2013
更に翌日、ニシは学校を休んだから教室の中は騒ぎの渦となる。
「ニシくん、どうしたのかしら?」
「さっき先生が病欠だって言ってたけど――風邪かな? 明日からの文化祭、大丈夫なのか?」
「斉藤、ニシから何か聞いてないの?」
クラスの一人が斉藤くんに話を振る。でも斉藤くんは知らねえ、と突っぱねた。
「そもそも風邪引いたかどうかも怪しいし。つうか、AKNも37に戻した方がいいんじゃね?」
斉藤くんの落とした爆弾にクラスが騒然とした。どういうことだよ、とクラスの一人が聞いてくる。ニシと何かあったのか、と。
その質問に斉藤くんは不機嫌そうな声で答えた。
「ヤツにとって俺らはゴミみたいな存在だってこと。どうせ俺らのやってる事も心の中で馬鹿にしてるんだろ」
「何だよそれ」
「詳しいことはヒガシに聞けば? なんたってヤツの『親友』らしいですからねぇ」
その皮肉めいた台詞に背を向けていた私は肩を震わせた。
振り返らなくても斉藤くんが怒っているのが伝わってくる。そしてクラス全員の視線が私に集中していることも。
嵐はその後すぐに訪れた。
「ニシは来るのか?」
「親友ってどういうこと?」
「ゴミってなんだよ?」
それは答えたくない質問のオンパレード。だけどみんな真剣な顔で聞いてくる。二重にも三重にも重なったヒガシ、の声に私の顔は完全に引きつっていた。だから教科の先生がすぐ現れたときはどんなにありがたかったことか。
朝の騒動のせいで休み時間は常に教室から離れる羽目になった私は、昼休みも外で食べざるを得なくなった。普段から外で食べるのは嫌と言う久実も今日だけは呆れた顔で付き合ってくれた。
午後の授業は文化祭の準備に当てられる。その間も看板の数字を8のままにするか7にするかでひと悶着あったけど、当日の状況で決めるという委員長の判断で一先ずおさまった。
舞台の準備が整うとすぐにダンスの練習だ。ニシの役は割と重要だったので急遽代役を立てることになった。でも代役に選ばれた人はニシの立ち位置を覚えるのにせいいっぱいで、細かい動きまではついていけてない。更にラストの曲で予定していた大技がなかなか決まらず、クラスの士気は下がる一方だ。
ミスが別のミスを呼び、通しは何度も行われる。夜八時まで結局納得のいく所までは行きつかなかった。
疲労困憊のまま解散を告げられる。それでも斉藤くんのグループは他の場所で練習を続けるらしい。私は後ろ髪を引かれる思いで教室を後にすることになった。
「これはどうみたってまずい……よね?」
鮮やかに飾り付けをされた廊下で私はぽつりつぶやく。他のクラスはほとんど準備を終えたせいか、教室の電気は消えていた。久実は風船でできた犬をつつきながらそうだね、と答えた。
「朝からずっと空気淀みっぱなしだったもんねー。ほんっと、ナノちゃんは馬鹿なことしたよねぇ」
現状と個人的な感想を久実はさらりと言う。非常に冷静で淡々と述べるから怒ってるんだか呆れてるんだかも分からない。だから私は言い訳すら言えずうう、と唸るばかりだ。
私の「ともだち100にん作戦」は見事失敗した。頼みの綱だった斉藤くんは私への不信感を募らせている。ニシは私を親友だと言い切ったばかりか、特上の勘違いまでしてくれた。
一番まずいのは斉藤くんや他のクラスメイトをクズ扱いにしたことだ。あれはまずい。それこそニシの言う人権問題ではないか。
これでは明日ニシが来てもみんなとの溝が埋まるとは思えない。せっかくの文化祭がギスギスしたものになってしまう。
私は携帯を出すと画面をちらりと見た。昼休み、勇気を振り絞ってニシにかけてみた。けどすぐ留守電になってしまい繋がらなかった。伝言を残したから返って来るかなと思ったと思ったのに未だメールの一つもきやしない。
「何かあったらすぐ駆けつけるっていったくせに」
私は久実に聞こえない声でこっそり呟く。でもそれは傲慢だと思った。ニシを知り合い以下と宣言した自分にそんなことを言う資格はない。つうか、そんなことしたら本当の馬鹿だ。
私が今にもしゃがみそうな思いでいると、何かを察した久実がぽつりと呟いた。
「明日――ニシは来るよ」
「え?」
「だって、ニシはナノちゃんのこと親友だって言ってるんでしょ? 親友が困る様なことはしないと思うよ。それに――」
そこで久実は一度言葉を切る。少しして、きっとけろっとした顔で現れるって、と続けた。
私たちは壁一面がチラシで埋め尽くされた階段を下っていく。最後の一段を降りると久実がくるりと踵を返した。
「じゃあ私は準備があるから」
「準備?」
「明日の文化祭に客を呼んでるから、色々と、ね」
じゃあね、と久実は手を振ると駅と反対の方向へ走って行ってしまった。一人取り残された私はのろのろと家路に向かうしかない。
