2013
店の表扉を開け通りに出る。ここは坂の上にあるから彼女の姿を見つけるのは簡単だった。
私は南さん、と声を張り上げるが――後ろからクラクションが鳴り響く。振り返ると、黒塗りのベンツがものすごい勢いで突っ込んできた。カーブを描き私の前に車を止める。このシュチュエーションは何度も体験した。車の扉が開き、中から人が降りてくる。現れたのはもちろんニシだ。私は思わず、何やってんのよ! と声を荒げる。
「どーして電話に出ないのよ。」
「電話じゃ何だから直接会いに来た」
「は?」
私は素っ頓狂な声を上げる。だって、着信残したのはほんの数分前ですよ。あんたの家からここまで時速何キロでベンツとばしたんですか?
って。そんな場合じゃない!
「南さ――じゃなくて! 紗耶香さんが日本を離れるって」
「知っている。父から聞いた」
「追いかけなくていいの? 彼女のこと、好きなんでしょう?」
ニシにとって彼女は特別な存在だ。せっかく再会できたというのに。このまま彼女を行かせてしまって、本当にいいの?
私は早く、とせかすが当の本人は動かない。ニシの決意は固かった。
「この間別荘で紗耶香に言うべきことは言った。たぶん――向こうも同じだ。これ以上会う必要もない」
「そうかもしれないけど」
「そんなことよりも、お前にとっておきの話がある。あの夜一体何があったのか、聞きたくないか?」
ちょ、何でこんな時にそんなこと聞いてくるわけ?
私は車の向こう側をちらりと見た。坂の下に南さんが見える。姿はだいぶ小さくなっていたが、走れば間に合う距離だ。私はニシを振り切ってそちらに向かおうとした。でも一歩踏み出す前にニシが逃がすまいと自分の足を私の前に置いた。それに引っかかった私は盛大に転んでしまう。
「どうした? 聞くのか? 聞かないのか?」
「聞くも何も! なんっつーことするのよ!」
打った膝をさすりながら私は言う。何これ、この間殴ったお返しですか? 見上げた先にあるのはニシの余裕ぶった顔。もう一度坂の下を見れば南さんの姿はどこにもない。散々悩んだ後で選んだのは自分の欲求の方だった。何だか上手くあしらわれた気がしてならないけど、仕方ない。南さんの姿を見失った以上、それはそれと割り切るしかないのだ。
バカ高い車の中に案内された私はふかふかのシートに座る。向かいにはコーヒーをたしなむニシの姿があった。
「で? おまえが知っているのはどこまでだ?」
ニシに聞かれ、私は渋々話す。私が聞いていたのは二年前の火災についてだ。あの日ニシの車には細工がされていたらしい。車に用意されたお茶は睡眠薬が入っていて、ニシが眠っている間車はわざと遠回りの道を走っていたのだと言う。当時の運転手はニシの父親の指示で動いていたのだと北山さんは言っていた。
洗いざらい話すとニシがなるほど、と言う。そして閉ざしていた口を開いた。ニシの話が私のそれと絡むと、ぼんやりとしていた事件の輪郭がはっきりと浮かび上がる。
二年前の事故の一端に紗耶香さんのお父さんの仕事が絡んでいたこと、ニシの父親が裏で糸を引きワクチンの特許を横取りしたこと、南さんはそれを取り返すためにニシを気絶させ、脅迫したこと――
ニシが内輪のパーティを開くと言った時、南さんはニシの父と取引することを考えたのだと言う。それはニシが警護を解いていたことで予想以上の展開を見せたわけだが、世の中そんなに甘くないわけで。 ニシ略取計画はニシの父親の部下たちに阻止された。南さんはその時狙撃され、肩を怪我したのだという。
「父はワクチンの特許を返還するつもりはないらしい。紗耶香にもはっきり言ったそうだ。今回のことは紗耶香に否があるが、父は結局それを不問にした。それどころか『ある条件』をのめば蓮城を名乗ってもいいと紗耶香に言った」
ある条件? 私はニシの言葉をオウム返ししたあと――はっと する。もしかして彼女が今置かれた状況がその条件、ということ?
