2013
次の日、私はクレアさんと城の図書室を訪れた。百を超える本棚にはこの国の歴史と文化、風俗を記した本がみっちりと詰まっている。そんな広い図書室の、更に奥の部屋にあるのが書庫だ。重たい扉を開く。するとバチバチと火花を散らす男性を見つけた。本に囲まれて溶接作業をする姿はどこから見ても異様だ。というか、火事とかならないのかしら?
クレアさんの話によると、彼は自分の仕事をするのに本が欠かせないらしい。でもいちいち図書室で借りているのも面倒なので書庫ひとつを占拠して、作業場と自分の研究室にしてしまったのだとか。
私達は火花をよけながら彼に近づいた。クレアさんが声をかける。
「スピンおじさま」
「お、クレアじゃないか。こんな所へ何しに来た?」
「ちょっとご相談がありまして」
そう言ってクレアさんが自分の体を一歩横にずらした。
「彼女、仕事を探しているのだけどそちらで何かあります?」
スピンと名乗る学者は作業の手を止めるとサングラスを外し私をまじまじと見た。最後に私の手元を見てあっ、と声を上げる。
「その腕輪――もしかして、シフの弟子か?」
「そう、ですけど?」
私は恐る恐る答える。この国はヤツの天下。もしかしたらこの間の失態を笑われるかな、と思ったけどそれは杞憂に終わった。スピンさんの目じりが下がったからだ。
「そうかそうか。おまえが……良く耐えてきたなぁ」
スピンさんはそう言って私の肩を抱きソファーに案内してくれる。私が座ると、スピンさんはジュースやお菓子を沢山出してきた。
「この間の会議の時は遠くで見てたけど、あれは気の毒だった。俺があんたの師匠だったらあんなこと絶対させなかったのに――助けられなくてごめんな」
「え? あの……」
「あのジジィ はとんでもない『悪』魔道士だ。これまでどれだけ酷い目にあったかと思うともう不憫で不憫で。今まで辛かったろう。さあこれ食べて元気だしな」
あれ、何だか私慰められてる? っていうか、ここにきて初めてヤツについての意見がぴったり合ったんですけど。同じ気持ちの人がいると知って私はなんだか嬉しくなって、この出会いに感謝してしまう。
「もしかして、スピンさんもヤツのせいで酷い目に?」
「おお、ジジィの無茶ぶりに俺もほとほと困っていたんだ。俺は魔法使い専用の道具を開発してるんだが、ジジィの注文には毎回泣かされてな。あいつときたら、俺に高度な技術を求めてくるわ、採算度外視だわ。費用工面して見積出しても値切ってくるんだ。しかもあいつ、ワシの部屋で勝手にくつろいで食材をあさって腹が立つと言ったらもう」
「ですよね、ですよねっ」
「この腕輪だってそうだ。あのジジィときたら――」
「スピンおじさま」
私達が盛り上がっていると、クレアさんが口をはさんだ。
「私達は大おじさまの悪口を言いにここに来たわけじゃないんですけど」
クレアさんの口調は穏やかだけど、言葉の端々に棘がある。身内の悪口を言われ気を悪くしたのだろうか。彼女のただならぬ気配にスピンさんがはっとしたような顔をする。
「ええと、仕事の話――だったな。急ぎのものは特にないがまぁ、書庫の整理と隣りの研究室にいる『奴ら』の世話を頼もうか」
「よろしくお願いします」
私はぺこりと頭を下げた。
クレアさんが部屋を去ったあとで、私は早速仕事を始める。
最初に本棚とその周りを見渡した。幸運なことに床に落ちている本は一冊もなくてだいたいは棚の中に収まっている。でも本の入れ方がすごく雑。ひとつの棚を取っても、医学や生物学が中心なのかと思えばすぐ隣りに機械学の本があったり恋愛小説や料理のレシピ本があったり……とにかくごちゃごちゃなのだ。
とりあえず、私は本の整理から始めた。本棚にあるものから机に積んであるもの、この部屋にあるありとあらゆる本を一か所にまとめる。本を手にとりタイトルを見てジャンルを選別していると、脳裏にプミラさんの魔法使いは何でも屋という言葉がよぎった。クレアさんは彼のことを学者と言ったけど、私から見た彼の印象は違う。どちらかといえば技術者に近い気がする。
スピンさんは溶接作業を終えると、細かい部品を取り付ける作業に移った。最初は軽快に動いていた手だが、そのうち動きが鈍くなり、やがて手が止まる。一つ唸り声を上げると踵を返し、私が作った本の山から何冊か抜きとった。
彼はそれらを机に並べ、必要なページを開いてすぐに見えるようにする。電気回路や金属の性質、化学反応について書かれた本――そこまではいい。不思議なのはそこに料理や裁縫の本が加わったことだ。
「あの」
気になった私は本と向き合う彼に問いかけた。
「その、ひとつの道具を作るのにこんなにも沢山の本を?」
「そうだ」
「けど、今している作業とは全然関係なさそうな本も取りましたよね? どうして」
「道具を作るのは俺だけど、使うのは魔法使いやその弟子たちだ。俺が今作っている道具は奴らのどの場面で使うのか、俺自身が理解してないと道具は完成しないし奴らも使いづらい。だから俺は必要な知識を得るために本を読んでいる。それだけだ」
スピンさんの言葉に私はなるほど、と唸る。スピンさんは魔法使いではないけど、魔法使いの気持ちに寄り添って仕事をしている。中途半端を許さないのは自分の仕事に誇りを持っているからこそできること。
私は一つの魔法を覚えるのにそこまで資料を開いたことはない。ヤツの言葉を聞いて理解するだけだ。今までは魔法の使い方ばかり教わっていたけど、もっと根本的なことから学んでいかなければならないのかもしれない――あくまで、魔法使いを目指すなら、の話だけど。
話がひと段落した所でああそうだ、とスピンさんは言葉を落とす。
「そろそろ研究室に行って『奴ら』に飯を与えてくれないか?」
「いいですけど――奴らって、何なんですか? 助手さんかなにか」
「助手というか、まぁペットみたいなものだ。さわり心地いいし見ていて飽きないし、温厚でかわいいぞ。餌は棚の上にあるから適当に皿に乗せてやって」
「わかりました」
私は本の仕分けを一旦止めると隣の部屋に向かう。そこは理科の実験室並みでいろんな色の液体がフラスコの中で蠢いていた。ペットのようなもの、と聞いたはずなのに、そこにゲージらしきものはない。
ペットさんたち、一体どこにいるんだ? 放し飼いにでもされているのかな?
