2013
この日、私は上から待機を命じられていた。待機とは何もしないこと。つまりは役立たずってことだな。
私は芝生の絨毯から起き上がると、ひとつ背伸びをする。忙しそうに動く魔法使いたちを遠目に見ながらはぁ、とため息をつく。何時もだったらここでほけほけ顔でやってくるジジィがいるのだが、生憎今日はいない。ヤツは偉大な魔道士故に前線での活躍を余儀なくされたのである。重大な任務を負わされヤツは不服そうだったけど、私としてはヤツと離れることができてラッキーだった。
とはいえ、やることがないとすごく退屈。これからどうしよう。
その時、何かの気配を感じた。私はくるりと振り返る。目が合った瞬間私はげ、と言葉を漏らした。真っ白な生き物が私めがけて突進してくるではないか。そいつは小さくて色も白い。けど鋭い牙と爪、とかげにも似た風貌は前に見たのと一緒だ。私は血の気が引く。ドラゴンなんて、見たくもなかったのに! 何でこんな所にいるのーっ!
小さなドラゴンはすばしっこい動きで私の周りをくるくる回る。そして私の体をいっきに登ると鼻にがぶり噛みついた。
「ったたたた、いたいーーーっ!」
「わーごめんなさいっ」
私がじたばたあがいていると、追いかけてきた魔女らしき人が幼獣をべりっと引きはがした。
「ごめんなさい、この子ちょっと目を離すとすぐ脱走して――大丈夫? ああ、歯形がべったり……ってあれ?」
魔女が私の顔をまじまじと見つめる。貴方シフ先生の弟子よね? そう問われた。私は赤くなった鼻をさすりながら一応そうだけど、と無愛想な態度を取る。
「その、服従の魔法はマスターした?」
「もうその話はしないで……」
私はがっくりと肩を落とし地面に「の」の字を描いた。もうあの事を思い出すだけでも凹むわ恥ずかしいわでどっかに隠れていたい気分なのだ。
あの日、私が初めて行った服従の魔法はドラゴンに届くことなく床に撃沈。その瞬間、私に注目をしていた魔法使いたちからはえ? と間抜けな声が漏れた。壇上にいた議長が鼻で笑ったのは今でも覚えている。そして痺れを切らしたドラゴンは私に炎を向けた。バランスを崩して壇上から落ちなかったら私は丸焼きにされていたに違いない。一階からは嘲笑され、二階席からはなんであんなのを弟子にしたのだというブーイングがヤツに集中した。でもヤツはちっと舌打ちしただけで、あとは優雅に茶を飲んでいたらしい。
あのあと、ヤツが私を言及することはなかった。お仕置きだ何だって言われるんじゃないかって思ったのに。ヤツは一言、ご苦労だったと言うだけだった。
とにもかくも、あの一瞬がこの世界における私の立場を決めた。私は魔法使いたちの中でも一番最低のランクを授かったのである。あとはごらんのとおり。きっと奴らは私がいずれ破門になると思っているに違いない。
かくして国中の魔法使いを召集した会議は終わった。酷い目に遭い、疲労困憊でクレアさんの家に戻ると、ももちゃんが突然私に抱きついてきた。
「おかあさんは?おかあさん、いつになったらももをむかえにきてくれるの?」
このあとももちゃんはおうちに帰りたいと声を上げて泣いてしまった。好奇心旺盛でもまだ三歳。お母さんが恋しいのは当然のことだ。
私はヤツにももちゃんだけ元の世界に返してもらえないかと頼もうとしたけど、それはクレアさんによって止められた。隕石が近づいている今、ヤツの魔力も半減しているらしい。本当の所、私達をここに連れてきた時点でかなりいっぱいいっぱいだったと言うのだ。この環境で時空を超える魔法を使ったらももちゃんが何処に飛ばされるか分からない、そっちの方が危険だ。とクレアさんは言った。
結局、ももちゃんは元の世界に戻れないままだ。でもこのままだと何だか可哀想なので、応急処置としてクレアさんが母親だという暗示をかけてもらった。それは名案ではあったけど、正直ももちゃんがクレアさんをお母さんと呼んでいるのを見てると複雑な気分になる。何だか従妹にも申し訳ないし、ももちゃんをこっちの世界に盗られてしまった気がして――
