2013
次の日、ニシは予告通り茜が丘高校に転入した。
暁学園からの転入生にクラスが騒然としたのは言うまでもない。しかも誰もが知っているニシ財閥の息子とくれば否が応でも浮足立つ。ニシの机の周りはすでに人でいっぱいだ。
「ニシくんは何で転校してきたの?」
「前の学校で色々あって……な。丁度この近くの家を買って引っ越すことになったので、転校した次第だ」
前もって用意した台詞をさらりと言うニシに私は砂を吐く。見え透いた嘘をついたのは私が関わっているなんて絶対に言うなと念を押したから――ではない。ニシは転校手続きの際に色々情報操作をしたらしく、私の為に転校したと大声で言えないということだ。それはニシと関わりたくない私にとって好都合だった。
ニシに声をかける人間は日に日に増えている。訪れる生徒のほとんどは興味本位で近づいてきた人間でそれはクラス内だけにとどまらず学年を超えてやってくる。
私はそんな風景をいつも蚊帳の外で眺めていた。
傍から見ればどんだけちやほやされてるんだって思う。友達が一人もいないなんて本当は嘘なんじゃないか、なんて思うんだけど。
そんなことを思っているとニシがこっちを向いた。探すような首の動きに私は慌てて目を逸らす。
ニシというサイはすでに投げられた。私はこれからそれに抗わなければならない。今の私にできるのはXデーとなる日まで静かに過ごすことだ――
連休の初日となった土曜日、私は学校の渡り廊下を歩いていた。向かうのはかつて使われていた旧校舎の三階だ。階段を昇りきった私は突きあたりの教室へまっすぐ歩く。その昔、音楽室として使われていた教室も今はAKN38の練習場だ。
建物の隙間から聞こえるのはヘビロテした曲のサビ部分。それを聞くだけで体が勝手にステップを踏みそうになる。肩に引っかけた荷物がずれたので慌てて直した。
扉を開く。おはよう、と声をかけると先に来ていたクラスメイトが挨拶を返してくれた。私は教室の奥へ進むと段ボールの山と格闘している女子生徒に声をかける。
「これ、この間話したやつ」
そう言って私は紙袋に入っていたスカートを出した。それは数年前茜が丘に通っていた親戚が使っていたものだ。お下がりにと頂いたのだけどサイズが微妙に合わなくて箪笥の肥やしになっていたのである。
「ありがとー。ヒガシが手伝ってくれたおかげで予定より早く集まった。助かったよ」
「こっちこそ急がせたみたいでごめんね。私が変なこと言ったばっかりに」
すまなそうな顔をする私に衣裳係のクラスメイトはそんなことないよ、と笑った。
本番の衣装がすぐに集まったのには前回の話し合いの最後で、私がこんな意見を出したからだ。
――なるべく早い段階から衣装で練習しておけば雰囲気掴めるしクラスの士気もあがるんじゃないのかなぁ?
ぼんやりを強調した意見は予想通り体育会系のツボをつくことになった。更に私が制服集めを手伝ったことで事態は思ったより早く収拾がついたのである。
衣裳係が制服の預かりリストに私の分を記入する。タグに通し番号をつけるとほう、と安堵の息をついた。
「これでニシくんの分も確保できたっと。あとはリボンが出来るのを待つだけだね」
その意味深な一人ごとを聞いてしまった私は思わず聞いてしまう。
「足りないって言ってたのって――転校してきた人の分、だったの?」
「そうだけど」
衣裳係の返事に私は眉をぴくりと動かした。
初めてニシを見た時細いなぁとは思ったけど――しかもウエストが私よりも下のサイズだと? これは色んな意味で許し難い。
隣りの準備室に移った私はジャージに着替えながらダイエットしようかとこっそり決める。準備を整え再び音楽室に戻ると、すでに集まっていたメンバーと合流した。膝のサポーターに気づいたクラスメイトが大丈夫? と聞いてくる。なので激しい動きしなければ大丈夫だから、と私は答えた。
先日私は膝の古傷を理由にしてダンスが苦手な人が多いチームに変更してもらった。これはニシと同じチームにならないための防衛線でもあったのだけど、その心配はしなくてよかったようだ。
私たちのグループ「チームN」は公演のトップバッターを務めることになっている。それはかなりのプレッシャーでもあるけれど与えられた曲は振りが比較的優しいので振りはすぐに覚えることができた。
ひととおり流して踊った後で私はちらりと横を見た。窓際の一角で先に来ていたニシと斉藤くん率いる体育会系チームが振りつけの確認をしている。もともとの筋がいいのか、ニシは公演のメイングループである「チームA」に配置されていた。客に一番近い前列、しかもセンターの隣りである。これは大抜擢としか言いようがない。チームが選んだ「初心者」という意味の曲も今のヤツにぴったりだ。
気づけば真剣に踊るニシをとろんとした目で見るクラスの女子が日に日に増えている。まぁ、そっち方面で誰かとくっついてくれればこっちは御の字なので特に反対はしないけど。
そんなことを思いながらダンスの練習を続けていると、衣裳係から準備で来たよーと声がかかった。クラス全員にチェックのリボンが配られる。続けて壁際に並べた段ボールの列をを一つずつ開封した。