私は部屋の隅を確認しながらペットを探す。テーブルの下を覗きこむと、生温かいものが頬に触れた。しっとりとしたそれは私の顔をべろんと舐めた後、大きな口を開ける。目の前に見えたのは大きな喉仏と鋭い歯。目の前が真っ暗になった瞬間、私は頭をぱっくり持って行かれた。
「℃○★▼※%#&~!!」
私がパニック状態で体をじたばたしていると、今度は右腕を何かに噛まれた。あまりの痛さに私は腰を浮かせ、テーブルに思いっきり頭をぶつけてしまう。盛大な音が部屋中に響き渡った。
「なんだ? どうした?」
私が床で悶絶していると、音を聞きつけた誰かが部屋に飛び込んできた。この声はスピンさんだ。今、彼の目には得体のしれぬ生物に頭と腕をを食われた私の姿が写っていることだろう。
「ダックにクロム! どうした?」
頭の中でスピンさんの声が響く。でも私の名前はダックでもクロムでもない。どうやら彼が心配しているのは私ではなく――私を食べている怪物の方だ。
「怪我はないか? ああ、頭が腫れているじゃないか一体誰がこんなこと――おや?」
そこでスピンさんはようやく私の存在に気づいたらしい。彼が引き剥がしてくれたお陰で私はようやく自分のハンカチで涎まみれの顔や腕を拭くことができた。
「なんなんですかこれは……」
「見てのとおり、グリーンドラゴンのダックとクロムだ」
「また……ドラゴン」
私の頭がくらりと揺れる。ここ最近やたら私に絡んできますが、一体何なんだろう。ドラゴンの相でも出ている? 私がかじられた頭を抱えていると、更に彼の口から信じられない言葉を聞いた。おまえら、彼女を餌と間違えたんだろう?と。スピンさんの言葉にひざ丈ほどのドラゴン達はぎゃあぎゃあと声を上げる。それは親鳥に餌をたかる雛のようでもあった。
「そうかそうか。お前らは動物だけじゃなく、人の肉も食べたくなったのか。いっちょまえに成長したなぁ。ついこの間まで手乗りサイズだったのに。おとーさんは嬉しいけど、手がかからなくなるのは寂しいなあ」
スピンさんがしみじみと呟くとドラゴンたちが彼に飛びつく。さすが飼い主、腕を噛まれようが頭をかじられようが平気らしい。ええと、ペットの成長を喜ぶのはいいのですが、私の方は心配も何もなしですか? 私が貴方のペット以下だとしたら、さっきの励ましは何だったのでしょう?
私はこの時になって初めてクレアさんが言った「ちょっと変わっている」ってのを理解したのである。
(使ったお題:78.出会いに感謝)
2013
肩に私の苦手なドラゴンを乗せた魔法使い。彼女はプミラと名乗った。ももちゃんがクレアさんの所へ行ってしまうと、時刻はちょうどお昼になる。彼女にお昼一緒にどう? と誘われたけど、お昼を持ち合わせていなかった私は丁重に断る――つもりだった。腹の虫が盛大に鳴るまでは。そういえば今朝は何も食べていなかった。
恥ずかしくて頬をを赤くした私に彼女は嬉しそうに地面を跳ねた。つま先を立ててくるりと一回転する。
「じゃ、今日はプミラちゃんの特製パイを作りまーす。材料はこの木の上に成っている果物。じゃいっくよー」
それっ、と掛け声を上げ彼女は杖を回した。豪快な動きに肩に乗っていたドラゴンが翼を広げて離れる。杖から放った淡い光は果物に直撃したけど、林檎にも似た果物は原型を残したまま地面へ落下した。
「ありゃ、今日は失敗かぁ」
彼女の声に答えるかのように白いドラゴンが上下に体を揺らす。それは残念でしたね、とでも言いたげな動きだ。
「隕石の影響なのか最近魔法の調子がおかしくて。成功率も0か100かの両極端なんだ。パイはできなかったけど、どうぞ」
私はありがたく果物を受け取った。地面に落ちた時の傷はあるが、とても熟れていていい香りがする。一度手でこすったあとかぶりつくとすっきりとした甘みが広がる。果物を美味しそうに食べる私を見て、彼女が笑った。
「よかった。偉大なる魔道士のお弟子さんが普通の人で」
「そう?」
「そうよ。あなたがここに来るって聞いた時、城の魔法使いたちが色々言ってたんだから。異世界からわざわざ呼ぶなんて物凄く優秀なんだろうって」
「でも実際は自分より出来損ないで、安心したとか?」
「まぁね」
プミラさんが舌を出して笑う。その正直さの中に毒はない。この果物にも似た清々しさに私の口元が思わず緩んだ。話相手が欲しかったのか、彼女は自分の身の上をとつとつと話してくれる。
「私の生まれた村はね。もともと魔法使いがいなかったの。こういった都市部にはいろんな分野において専門の魔法使いがいるけど、ウチみたいな辺境の魔法使いは何でも屋みたいな存在で、誰もやりたがらないんだ。私も最初はそうだった。こんな田舎早く出て、都会で暮らそうと思ってたんだ。
