2013
駅の改札口を過ぎると、背中から強い視線を感じた。私の中で警報が鳴り響く。またか、と思う。ちらりと出口方面を伺うと、若い女性と一瞬だけ目があった。女性がこちらに近づいてくる。清楚さを主張するワンピース姿だが、それをまとう人間の目は何ともギラギラしていて気持ち悪かった。
私の顔が垢抜けないのか、気弱そうに見えるのか、見知らぬ街に降り立つと見知らぬ誰かに声をかけられる。それは粗品をあげるのでアンケートをお願いしますとか、役に立つ情報をあちらでご紹介していますとか言ってるけど、最終的には二束三文の品を高い金額ふっ掛けられたり、無理なノルマを課せられるのがほとんどだ。お得や限定、タダほど裏に何かがある。それは辛くも私の実体験を含んでいた。
やだなぁ、ここで待ち合わせなのに。
私はそっとうつむいて、女性に目を合わせないようにする。あの、声を掛けられても無視して素通りする。女性との距離がある程度離れるとこれまであった視線はぷっつりと途絶えた。おそらくターゲットを他に定めたのだろう。
私はこういった「奴ら」の商売に辟易していた。が、声高にして責めるようなことはしない。その場で言っても無駄で終わるのが目に見えていたからだ。ああいう仕事はすでにマニュアル化していてあの手この手の抜け道や言いわけを作っているから、口を出したら余計にややこしくなる。反論は興味の裏返しだと勘違いされ、奴らは私に喰らいつくのだろう。遠い日の苦い思い出がほろりと落ちる。
丁度お腹がすいたので、高架下にあるベーカリーで食事がてら相手を待つことにした。パンを二種類お盆に乗せ、飲み物を選び会計を済ませる。階段を昇り二階の喫茶室に向かった。窓側の席に陣取り、そこから見える風景をおかずにして主食を平らげる。
駅の入り口付近では若い女性がまだ見知らぬ人に声をかけ続けている。疲れきった表情がこちらまではっきりと見える。駅周辺を徘徊する女性を周りはどう思うのだろうか。特に、こういった商売の裏に気づいてる人間は。金にくらんだ報いだと言うのだろうか。それとも「ほら、人生って甘くないでしょう?」と嘲笑されるのだろうか。
私はこっそりため息をついた。ああ、何でこんな時代になっちゃったんだろう。昔は一人が困っていたら回りがそれを見逃さなかった。その昔、私が満員電車で酔っ払いに絡まれた時、周囲の人たちが無言で盾になってくれて私を助けてくれた。皆他人同士なのに、あのチームワークの良さには惚れ惚れしたし、その優しさに私は言葉にできないほどの感謝を抱えていた。
今、同じような場面に遭遇したら私は彼らと同じことができるだろうか。見ず知らずの他人に手を差し伸べる勇気はあるのだろうか。
食事を終えて数分後、携帯が鳴った。待ち合わせの相手からだ。外を見やれば改札付近でその姿が確認できる。今何処と聞かれたので場所を伝えた。相手が分かったと言って電話を切ろうとして――私は待って、と声をかける。あの女性がそちらに視線を向けたからだ。
「このまま電話切らないで」
私は言う。それが今の私にできる、「奴ら」へのささやかな抵抗なのだ。