの中で一番目を引いたのは、壁一面に描かれた巨大ポスターだ。
 「光と影」というタイトルのそれは最初、白から始まり水色青紺といった青のグラデーションを通過する。フロアの奥に進むとそれは更に色を濃くし、最終的に宵闇の色へと行き着く。中央に描かれた少女はピカソにも似た面立ちで、比較的明るい色側の左半分は笑顔を見せ、暗い左半分は叫びにも似た泣き顔を見せている。そして少女の傍らに絵の具で描いたtooyaの文字があった。
 この芸術色が突出した絵画はtooyaの新しいアルバムの宣伝ポスターらしい。ただのポスターなのに、命を削る様な色彩とタッチにあいりは圧倒された。
 案内された応接室はフロアの一部をパテーションで区切っただけの簡単なものだった。スタッキングチェアに座るよう促されたあいりは衣咲を奥の席に座らせる。手前の席にあいりが腰を下ろすと、女性がテーブルの上にあるプレーヤーに手を触れた。小さなモニターから映像が流れ始める。それはtooyaの新しいアルバムの宣伝を兼ねたインタビューだった。
 のっけからアナウンサーは興奮気味な口調でこれがどれだけ凄い事かを語り始める。話によるとtooyaはこれまでインタビューやテレビ出演はNGという鉄壁があったそうだ。でも今回は特別に許可を頂いたらしい。
 最初、tooyaがそこまでしてメディアの露出を拒んだのがあいりには不思議で仕方なかったが、その理由は映像を見てすぐに分かった。tooyaは極度の人見知りで、握手するだけでも手を震わせていたのだ。インタビューの間も相手と目を合わせようとしない。なのでアナウンサーはtooyaさんはシャイだの、繊細な心の持ち主だのとフォローを入れるのに必死だ。あいりは愛想も何もない映像に苦笑した。こんなんで番組として成り立つのかなと思う。そんな時、お待たせして申し訳ありません、と声をかけられた。あいりはモニターから目を離す。目の前に恰幅の良い男性が立っていた。あいりが一度立ち上がると、男性はその背の高さに圧倒されてしまう。
「ええ、っと。お待たせして申し訳ありません」
「こちらこそ、お忙しい中時間を割いて頂きありがとうございます」
「その、アキさんについてお話があるとか?」
「はい」
 あいりは自分の名を名乗ると、再び椅子に座る。早速本題に入った。
「実はアキさんと連絡が取れなくて困っているんです。それであるお店の方から貴方なら知っているんじゃないかと伺いまして。白鳥さんはアキさんとお知り合いだそうですね」
「ええ。彼女のことは気にかけておりますよ」
「では、アキさんとは仲がよかったと」
「そうですね。恋人とも違いますが――彼女は年下の友達であり。娘のような存在で」
「嘘」
 突然衣咲が口をはさんだ。鋭い目を白鳥に向ける。
「私、知ってるんだから。一週間前にアキちゃんと店で揉めたって。アキちゃん『話が違うって』怒ってたって! あんたが何かしたんじゃないの?」
 衣咲のその、挑発とも呼べる発言に白鳥は目を丸くする。あいりは心の中で舌打ちすると、衣咲の口を自分の手で覆った。
「ああ、申し訳ありません。この子口が悪くて」
「おねーさまったらひどいっ。だって本当のことじゃないですかっ」
「だからってあからさまに言うことはないでしょう」
 あいりは衣咲をたしなめたあと、白鳥に向かってすみません、ともう一度頭を下げる。すると白鳥は静かに微笑んだ。
「いえいえ。私の方こそ隠そうとして申し訳ない。あの時のことは思い出すだけでも恥ずかしくて――あの時は私もついカッとなって大人げない行動に出てしまいました。店長には本当、申し訳ないことをしたと思ってます」
「じゃあ、アキさんと揉めたのは事実なんですね」
「ええ。でもあれは彼女の誤解なんですよ」
「といいますと?」