歩きながら明日のことをあれこれ考えてはみるけど、どうすれば最善なのかが分からない。
あまりにも集中していたため、私は身の回りの変化に気づけずにいた。
一台の車が学校からずっとつけていたこと、それがとてつもなく高そうな車だってことに――
2013
それからというもの、斉藤くんはニシにべったりくっつくようになっていた。休み時間はもちろん、登校から下校から果てはトイレまでついていく始末。それは見るからなに滑稽な様子だった。
今日も斉藤くんはコバンザメのようについてくる。昼休みのチャイムが鳴り、こっそり教室を抜けだそうとしたニシを目ざとく見つけた。
「あれニシ? 教室で食べないのか?」
「今日は別の場所で食べようかと思う。だから――」
「そうか。だったら外で食べようじゃないか」
「え?」
「裏庭にいこう。今の季節は紅葉がきれいだぞ」
そう言って斉藤くんはニシの肩をかっさらって外へ連れ出していく。ニシの横顔が少し引きつっているのが確認できた。転校してまだ日も浅いせいか、ニシは斉藤くんの言葉を無下に断ることも出来ないようだ。彼に振り回されているニシの姿がちょっと前の自分と重なる。思った以上の成果に私の心は躍った。
これでニシもちょっとは私の気持ちを知ったことだろう。一方的に親友扱いされて、どんだけ迷惑だったかを身をもって知りやがれ!
教室の一角で私がにやにやしながらお弁当を食べているとナノちゃーん、と声をかけられた。顔を上げれば久実がジト目で私を見ている。
「私のいない所で何か面白い事してない?」
「え? 何の事?」
「とぼけないで。今のナノちゃん、あくどい顔してるもん」
斉藤に何吹きこんだの? と久実はピンポイントで突いてくる。その鋭さに私は思わず何で知ってるの、と問い返してしまった。
「やっぱり。何か企んでるんだねー」
久実に詰め寄られたので、私はここで種明かしをせざるを得なくなった。ニシから友情の押し売りをされてること、間違って友達にでもなったら命すら危ぶまれること、そして何よりヤツの勘違いにほとほと困っていることを簡潔に説明する。
事の詳細を聞いた久実はほお、と頷く。
「なるほどねぇ……それで斉藤に押しつけを」
「向こうに戻るのが無理なら他に友達つくって忘れてもらうのがいいかなって……」
「つまり長期戦ってことか。でもさナノちゃん、私はあの二人の相性がいいと思えないんだけど」
「そう?」
「斉藤って頼られるの大好きだからどんどんお節介してくるよ。面倒な位に。そのうちニシが助けを求めてくるんじゃない? どうするの?」
「アイツは知り合い以下なので放置する。私には関係ありませーん」
「ひっど。この間助けてくれたお礼も言ってないくせに。よくもそんなことできるね」
辛口の皮肉が私に飛ばされる。久実の言葉はごもっともで、ニシへの恩を忘れかけていた私はそっと口をつぐんだ。
そりゃ私だってお礼くらい言わなきゃいけないかな、とは思ったわよ。危うく停学になる所を助けて貰ったんだから。
でも前に同じことして地雷踏んだから思いとどまったのだ。言ったら最後、にニシは絶対つけ上がる。だから口が裂けても言わない。
私は乾いた喉を潤すのにジュースを一気に吸い上げた。とにかく、と話をまとめる。
「私はアイツと一切関わりたくないの。だから何言われても無視するしかないの」
「ふーん」
本当にできるかしらねぇ、と久実は含みのある言い方をする。私はそれを軽く流すともう一度ストローに口をつける。けど中身はすでに胃の中へ落ちてしまった。一本だけじゃ物足りなかったので、私は自販機でジュースを買い足すことにした。
教室を出た私は鼻歌を歌いながら廊下を歩く。階段を降りようとくるりと体をひねった瞬間、横から腕を引かれた。バランスを崩した私はすぐそばの非常扉にもたれこむ恰好になる。
「ずいぶんとごきげんじゃないか?」
地を這うような声に私はぞくりとする。見ればニシが恨めしそうに私を見ているじゃないか。
「あんた、斉藤くんと一緒だったんじゃ」
「おまえ、俺と斉藤をやたらくっつけたがってるようだが。どういうつもりだ?」
くっつけたがってる――その言い方は違う意味にも捉えることができて私は思わず噴き出した。慌てて口を閉ざす。そんな私にニシが明らかな不快感を示した。
「何が可笑しい?」
苛つくニシに私は首を横に振った。悪いけど、それに答える義務もない。
私は掴まれた腕を挙げこれ離して、と言う。するとニシは私の腕を更に強く握ってきた。それどころか壁に反対の手をついて私の進路を遮ってくるではないか。
「質問に答えろ。何を企んでる?」
私の迷惑をよそに、ニシは顔を近づけてくる。私は思わず顔をそむけた。
うわ来るな。というよりこんな所で壁ドンなんてしてくるなーーっ!