でもね、師匠に会って、その考えが変わった。私の師匠は山の麓に住んでいたんだけど、毎日山を超えて村まで来てくれたし、沢山の人を助けてくれた。私の父もそう。師匠がいなかったら父は今も生きていなかったと思う。
師匠は無愛想だけど、他の誰よりも私の村を愛していたし、住む人たちを愛していた。自分の事はいつも二の次で、それでも師匠は嬉しそうで。尊敬もしたし、天職ってこういうのを言うんだなって思った。そんな師匠の姿を見てたら私も魔法使いになりたいって思うようになったんだ。私も誰かに感謝される人になりたいって。だから一三の誕生日に師匠に押し掛けて弟子にしてもらったんだ。
私ね。魔法使いになったら村に残って師匠みたく沢山の人を助けたい。で、ゆくゆくは魔法学校を開こうと思うの。それぞれの専門に携わる魔法使いを育てて、田舎に住む魔法使いの負担を少しでも軽くしてあげたいって思うの」
変かな? と聞いてくるプミラさんに私は首を横に振った。
「とっても立派な夢だと思う。すごい」
「そう言ってもらえると嬉しいな。私の師匠はシフ先生ほど強い力を持った魔道士ではないけど、私にとっては最高の師匠よ」
そう言って笑うプミラさんはとてもまぶしい。話をきくだけでお師匠さんの人の良さが伝わってくる。いいなぁ。私もそんな素敵な師匠を持ちたかったなぁ。
「で、貴方はなんで魔法使いになろうと思ったわけ?」
「えーっと」
私はヤツとの慣れ染めを思い出の箱から引き出す。思えばヤツと出逢ったのは会社の前の公園だった。ヤツは私に魔法使いの素質があるとかなんとか言ってたけど――私が最終的に弟子になると選んだのはやっぱりアレ、なのかなぁ。
「私も恩返し……かな?」
そう、私は車にひかれそうになった所をヤツに助けてもらった。ヤツは感謝の気持ちがあるなら、自分の弟子になってくれと私に言った。私も助けてもらいながら何もしないのは自分の中にある礼儀に反するし気分が悪くて――だから私はヤツの申し出を受け入れたのだ。
「そっか。貴方もシフ先生に助けてもらったことがあるんだ。でも不思議よね。弟子になってから三か月たつのに、貴方が先生から教わった魔法が数えるほどしかないなんて。シフ先生の教えは親切で分かりやすいって聞いたんだけどな――それとも魔法は師匠の技を盗んで覚えるって主義の人なのかしら?」
「どうだろうねぇ」
私は乾いた笑いを上げる。単純にヤツは魔法を教えるのが面倒なだけじゃないかと思うのだが。
そりゃ私だってやる気はあった。魔法をなかなか教えてくれない時はヤツに何度も訴えたし、見よう見まねでやってみた事もある。でもあいつは呪文を唱えなくても魔法を使えるし、言ったとしても小言で聞きとりづらい。一度杖をすり替えたこともあったけど、ヤツは私の杖でも簡単に魔法を使っていて、あとで道具のせいにするなと怒られた。ヤツは師匠のくせに弟子を育てようという気がないし育てるための隙すら与えてくれないのだ。それどころかヤツは私の家に転がり込んで勝手にテレビを見るわ菓子を食べるわ部屋を汚すわ……頭の痛い事ばかりしてくれて。
まぁ、私がここでヤツの怠けぶりをここで喋ったとしても、ヤツ至上主義であるこの世界の人は信じてくれないだろう。それどころか私の悪口が増えるに違いない。シフさまがそんなことするわけないって。
それに、私はもともと魔法使いになろうとは思っていなかった。私の世界ではあくまで架空の人物。子供の頃はももちゃんのように憧れる人が多いけれど、それは一過性のものだ。まれに魔法を研究する人はいても、魔法使いそのものになった人はいない。せいぜい科学者や技術者止まりだ。
私はそういった職業に就くことすら考えていなかった。学生の頃は平均の少し上をいく成績でひととおりの事はそつなくこなせたけど、特にこれだという特技もなかった。今就いている仕事はこだわりがあって選んだものじゃない。そこそこのお金が稼げて、自分の好きなものを買えれば仕事は何でもよかった。それだけだ。
でもここでは魔法使いも立派な職業にあたる。ヤツのような(立派? な)魔法使いを本気で目指している人もいる。それぞれにこだわりがあるから、私の世界の話をしたらまず信じられないという反応が返ってくるだろう。
なので私は彼女の立派な夢にすごいね、としか言えなかったのだ。それは自分だけ置いてけぼりにされたようで――何だか虚しかった。
私は一つのことに対し、本気で挑んだ事があっただろうか。今までで夢中になる「何か」はあったのだろうか。考えれば考えるほどカオスに落ちて行く。いい年をした大人が何をやってんだか……我ながらちょっと情けない。