「アキさんがお店で弾き語りをしていたのは知ってますよね。実は、私はアキさんの才能を買っていまして、一度うちの事務所に来ないかと声をかけていたんです。
 ただ、その話をした時に少々行き違いがあったみたいで――彼女はずっとソロでやっていきたかったみたいなんですよ。でも私は、これから作るバンドメンバーの一人として声をかけたわけで――それで『話が違う』と。全ては彼女の勘違いなんですよ」
 白鳥の言葉にあいりはそうなんですか、と相づちを打つ。白鳥が喋っている間、あいりは白鳥の顔色をずっと見ていた。その言葉に嘘がないか見極めるためだ。でも彼の口調は終始朗らかで繕ったような様子は見受けられない。感情の浮き沈みすらなかった。正直にいえば白か黒かの判断は難しい。
 なので、あいりは話題を変えることにした。
「あともうひとつ伺いたいのですけど。白鳥さんはアキさんをtooyaさんに会わせたことはありますか?」
「一度もありませんが。どうしてですか?」
「彼女、tooyaさんに憧れて上京したと聞いたので。もしかしたら白鳥さんの方で引きあわせたのではないかと思いまして」
「そうですか。でも、その話を聞いていたとしてもtooyaに引きあわせることはなかったかと思います」
 そして白鳥は流しっぱなしのDVDに目をむけた。
「こちらを見ましたよね? この映像にもあるとおり、tooyaは極度の人見知り――というより人嫌いでして、外に出るのもままならない。だからレコーディングも一苦労で。無理やり連れて行くんです」
 白鳥はそう言うと自分の腕時計を見る。そろそろ出掛けなければならないので、と一言述べて席を立った。
「何だかお役に立てなかったようで申し訳ないですね」
「いえ」
「もし、彼女が見つかったら私が心配してたと伝えてもらえませんか?」
「わかりました。では失礼します」
 あいりは衣咲を連れ、白鳥の事務所をあとにする。外に出ると、衣咲の口から小さなため息が漏れた。
「ここで手詰まりになってしまいましたね。あの白鳥ってオヤジが一番怪しいと思ったのに――」
 落胆する衣咲にそうね、とあいりは頷く。あいり自身も白鳥が何かを知っているのではないかと思っていた。だが白鳥の喋りは流暢だったし、うろたえたり感情的になる所はなかった。白鳥の言葉に嘘はなかったのだろう。
 その一方であいりは引っかかりのようなものを感じていた。それがどこだったのか、何なのかはっきりしない。でも何かがすっきりしないのだ。
 あいりの中で悶々とした状態が続く。するとあいりの携帯が鳴った。相手はさっき登録したばかりの番号――アキからだ。突然の急展開にあいりは唾を飲み込む。相手の番号をもう一度確認してから慎重に通話ボタンをはじいた。

 

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2013

0727

 甲斐の先輩と名乗る男の発言に店長は戸惑いを隠せないようだ。グラスに残る酒をあおりながら、男は言葉を重ねる。
「もしかして、個人情報漏えいを心配してるの? そんなに俺のこと信用できない? これって職権乱用?」
「いえ、そんなことは――」
「大丈夫。こっちの彼女は俺の同業だし、悪用することは絶対ない」
 だよね、と話題を振られたので、あいりは小さく頷いた。
「あの、本当に連絡先を知るだけでいいんです。用が終わったらすぐに破棄しますから」
 店長は少しの間悩んだあとで、あいりと男を交互に見る。ひとつ唸った後、まぁ中上さんがそこまで言うなら、と了承してくれた。
「ちょっと待って。事務所から履歴書とファイル取ってくるから」
 しばらくして、あいりは店長から履歴書と一冊のファイルを渡される。先に履歴書に目を通しそこであいりたちは、皆が呼んでいた彼女の名が苗字だったということを知った。本名は安芸翠(みどり)。実家は埼玉で、年は二十になったばかりだ。連絡先に携帯の番号が書かれていたので、一度電話をかけてみたが、数コールのあとで留守番電話に繋がってしまった。