「紗耶香の父が今度働くのは大学の研究室だ。薬学に力を入れていて、ウチが経営する病院とも連携している。紗耶香も高校を卒業したらその大学に通い、いずれは父親と新薬の研究を続けてもらうだそうだ。家は大学の近くに用意したらしい。場所は首都から離れているが、最新のセキュリティで不自由はしない。外出時は家族一人一人に護衛をつけ安全を保障するらしい」
「つまり、ニシ家の監視下で生涯を遂げろってこと?」
「だな。もともと父は紗耶香の父の才能を高く評価していたし、それを完全に捨てるのは惜しかったんだろう。あるいは紗耶香の度胸を高く買ったのかもしれない」
「こう言っちゃあ何だけど、ニシのお父さんって極悪よね。人の弱味につけこむし、最悪だわ」
私は思わず毒を吐いてしまったけど、その言葉をニシは否定しなかった。
「確かに父は非情な人間だ。自分の利益の為なら相手が家族でも平気で傷つけるだろう。あいつと同じ血が流れていると思うだけで胸糞悪い。今回のことで俺は奴を一生恨むだろう。奴が何を企んでいるのかは分からない。でも現実として紗耶香の父親は研究を続けられるわけだし、母親がテロリストに怯えることもなくなる。紗耶香は家族の幸せを何よりも望んでいたから――今回はそれが最善だったのだと俺は思いたい」
「そう、ね」
「それに海外と言っても飛行機ですぐの距離だ。必要な時がきたらいつでも会いにいける」
それはニシらしい答えだった。そうか。ヘリを所有してるんだから飛行機やジェット機を持っていておかしくない。つまり私だけが焦って空回りしてたってことですか。
ひととおりの話を聞き終えた後で私はひとつため息をついた。ニシのせいで災難に巻き込まれるのは何時ものことだけど、今回は事がでかすぎた。まさか国を揺るがすテロ事件まで起こっていたなんて。私の頭は今にもパンクしそうだ。
私は車の窓から彼女が先ほどまで歩いていた道を見据える。二年前、彼女は自分の名を捨てなければならなかった。大好きだった幼馴染とも突然別れなければならなかった。それはどんなに辛かったことだろう。
彼女が選んだ道が正しいのかどうかは分からない。けど、できることなら幸せに繋がる道であってほしい。願うのはそれだけだ。
「ところで――ヒガシ。お前にひとつ聞きたいのだが」
「何?」
「おまえは俺のことが好きなのか? 嫌いなのか?」
「は?」
「これまでお前は俺のことを好きだと思っていたのだが、最近お前の気持ちが分からなくなった」
「一体何のことをいってるの?」
私がいぶかしげな顔でいるとニシはこれだこれ、と頬に残る痣を見せつけた。
「この間おまえは俺をグーで殴り飛ばしたじゃないか。愛情があるなら平手じゃないのか? 親愛なら手加減するんじゃないのか? 何故グー? 俺本当はお前に嫌われていたのか? この一週間、それがずっと気になって仕方なかった。でもお前は一度怒ったら頑固になるし俺の話を聞いてくれるかどうかも怪しくて。結局今日まで聞くことができなかった」
何ですかそれは。え?
私はてっきり南さんのことで気落ちしているんじゃないかと思ったのに。そんなことで学校を休んでいたわけ? 私は頭がくらくらしてきた。ヤツの思考は 宇宙人並みだ。確かに誰かさんのせいで私がニシに好意を持っているということになってしまったが、それはとんでもない誤解である。
「誤解があるようだから言っとくけど、私はあんたに惚れることは絶対にない、一生かかってもあり得ない!私はあんたのこと――」
嫌いだ、と言おうとして私はふっと口を閉ざす。確かにうっとおしい奴だけど、勘違い男だけど。最近は挨拶もするし毛嫌いするほどではないことに私は気づいていた。もしかしたらニシの言動に耐性がついたのかもしれない。あと、紗耶香さんのことは流石に気の毒で同情もした。行方が分からなくなった時は心配もした。これまでは顔見知り以下だったけど、今は顔見知り以上友達以下位までランクを上げていいかもしれない。
「まぁ。出会った頃ほど嫌いでは……なくなった、かな?」
私はたどたどしく言葉を述べる。その回答にニシが目を輝かせた。
「つまり俺はお前に嫌われてないということだな?」
「あ、でも好きとも違うからね。そもそも二択で聞くのがどうかと」
「そうか。ヒガシは俺の事が好きなのか」
「だーかーら。違うっていってるでしょ!」
私は勘違い男の頭をぺちんと叩いた。(了)
(使ったお題:43.とっておきの話)
本日で東西コンビの話は終了。ここまで読んで頂きありがとうございます。明日からは別の新しい話が始まります。今度こそ10話完結……のはず。