せめてこの世界で何か役に立つことが出来れば少しは変われるのかもしれない。けど――
その日の夜、私はヤツの家を訪れたクレアさんにひとつお願いをした。
「……私の手伝いがしたい?」
「はい。この世界に来てから私は何もしてないというか――逆に迷惑かけてるんじゃないかって。でも、今の状況で元の世界に帰ることはできないし。居る間だけでもお世話になってる人のお役に立てたらいいな、って」
「それで私の手伝いなのね」
「駄目ですか?」
「別に駄目じゃないけど……私のお手伝いはももちゃんがしてくれるし。それに――」
クレアさんはちらり横を見た。そこにはソファーがあって、ヤツがいびきを立てて寝ている。ドラゴンの保護で連日走り回っているせいか、ヤツは家に着いたとたん息絶えた(という表現が正しいかと思う)。
「弟子なんだ から大おじさまのお世話をするってのでいいんじゃないの?」
「いや、ジジィ――いえ、師匠の世話は向こうでやってますので、出来れば違うお仕事が」
「そう? そうねぇ……」
クレアさんは頬に手を当てながら考える。もう一度私を見たあとで、そうだ、と手を合わせた。
「『あの人』の所だったらお仕事たくさんあるかも」
「『あの人』?」
「城の書庫に籠っている学者さん。ちょっと変わってるけど、もしかしたら貴方と気が合うかも。明日、お城に行って聞いてみましょう」
そう言ってクレアさんは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
(使ったお題:57.0か100か)
2013
この日、私は上から待機を命じられていた。待機とは何もしないこと。つまりは役立たずってことだな。
私は芝生の絨毯から起き上がると、ひとつ背伸びをする。忙しそうに動く魔法使いたちを遠目に見ながらはぁ、とため息をつく。何時もだったらここでほけほけ顔でやってくるジジィがいるのだが、生憎今日はいない。ヤツは偉大な魔道士故に前線での活躍を余儀なくされたのである。重大な任務を負わされヤツは不服そうだったけど、私としてはヤツと離れることができてラッキーだった。
とはいえ、やることがないとすごく退屈。これからどうしよう。
その時、何かの気配を感じた。私はくるりと振り返る。目が合った瞬間私はげ、と言葉を漏らした。真っ白な生き物が私めがけて突進してくるではないか。そいつは小さくて色も白い。けど鋭い牙と爪、とかげにも似た風貌は前に見たのと一緒だ。私は血の気が引く。ドラゴンなんて、見たくもなかったのに! 何でこんな所にいるのーっ!
小さなドラゴンはすばしっこい動きで私の周りをくるくる回る。そして私の体をいっきに登ると鼻にがぶり噛みついた。
「ったたたた、いたいーーーっ!」
「わーごめんなさいっ」
私がじたばたあがいていると、追いかけてきた魔女らしき人が幼獣をべりっと引きはがした。
「ごめんなさい、この子ちょっと目を離すとすぐ脱走して――大丈夫? ああ、歯形がべったり……ってあれ?」
魔女が私の顔をまじまじと見つめる。貴方シフ先生の弟子よね? そう問われた。私は赤くなった鼻をさすりながら一応そうだけど、と無愛想な態度を取る。
「その、服従の魔法はマスターした?」
「もうその話はしないで……」
私はがっくりと肩を落とし地面に「の」の字を描いた。もうあの事を思い出すだけでも凹むわ恥ずかしいわでどっかに隠れていたい気分なのだ。
あの日、私が初めて行った服従の魔法はドラゴンに届くことなく床に撃沈。その瞬間、私に注目をしていた魔法使いたちからはえ? と間抜けな声が漏れた。壇上にいた議長が鼻で笑ったのは今でも覚えている。そして痺れを切らしたドラゴンは私に炎を向けた。バランスを崩して壇上から落ちなかったら私は丸焼きにされていたに違いない。一階からは嘲笑され、二階席からはなんであんなのを弟子にしたのだというブーイングがヤツに集中した。でもヤツはちっと舌打ちしただけで、あとは優雅に茶を飲んでいたらしい。
あのあと、ヤツが私を言及することはなかった。お仕置きだ何だって言われるんじゃないかって思ったのに。ヤツは一言、ご苦労だったと言うだけだった。
とにもかくも、あの一瞬がこの世界における私の立場を決めた。私は魔法使いたちの中でも一番最低のランクを授かったのである。あとはごらんのとおり。きっと奴らは私がいずれ破門になると思っているに違いない。
かくして国中の魔法使いを召集した会議は終わった。酷い目に遭い、疲労困憊でクレアさんの家に戻ると、ももちゃんが突然私に抱きついてきた。
「おかあさんは?おかあさん、いつになったらももをむかえにきてくれるの?」
