2013
部屋をあとにした私たちは再び地下道に戻った。数分ほど歩いたあとで石階段を登り最後のドアを開ける。錆ついた扉の向こう側に見えたのは大きな満月だった。
地上では斉藤くんたちが私たちの帰還を待っていた。だけど彼らの表情はどこか神妙で――その理由は後ろにいるいかつい人達のせいなのかもしれない。それは数にして二十ほどだろうか。
あっという間にニシは黒づくめの男の人達に包囲される。これはあの女の手下に捕まったわけじゃない。彼らはニシの護衛で、家を抜けだした主を迎えにきたのだ。
「晃さん、一人で家を抜けだすなんて――無茶をするのもいい加減にしてください、それにその恰好……」
お付きの人の声にニシは大したことない、とつっぱねた。そのままお付きの車に連行されていく。別れの挨拶も感謝の気持ちも言いそびれたまま、私はニシと離れ離れになってしまったのである。
結局、その日はここで解散することになり、私は久実の家に泊ることになった。実は私が攫われた時、久実は私の両親に自分の所に泊めるからと連絡したらしい。親友の気転は私が一番心配していた所だったのでとても助かった。
「ありがとう久実」
私の口から感謝の言葉がするりと抜ける。でも久実はどこか不機嫌だ。
「どうしたの?」
「その言葉、私の前に言うべき人がいるんじゃないの?」
そう久実は言う。それから私が捕らわれている間のことをとつとつと話し始めた。
ニシが私を本当に心配していたこと、黒づくめの人達が急遽使えなくなって、斉藤くんに頭を下げてまで頼みこんで私を助けようとしたこと――
「ナノちゃん、今度こそニシにお礼言いな。メールでもいいから絶対。でなかったら絶交だよ」
あまりにも真剣な顔で久実が言うものだから私は首を縦に振るしかない。
本当は私も分かっていた。ニシには感謝すべきことが沢山あるということを。ニシの放つ親友という言葉が枷になって素直に口に出せなくなっていることも。
ヤツとは関わりたくない。でも感謝の気持ちは伝えなければならない。
私は先ほど取りかえした携帯を持った。メール画面を開き、しばらく考える。回りくどい表現も何だったのでシンプルに決めることにした。
本文に打ち込んだ四文字は猛スピートで空を飛んでいく。これを読んだ時のニシの反応は想像しない。そう、これは人間としての最低限の礼儀なのだから。
その日の夜、私は夢を見た。
教室に作られた舞台の客席で着ぐるみショーを見ていた。舞台ではふわもこの動物たちがヘビロテした曲に乗ってキレいいダンスを見せている。
そのうちぴょんぴょん跳ねていた兎がくるりと宙返りを決めた。兎がふっと振り返る。すると愛らしい顔の部分がニシの顔へと変化した。
曲が間奏に入り、ニシが舞台を跳ねながら降りてくる。客席にいた私に手を差し伸べた。一緒に踊ろうと誘ってくる。
私は渋々、というよりしょうがないなぁ、という感じで立ちあがった。ステージに立つ。これまでに何度も繰り返し練習した曲を兎のニシと一緒に踊る。
こう言っちゃあ何だけど、それは楽しい時間だった。
本当に、これが夢であることを忘れる位に――
翌日、私は久実と学校へ向かった。
空はとても高く、空気が澄んでいる。太陽は吹き抜ける風もちょうどいい。文化祭にもってこいの小春日和である。
いつもよりも三〇分早い到着なのに通学路はとても賑やかだ。みんな今日のお祭りが待ちきれなかったのだろう。校門に突如建ったアーチは誇らしげな表情を見せている。
そして――
「あれ?」
気がつけば校門の前に立ちはだかる人物がひとり。今日も縦ロールがバッチリ決まっている彼女は、苛々した表情で茜が丘の生徒たちを睨んでいるではないか。それは品定めというより誰かを探している様子で。
「こんな所で何してるの?」
久実の声に縦巻き女――もとい、巽芹華は肩をびくりと揺らした。後ろにいた私を見つけるなり唇を震わせる。
「あ、あんた、何時の間に……」
「昨日は素敵なおもてなしをありがとう。おかげで楽しい夢を見ることができたわ」
私がにっこりと笑って宣戦布告すると、相手の眉がぴくりと上がった。やっぱり、と言葉が漏れる。
「昨日の騒ぎはあんた達のせいなのね? 晃さんを誘惑してあんな――卑劣極まりないわ!」
ぎゃあぎゃあとわめく巽芹華に私と久実は顔を見合わせた。わざとらしく腕を組んだり、頬に手をあてて、そうかな? と声を揃える。
「何を誤解してるのか分からないけど、卑劣だった?」
「今日文化祭に来るって聞いてたから、ひと足早く花火で盛り上げただけなんだけどなぁ」