魔法使いたちから総スカンを食らっている今、私はこの世界で孤独を感じていた。
「どーせあんたも、私の事馬鹿にしてるんでしょ?」
私は通りすがりの魔女に毒を吐いた。くさくさした気持ちで庭木の葉を引きちぎる。
「偉大なる魔道士がわざわざ異世界から連れてきた弟子が出来そこないで。術も数えるほどしか覚えてなくて落ちこぼれで。恥をかいて良い気味だと思ってるんじゃないの? 言っとくけど、私は破門されるつもりはない。その前にこっちから師弟契約を解除して慰謝料ふんだくってやるんだから!」
「別に、そこまで思ってはいないけど……」
ちょろちょろと動き回る幼獣を抱えながら魔女は言う。
「私はむしろ異世界からひとりでここに来るなんて、相当勇気がいったんじゃないかって思ってる。知りあいのいない所なんて――旅ならともかく、こういう時って行っても寂しいじゃない?」
それは今の私の心に一番響く言葉だった。魔女は言葉を続ける。
「私ね、今回のことで師匠と一緒に登城する予定だったんだけど、師匠が怪我しちゃって、私ひとりここに来ることになって、すごい不安だったんだ。住んでる所は山奥の集落だし、近くの村や町に知り合いの魔法使いもいないし――だから私、親とはぐれたこの子を連れてここまで来ちゃった」
そう言って彼女はドラゴンの顎を人差し指でくすぐる。ドラゴンは気持良さそうに目を細めた。私は魔女の彼女に自分の姿を少しだけ重ねる。何か言葉をかけなきゃ、そう思った時だ。
「あーっ、ホワイトドラゴンのあかちゃん!」
ふいに子供の声が耳を突き抜ける。声のあった方を見やればそこにももちゃんが立っていた。私はももちゃん、と声をかける。
「今日はクレ――おかあさんとおしろにきたの?」
「そう! もも、おかあさんのおてつだいにきたのー。まじょのおねえさん、ドラゴンにさわってもいーい?」
「うーん、触っても構わないけど、この子逃げちゃうかも。警戒心も強いから、触るなら魔法をかける必要が」
「ももしってるよー。うちにあるごほんにかいてあった。それってふくじゅうのじゅもんでしょ」
そう言ってももちゃんは魔法の呪文をひとつ唱える。それは前にジジィがおしえた破壊魔法ではなく、この間私が唱えた服従魔法だ。え? それ何処で覚えたの? まさかヤツがまた教えたってこと?
私の疑問をよそに、魔法は効力を発揮した。それまで私に牙を剥いていた幼獣が魔女の手を離れ、ももちゃんに近づく。あっという間に肩に乗ると、その柔らかい頬に自分の体をすりよせたではないか。なんてこった。あまりのショックに私は頭を抱えてしまった。
ああ、私の魔力はももちゃん以下なのですか。それこそままごとレベルとか? じゃあ、私が今までやってきた修行はなんだったの? 本当、出来ることなら元の世界に帰りたいぜ畜生。
私が口をぱくぱくとさせていると、隣りにいた魔女が私の肩をぽんと叩いた。
「まぁ生きていれば色んな事があるって。気にしない気にしない」
そんなことを言われたら余計気になるって。私は頭を抱える。カオスと化した私の脳内は負の感情で今にも溢れそうだった。
(使ったお題:15.なんてこった)
2013
私が王宮にあがるのはこれで二度目のことだ。一度目は祭りの日で、裏口からカレーを届けただけですぐ帰ってしまった。なので正面から入るのはこれが初めてである。
王宮の中はどこかのイベントさながらの混雑ぶりだった。ここで私はこの世で一番異様な風景を目にする。
何が異様かって。ヤツの存在そのものだ。絨毯の敷かれた道をヤツが歩くたびに人はよけるわ、恭しくお辞儀されるわ。とにかく凄いのだ。ある場所からは黄色い悲鳴が上がり、握手やサインまで求められている。何ですか。ここは海外のレッドカーペットか何かですか?