このあとももちゃんはおうちに帰りたいと声を上げて泣いてしまった。好奇心旺盛でもまだ三歳。お母さんが恋しいのは当然のことだ。
私はヤツにももちゃんだけ元の世界に返してもらえないかと頼もうとしたけど、それはクレアさんによって止められた。隕石が近づいている今、ヤツの魔力も半減しているらしい。本当の所、私達をここに連れてきた時点でかなりいっぱいいっぱいだったと言うのだ。この環境で時空を超える魔法を使ったらももちゃんが何処に飛ばされるか分からない、そっちの方が危険だ。とクレアさんは言った。
結局、ももちゃんは元の世界に戻れないままだ。でもこのままだと何だか可哀想なので、応急処置としてクレアさんが母親だという暗示をかけてもらった。それは名案ではあったけど、正直ももちゃんがクレアさんをお母さんと呼んでいるのを見てると複雑な気分になる。何だか従妹にも申し訳ないし、ももちゃんをこっちの世界に盗られてしまった気がして――
魔法使いたちから総スカンを食らっている今、私はこの世界で孤独を感じていた。
「どーせあんたも、私の事馬鹿にしてるんでしょ?」
私は通りすがりの魔女に毒を吐いた。くさくさした気持ちで庭木の葉を引きちぎる。
「偉大なる魔道士がわざわざ異世界から連れてきた弟子が出来そこないで。術も数えるほどしか覚えてなくて落ちこぼれで。恥をかいて良い気味だと思ってるんじゃないの? 言っとくけど、私は破門されるつもりはない。その前にこっちから師弟契約を解除して慰謝料ふんだくってやるんだから!」
「別に、そこまで思ってはいないけど……」
ちょろちょろと動き回る幼獣を抱えながら魔女は言う。
「私はむしろ異世界からひとりでここに来るなんて、相当勇気がいったんじゃないかって思ってる。知りあいのいない所なんて――旅ならともかく、こういう時って行っても寂しいじゃない?」
それは今の私の心に一番響く言葉だった。魔女は言葉を続ける。
「私ね、今回のことで師匠と一緒に登城する予定だったんだけど、師匠が怪我しちゃって、私ひとりここに来ることになって、すごい不安だったんだ。住んでる所は山奥の集落だし、近くの村や町に知り合いの魔法使いもいないし――だから私、親とはぐれたこの子を連れてここまで来ちゃった」
そう言って彼女はドラゴンの顎を人差し指でくすぐる。ドラゴンは気持良さそうに目を細めた。私は魔女の彼女に自分の姿を少しだけ重ねる。何か言葉をかけなきゃ、そう思った時だ。
「あーっ、ホワイトドラゴンのあかちゃん!」
ふいに子供の声が耳を突き抜ける。声のあった方を見やればそこにももちゃんが立っていた。私はももちゃん、と声をかける。
「今日はクレ――おかあさんとおしろにきたの?」
「そう! もも、おかあさんのおてつだいにきたのー。まじょのおねえさん、ドラゴンにさわってもいーい?」
「うーん、触っても構わないけど、この子逃げちゃうかも。警戒心も強いから、触るなら魔法をかける必要が」
「ももしってるよー。うちにあるごほんにかいてあった。それってふくじゅうのじゅもんでしょ」
そう言ってももちゃんは魔法の呪文をひとつ唱える。それは前にジジィがおしえた破壊魔法ではなく、この間私が唱えた服従魔法だ。え? それ何処で覚えたの? まさかヤツがまた教えたってこと?
私の疑問をよそに、魔法は効力を発揮した。それまで私に牙を剥いていた幼獣が魔女の手を離れ、ももちゃんに近づく。あっという間に肩に乗ると、その柔らかい頬に自分の体をすりよせたではないか。なんてこった。あまりのショックに私は頭を抱えてしまった。
ああ、私の魔力はももちゃん以下なのですか。それこそままごとレベルとか? じゃあ、私が今までやってきた修行はなんだったの? 本当、出来ることなら元の世界に帰りたいぜ畜生。
私が口をぱくぱくとさせていると、隣りにいた魔女が私の肩をぽんと叩いた。
「まぁ生きていれば色んな事があるって。気にしない気にしない」
そんなことを言われたら余計気になるって。私は頭を抱える。カオスと化した私の脳内は負の感情で今にも溢れそうだった。
(使ったお題:15.なんてこった)
2013
私が王宮にあがるのはこれで二度目のことだ。一度目は祭りの日で、裏口からカレーを届けただけですぐ帰ってしまった。なので正面から入るのはこれが初めてである。
王宮の中はどこかのイベントさながらの混雑ぶりだった。ここで私はこの世で一番異様な風景を目にする。
何が異様かって。ヤツの存在そのものだ。絨毯の敷かれた道をヤツが歩くたびに人はよけるわ、恭しくお辞儀されるわ。とにかく凄いのだ。ある場所からは黄色い悲鳴が上がり、握手やサインまで求められている。何ですか。ここは海外のレッドカーペットか何かですか?