「制服は男女サイズ別になってるから自分に合ったものを選んでねー。それから着なくなったベストとかセーターとか、小物もあるから好きなコーデしていいよ」
その声を始まりに段ボールの前にわらわらと人が集まり始めた。それぞれの体型に合ったサイズの箱から服を選ぶ。私も選んでいると背後に悪寒に近いものを感じた。振り返ればニシが難しそうな顔でやっぱり着なければならないのだろうか? と質問を投げてくる。やはりニシは女子の制服を着ることに抵抗があるらしい。
私はヤツの見えないところでほくそ笑むと当然、と言葉を返した。
「ひとり違う衣装着ていたら協調性ないとか言われるよねー。それってどうなんだろうねー?」
「そう……だよな」
口元を押さえてどうしようかと悩むニシを私はわざと無視する。女子の着替場所である準備室へ向かった。
部屋に入った私はなるべく壁に近い場所を陣取る。旧校舎の教室どうしは壁で仕切られているものの、天井から数十センチは空いているため隣りの会話は筒抜けだ。私が壁に耳を寄せているとついてきた久実が不思議そうな顔をした。
「ナノちゃん何してるの?」
「しっ」
耳をすませていると、ぺちん、と肌がぶつかりあう音がした。いてっ、とニシの声がする。細みのくせにいい体してるじゃないか、と斉藤くんがニシに話しかけていた。
「ニシは前の学校で何かスポーツやってたのか?」
「護身の為に剣道と空手を少し」
「それって最近?」
「物心ついた頃からだが」
「へー、だからこんなに体が締まっているのか」
ぺちぺちぺちぺち。
「その……あんまり叩かれても困るのだが……」
「別に減るもんじゃねえからいいじゃないか。ちなみにこっちは――」
次の瞬間、ニシの絶叫とも呼べる声がつんざいた。様子を見にきた担任が斉藤、転校生いじるのもそのへんにしろ、とたしなめているのが聞こえる。
隣りの部屋にいた私ら女子はというと、筒抜けになった男子のあれやこれやに黄色い声を上げる者あり、妄想を広げてにやつく者あり、馬鹿馬鹿しいとため息をつく者あり――とにかくいろいろな反応が伺えた。
私はひとりガッツポーズを決めると、用意されたズボンに履きかえた。チェックのリボンをネクタイにして締める。振り返れば髪をまとめて伊達眼鏡をかけた久実の姿があった。聞けば他にも猫耳とか、鼻つき眼鏡があったらしい。隣りの教室に戻るとのっけから禿げヅラをつけた男子がスカートをくるりと翻してる姿を見てしまい吹き出してしまった。
周りに笑いがどんどん感染していく。うわ、こいつら馬鹿じゃねと本気で思う。でもこの馬鹿っぽい所がいい。
何だか文化祭らしくなってきたじゃん。
私は心を躍らせながら女装した男子ひとりひとりを観察した。そして壁に背中をつけているニシの姿を見つける。裾を出したブラウスにギャルソン風の黒ベスト、チェックのスカートは膝上十センチだ。すね毛が邪魔になる足はニーハイで隠している。
あらら。
私はニシのいでたちに口をぽっかりと開けた。想像の中で描いた女装は見られたものじゃなかったけど、実際目にすると普通に似合っていたから驚きだ。
ニシは先ほど目を溶かしていた女子たちにかーわーいーいーと連呼されている。
「やだ、ニシくん超似合ってる」
「猫耳とかつけたらもっと可愛くなりそうじゃない?」
「ウサ耳も捨てがたいよねー。ちょっとつけてみない?」
彼女らの愛でる気満々の表情にニシは完全に引いていた。
しばらくして遠目で見ていた私に気づく。競歩並みのスピードで向かってきた。チェックのひだがせわしなく揺れている。
「ヒガシよ。この学校の人間はあんなにも無礼なのか? 人の肌を舐めるように見たりぺちぺちぺちぺちと叩いたり下着の中を覗いたり――」
その話を聞いて私は吹きそうになるのを必死に堪えた。体育会系は裸の付き合いが多いのでお互いの体型を褒め合ったり比べたりするのがデフォだ。ニシはこういった暑苦しい付き合いに慣れてないとは思ったけど――予想以上のリアクションだ。
「茜が丘がこんな非常識な学校だとは思いもしなかったぞ。これは人権問題だ」
待っていた言葉に今度こそ笑みがこぼれた。
「そしたら暁学園に戻ればいいんじゃない?」
私の突き離しにニシがぐっと言葉を詰まらせる。私はわざとらしく腕を組むとニシの周りを一周した。
「暁に暗黙のルールがあるように、こっちにはこっちのルールってものがありますからねぇ。従えないなら仕方ないよねぇ。というか、向こうに戻った方がアンタの為だと思うけどなぁ」
私のゆるーい誘いにニシは口を閉ざしたままだ。
価値観の違う親友(断じて認めないが)と自分のプライド、ヤツはどっちを取る?
「わかった。これも全て親友の為だ。理不尽なことも我慢しようじゃないか」
ニシの開き直りに私はちっ、と舌打ちをした。我慢しなくてもいいのに、と本気で思う。私に何かあった時はすぐに助ける、というヤツの決意は相当固かったらしい。このぶんだとニシが暁学園に戻る可能性は低いのかもしれない。
私の「ニシ追い返し計画」はのっけから座礁した。でもこれは想定範囲内でもある。失敗したら次の作戦に移るまでだ。
私はその鍵となる人物を見据える。視線の先には文化祭を盛り上げようとしている斉藤君の姿があった。