「ちょ、やめてよ。こんな所見られたら誤か――」
次の瞬間私はひっ、しゃくりあげる。ちらりと見えた視界に斉藤くんの姿があったからだ。
斉藤くんは目の前にある階段をちょうど上がってきた所だった。持っていた弁当箱が踊り場に転がる。音に気付いたニシがそちらを見た。私を遮っていた腕が壁から離れると、今度は斉藤くんの方へ伸びていく。階段下にいた彼を見下したニシが人差し指をつきつけた。
「斉藤よ。何を誤解しているかは知らんが、俺はおまえを心の友にする気はない。俺の親友を語っていいのはここにいるヒガシだけだ。そこの所をよく覚えておけ!」
ニシの啖呵に斉藤くんの太い眉がひくつく。今すぐにでも誤解を解きたい私はすぐにニシの頭をはたいた。ニシの口からいてっ、という言葉が漏れる。
「誰が親友だ? 私はアンタの友達でも何でもないってずっと言ってるでしょうが!」
「何だと? 俺がこんなにもヒガシを思っているのに。おまえの為にわざわざ転校してきたというのに。何故俺を無視する? 世間一般で言うツンデレというやつか?」
「は?」
「聞いたぞ。おまえは基本正直だが、照れが入ると時々本心とは反対のことを言ってしまうらしいじゃないか」
「それ、誰から聞いたの?」
「おまえを良く知る人物からだ」
それを聞いて真っ先に浮かんだのは久実の顔だった。うわ。何で余計なことを言うのかな?
私が困った顔をしているとニシがぱん、と手を合わせた。
「そうか、つれなかった理由が分かったぞ。ヒガシは俺に友達を与えようとしたんだな。俺が前に相談していたのを覚えて気を使っていたんだな。だが、それは余計なお節介というものだ。俺は無神経なクズどもに興味はない。俺にはヒガシが――」
それ以上は聞くに堪えられなかった。耳が腐ってしまう前にもう一度ニシを突きとばす。んなわけないでしょうが、と反論する。
「これ以上私に近づくな! 半径五メートル以上近づくんじゃない! つうかこの学校から出て行きやがれーーーっ!」
ニシに千ほどのダメージを食らわせた私は階段を一気に降りる。放心状態の斉藤くんを素通りしようとするけど――
「この間ヒガシが言ってた話は嘘だったのか?」
斉藤くんの質問に私は体を強張らせた。己のしたことを改めて思い知る。
どういう理由があれ、私は斉藤くんを利用した。生贄にしたといってもいい。ここで嘘をついてもつかなくても、斉藤くんを傷つけるのは必至なのだ。
私はごめん、と小さく呟く。それは私にできる贖罪でもあり、傷を最小限に済ますための応急処置としか言いようがない。。
斉藤くんは自分の弁当を拾うと階段を昇っていった。すれ違いざまクズで悪かったな、とニシに言う。見送った背中が怒っているのはたぶん、気のせいじゃない。
彼がいなくなったあとも、私はその場から動けずにいた。
2013
私は何枚も重ねた花紙を蛇腹に折って中心をホチキスで留める。それを他の女子が紙を扇状に広げて一枚一枚引き出す。形を整えたら愛らしい花の出来上がりだ。女子総勢で作っているので机の上はすぐに沢山の花であふれてしまう。
看板作りを任された。旧校舎の音楽室で校庭に掲げる看板を作成していて、今この教室にいるのはニシと斉藤くんだけだ。彼らは廊下に置く小さな看板に色をつけている。黄色の背景に抜きだした文字を二人は赤と黒のチェックで彩っていた。
頃合いを見て私は動き出した。
「そういえば視聴覚室の遮光カーテン使っていいって担任に言われてたんだ。久実、悪いけど取りに行ってもらっていい?」
「ナノちゃんは?」
「私これが終わったら別の用事頼まれちゃっててさ……ああ、カーテン取るのに男子一人連れて行った方が楽かもよ。できれば背の高い人とか」
「そう?」
久実は看板作りをしている男子二人を見据えた。迷わず背の高いニシを呼ぶ。
「ニシぃ。カーテン取りにいくの手伝ってくれる?」
久実に呼ばれ、ニシが作業の手を止める。二人が揃って教室を離れた。斉藤くんが一人になった所を狙って私は近づいた。
「斉藤くん。こっち手があいたから手伝うよ」
「おお、助かるよ」
私はバケツに入っていた筆を取る。指示された場所に赤い線を引いた。あのさ、と小声で斉藤くんに話しかける。
「その、ニシ――くんってどんな感じ?」
「思ったよりも話しやすいヤツだな」
「そう?」
「時々鼻につくことも言うけど、育った環境のせいって思うと納得できる範囲だし――何? ニシのことが気になるの?」
