もの書きから遠ざかった人間のリハビリ&トレーニング場。
目指すは1日1題、365日連続投稿(とハードルを高くしてみる)
2013
私が働いているホテルの小会場は度々記者会見に使われる。それは映画の製作発表だったり、スポーツの会見だったり。
今日は数日前から始まった世界野球の結果が報告された。今日準々決勝が行われ、我が国は逆転勝利をおさめた。だが決勝点をあげた四番バッターが試合終了後に突然倒れ、先ほど現地の病院で死亡が確認されたという。死因はくも目下出血。その報告に会場が一度どよめいた。それでも会見は淀みなく続く。他の国の試合結果が全て伝えられる。ひととおり終わると、すぐさま記者たちの質問が相手に飛んだ。その内容のほとんどは急死したヒーローに関するものだった。
十分間の質疑応答が終わると席に座っていた記者たちはそれを活字にすべく動き出す。明日の見出しはきっと割れるだろう。世界野球決勝進出とそれを導いたヒーローの突然の死、どちらが大きく打ち出されるかは、社色と記者の腕次第といった所だろうか。
とはいえ、野球に疎い私にとってはあまり興味を引く話題ではなかった。亡くなったヒーローのあの人に対してもそうなんだ、位で。そう、今の私には遠い遠い世界の話、そんな感じだ。
装着していたイヤホンに撤収の指示が入ったので、私は椅子を片づける作業に入った。だが、それはすぐに頓挫してしまう。整列された椅子の、後方の席に座っている男性――というよりおじさんがまだいたからだ。おじさんは席に座ったまま、石像のように微動だにしなかった。
私は彼に近づく。あの、撤収するので会場を出て頂きたいのですが。そう言っておじさんをどかそうとした。だが、私の唇は前振りの「あの」の部分で止まってしまう。記者席に座っていたおじさんが静かに涙を落していたからだ。きっとおじさんの耳には私の言葉など耳に入らない。おじさんの中だけ時間が止まっているのだろう。
私は一瞬悩んだ。撤収作業は始まっている。この人をどかさないことには作業がすすまない。でも、泣いている人をほおっておくこともできない。結局私は手持ちのハンカチを差し出した。彼の目に触れそうな位置に近づける。たぶん、そうしないと気づかないと思ったから。
「使いますか?」
私の存在に気づいたのか、おじさんがゆっくりと顔を上げる。中年男の泣きはらした顔は情けないを通り越していた。私はおじさんの胸元をさりげなく見る。記者カードを確認すると、聞いたこともない新聞社の名前が――いや、地方に特化した新聞社だというのがわかった。何故なら、とある地方の名前を取っていたからだ。私は昔、野球好きの同僚から聞いた話を思い出す。あの人の活躍を書くためだけに新聞社を立ち上げた人がいると。たぶんでなくても――目の前の人物がその人なのだろう。
「あの、大丈夫ですか?」
私はおじさんに聞いた。大丈夫、と聞いたのはもしかしたらおじさんはあの人の死を悲しんでたんじゃなくて、十年ぶりの決勝進出に嬉しくて涙を流したのかもしれないって思ったから。だから安易に他の言葉を紡ぐことができなかった。
そんな私の気持ちを汲んでくれたかは分からない。おじさんは「もう大丈夫です」と言葉を返してくれた。
「いい年のおっさんが泣いてたら驚きますよねえ。お恥ずかしい所を見せてしまって……でも、ショックだったんですよ。あの人が僕よりも先に死んでしまって――」
「そう、ですよね」
こう言う時、一番しっくりくる言葉は何だろう、と私は思う。すぐに浮かんだのは「遺憾」だった。とても残念でならないという意。政治家がよく使う言葉だけど、重々しい雰囲気が伝わる。そんな気がする。
「僕は僕らにとって彼は本当にヒーローで……希望だったんです。山と田んぼ以外何もない、辺鄙な田舎で、彼がプロ選手になるまでこれといった特産品も有名人もいなくて。みんな彼の活躍に元気を貰っていたんです。彼はまだ若かった。もっともっと、やりたいことがあったと思うんです。だから――悔しくてならない」
そう言っておじさんは一度両手で自分の顔を覆った。涙のあとを拭きとり、ほう、とため息をつく。社に戻って記事を書かなきゃな、と言うと、私に会釈をして会場を去っていった。
結局おじさんは私のハンカチを使わなかった。私は野球のことはよく知らない。でも肩を落として去っていったおじさんの、あの人を思う気持ちは伝わった。
おじさんにとってあの人は遠い世界の人間じゃない、愛する故郷の一部なのだ。
