2013
どのくらい眠っていたのだろうか。私は不快感で目が覚めた。座り心地がどうも悪い。工事中の砂利道でも走っているにしてはずいぶん長いような――
そのうちパン、という音が立て続けに響き、車が急に傾いた。遠心力で飛ばされた私は隣りに座っていた久実にもたれ込む。その大きくて柔らかい胸に包み込まれるかと思ったのに、その感触は思ったより固い。というかガチガチだ。
あんたいつからこんなぺったんこに? まさかパットで騙してたとかないよね?
私は寝ぼけまなこで久実を見上げる。するとヤツの顔が突然現れた。私の眠気がいっきに吹き飛ぶ。
「な、な、な」
「鼻息飛ばす前にその重い体をどけろ」
そう言ってヤツはおもむろに私の頭を掴むと、座席シートに押しつけた。私の口からふぎゃ、と言う声が漏れる。
「この車は防弾仕様だが、万が一ということがあるからな。しばらくそうしてろ」
外で何かがぴし、ぴし、と弾ける音がする。外を見ると蜘蛛の巣のようなヒビが窓を彩っていた。何か鋭いものが当たっている。
な、何?
「状況は?」
体を伏せたままの状態でヤツが運転席に問う。
「タイヤがパンクしました。このままでは10分もつかどうか」
「そうか。ずいぶん上手く当てたもんだな」
「あちらでスナイパーを雇ったのかもしれません。この様子だと相手の目的は晃さまの誘拐ではなく抹殺かと」
「俺の首を取ってニシ家を動かそうって魂胆か。下衆の考えそうなことだな」
「どうします?」
「それがなら一度事故で死んだように見せかけるのも悪くないな。たまには馬鹿の喜ぶ顔を見てみたい。できるか?」
「晃さまがそれを望まれるというのなら」
「ではすぐに実行に移せ」
運転手はハンドルを右に回した。襟元のピンに向かって何かを囁き指示を出している。こっちはというと、いきなり旋回したものだから再びヤツの胸に飛び込んでしまって最悪だ。
ええと、さっきからスナイパーとか抹殺とか、物騒な会話が飛んでいるんですが、一体何が起きたというんでしょう?
体制を整えた私が状況を掴めずにいると、シートベルトを着用したヤツがにやりと笑った。
「ヒガシにこれから面白いものをみせてやる」
ヤツは何だかとても嬉しそうだ。けどそれ、どうみてもヤバイよね。何というか。命の危険を感じるような?
私の不安をよそにして全ては回り始める。ヤツは運転席へ向かって声をかけた。
「北山、準備が整うまでであと何分かかる?」
「向こうは三分で準備できるそうです。誘導地突入まではあと五〇秒ほどで」
「それじゃ遅い。向こうに半分の時間で済ませろと伝えろ」
「はっ」
ヤツがそんなやりとりをしている間にも車は右へ左へと揺れている。前回のこともあった手前、私は座席にあるシートベルトを慌てて締めた。前も思ったけど、こんなカーアクションしてたら寿命もたないわ。というか、周りに被害は及ばないのかしら?
車が一気にスピードを上げる。気がつけば速度メーターは上限を振り切っていた。と思ったら見通しの悪い交差点で運転手が急にハンドルを左に切るし。その勢いで車の尻が滑り一八〇度回転する。車はそのままシャッターのガレージへ突進していった。運がいいのか悪いのか、一台しか入らないガレージには車が停まっていて――ひいいっ、このままじゃぶつかるじゃない!