私から見たらただのジジィで詐欺師しか見えないのだが、どうやらこの世界では英雄さながらの扱いらしい。私には信じられないことだ。
「ワシは二階の席、おまえはあっちじゃ。もし困ったこととか、分からないことがあったらこの本を開け。おまえの知りたいことに全て答えてくれるだろう」
そう言ってヤツは一冊の本を私に差し出し、自分の席へと歩いて行った。私は肩をなでおろす。とりあえず好奇の目から逃れることができる――と思ったけど、この派手な衣装のおかげで余計注目を浴びました。はい。
私は一度外したローブを再びまとい、赤い服を隠す。会場の隅っこでしばらく大人しくしていると、どよめきが走った。
ホールの二階部分に設置された玉座から赤いマントをはおった男性が現れた。ブラウンの髪と瞳を持つその人はクレアさんと同じくらいの年だろうか。とても凛々しい姿だ。
王冠をかぶっているのを見る限り、どうやらあの人がこの世界を治めている王――らしい。遠くからだけど、私もこの国の王を見るのは初めてのことだった。
一階に設けられた壇上に議長らしき人が上がる。この国で最大規模の会議が始まった。静寂の中で最初に王が現状を語る。
「事前に聞いたものもいるだろうが――今、この国始まって以来の危機が訪れようとしている。今年が百年に一度の流星年というのは皆も知っていることだろう。
本来なら隕石が衝突する何か月も前から保護魔法をかけ、その時に備えているわけだが、今回は厄介なことが起きた。
先日ブラックドラゴンが予定よりも早く孵化したとの情報が入ったのだ」
王の言葉に、周りがざわめく。そんな、もっと後に生まれるんじゃなかったのか、という声があちこちから飛んだ。私は流星年やブラックドラゴンが何なのかを知らない。なので、私は早速ヤツから貰った本を開くことにした。
私が全てを読み解くと、会議は本題へ入る直前だった。壇上では眼鏡の議長が進行を進めている。
「――ということで、これからのことについて話し合うわけですが、その前に私個人として尋ねたいことがひとつあります。
皆さんも知ってるかと思いますが、先ほど私はこの会議場にシフ殿の弟子がいらっしゃるという情報を受けました。噂によると、弟子の方は異世界の方だとか。
シフ殿はこの国でも指折りの魔道士であり、新たな魔術の道を切り開いた――云わば先駆者です。我々の誇りでもあります。ですが、シフ殿はこれまで弟子を持たないと明言されておりました。
ですが今回シフ殿は弟子を連れてここへやってきました。弟子の存在に皆浮足立っております。できればここで皆に紹介をしてもらえませんか?」
議長の台詞に待ってましたといわんばかりの表情を見せたのはヤツだ。ここにきて私は初めてヤツの名前がシフというのだと知る。
「おーおー、紹介してかまわないぞ」
ほれ、と言ってヤツは自分の杖を椅子の手すりにこつんとぶつけた。瞬間、私の体がふわふわっと浮く。超特急で壇上に上げられた。
「おお、貴方がシフ殿の弟子ですか。思ったよりもお若い」
いきなり壇上に上げられた私は体を強張らせた。本を抱えたままごくりと唾をのみこむ。
「本来なら自己紹介してもらいたいのですが生憎今回は時間がありません。なので、異世界の方にこの案件について意見を聞きたいと思います。よろしいでしょうか?」
「は……ぁ」
「まず――貴方は流星年の意味を知っていらっしゃいますか?」
「ええと、役を終えた隕石がこの惑星に流れ落ちる年――ですよね?」
私は先ほど目を通した本の内容を思い出す。
この惑星は地球に似ていて、惑星の周りにはデブリと呼ばれる隕石が周回している。隕石の大きさは国ひとつぶんとされていて、一定の周数をまわると軌道から外れ、それがこの世界にどかんと衝突するのだ。それが百年に一度のこと。隕石が落ちる時はその磁波により、一時的に魔法の力が弱まるとされている。
なのでこの世界の魔法使いたちは流星年が来ると、この惑星を守るためのシールドを作り始める。魔法に魔法を重ねてできたシールドはかなりの強度があり、隕石からこの国を守ってくれるのだ。
本を開いた時、私はその様子をホログラムで見ることができた。隕石がシールドにぶつかり色をつけて砕け散る姿はまるで花火のようだった。