今日は数日前から始まった世界野球の結果が報告された。今日準々決勝が行われ、我が国は逆転勝利をおさめた。だが決勝点をあげた四番バッターが試合終了後に突然倒れ、先ほど現地の病院で死亡が確認されたという。死因はくも目下出血。その報告に会場が一度どよめいた。それでも会見は淀みなく続く。他の国の試合結果が全て伝えられる。ひととおり終わると、すぐさま記者たちの質問が相手に飛んだ。その内容のほとんどは急死したヒーローに関するものだった。
十分間の質疑応答が終わると席に座っていた記者たちはそれを活字にすべく動き出す。明日の見出しはきっと割れるだろう。世界野球決勝進出とそれを導いたヒーローの突然の死、どちらが大きく打ち出されるかは、社色と記者の腕次第といった所だろうか。
とはいえ、野球に疎い私にとってはあまり興味を引く話題ではなかった。亡くなったヒーローのあの人に対してもそうなんだ、位で。そう、今の私には遠い遠い世界の話、そんな感じだ。
装着していたイヤホンに撤収の指示が入ったので、私は椅子を片づける作業に入った。だが、それはすぐに頓挫してしまう。整列された椅子の、後方の席に座っている男性――というよりおじさんがまだいたからだ。おじさんは席に座ったまま、石像のように微動だにしなかった。
私は彼に近づく。あの、撤収するので会場を出て頂きたいのですが。そう言っておじさんをどかそうとした。だが、私の唇は前振りの「あの」の部分で止まってしまう。記者席に座っていたおじさんが静かに涙を落していたからだ。きっとおじさんの耳には私の言葉など耳に入らない。おじさんの中だけ時間が止まっているのだろう。
私は一瞬悩んだ。撤収作業は始まっている。この人をどかさないことには作業がすすまない。でも、泣いている人をほおっておくこともできない。結局私は手持ちのハンカチを差し出した。彼の目に触れそうな位置に近づける。たぶん、そうしないと気づかないと思ったから。
「使いますか?」
私の存在に気づいたのか、おじさんがゆっくりと顔を上げる。中年男の泣きはらした顔は情けないを通り越していた。私はおじさんの胸元をさりげなく見る。記者カードを確認すると、聞いたこともない新聞社の名前が――いや、地方に特化した新聞社だというのがわかった。何故なら、とある地方の名前を取っていたからだ。私は昔、野球好きの同僚から聞いた話を思い出す。あの人の活躍を書くためだけに新聞社を立ち上げた人がいると。たぶんでなくても――目の前の人物がその人なのだろう。
「あの、大丈夫ですか?」
私はおじさんに聞いた。大丈夫、と聞いたのはもしかしたらおじさんはあの人の死を悲しんでたんじゃなくて、十年ぶりの決勝進出に嬉しくて涙を流したのかもしれないって思ったから。だから安易に他の言葉を紡ぐことができなかった。
そんな私の気持ちを汲んでくれたかは分からない。おじさんは「もう大丈夫です」と言葉を返してくれた。
「いい年のおっさんが泣いてたら驚きますよねえ。お恥ずかしい所を見せてしまって……でも、ショックだったんですよ。あの人が僕よりも先に死んでしまって――」
「そう、ですよね」
こう言う時、一番しっくりくる言葉は何だろう、と私は思う。すぐに浮かんだのは「遺憾」だった。とても残念でならないという意。政治家がよく使う言葉だけど、重々しい雰囲気が伝わる。そんな気がする。
「僕は僕らにとって彼は本当にヒーローで……希望だったんです。山と田んぼ以外何もない、辺鄙な田舎で、彼がプロ選手になるまでこれといった特産品も有名人もいなくて。みんな彼の活躍に元気を貰っていたんです。彼はまだ若かった。もっともっと、やりたいことがあったと思うんです。だから――悔しくてならない」
そう言っておじさんは一度両手で自分の顔を覆った。涙のあとを拭きとり、ほう、とため息をつく。社に戻って記事を書かなきゃな、と言うと、私に会釈をして会場を去っていった。
結局おじさんは私のハンカチを使わなかった。私は野球のことはよく知らない。でも肩を落として去っていったおじさんの、あの人を思う気持ちは伝わった。
おじさんにとってあの人は遠い世界の人間じゃない、愛する故郷の一部なのだ。
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プロフィール
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和
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女性
自己紹介:
すろーなもの書き人。今は諸々の事情により何も書けずサイトも停滞中。サイトは続けるけどこのままでは自分の創作意欲と感性が死ぬなと危惧し一念発起。短い文章ながらも1日1作品書けるよう自分を追い込んでいきます。
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