私から見たらただのジジィで詐欺師しか見えないのだが、どうやらこの世界では英雄さながらの扱いらしい。私には信じられないことだ。
「ワシは二階の席、おまえはあっちじゃ。もし困ったこととか、分からないことがあったらこの本を開け。おまえの知りたいことに全て答えてくれるだろう」
そう言ってヤツは一冊の本を私に差し出し、自分の席へと歩いて行った。私は肩をなでおろす。とりあえず好奇の目から逃れることができる――と思ったけど、この派手な衣装のおかげで余計注目を浴びました。はい。
私は一度外したローブを再びまとい、赤い服を隠す。会場の隅っこでしばらく大人しくしていると、どよめきが走った。
ホールの二階部分に設置された玉座から赤いマントをはおった男性が現れた。ブラウンの髪と瞳を持つその人はクレアさんと同じくらいの年だろうか。とても凛々しい姿だ。
王冠をかぶっているのを見る限り、どうやらあの人がこの世界を治めている王――らしい。遠くからだけど、私もこの国の王を見るのは初めてのことだった。
一階に設けられた壇上に議長らしき人が上がる。この国で最大規模の会議が始まった。静寂の中で最初に王が現状を語る。
「事前に聞いたものもいるだろうが――今、この国始まって以来の危機が訪れようとしている。今年が百年に一度の流星年というのは皆も知っていることだろう。
本来なら隕石が衝突する何か月も前から保護魔法をかけ、その時に備えているわけだが、今回は厄介なことが起きた。
先日ブラックドラゴンが予定よりも早く孵化したとの情報が入ったのだ」
王の言葉に、周りがざわめく。そんな、もっと後に生まれるんじゃなかったのか、という声があちこちから飛んだ。私は流星年やブラックドラゴンが何なのかを知らない。なので、私は早速ヤツから貰った本を開くことにした。
私が全てを読み解くと、会議は本題へ入る直前だった。壇上では眼鏡の議長が進行を進めている。
「――ということで、これからのことについて話し合うわけですが、その前に私個人として尋ねたいことがひとつあります。
皆さんも知ってるかと思いますが、先ほど私はこの会議場にシフ殿の弟子がいらっしゃるという情報を受けました。噂によると、弟子の方は異世界の方だとか。
シフ殿はこの国でも指折りの魔道士であり、新たな魔術の道を切り開いた――云わば先駆者です。我々の誇りでもあります。ですが、シフ殿はこれまで弟子を持たないと明言されておりました。
ですが今回シフ殿は弟子を連れてここへやってきました。弟子の存在に皆浮足立っております。できればここで皆に紹介をしてもらえませんか?」
議長の台詞に待ってましたといわんばかりの表情を見せたのはヤツだ。ここにきて私は初めてヤツの名前がシフというのだと知る。
「おーおー、紹介してかまわないぞ」
ほれ、と言ってヤツは自分の杖を椅子の手すりにこつんとぶつけた。瞬間、私の体がふわふわっと浮く。超特急で壇上に上げられた。
「おお、貴方がシフ殿の弟子ですか。思ったよりもお若い」
いきなり壇上に上げられた私は体を強張らせた。本を抱えたままごくりと唾をのみこむ。
「本来なら自己紹介してもらいたいのですが生憎今回は時間がありません。なので、異世界の方にこの案件について意見を聞きたいと思います。よろしいでしょうか?」
「は……ぁ」
「まず――貴方は流星年の意味を知っていらっしゃいますか?」
「ええと、役を終えた隕石がこの惑星に流れ落ちる年――ですよね?」
私は先ほど目を通した本の内容を思い出す。
この惑星は地球に似ていて、惑星の周りにはデブリと呼ばれる隕石が周回している。隕石の大きさは国ひとつぶんとされていて、一定の周数をまわると軌道から外れ、それがこの世界にどかんと衝突するのだ。それが百年に一度のこと。隕石が落ちる時はその磁波により、一時的に魔法の力が弱まるとされている。
なのでこの世界の魔法使いたちは流星年が来ると、この惑星を守るためのシールドを作り始める。魔法に魔法を重ねてできたシールドはかなりの強度があり、隕石からこの国を守ってくれるのだ。
本を開いた時、私はその様子をホログラムで見ることができた。隕石がシールドにぶつかり色をつけて砕け散る姿はまるで花火のようだった。
私は本から流れてきた文字をそっくりそのまま答えると、議長がブラックドラゴンについては? と続けて聞いてきた。
ブラックドラゴンは名前のまま、黒い竜のことだ。彼らは渡り鳥のような性質を持っていて、年中温かい土地を求めて移動を続けている。
一番の特徴はブラックドラゴンの翼が如何なる魔法をも中和してしまうことだ。彼と鉢合わせた時は機嫌を損ねないよう、細心の注意が必要となる。怒らせたら口から吐く炎で丸焼きの刑が待っている。
そしてブラックドラゴンは十七年に一度繁殖期を迎え孵化する。この世界の歴史を紐解くと、予定では流星年の一年後に繁殖期を迎えるはずだったらしい。
流星年とドラゴンの繁殖期が重なるとなると、魔法使いたちが慌てるのも無理はない。飛行中のブラックドラゴンにせっかく作ったシールドを壊されてしまうからだ。
私がそこまで言うと、議長がすばらしい、と声を上げる。それは賞賛とも皮肉とも呼べる口調だった。でも私は自分が恥をかかなかったことにホッとしていて、そこまで気を回す余裕はなかった。
「こちらの世界を良く勉強していらっしゃる」