私は本から流れてきた文字をそっくりそのまま答えると、議長がブラックドラゴンについては? と続けて聞いてきた。
ブラックドラゴンは名前のまま、黒い竜のことだ。彼らは渡り鳥のような性質を持っていて、年中温かい土地を求めて移動を続けている。
一番の特徴はブラックドラゴンの翼が如何なる魔法をも中和してしまうことだ。彼と鉢合わせた時は機嫌を損ねないよう、細心の注意が必要となる。怒らせたら口から吐く炎で丸焼きの刑が待っている。
そしてブラックドラゴンは十七年に一度繁殖期を迎え孵化する。この世界の歴史を紐解くと、予定では流星年の一年後に繁殖期を迎えるはずだったらしい。
流星年とドラゴンの繁殖期が重なるとなると、魔法使いたちが慌てるのも無理はない。飛行中のブラックドラゴンにせっかく作ったシールドを壊されてしまうからだ。
私がそこまで言うと、議長がすばらしい、と声を上げる。それは賞賛とも皮肉とも呼べる口調だった。でも私は自分が恥をかかなかったことにホッとしていて、そこまで気を回す余裕はなかった。
「こちらの世界を良く勉強していらっしゃる」
今述べたことはまんま、この本に書いてあったことですから。とはいえ、堂々とカンニングですと言う勇気など私にはない。議長の質問は更に続いた。
「では、今回の危機はどう切り抜ければよいと考えますか?」
「ええと……この場合ブラックドラゴンを捕獲し流星が全て落ちるまで保護する、あるいはドラゴンの飛行高度がシールドにぶつからないよう私達が誘導する必要があるかと――思います」
「具体的には?」
「シールド班とドラゴン班の二つに分けます。前者は今まで通りシールドを補強する作業を手伝い、後者は更に地域ごとに振り分け、ドラゴンの捜索と保護誘導を行います。また、平民たちの避難を誘導する者も何人かいた方がより良いのではないかと思います」
これに関して私は本の力を借りなかった。すらすらと述べたせいか、周りから感嘆の声が上がる。そりゃそうでしょう。私は人材派遣会社で働いていて、人を適材適所へ送り込むのが主な仕事。こういった振り分けは私の本職だ。
ちょっとだけ私が得意げでいると、しばらく口を閉ざしていた議長がこんなことを言い出した。
「いんやぁ、素晴らしい。さすがシフ殿が見こんだだけのことはある」
「いや、そんなこと」
「ではそれを実際にやって見せていただけませんか?」
「は?」
「そちらの世界でいう、デモンストレーション、というやつです。我々は貴方の魔力がどの程度なのか知りたい。いや知る権利がある」
そう言って議長は小さな声で何かを呟いた。次の瞬間振動が舞台を走り、私の前に大きな影が差す。振り返ると、私の倍以上の大きさの獣が口を大きく開けていた。鋭い目と爪に、爬虫類のようないでたちはいかにも「ドラゴン」さまさまだ。
「こちらはブラックドラゴンとは異なりますが、性質はそれに近く私以外の者に懐くことはありません。このドラゴンを貴方の力で服従させてください」
ええーっ、そんなの聞いてないんですけど。
「どうしました? ドラゴンを服従させるのに自信がありませんか?」
私のうろたえぶりをみて、議長は嬉しそうに笑っている。うわ、この人タチ悪い。もしかして、私が失敗するのを期待してるんじゃないか? もう嫌だ、どうにかしてよーと私はヤツのいる二階席を見るけど、ヤツは王の隣りでのんびり茶などすすってる。おぉい!
周りに知ってる人はもちろんいない。ヤツは当然頼りにならない。私は胸に抱えた本をぎゅっと握りしめた。そう、困った時は本を開くしかない。私は藁にすがる思いで次のページをめくるけど――
「……は?」
流れてきた文字に私は目が点になる。だって、そこには【やれ】としか書いてないんだもの。そして添えられたホログラムにはアッカンベーをしているヤツの顔があった。
【これも修行のひとつ。服従の呪文は「――」じゃ。気張ってくれぇな】
うーわー、これって一番最悪な「投げっぱ」じゃないか。私は慌てた。ぐるりと回りを見渡すが、誰もが私に嫉妬の眼差しで助け船を出そうって人は誰もいない。これって完全な四面楚歌ってやつ? もしかしなくても私ってば、この世界の魔法使いたちの嫌われ者なわけ?