「ううん。そういうわけじゃないけど。この間斉藤くんとは気が合うみたいなことちらっと言ってたから」
それを聞いて斉藤くんが驚いたような声を上げる。身を乗り出してきたので私はこくりと頷いた。
でも気が合うというのは嘘だ。
私はニシの行動にほとほと困っていた。友達でも何でもないのに友情を押しつけられ、通っている学校も転校して――全ては私の為だという。これははっきり言って迷惑だ。でもニシは私が何を言っても首を縦に振らないだろう。一度手にした「親友」(といってもヤツの思う意味にかなりの語弊があるのだが)を手放すもんかと必死だ。
だったら残る選択肢はひとつ。
ニシの「友達がいない」という弱みを逆に利用することだ。
題して「ともだち100にん作戦」である。
この作戦、まずはニシにこの学校で私以外の人間と友達になってもらう。そしてその人間のつてをたどってもらい新たな人間関係を築いてもらうのだ。友達が沢山できれば私のことなど、かすんで見えなくなるだろう。
この作戦を遂行するにあたって、欠かせない要素が斉藤くんである。
枯れはクラスのムードメーカーで典型的なスポーツ少年。本来はバスケ部所属だけど、時々運動部の助っ人としてあらゆる試合に出ている。運動部の中ではかなり有名で――つまり顔がとても広いのだ。
また彼の性格はとても単純で人情深い。常に熱い心を持っていた。青春を謳歌するんだというポリシーは時に暑苦しいけど、こういったイベントの際はいい起爆剤になってくれる。普段から面倒見も良い彼はクラスメイトから慕われている。斉藤くんがニシの友達――いいや、親友認定されればこれほど嬉しいことはない。彼なら強靭な精神でニシに関わるトラブルを乗り越えてくれるだろう。
私は必死になって斉藤くんをその気にさせようとあることないことを吹きこんだ。
「転校してきた自分に良くしてくれてすごい感謝してたよ。斉藤くんは本当に優しいなって。前の学校じゃこんなに面倒見のいい人はいなかったってさ」
「へえ……そうなんだ」
褒められて嬉しいのか、斉藤くんはまんざらでもない顔だ。私はダメ押しの台詞を放つ。
「私もね、二人見てるといいコンビだなーって思えるんだよね。こう言うと語弊があるかもしれないけど運命の出会いっての? 彼は斉藤くんにとって一生の友達になるんじゃないかなーって思うんだけど」
すると斉藤くんの筆がぴたりと止まった。黄色い絵の具が段ボールにぽたりとしたたる。体が完全停止したので私はどきりとする。
やっぱり、寒かったかな? 言葉滑った?
そんなことを思ってひやひやしていたらようやく斉藤君が口を開いた。しかも、いやぁ実は俺も同じことを思っていたんだ、と言ってくるではないか。しめた、と私は思う。
ちょうどその時、久実とニシが暗幕の入った箱を持って教室に戻ってきた。
「あれ? ナノちゃん今度はそっち?」
「作業終わったからこっち手伝ってた。久実もやる?」
そう言って私は筆を差し出した。久実がそれを受け取り、ニシも自分の作業に戻る。四人で看板を完成させた。
作業の間はニシをスルーして、久実や斉藤くんと他愛のない話をする。たまに斉藤くん視線をチェックした。
斉藤くんは何か喋るたびにニシに同意を求めてる。それにニシが頷くと満足そうに笑っている。明らかに斉藤くんの中でニシという存在が膨れ上がった証拠だ。
よし、このままもっと仲良くなれ。そして芋づる式に友達をもっと作りやがれ。
私は筆を動かしながらこっそり微笑んだ――
2013
次の日、ニシは予告通り茜が丘高校に転入した。
暁学園からの転入生にクラスが騒然としたのは言うまでもない。しかも誰もが知っているニシ財閥の息子とくれば否が応でも浮足立つ。ニシの机の周りはすでに人でいっぱいだ。
「ニシくんは何で転校してきたの?」
「前の学校で色々あって……な。丁度この近くの家を買って引っ越すことになったので、転校した次第だ」
前もって用意した台詞をさらりと言うニシに私は砂を吐く。見え透いた嘘をついたのは私が関わっているなんて絶対に言うなと念を押したから――ではない。ニシは転校手続きの際に色々情報操作をしたらしく、私の為に転校したと大声で言えないということだ。それはニシと関わりたくない私にとって好都合だった。
ニシに声をかける人間は日に日に増えている。訪れる生徒のほとんどは興味本位で近づいてきた人間でそれはクラス内だけにとどまらず学年を超えてやってくる。