 一方、アキと揉めた客は白鳥という男だった。渡された会員名簿の職業欄には音楽事務所経営と書いてある。店長によると白鳥は元々大手のレコード会社に勤めていたのだが、数年前に独立、事務所を立ち上げたとの事だ。
 最初はインディーズバンドを主に手がけていたらしいが、一昨年、所属していたピアニストを当てたことから白鳥の羽振りはだいぶ良くなったらしい。
 今店にかかっているインストゥエンタルが、そのアーティストが演奏している曲なのだと店長が言うと、衣咲がえっ、と驚くような声をあげた。
「今かかってるの『tooya(とおや)』の曲ですよね? もしかしてその白鳥って人が彼をデビューさせたんですか?」
「衣咲、知ってるの?」
「知ってるも何も。この曲車のCMに使われて話題になったじゃないですか。それに、tooyaはアキちゃんの憧れの人です。この人に憧れて上京したって言ってましたもん」
 衣咲の興奮顔にあいりはなるほど、と頷く。泡の消えたビールに一度口をつけると、頭の中で事実と想像を絡めていく。
 アキはこの店でピアノを弾いていた所を白鳥に目をつけられ、声をかけられた。それが憧れの人を手掛けた人物だと分かったら、アキも相当舞い上がったことだろう。もしかしたらデビューの話が来ていたかもしれないし、tooyaとも一度会っているかもしれない。想像がそこまで広がると、二人がもめた理由も気になる。白鳥には一度会ってみた方がいいだろう。
 あいりは会員名簿に記された白鳥の住所を書き写すと感謝の言葉とともにそれらを返却した。口添えをしてくれた――中上にもありがとうございますと述べる。甲斐の知り合いともなれば、何かお礼をした方がいいかもしれない、そう思ったあいりは何か飲みます? と声をかけた。
「お礼にお酒をひとつ奢らせて下さい」
「別にいいよ。何ならその貸しは甲斐につけといてヤツが困ってる時に助けてやって」
 そう言って中上は席を立った。座っている時は気づかなかったが、中上の足は相当長い。見降ろされたあいりは息をのんだ。自分よりも背の高い男はそうそう居ないだけに圧倒された。じゃあ俺、あっち行くから、と中上が言う。その指の先を追いかけると、そこには合コンにも似た風景が広がっていた。あいりたちがカウンターで話をしている間に客は増えていて、テーブル席はいつの間にか満席になっていた。
 中上は二人組の女性がいるテーブル席に向かおうとして――立ち止まる。ああそうだと言葉を漏らし、あいりに近づいた。少し体をかがめ、あいりに耳打ちする。
「この先俺と何度か関わるかもしれないけど、その時は俺のこと恨まないでね」
「は?」
「じゃ。探してる子がみつかるといいね」
 あいりの前にあった大きな影は小さな風とともに引いて行った。その背中を見送りながら、あいりは眉をひそめる。今の言葉はどういう意味だろう、と必死に考える。
「おねーさまっ!」
 しばらくの間ぼおっとしていると衣咲がにょきっと現れた。顔が非常に近い。急に視界を阻まれたあいりは呪いにも近い視線にうわぁ、と声をあげ一歩後退する。
「もう! 何度も呼んだのに。何でこっちを向いてくれないんですかっ。まさか、あの男に惚れたとかないですよね?」
「は?」
「だって、あの男の背中を名残惜しそうに見てたじゃないですかっ」  
 嫉妬の眼を向ける衣咲にあいりははぁ? と声をあげた。 
「そんなの許しませんよ。あいりおねーさまは私のモノなんですから。もうここに居る必要はないですよねっ。次いきますよっ! 次っ」
 強制的に腕を絡められたあいりはぼおっとしていた理由を話す間も与えられなかった。ずるずると引きずられ、店の外へ連れ出される。扉の外に出た瞬間熱気が襲った。