その間にもドラゴンは私にじりじりと近づき、青い炎を吐き散らす。舞台の端に追い込まれた私はここで覚悟を決めるしかない。
ええい、ままよ!
私は肩幅に足を広げるとひとつ深呼吸した。本を持つ手を左に持ち変え、反対の手でローブに隠しておいた杖を抜く。ぎゅっと握りしめると目の前にいる青いドラゴンを睨みつけた。
どうか上手くいきますように、と願をかけ本に書かれた呪文を唱えた。「気」を杖に集中させる。すると杖の先端に青白い光の玉が宿る。青白い光はバチバチと音を立てるとドラゴンに向かって一直線に走り出した。
(使ったお題:20.ふわふわっ)
2013
でも前は農家の馬小屋で着地早々馬に蹴り飛ばされるし、その前は城の厨房でぐつぐつ煮立つ鍋の中へ危うく放りこまれる所だった。さて今回は何処にとばされることやら。格好が格好だしできることなら人目につかない所がいいのだけど――
時空の波に漂いながら私は頭を巡らせる。すると突然、波が急直下した。これは異世界に到着した合図だ。引力に誘われるがまま私は地面に落下する。
私が着地したのは全身白で覆われた世界だった。触ってみるとそれは思った以上に柔らかくて心地よい――というかこれ、シーツじゃないか?ここは一体何処?
私はシーツの海をかき分け、空いた隙間に顔を突っ込む。すると青い空が私を迎えてくれた。水の匂いが鼻をくすぐる。聞こえてくるのは川のせせらぎ。詳しい情報が欲しくて私は空の向こうへ身を乗り出す。が、バランスを崩し上半身をひねるように転んでしまった。
「いたたたた」
私は打った顔面をさすりながら起き上がる。あたりに散らかるのは沢山のシーツとそれが入っていたであろう籠。私は近くで洗濯をしている女性と目があった。女性は口をぽっかりと開けたまま動かない。一糸まとわない私に視線が釘付けだ。
「えー……っと」
私はこの気まずさをどうにかしたくてとりあえずこんにちは、と挨拶をしてみる。けどやっぱりと言うか何と言うか。相手の方はぎゃああ、と素敵な悲鳴を上げて、尻もちまでついてくれた。
「な、な、な、なんなのっ」
ああ、その気持ち良く分かります。数分前の私もそうでしたから。私は心の中で突っ込みを入れるものの、この展開を打破する術が見つからない。ええと、どこから説明すればいいんだ?
私が川岸で途方に暮れていると、あさっての方向からおおここにいたのか、と声がする。そちらを見やればヤツがのほほんとした顔でやって来たではないか。私は慌てて、手元のシーツを体に巻き布の山から脱出した。
「すまぬのう。気がついたらいつもの調子でお前を放り出してしもうたわい」
そう言ってヤツはてへぺろ、と可愛らしくポーズを取る。いい年をしたジジィが何やってんだか――と私は呆れるがすぐにはっとする。
「ちょ、そこのジジぃ、今の言葉は何? あんた『いつもの調子で』と言ったよね?」
もしかして、もしかしなくても着地点を意図的に選んでいたということだよね? 着地点は時空の波で決まるってのは嘘だったの? なんじゃそれはーっ!
私はヤツの胸ぐらを掴んでどういうことよ、と詰め寄る。ヤツは暴力反対と言うけれど、そんなの鼻で吹き飛ばしてやった。洗濯をしていた女性は私の暴挙にオロオロしている。
これまで色んな仕打ちを受けてきたけど、どうにか堪えていたわよ。でも今回のは最初からタチが悪すぎる。決めたらここが吉日。今ここで爆発しなくてどうする。
「さあ、お仕置きしたいならしなさいよ! 受けて立つわ」
私は今度こそ失敗しないよう、防御の呪文を唱える。多少の痺れは気合いでどうにかしてやる!