私はそんな風景をいつも蚊帳の外で眺めていた。
傍から見ればどんだけちやほやされてるんだって思う。友達が一人もいないなんて本当は嘘なんじゃないか、なんて思うんだけど。
そんなことを思っているとニシがこっちを向いた。探すような首の動きに私は慌てて目を逸らす。
ニシというサイはすでに投げられた。私はこれからそれに抗わなければならない。今の私にできるのはXデーとなる日まで静かに過ごすことだ――
連休の初日となった土曜日、私は学校の渡り廊下を歩いていた。向かうのはかつて使われていた旧校舎の三階だ。階段を昇りきった私は突きあたりの教室へまっすぐ歩く。その昔、音楽室として使われていた教室も今はAKN38の練習場だ。
建物の隙間から聞こえるのはヘビロテした曲のサビ部分。それを聞くだけで体が勝手にステップを踏みそうになる。肩に引っかけた荷物がずれたので慌てて直した。
扉を開く。おはよう、と声をかけると先に来ていたクラスメイトが挨拶を返してくれた。私は教室の奥へ進むと段ボールの山と格闘している女子生徒に声をかける。
「これ、この間話したやつ」
そう言って私は紙袋に入っていたスカートを出した。それは数年前茜が丘に通っていた親戚が使っていたものだ。お下がりにと頂いたのだけどサイズが微妙に合わなくて箪笥の肥やしになっていたのである。
「ありがとー。ヒガシが手伝ってくれたおかげで予定より早く集まった。助かったよ」
「こっちこそ急がせたみたいでごめんね。私が変なこと言ったばっかりに」
すまなそうな顔をする私に衣裳係のクラスメイトはそんなことないよ、と笑った。
本番の衣装がすぐに集まったのには前回の話し合いの最後で、私がこんな意見を出したからだ。
――なるべく早い段階から衣装で練習しておけば雰囲気掴めるしクラスの士気もあがるんじゃないのかなぁ?
ぼんやりを強調した意見は予想通り体育会系のツボをつくことになった。更に私が制服集めを手伝ったことで事態は思ったより早く収拾がついたのである。
衣裳係が制服の預かりリストに私の分を記入する。タグに通し番号をつけるとほう、と安堵の息をついた。
「これでニシくんの分も確保できたっと。あとはリボンが出来るのを待つだけだね」
その意味深な一人ごとを聞いてしまった私は思わず聞いてしまう。
「足りないって言ってたのって――転校してきた人の分、だったの?」
「そうだけど」
衣裳係の返事に私は眉をぴくりと動かした。
初めてニシを見た時細いなぁとは思ったけど――しかもウエストが私よりも下のサイズだと? これは色んな意味で許し難い。
隣りの準備室に移った私はジャージに着替えながらダイエットしようかとこっそり決める。準備を整え再び音楽室に戻ると、すでに集まっていたメンバーと合流した。膝のサポーターに気づいたクラスメイトが大丈夫? と聞いてくる。なので激しい動きしなければ大丈夫だから、と私は答えた。
先日私は膝の古傷を理由にしてダンスが苦手な人が多いチームに変更してもらった。これはニシと同じチームにならないための防衛線でもあったのだけど、その心配はしなくてよかったようだ。
私たちのグループ「チームN」は公演のトップバッターを務めることになっている。それはかなりのプレッシャーでもあるけれど与えられた曲は振りが比較的優しいので振りはすぐに覚えることができた。
ひととおり流して踊った後で私はちらりと横を見た。窓際の一角で先に来ていたニシと斉藤くん率いる体育会系チームが振りつけの確認をしている。もともとの筋がいいのか、ニシは公演のメイングループである「チームA」に配置されていた。客に一番近い前列、しかもセンターの隣りである。これは大抜擢としか言いようがない。チームが選んだ「初心者」という意味の曲も今のヤツにぴったりだ。
気づけば真剣に踊るニシをとろんとした目で見るクラスの女子が日に日に増えている。まぁ、そっち方面で誰かとくっついてくれればこっちは御の字なので特に反対はしないけど。
そんなことを思いながらダンスの練習を続けていると、衣裳係から準備で来たよーと声がかかった。クラス全員にチェックのリボンが配られる。続けて壁際に並べた段ボールの列をを一つずつ開封した。
「制服は男女サイズ別になってるから自分に合ったものを選んでねー。それから着なくなったベストとかセーターとか、小物もあるから好きなコーデしていいよ」