 外はまだ明るかったが、店の前を通る人達は増えていた。ある店の前ではYシャツを着崩したサラリーマンが店の呼び子に誘われている。その隣では同伴出勤と思われる男女が。通りを歩く人達の中には、いちもつを抱えて居そうな顔がちらほら伺えた。繁華街の長い夜が始まろうとしている。このぶんだと今夜は熱帯夜になりそうだ。
 あいりは次の目的地に向かって歩き出した。途中スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを少しだけ緩めた。隙間に風を取りこむ。その横で衣咲が携帯のシャッターを切ったのは言うまでもない。

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2013

0726

 大家の孫娘が帰ってくるまで時間が合ったので、甲斐は一旦アパートの部屋に戻った。たまった洗濯物を洗濯機に入れスイッチを押す。洗濯機が回っている間に狭い部屋を片づけ簡単に掃除する。洗濯を干し、余った時間は携帯ゲームに費やした。
 やがて時計は正午を知らせる。甲斐が再び大家の家を訪れると、茶の間に保育園のスモッグを着た女の子がいた。数年前までは大家の背中で眠っている姿を見ていたと思ったのに――気づけば今は保育園の年中さんだ。
「ほら楓。いぬのおまわりさんが来てくれたよ」
 大家の言葉に長い髪を二つに縛った女の子――楓は目を丸くした。
「ワンコさんが子ねこちゃん、さがしてくれるの?」
「そうだよ。でもその前に着替えてごはん食べちゃおうねぇ」
 そう言って大家は台所へ向かう。あらかじめ作っておいたピラフとスープを電子レンジで温め、器に盛って茶の間へ戻ってきた。大家が用意してくれた昼食を甲斐も御馳走になったあと、楓とともに外へと繰り出した。
 水色のワンピースを着、麦わら帽子を被った女の子が小走りで先を行く。それを楓ちゃん待ってと言いながらマスク姿の男が追う。周りから見たら子供を追いかける変質者にしか見えない。でも、ここでマスクを外すわけにもいかない。
 嗅覚が人より敏感な甲斐にとってマスクは必需品だった。マスクをしていればある程度の臭いを消すことができるし、不快な香りに酔うこともない。ただ、この季節は汗で蒸れるので、甲斐は時々マスクに手を入れ風を取りこんだ。
 子供の足に合わせて歩くこと十分、楓の足が一旦止まる。目の前に広がるのは工事中の看板だ。道路に歩道を作る工事をしているらしい。機械で石を切る音や砂利を敷き詰める音が耳をつんざく。楓の目は工事の機械の奥にある一軒家に傾けられていた。可も不可もない、どこにでもありそうな二階建ての門扉には「売地」のポスターが貼られている。どうやらそこが目的地らしい。家の前の道は塞がれていて正面からは入れなさそうだ。
 楓は体を左に九十度傾けるとこっち、と甲斐を促した。楓は門扉から続く家のブロック塀を手のひらでなぞりながら歩く。すると、この家の思わぬ侵入口を見つけた。それは隣家との境界線、家を囲う塀がフェンスからブロックに切り替わる所だ。幅三〇センチほどの隙間を楓は難なく抜けると民家の庭へ忍び込んだ。予告なしの行動に甲斐は焦る。人が住んでいないとはいえ、警察関係の人間が不法侵入するのは気が引ける。
 甲斐はまわりの目がないことを確認した。持っていた水筒をかなぐり捨てて、隙間の中へ慎重に体を入れる。子供は楽々かもしれないが、大人にこの幅はきわどいものがある。引っかかりそうな所は体をひねることで回避し、なんとか塀の向こう側へたどりつくことができた。甲斐は一旦外した水筒を肩にかけなおし、楓を追う。