私がそう息まいて時を待っていると、あらあらにぎやかねぇ、とのんびりした声が加わった。ヤツが現れたのと同じ方向から別の女性がやってきたのだ。
その人は人間の年でいうなら五十歳前後、優しげな笑顔を持つおばさんだった。私は彼女に一度会ったことがある。名前は確か――クレアさんだっけ。彼女はヤツの遠い親戚で、城の厨房で働いている。そして週に一度ヤツの家を訪れ掃除や食事の世話をしているらしい。
「お弟子さん、お久しぶり。元気にしてた?」
彼女の挨拶に私ははい、まぁ、と思わず返事をしてしまう。クレアさんがここにいるということは――ここはヤツの家なのか、と思ったけど洗濯をしていた人に見覚えがないから違うのだろう。ではここは一体どこなんだ?
クレアさんはヤツを私からひきはがすと、今はここでケンカをしている場合じゃないですよ、と静かにたしなめた。
「もう少しで会議が始まるから早く支度済ませないと」
「おお、そうじゃった。で、『アレ』は用意できてるかの?」
「もちろん。大おじさまの注文通りに仕立ててもらいましたよ」
「そうかそうか」
そう、ヤツは満足げに微笑んだ。私はくすぶった気持ちを抱えながらも、ヤツが何を企んでいるのかが気になって仕方ない。
「とにもかくも。お弟子さんを捜してたのよ。早く着替えなきゃね」
さあこっちよ、そう言ってクレアさんは私を自分の家へ連れて行った。どうやら今回の着地地点はクレアさんの家の近くだったらしい。家の中にはももちゃんがいて、私と同じように白い布をまとっていた。私の姿をみるなり、おねーちゃんおそーいと駄目出しする。その素直ですぎる言葉に私が苦笑を浮かべると、一旦奥の部屋に入ったクレアさんが服を持って戻ってきた。
「会議とはいえ、今回は王も同席するから正装で行きましょうね」
そう言ってクレアさんが服を広げ私に見せた。魔法使いの服装というとヤツが普段着ている長いローブしか思いつかないけど、私が今回着るのはウエストの部分が帯で締まったワンピースだった。袖はシースルーになっている。それを着て最後に三角帽子と黒いローブをまとうと私は「如何にも」な魔法使いに変身した。私の髪を乾かし、結ってくれたのはあの時洗濯をしていた女性だ。彼女はクレアさんの娘なのだという。
「良く似合っているわ。とっても素敵」
そう言われ、私は頬を赤く染めた。褒められるのは嫌じゃない。嬉しいくらいだ。でも私は素直に喜ぶことはできなかった。確かにヤツが見立てた服は私が修行の時に使うのよりも軽いし、布も上質で肌触りも格別だ。けど色が赤だし、何だか派手じゃないか?
「あの、やっぱりコレ着て城に行かなきゃならないんでしょうか?」
不安になった私はクレアさんに聞いてみる。お祝いとか祭りならともかく、緊急事態とか言ってなかったっけ?