私は思わず目を瞑った。ああ、私の人生これでおしまいかも。そんなことを思いながら。
しかし車は体面衝突することなく、ガレージの中へ入っていった。かわりにきゅきゅ、と音を立てながら車の横を何かが横切る。もの凄い勢いで飛びだす黒い影が窓から見えた。あれは――
「あれは『おとり』だ」
そう言ってヤツはシートベルトを外すと、停車した車から降りてしまった。慌てて私も追いかけようとするけれど、体の感覚が戻らない。
私はふらつく体に鞭うってなんとか車の外へ脱出した。ガレージのシャッターはすでに閉められていて真っ暗だ。
「ちょ、何処……」
私は手探りで前へ進んだ。闇に紛れてしまったヤツの姿を探す。すると急に明るくなった。白い道標が私の前に現れ、大きな影が壁に映し出される。
「どけ。おまえの影で何も見えん」
その声に思わず振り返ると、車の横にヤツが立っていた。すぐそばに映写機があり、光の粒が拡散している。壁に映し出された映像は幾つもの升目で分割されていて、道路や公園の様子が一度に見れて把握できるようになっている。住宅街全てを覗き見できるようになっているこの場所はさしずめ監視室、といった所なのだろうか? よく見れば周りでパソコンと格闘している黒づくめの人がいる。
私は慌てて光の筋から離れた。それぞれの画面をぼんやりと眺める。そのうちそれら全てが不自然であるということに気づいた。休日なら通りや家の前に家族連れの姿があってもおかしくない。なのに人の気配が一切ないのだ。この間の住宅街と同じだ。私は執事らしき人が言っていた誘導地の言葉にはっとする。
もしかしてここは「そういった時」の為の場所なの? 戦隊ヒーローが巨大怪獣と戦ってる場所が街から山へ切り替わるように。奴らが作った無人の住宅街は周りへの配慮だった――とか?
「ねえ、ここって――」
私はもろもろの疑問をヤツにぶつけようとする。だが、ヤツはスクリーンの一点に集中していて私の話に耳を傾けることもない。仕方がないので私はしばらくの間静観していることにする。
やがて、スピーカーからエンジン音が聞こえてきた。分割された画面の右上におとりのベンツを追いかける車が見える。クラクションの音の低さからしてダンプカーっぽい。画面を操作している人がその一角を拡大し映像を見やすく調整する。
ダンプカーはもの凄い勢いでベンツに追いつく。そして別のカメラが車の横につけてきたのを確認した。ダンプカーはクラクションを鳴らして煽っている。そのうち幅寄せして近づいてきた。やがて何かがぶつかる音とともに映しだされた画面が黒で塗りつぶされた。カメラが駄目になったようだ。
すぐに別の視点から撮ったカメラの映像が引きのばされた。それは通りの街灯カメラからの映像でもろもろの状況が一望できるようになっていた。ガードレールの前に三分の一以下に収縮された車の姿が見える。原型をとどめていない鉄の塊は数秒後に爆音を立てて炎上した。スクリーンが大きすぎるせいかその迫力は半端ない。
燃え盛る車の映像を見た私に一抹の不安がよぎる。おとりの車だったとはいえ乗っていた人はいたはずだ。その人は――?
「案ずるな。潰される前に運転手は窓から脱出している」
心を読んだのか、ヤツがぽつりと呟いた。ああそう、それならよかった。
私は安堵のため息をつく。それからしばらくして一番大事なことを思い出す。
「そういえば久実は? どこいっちゃったの?」
「あの女なら先に家まで送ったが?」
「あ……そうなんだ」
私はつい間の抜けた返事をしてしまう。そんな私を見てヤツは首をかしげた。
「本当――おまえは俺の想像を超える反応をするのな」
「はい?」
「流石のおまえもこの状況なら泣き叫ぶと思ったんだが。肝がすわっているというか」
「いやいやいやいや」
私は思いっきり否定する。顔に出てなかったかもしれないけど、十分驚いたって。こんな場面、映画とかテレビの世界だけかと思っていた。でも非日常の世界に二度飛びこむとある程度免疫が――できるわけがない。怖かったし死ぬかと思ったし。
「あのさ、もしかしてあんたってずっと命狙われてるわけ?」
俺に構わずニシ家に恨みを持つヤツは国内外問わず沢山いるからな。こんなのは日常茶飯事だ」
だからどうした? と言わんばかりの目で見られたので、私は思わず目をそらしてしまった。目の前に立ち上る黒煙の映像を再び見据える。ぶっちゃけて言うならこんな思い二度としたくない。だが、ヤツにとってこれは日常茶飯事なのだ。
ヤツは大したことないように言うけど――
私はちらりとヤツの顔を見上げる。ほんのちょっとだけど、ヤツを不憫だなと思ってしまった。