 だいぶ長い間放置されていたのか、庭は荒れていた。庭は雑草に覆われているし、植え木も伸び放題。固い地面では大きな蟻が餌を求め彷徨っている。時々訳の分からない虫が甲斐の前を飛び跳ねた。ワンちゃんこっち、と楓の声がする。楓は建物のすぐそばの側溝の前にいた。楓はその場にしゃがみこむと側溝を指す。
「あのね。ここから声が聞こえたの。ワンちゃん、子ねこさんをたすけてあげて」
 甲斐は言われた場所に耳を傾けた。だが、表の工事の音が五月蠅くて室内の音すら聞こえない。グレーチングに顔を寄せ、奥を覗くと、建物の壁に沿って小さな窓があるのが確認できた。どうやらこれは地下室の換気口のようだ。
 周りの様子を確認した甲斐はひとつ唸り声を上げる。子供の言葉を最初は軽く流そうとしたけど、このままでは無下にできない。この条件なら何かの拍子に子猫が落ちた可能性もあるからだ。
 甲斐は口元のマスクを取ると側溝に鼻を近づけた。端から端まで念入りに臭いを嗅ぐ。土や草の臭いに交じって、アルコールのような香りを感じたが、動物の腐臭らしきものは感じられない。幸いここは売地らしく、そうそう人も来ない。死体がないのは幸いだった、と甲斐は思った。これなら大丈夫かもしれない。
 甲斐は側溝を塞ぐグレーチングに手をかけた。重い蓋をめいっぱいの力で持ち上げようとする。だがグレーチングはボルトで固定されていて、専用の工具でないと外せなさそうだ。甲斐は申し訳なさそうに楓に言った。
「楓ちゃん、ここからは猫を助けることはできないよ」
「なんで?」
「ネジがはずれなくて、この家の中に入れなくて」
「どういうこと?」
「ええと……」
 甲斐は言葉に詰まった。こう言う時、説明下手な自分は損だなと思う。例え自分の頭の中で理解できても、周りに問い詰められるとその雰囲気に気押されてパニックになってしまうのだ。
 こんな時、甲斐はあいりの言葉を思い出す。ある事件の捜査に関わった時、いつものようにパニックになった甲斐をあいりはこう諭した。まずは目の前の問題をひとつ言葉にすること。その問題は何故起きたのかを考え話すこと。そしてどうすればそれが解決するのか(自分にできるのか)を正直に伝えること。あいりから示されたのは目から鱗の解決方法だった。
 甲斐は一度深呼吸する。周りにある全ての臭いをとりこむと、膝を抱える楓に目線を合わせた。
「あのね。この蓋にはネジがついているんだ。で、そのネジは専用の工具じゃないと外せない。僕の力だけでは蓋を外すことができないんだ」
「じゃあ、ねこちゃん助けられないの?」
 今にも泣きそうな楓に甲斐はいいや、と首を横に振った。
「この中をのぞいてごらん。窓があるの、わかる? あれはこの家に地下室があるってことなんだ。だから、家の中に入って、地下室からあの窓を使って下りれば猫の居る場所にたどりつけるかもしれない」
「ワンちゃんやって! ねこちゃん助けて」
 楓の願いに甲斐は頷く。予想以上に厄介なことになってしまったけど、このまま引き下がるのは気が引ける。だから甲斐は腹をくくった。
 この家の中に入るには売主に事情を話して、鍵を借りる必要がある。売主の情報は表の玄関に行けば表札か何かあるかもしれない。なければ隣の家に連絡先を聞くか、付近の不動産を当たるまでだ。
 甲斐はすっくと立ち上がると、家の表側に回った。

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プロフィール
HN:
性別:
女性
自己紹介:
すろーなもの書き人。今は諸々の事情により何も書けずサイトも停滞中。サイトは続けるけどこのままでは自分の創作意欲と感性が死ぬなと危惧し一念発起。短い文章ながらも1日1作品書けるよう自分を追い込んでいきます。
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