「あの、こっちの世界が大変なことになっているってきいたんですけど」
「そう。この国の大ピンチ。存亡をかけた一大事なの。でもこの国で名高い魔法使いである大おじさまの弟子のお披露目でもあるから、ここは派手にいかないと」
クレアさんはまるでこの状況を楽しんでいるかのように笑っている。ヤツよりは遥かにいい人なのだけど、そんなにも楽天的なのはヤツの一族の遺伝子のせいなのだろうか。それに、言ってる事の意味がよくわからないのだけど。
私はこれから城で起こる「お披露目」に一抹の不安を抱く。その横では私と色違いの服に着替えたももちゃんがきゃっきゃとはしゃいでいた。
「わたしはまほうつかいもも。こまったことがあったらなんでもわたしにおまかせよっ」
そう言ってマントをひらひらとさせ、飛ぶ真似をする。すっかりこの世界が気に入ったようだ。
ももちゃんの無邪気さにクレアさんが目を細める。
「大おじさまとお弟子さんが城に居る間は、私と娘がももちゃんのお世話をしますので安心してください」
「それじゃあ行くかのぉ」
ヤツに呼ばれ、私は重い腰を上げる。かくして私は赤いドレスをまとったまま、名ばかりの師匠であるヤツと城に登城することになったのである。
(使ったお題:02.視線が釘付け)
2013
伯母は急性垂炎と診断され、すぐに手術が必要と診断されたらしい。伯父さんは早くに他界していたし、従妹の旦那さんはその日出張で遠く離れた都市にいた。近くで子供の面倒を見る人が私しかいなかったのである。
二人で夕飯を食べていると、従妹から手術が無事成功したという連絡が入った。私は電話を切ったあとで、従妹の子供――ももちゃんに声をかける。
「ももちゃん、おばあちゃんのおなか痛いの、治ったって」
「ホント?」
「しばらく病院にお泊まりしなきゃならないけど、すぐ元気になってお家に帰ってくるって。ももちゃんのお母さんももう少ししたらここに迎えに来るよ。お母さんが迎えに来るまでまだ時間あるから、その間におねえちゃんとお風呂いこうか?」
「うん」
私はももちゃんを風呂場へ案内した。服を脱ぎ、シャワーの栓を開ける。先にももちゃんの体を洗ってから自分の体を洗った。二人で湯船に浸かると狭い浴槽にミルク色のお湯が溢れてゆく。
最初はアヒルの玩具であそんでいたももちゃんだけど、しばらくすると湯気でけぶった鏡に落書きをはじめた。小さな指を使って動物を描く姿は真剣そのもの。小さいお尻がふるふると動くたびに私は微笑んだ。ああ、小さい子のお尻ってなんて可愛いのかしら。そんなことを思いながら私は湯船につかり、天井を仰ぐ。すると天井が急に明るくなった。細い光がゆっくりと円を描き、天井にぽっかりと穴が開く。そこから人の首がにょきっと生えてきた。
え? え? えええええっ!
「おー、風呂にはいっていたのかぃえ」
体を半分だけ覗かせてヤツは言う。へんてこりんな語尾をつけてやってきたのは如何にもな格好をしたジジィだ。私はありったけの悲鳴を上げる。側にあったアヒルの玩具をヤツに投げつけると、ヤツの顔面に命中した。アヒルは一回転したあと、優雅に着水する。
「いたた、何するんじゃ」
「信じらんないっ。何てとこから現れるの!」
「相変わらず師匠への敬意もないヤツじゃのう」
「敬意もへったくれもあるかこの痴漢っ! こっちに来るんじゃねぇーっ!」
そう言 って私は湯船に体を沈める。普段は何もいれないけど、今日入浴剤を入れておいてよかったと心から思った。でなかったら私の裸が丸見えになっていた。
上半身だけ出して様子を伺っているヤツは一応私の師匠だ。何の師匠かというと――魔法使い。ある日、私はヤツに魔法使いにならないかとスカウトされたのである。なんでもヤツのいる異世界では後継者不足なのだとか。
最初は怪しい何かの勧誘かと思ったけど、一度命を助けてもらったし目の前で空を飛んだのだからこりゃ本物だと信じるしかない。修行も週二程度でいいというので私は弟子入りを了解し契約を結んだ。それが人生最大の間違いと気づいたのはその一週間後だ。
魔法使いとは名ばかり、ヤツは術を教えるのを渋るし、私に雑用を押しつける。果ては私の家で菓子をついばみテレビを見ながらごろ寝をするのだ。これは詐欺としか言いようがない。
とにもかくも、私はヤツとの師弟契約をどうにかして解除したいのである。でも契約に逆らったりヤツに暴言を吐けば「お仕置き」が待っていて、私はいつもそれに屈することになる。
今日も今日とて、奴はお仕置きじゃぁーと声を上げていた。
私は契約を結んだ時につけられた腕輪を見る。ここに光が宿ったら最後、100万ボルトの電流が湯船に流れてしまう。水は電気を通すから――つまり一発で感電死だ。
腕輪が光を放つ。防御魔法を唱える余裕はない。もう駄目、と思い私は目をつぶるが、次の瞬間、腕の光が消えた。あーっと大きな声がヤツの耳をつんざいたからだ。
「だんごこーえんのおじーちゃん」
ももちゃんは天井にいるヤツを見て目をきらきらとさせていた。私は一瞬何で?って思ったけど――ああそうか、ももちゃんはヤツと面識があったんだっけ。私は小さな救世主にこっそり感謝した。
「おおそなたは、もも、じゃったな。久しぶりではないか。元気にしてたか?」
「うん。でもおじいちゃん、なんでこんなところにいるの?」
「そこにいる馬鹿なちんちくりんに用事があってのう」
馬鹿なちんちくりんは余計だジジィ、と私は突っ込みたくなったが、口にしたらまたお仕置きされるのでそこは口を閉ざしておいた。子供の無邪気な質問は続く。
「おじーちゃん、なんでうえからでてきたの? そこにトンネルがあるの?」
「そうじゃ な。トンネルがあるんじゃ」
「それってどこにつながってるの?」
「魔法の国――とでもいっておこうか。ワシはな、超一流の魔法使いなんじゃ」
魔法使い、その一言にももちゃんの目がきらんと光ったのは言うまでもない。今、この子のマイブームは魔法少女なのだ。
「おじーちゃん、ほんとうにまほーつかいだったんだ。 じゃあ、またいろんなまほーおしえて」
「おーおー、いくらでも教えてやるとも」
ちょっと待て。それは問題発言じゃないか?