その声を始まりに段ボールの前にわらわらと人が集まり始めた。それぞれの体型に合ったサイズの箱から服を選ぶ。私も選んでいると背後に悪寒に近いものを感じた。振り返ればニシが難しそうな顔でやっぱり着なければならないのだろうか? と質問を投げてくる。やはりニシは女子の制服を着ることに抵抗があるらしい。
私はヤツの見えないところでほくそ笑むと当然、と言葉を返した。
「ひとり違う衣装着ていたら協調性ないとか言われるよねー。それってどうなんだろうねー?」
「そう……だよな」
口元を押さえてどうしようかと悩むニシを私はわざと無視する。女子の着替場所である準備室へ向かった。
部屋に入った私はなるべく壁に近い場所を陣取る。旧校舎の教室どうしは壁で仕切られているものの、天井から数十センチは空いているため隣りの会話は筒抜けだ。私が壁に耳を寄せているとついてきた久実が不思議そうな顔をした。
「ナノちゃん何してるの?」
「しっ」
耳をすませていると、ぺちん、と肌がぶつかりあう音がした。いてっ、とニシの声がする。細みのくせにいい体してるじゃないか、と斉藤くんがニシに話しかけていた。
「ニシは前の学校で何かスポーツやってたのか?」
「護身の為に剣道と空手を少し」
「それって最近?」
「物心ついた頃からだが」
「へー、だからこんなに体が締まっているのか」
ぺちぺちぺちぺち。
「その……あんまり叩かれても困るのだが……」
「別に減るもんじゃねえからいいじゃないか。ちなみにこっちは――」
次の瞬間、ニシの絶叫とも呼べる声がつんざいた。様子を見にきた担任が斉藤、転校生いじるのもそのへんにしろ、とたしなめているのが聞こえる。
隣りの部屋にいた私ら女子はというと、筒抜けになった男子のあれやこれやに黄色い声を上げる者あり、妄想を広げてにやつく者あり、馬鹿馬鹿しいとため息をつく者あり――とにかくいろいろな反応が伺えた。
私はひとりガッツポーズを決めると、用意されたズボンに履きかえた。チェックのリボンをネクタイにして締める。振り返れば髪をまとめて伊達眼鏡をかけた久実の姿があった。聞けば他にも猫耳とか、鼻つき眼鏡があったらしい。隣りの教室に戻るとのっけから禿げヅラをつけた男子がスカートをくるりと翻してる姿を見てしまい吹き出してしまった。
周りに笑いがどんどん感染していく。うわ、こいつら馬鹿じゃねと本気で思う。でもこの馬鹿っぽい所がいい。
何だか文化祭らしくなってきたじゃん。
私は心を躍らせながら女装した男子ひとりひとりを観察した。そして壁に背中をつけているニシの姿を見つける。裾を出したブラウスにギャルソン風の黒ベスト、チェックのスカートは膝上十センチだ。すね毛が邪魔になる足はニーハイで隠している。
あらら。
私はニシのいでたちに口をぽっかりと開けた。想像の中で描いた女装は見られたものじゃなかったけど、実際目にすると普通に似合っていたから驚きだ。
ニシは先ほど目を溶かしていた女子たちにかーわーいーいーと連呼されている。
「やだ、ニシくん超似合ってる」
「猫耳とかつけたらもっと可愛くなりそうじゃない?」
「ウサ耳も捨てがたいよねー。ちょっとつけてみない?」
彼女らの愛でる気満々の表情にニシは完全に引いていた。
しばらくして遠目で見ていた私に気づく。競歩並みのスピードで向かってきた。チェックのひだがせわしなく揺れている。
「ヒガシよ。この学校の人間はあんなにも無礼なのか? 人の肌を舐めるように見たりぺちぺちぺちぺちと叩いたり下着の中を覗いたり――」
その話を聞いて私は吹きそうになるのを必死に堪えた。体育会系は裸の付き合いが多いのでお互いの体型を褒め合ったり比べたりするのがデフォだ。ニシはこういった暑苦しい付き合いに慣れてないとは思ったけど――予想以上のリアクションだ。
「茜が丘がこんな非常識な学校だとは思いもしなかったぞ。これは人権問題だ」
待っていた言葉に今度こそ笑みがこぼれた。
「そしたら暁学園に戻ればいいんじゃない?」
私の突き離しにニシがぐっと言葉を詰まらせる。私はわざとらしく腕を組むとニシの周りを一周した。
「暁に暗黙のルールがあるように、こっちにはこっちのルールってものがありますからねぇ。従えないなら仕方ないよねぇ。というか、向こうに戻った方がアンタの為だと思うけどなぁ」
私のゆるーい誘いにニシは口を閉ざしたままだ。
価値観の違う親友(断じて認めないが)と自分のプライド、ヤツはどっちを取る?