「それって前夜祭ってやつ?」
「そうそう。庶民の祭りを雰囲気だけでも味わってもらおうかなぁーと」
「何が前夜祭よ!」
シラを切り続ける私たちに巽芹華はとうとうブチ切れた。
「あんたたち、私を馬鹿にしているの? こんな事をしてタダじゃ済まな――」
その時、急に周りがざわめいた。通行人の何あれ、と指さす方向に私たちは目を奪われる。
駅の方からぞろぞろとやってくるのは兎の面を被った高校生の集団だ。その愛らしさとインパクトで他の生徒たちが否応なしに道をあけて行く。携帯のシャッター音がやたら響いていた。
集団の先頭を歩いていた兎が私たちに気づきおっす、と声をかけてくる。案の定、中の声は斉藤くんだ。
予想外の展開に久実がぷはっ、と吹き出した。
「なにあんたたち。その恰好で登校してきたの?」
「その方が目立つし、文化祭の宣伝にもなるだろう?」
「そりゃそうだけど」
久実は巽芹華をちらりと見やった。そのあとで捕まってパイにされても知らないからねー、なんて冗談をかます。縦巻き女の体がぴきりと固まった。
兎たちは了解、と敬礼をしたあとでぴょんぴょんと跳ねていくと、おどけながら手作りのアーチの中へと入っていった。
「ほんっと馬鹿なやつらで困っちゃうわ―。あら? 顔色悪いけど大丈夫?」
「な、なんでもないのですよ……」
「ああそうそう、あんたにも見せたいものがあったんだ」
これどうぞ。
そう言って久実は制服から一枚の紙を差し出した。それは昨日久実が携帯で撮った寝顔の写真だ。
「さっき写真部の人に見せたらこんな芸術的な被写体はめったに見られないって褒めてくれてね。パネルに伸ばして教室に展示しようって話になったのよ。タイトルは――」
「いぎゃあああああああっ!」
巽芹華はものすごい悲鳴を上げると脱兎のごとく逃げて行った。あまりの早さに私たちは目を丸くする。
「見た? あの顔」
久実の嬉しそうな顔に私は頷く。あの様子なら当分私たちに悪さする余裕も出てこないだろう。
――事前に様々な困難はあったものの、茜が丘高校文化祭は予定通り始まった。
ご当地アイドルAKNのショーはすでにチケットは完売しており、前評判も上々だ。
私たちの出し物もいよいよ盛り上がってきた所だが、我が一年E組の問題が解決したわけではなく――というのも、いつまで経ってもニシが来ないのだ。
AKN劇場の第一回公演まであと十分。
教室に作られた客席はすでに満員だ。舞台ではオタダンス役の生徒二人が公演の際の約束や盛り上げ方をレクチャーしている。
会場前の廊下でスタンバイをしていたクラスメイトたちは何時まで経っても来ない新入りに一抹の不安を感じていた。そのうちの一人が本当に来るのかな、と言葉を落とす。
それをきっかけにクラス全体がざわめいた。
私は自分の身なりを確認しながら、雑念と格闘する。
あれからニシの返信はない。音信不通だとニシが勝手に家を抜けだしたことで、何かあったんじゃないかと変な想像まで走ってしまう。私は手を組むと全てはうまくいくと自分に念じ続けた。
ただでさえ緊張が走るこの瞬間、ネガティブ感情はあっという間に感染するから危険だ。今だって誰かが不安をこぼしている。
「このままじゃまずいよ。やっぱり看板の数字変えた方が――」
「いや。アイツは来る」
その一言にみんながえ? と声をあげた。振り返った先には斉藤くんの自信に満ちた顔がある。
「ニシは一度決めたことは最後までやり通す漢だ。だから数字は38のままでいい」
彼の言葉にだよな、と同意したのは久実をはじめ、昨日の前夜祭に加担したメンバーたちだ。彼らの笑顔が他のみんなの不安をとりのぞいていく。すぐに気持ちが上向きになった。
さすがはムードメーカー。こういう時は頼もしい。
気持ちが多少落ちついた所で、教室から小気味良い拍手が届いた。客が開演を待っている。私達の出番はもうそこまできている。
そして誰かが円陣を組もうと言った――その時だ。
ばさりと何かがはためいた。私は顔をあげ、音のある方に集中する。
こちらに向かって颯爽と歩くのは黒いマントをまとった御曹司。
俺様で空気読めなくてとんでもない勘違いだけど、友のためなら地位もプライドもあっさり捨てられる――そんな奇特なヤツはこのクラスにすっかり溶け込んでしまったらしい。
遅れてやってきたルーキーに皆がわぁっ、と歓声を上げた。
(文化祭編 了)
以上で東西コンビの話は終わり。ぶっちゃけここまで書くのに疲れた……というのが本音だ。
次回からはまた一話完結の掌握に戻る予定。