今述べたことはまんま、この本に書いてあったことですから。とはいえ、堂々とカンニングですと言う勇気など私にはない。議長の質問は更に続いた。
「では、今回の危機はどう切り抜ければよいと考えますか?」
「ええと……この場合ブラックドラゴンを捕獲し流星が全て落ちるまで保護する、あるいはドラゴンの飛行高度がシールドにぶつからないよう私達が誘導する必要があるかと――思います」
「具体的には?」
「シールド班とドラゴン班の二つに分けます。前者は今まで通りシールドを補強する作業を手伝い、後者は更に地域ごとに振り分け、ドラゴンの捜索と保護誘導を行います。また、平民たちの避難を誘導する者も何人かいた方がより良いのではないかと思います」
これに関して私は本の力を借りなかった。すらすらと述べたせいか、周りから感嘆の声が上がる。そりゃそうでしょう。私は人材派遣会社で働いていて、人を適材適所へ送り込むのが主な仕事。こういった振り分けは私の本職だ。
ちょっとだけ私が得意げでいると、しばらく口を閉ざしていた議長がこんなことを言い出した。
「いんやぁ、素晴らしい。さすがシフ殿が見こんだだけのことはある」
「いや、そんなこと」
「ではそれを実際にやって見せていただけませんか?」
「は?」
「そちらの世界でいう、デモンストレーション、というやつです。我々は貴方の魔力がどの程度なのか知りたい。いや知る権利がある」
そう言って議長は小さな声で何かを呟いた。次の瞬間振動が舞台を走り、私の前に大きな影が差す。振り返ると、私の倍以上の大きさの獣が口を大きく開けていた。鋭い目と爪に、爬虫類のようないでたちはいかにも「ドラゴン」さまさまだ。
「こちらはブラックドラゴンとは異なりますが、性質はそれに近く私以外の者に懐くことはありません。このドラゴンを貴方の力で服従させてください」
ええーっ、そんなの聞いてないんですけど。
「どうしました? ドラゴンを服従させるのに自信がありませんか?」
私のうろたえぶりをみて、議長は嬉しそうに笑っている。うわ、この人タチ悪い。もしかして、私が失敗するのを期待してるんじゃないか? もう嫌だ、どうにかしてよーと私はヤツのいる二階席を見るけど、ヤツは王の隣りでのんびり茶などすすってる。おぉい!
周りに知ってる人はもちろんいない。ヤツは当然頼りにならない。私は胸に抱えた本をぎゅっと握りしめた。そう、困った時は本を開くしかない。私は藁にすがる思いで次のページをめくるけど――
「……は?」
流れてきた文字に私は目が点になる。だって、そこには【やれ】としか書いてないんだもの。そして添えられたホログラムにはアッカンベーをしているヤツの顔があった。
【これも修行のひとつ。服従の呪文は「――」じゃ。気張ってくれぇな】
うーわー、これって一番最悪な「投げっぱ」じゃないか。私は慌てた。ぐるりと回りを見渡すが、誰もが私に嫉妬の眼差しで助け船を出そうって人は誰もいない。これって完全な四面楚歌ってやつ? もしかしなくても私ってば、この世界の魔法使いたちの嫌われ者なわけ?
その間にもドラゴンは私にじりじりと近づき、青い炎を吐き散らす。舞台の端に追い込まれた私はここで覚悟を決めるしかない。
ええい、ままよ!
私は肩幅に足を広げるとひとつ深呼吸した。本を持つ手を左に持ち変え、反対の手でローブに隠しておいた杖を抜く。ぎゅっと握りしめると目の前にいる青いドラゴンを睨みつけた。
どうか上手くいきますように、と願をかけ本に書かれた呪文を唱えた。「気」を杖に集中させる。すると杖の先端に青白い光の玉が宿る。青白い光はバチバチと音を立てるとドラゴンに向かって一直線に走り出した。
(使ったお題:20.ふわふわっ)
2013
でも前は農家の馬小屋で着地早々馬に蹴り飛ばされるし、その前は城の厨房でぐつぐつ煮立つ鍋の中へ危うく放りこまれる所だった。さて今回は何処にとばされることやら。格好が格好だしできることなら人目につかない所がいいのだけど――
時空の波に漂いながら私は頭を巡らせる。すると突然、波が急直下した。これは異世界に到着した合図だ。引力に誘われるがまま私は地面に落下する。
私が着地したのは全身白で覆われた世界だった。触ってみるとそれは思った以上に柔らかくて心地よい――というかこれ、シーツじゃないか?ここは一体何処?
私はシーツの海をかき分け、空いた隙間に顔を突っ込む。すると青い空が私を迎えてくれた。水の匂いが鼻をくすぐる。聞こえてくるのは川のせせらぎ。詳しい情報が欲しくて私は空の向こうへ身を乗り出す。が、バランスを崩し上半身をひねるように転んでしまった。
「いたたたた」
私は打った顔面をさすりながら起き上がる。あたりに散らかるのは沢山のシーツとそれが入っていたであろう籠。私は近くで洗濯をしている女性と目があった。女性は口をぽっかりと開けたまま動かない。一糸まとわない私に視線が釘付けだ。
「えー……っと」
私はこの気まずさをどうにかしたくてとりあえずこんにちは、と挨拶をしてみる。けどやっぱりと言うか何と言うか。相手の方はぎゃああ、と素敵な悲鳴を上げて、尻もちまでついてくれた。
「な、な、な、なんなのっ」
ああ、その気持ち良く分かります。数分前の私もそうでしたから。私は心の中で突っ込みを入れるものの、この展開を打破する術が見つからない。ええと、どこから説明すればいいんだ?