「わかった。これも全て親友の為だ。理不尽なことも我慢しようじゃないか」
ニシの開き直りに私はちっ、と舌打ちをした。我慢しなくてもいいのに、と本気で思う。私に何かあった時はすぐに助ける、というヤツの決意は相当固かったらしい。このぶんだとニシが暁学園に戻る可能性は低いのかもしれない。
私の「ニシ追い返し計画」はのっけから座礁した。でもこれは想定範囲内でもある。失敗したら次の作戦に移るまでだ。
私はその鍵となる人物を見据える。視線の先には文化祭を盛り上げようとしている斉藤君の姿があった。
2013
それは私にとって悪夢のような宣言だった。
いや、あれは戯言だ。暁学園に君臨する絶対的上位者の戯言だ。
気にしない気にしない。
私はそう思いこんで現実逃避してみたけど、忘れそうな時にヤツの存在がふっと浮かんで気持ちが萎える。二日経った今もその呪縛から逃れられない。
本当、何かの冗談だと思いたい。でもヤツならやりかねない。何せニシは御曹司。この世を動かす神の一族の血を引いているのだ。ニシならどんな難関も金と権力で何とかしてしまうだろう。
どよーんとした気持ちで休み時間を過ごしていると、新しく買った携帯に一通のメールが届いた。見たことある様なないようなアドレスに私は首をかしげる。
開くと転校の手続きが無事済んだと書いてあった。明日から茜が丘の生徒になるからよろしくなと。
私はメールの本文相手にげ、と呟いた。
番号もメルアド変えたのに。何で知ってるの?
明日からニシが学校に来る。ヤツはきっと最初に私の所へ来るだろう。接触はどうしても避けられない。せめて同じクラスにならないことを願いたい所だが――
「ねえねえ、明日ウチのクラスに転校生が来るんだってよ」
教室のどっかから飛んできた声に私はがっくりとうなだれる。いきなり出鼻をくじかれた。
「……ナノちゃんどしたの?」
机にうっつぷした私に久実が話しかけてくる。
「何か死にそうな顔してるけど」
「もう嫌、耐えられない」
「もしかして――あの事件まだ引きずってる? あの女に復讐しようとか考えてた?」
ニシからの調査報告を伝えたせいか、久実は暁学園の話に対してやたら敏感だ。思えばあの女のせいで久実は散々な目に遭っていたから、恨みのひとつこぼしても無理はない。
私はそうじゃなくて、と否定するとニシがこの学校に転校してくる旨を伝えた。私の話を聞いて久実はにんまりとした顔をする。
「へー、あの人転入するんだ。しかもナノちゃんのために。へー」
その何かを期待した顔に私はありえないから、と釘を刺しておく。それから私の新しいメルアド教えたでしょ? と問い詰める。それでも久実の口元は緩んだままだ。
チャイムが鳴ったので久実が逃げるように自分の席へ戻っていく。同時に担任が教室に入ってきた。次の時間はHRだ。今日は文化祭の出し物についての話し合いをすることになっていた。
ひととおりの連絡事項を終えた担任が窓際に寄り添う。代わりに文化祭の実行委員が二人教卓に上がった。一人が率先して口火を切る。
「それじゃ話しあいを始めまーす。まずはこの間行われた文化祭実行委員会の報告から。先日ウチのクラスで希望した焼きそばとたこ焼き屋ですが、これは却下されました」
実行委員の報告に生徒からえー、とかなんで? という声が広がる。実行委員の説明によるとウチの学校は文化祭で喫茶や食事系の出し物を希望するクラスが多いので毎年抽選で決めるらしい。
「なので、前回の話し合いで候補に挙がっていた別の案の中から選びます。いいですか?」
実行委員が無理やり議事を進めると、生徒たちからはーい、と渋々感たっぷりの返事が返ってくる。前回私は自宅学習中だったのでその案というのを知らない。だから何が出てくるのか気になる所だ。
もうひとりの実行委員が黒板に出し物の候補を書き出していく。私は白いチョークで書かれた文字を追いかけて――ん? と思った。
お化け屋敷や射的というのは分かる。でも最後に書かれた「劇場」って何だ?