ヤツは公園で遊んでいた三歳児に攻撃魔法を教えた前科がある。その上自分の弟子を差し置いて指南するだと? ありえん。やっぱりヤツは詐欺魔法使いだ。今度こそ訴えて契約破棄してやるんだから!
私はぎりぎりと自分の歯 を軋ませた。一方ももちゃんはといえば、まほーまほーと大興奮。こんどはそらをとぶまほうがいいなぁ、なんてリクエストまでしている。
とにもかくも、空気が一度緩んだので私はため息を一つついてから、あのさぁ、とヤツに言葉を放った。
「用事があるならお風呂出てからにしてくれない? つうかとっとと消えろ!」
「そういうわけにもいかなくてのう。緊急事態なんじゃ」
「緊急事態?」
私はヤツの言葉を繰り返す。見上げるとヤツが真面目な顔で私を見ていた。私は持っていた片手桶を一旦下ろす。浴槽の縁に置いてから、ヤツの話をとりあえず聞いてみることにする。
「詳しい事は向こうで話すが、我が国最大の危機なのじゃ。今、国中の魔法使いとその弟子たちが城に召集されている。魔法を使える者が多数必要でな。我々もそちらに向かわなければならない」
ヤツの話に私はふむ、と唸る。
「とりあえずわかった。分かったけど――もう少しだけ待って」
場所が場所だし服くらい着させてよ、と私は言葉を続けるが、全ての言葉を言い切る前に湯船から強制退去された。
「とにかく急ぎなんじゃ。このまま飛ばすぞ」
「ちょ、裸のままでそっちの世界に行くの? やめてよーっ!」
「別にそなたの裸など誰も興味持たないわい」
「そういうことじゃなくて!」
人目のある所に出たらどうするの? 痴女だ変質者だと大騒ぎになるじゃない。詐欺魔法使いの弟子が変態なんて噂が回ったら……それは絶対にイヤーーーっ!
私はビーナスの誕生のごとく 、要所を手で隠し、体をくねらせながら宙を舞う。それを見ていたももちゃんは大はしゃぎだ。
「わー、おねえちゃんおそらとんでるー。いいなぁ。もももおそらとびたーい」
「おおそうか。じゃあもももワシの住んでる世界へ行くか?」
「いきたーい」
ももちゃんは諸手を上げて要求する、私はふわふわ浮きながらそれだけは止めて、訴えるけどのれんに腕押し。好奇心満載の子供を止めることはできない。
ヤツは自分の持っていた杖を軽く回す。ももちゃんの体が浮いた。ももちゃんはくるりと一回転し、きゃっきゃと笑う。
「たーのーしいー」
「ふぉーっふぉ、楽しいか。それはよかった」
「全然よくないっ!」
私は下ろせとぎゃあぎゃあわめくが多数決には叶わない。天井の穴から風を感じる。私達は掃除機の如く吸い込まれるとヤツの住んでいる異世界へ飛ばされた。
(使ったお題:70.もう少しだけ待って)