私が川岸で途方に暮れていると、あさっての方向からおおここにいたのか、と声がする。そちらを見やればヤツがのほほんとした顔でやって来たではないか。私は慌てて、手元のシーツを体に巻き布の山から脱出した。
「すまぬのう。気がついたらいつもの調子でお前を放り出してしもうたわい」
そう言ってヤツはてへぺろ、と可愛らしくポーズを取る。いい年をしたジジィが何やってんだか――と私は呆れるがすぐにはっとする。
「ちょ、そこのジジぃ、今の言葉は何? あんた『いつもの調子で』と言ったよね?」
もしかして、もしかしなくても着地点を意図的に選んでいたということだよね? 着地点は時空の波で決まるってのは嘘だったの? なんじゃそれはーっ!
私はヤツの胸ぐらを掴んでどういうことよ、と詰め寄る。ヤツは暴力反対と言うけれど、そんなの鼻で吹き飛ばしてやった。洗濯をしていた女性は私の暴挙にオロオロしている。
これまで色んな仕打ちを受けてきたけど、どうにか堪えていたわよ。でも今回のは最初からタチが悪すぎる。決めたらここが吉日。今ここで爆発しなくてどうする。
「さあ、お仕置きしたいならしなさいよ! 受けて立つわ」
私は今度こそ失敗しないよう、防御の呪文を唱える。多少の痺れは気合いでどうにかしてやる!
私がそう息まいて時を待っていると、あらあらにぎやかねぇ、とのんびりした声が加わった。ヤツが現れたのと同じ方向から別の女性がやってきたのだ。
その人は人間の年でいうなら五十歳前後、優しげな笑顔を持つおばさんだった。私は彼女に一度会ったことがある。名前は確か――クレアさんだっけ。彼女はヤツの遠い親戚で、城の厨房で働いている。そして週に一度ヤツの家を訪れ掃除や食事の世話をしているらしい。
「お弟子さん、お久しぶり。元気にしてた?」
彼女の挨拶に私ははい、まぁ、と思わず返事をしてしまう。クレアさんがここにいるということは――ここはヤツの家なのか、と思ったけど洗濯をしていた人に見覚えがないから違うのだろう。ではここは一体どこなんだ?
クレアさんはヤツを私からひきはがすと、今はここでケンカをしている場合じゃないですよ、と静かにたしなめた。
「もう少しで会議が始まるから早く支度済ませないと」
「おお、そうじゃった。で、『アレ』は用意できてるかの?」
「もちろん。大おじさまの注文通りに仕立ててもらいましたよ」
「そうかそうか」
そう、ヤツは満足げに微笑んだ。私はくすぶった気持ちを抱えながらも、ヤツが何を企んでいるのかが気になって仕方ない。
「とにもかくも。お弟子さんを捜してたのよ。早く着替えなきゃね」
さあこっちよ、そう言ってクレアさんは私を自分の家へ連れて行った。どうやら今回の着地地点はクレアさんの家の近くだったらしい。家の中にはももちゃんがいて、私と同じように白い布をまとっていた。私の姿をみるなり、おねーちゃんおそーいと駄目出しする。その素直ですぎる言葉に私が苦笑を浮かべると、一旦奥の部屋に入ったクレアさんが服を持って戻ってきた。
「会議とはいえ、今回は王も同席するから正装で行きましょうね」
そう言ってクレアさんが服を広げ私に見せた。魔法使いの服装というとヤツが普段着ている長いローブしか思いつかないけど、私が今回着るのはウエストの部分が帯で締まったワンピースだった。袖はシースルーになっている。それを着て最後に三角帽子と黒いローブをまとうと私は「如何にも」な魔法使いに変身した。私の髪を乾かし、結ってくれたのはあの時洗濯をしていた女性だ。彼女はクレアさんの娘なのだという。
「良く似合っているわ。とっても素敵」
そう言われ、私は頬を赤く染めた。褒められるのは嫌じゃない。嬉しいくらいだ。でも私は素直に喜ぶことはできなかった。確かにヤツが見立てた服は私が修行の時に使うのよりも軽いし、布も上質で肌触りも格別だ。けど色が赤だし、何だか派手じゃないか?
「あの、やっぱりコレ着て城に行かなきゃならないんでしょうか?」
不安になった私はクレアさんに聞いてみる。お祝いとか祭りならともかく、緊急事態とか言ってなかったっけ?
「あの、こっちの世界が大変なことになっているってきいたんですけど」
「そう。この国の大ピンチ。存亡をかけた一大事なの。でもこの国で名高い魔法使いである大おじさまの弟子のお披露目でもあるから、ここは派手にいかないと」
クレアさんはまるでこの状況を楽しんでいるかのように笑っている。ヤツよりは遥かにいい人なのだけど、そんなにも楽天的なのはヤツの一族の遺伝子のせいなのだろうか。それに、言ってる事の意味がよくわからないのだけど。
私はこれから城で起こる「お披露目」に一抹の不安を抱く。その横では私と色違いの服に着替えたももちゃんがきゃっきゃとはしゃいでいた。
「わたしはまほうつかいもも。こまったことがあったらなんでもわたしにおまかせよっ」
そう言ってマントをひらひらとさせ、飛ぶ真似をする。すっかりこの世界が気に入ったようだ。
ももちゃんの無邪気さにクレアさんが目を細める。
「大おじさまとお弟子さんが城に居る間は、私と娘がももちゃんのお世話をしますので安心してください」
「それじゃあ行くかのぉ」
ヤツに呼ばれ、私は重い腰を上げる。かくして私は赤いドレスをまとったまま、名ばかりの師匠であるヤツと城に登城することになったのである。
(使ったお題:02.視線が釘付け)