「では多数決で。やりたいと思う出し物に手を挙げて下さい」
私の疑問を無視したまま議題は進められていく。劇場の意味が分からない私は無難なお化け屋敷に挙手した。が他に手を挙げたのは三人くらいで採用の望みは薄い。射的も同じだ。
結局久実を含めたクラスの過半数が「劇場」に挙手をした。 その瞬間発案者らしき男子生徒がよっしゃあ、と叫んでガッツポーズを決める。実行委員が話のまとめに入った。
「ということで多数決によりウチのクラスの出し物は『AKN劇場』に決定しました」
実行委員の「AKN」という言葉を聞いてだいたいの概要を掴めた。どうやらご当地アイドルの真似をするらしい。
ウチのクラスは体育会系の部活に入っている人が多いので、体を動かす出し物に抵抗はない。また披露するダンスもチームワークが鍵となるから燃えてくるのは必至だろう。反対していたのは運動が苦手な数人とチャらいアイドルをはなから見下してる少数派だ。
「では、詳しいことを言いだしっぺの斉藤君から聞きましょう」
斉藤君が教卓に立った。教室の隅から隅まで見た後できりりとした眉を一回動かす。教卓に両手をつくと身を乗り出して語り始めた。
「知っての通り、AKNというのは茜が丘(AKaNe)の略称だ。ここを小劇場に見たてて歌とダンスのショーをする。楽しいショーを作るんだ」
斉藤君の熱意にいいぞー、と野次が飛んだ。ちらほらと拍手が聞こえる、そして隙間を縫ってでもさ、という声も出た。否定的な言葉を投げたのは劇場に反対していた一人の生徒だ。
「そりゃやったら楽しいかもしれないけど実際どうよ? 自慢じゃないけど私、歌上手くないよ。それにダンスもやったことないし恥ずかしい。そういう子って結構いると思うんだけど」
「ダンスが難しいなら簡単にすればいいよ。歌は口パクでもいいんじゃね? そりゃ完璧に越したことはないけど無理強いはできないし。下手でも踊っている皆が楽しければそれでいいと思っている。皆気づいているか? 高校時代の文化祭は三回しかない。文化祭は羽目を外せる唯一の機会だ。失敗してもそれは一時の恥。終わればみんないい思い出になる。みんな、今しかない青春を楽しもうじゃないか」
斉藤君の声に何人かがおお、と返事を返す。劇場反対派だった人達の眉間の皺が緩んだ。斉藤君はもともとリーダの気質があるのだろう。体育会系はチームワークを大事にするから、その辺の持ち上げ方もお手のものだ。斉藤君の演説が終わった所で実行委員が口を開く。
「では詳しいことについてこれから決めていきましょう。実際のアイドルをならっていくならチーム分けが必要ですかね?」
「教室の広さもあるから四チーム位に分けて交代で踊るのがちょうどいいかなって思うんだけど」
斎藤君の発言に生徒の一人が手を挙げた。
「舞台の脇でオタダンス出来るヤツいたら楽しくね?」
「それ採用!」
「音楽はCDかけるとして――衣装はどうするの?」
「ご当地アイドルだから制服なんじゃない? ちょっとだけ改造するとか」
「でもそれだけじゃインパクトが足りないような」
「はいはーい。男女逆転ってのは? 女子はズボンで男子はスカート履く」
「おお、ナイスアイディア」
「だったらスパッツか見せパン履いてよねー。放送コード引っかかったら身も蓋もないよー」
久実のツッコミに周りがどっと笑った。それぞれの役割と使う楽曲がとんとん拍子で決まっていく。クラスの一体感に野球をかじってた私の心も騒いだ。文化祭がとても待ち遠しい。
ああ、早く来ないかな、なーんてうきうきしていると、
「あ、そういえば明日転校生くるんですよねー?」
その一言で私は忘れかけていた悪夢を思い出す。そうだね、そしたら37じゃなくて38になるね、という担任の言葉を聞いて斎藤君の目が輝いた。
「AKNに新入り? それはなんて縁起がいい! 文化祭で新しいメンバーのお披露目だ。センターで踊ってもらおう!」
それ本気で言ってるの? つうかニシが女装? でもってセンター?
リアルに想像してしまった私は思わずいやあああっ! と叫んでしまう。周りの視線を一気に集めてしまった。斉藤くんが目をぱちくりとさせる。
「ヒガシ……おまえセンターやりたいの?」
「違う違う」
私は慌てて首を横に振った。
「ほら。転入してくる人いきなり大役頼むのもどうかと……プレッシャーかけちゃうんじゃないかなって」
「それもそうだな」
私の取りつくろいに斉藤くんはあっさりと納得した。周りもそうだよね、とか言って頷いている。遠くの席で久実が笑いを堪えていたのは――見なかったことにしよう。
私は火照った頬を両手で挟んだ。はあ、とため息をつく。一時的とはいえ大事な問題をすっかり忘れていた。これから文化祭に向けた準備が始まるからいつもより生徒同士の会話が増えてくる。それはつまり――ニシと喋る回数が増えるということだ。なんてこった。
でも――
白い文字で埋め尽くされた黒板を見ながらふと思う。
ニシは私らが知ってる「一般の高校の文化祭」というものを知らない。果たして私たちの考えについていけるのだろうかと。
いや待て。ひょっとしたらこれは――チャンスかも?
私の中で妙案が浮かぶ。お尻から矢印の尻尾がにょきっと生えてきた。