もの書きから遠ざかった人間のリハビリ&トレーニング場。
目指すは1日1題、365日連続投稿(とハードルを高くしてみる)
2013
病院で会計を待っていると、小学生くらいの男の子が私に声をかけてきた。
「おねえさんってこの間テレビでピアノ弾いてたよね。なんでここにいるの?」
いがぐり頭の少年は身を乗り出して私に聞いてくる。すぐそばに親らしき人の姿がないことが気になったけど、少年の着ていた服がパジャマだと気づき、嗚呼、と納得する。ここに入院しているんだ、となんとなく悟った。
私は当たり障りのない答えで少年の質問をかわす。
「ここの先生にご用事があったの」
「そうなんだー。じゃあなんでボールにぎにぎしてるの?」
「ボールを握って手の力を鍛えてるの」
「それってピアノ弾くのに必要なの?」
「――そうだよ……僕、飴でも食べる?」
私はバッグからソーダ味の飴玉を取りだした。それは以前DVDを借りた時に店員がくれたものだ。
甘い誘惑に子供はやったあ、と声を上げる。
「おねえさん優しいー。ありがとぉ」
無邪気に喜ぶ少年はすぐさま包装紙を取り払い、飴玉を口の中に入れる。
美味しそうに味わう少年に周りは温かい眼差しを向けていた。顔見知りの看護士でさえも、私たちのやりとりを微笑ましく見守っていた。
でも彼らは知らない。私が子供の純粋な言葉に心を抉られていることを。
にこにこ笑っているけど、本当は頬がずっと前からひきつっている。肩だって、ぷるぷると震えている。
本当は大声を上げて叫びたかった。
五月蠅い、目障りだ、私の前から消えてしまえ。二度と私に話しかけてくるな。
ここが病院でなかったら、私は握りしめているボールをこのガキにめいっぱい叩きつけていただろう。
先月、私は交通事故に巻き込まれた。命は助かったけど、命よりも大切な指を失った。負った傷は神経をも引き裂き、私は自由を奪われた。
見た目は分からないけど、私の指はもう以前のように動かない。リハビリは続けているけれど元に戻る確証などどこにもない。今の私はピアノを弾くことも、世間のいう「七色の音」を紡ぐこともできない。
物心ついた頃から私は音楽と共に生きてきた。ピアニストになるために血のにじむような努力を積んできた。それは辛いことの方が多かったけど、それでも私は音楽を愛し続けていた。
私から音楽を奪う事は死を意味する。傷は塞がれたけど、私の心は死んだも同然なのだ。
「なぁ、おねえちゃん聞いてる?」
少年の声に私ははっとする。顔を上げると少年の眼差しが私を射抜いた。あまりにも真剣に見てくれるから私は戸惑ってしまう。
「えっと。何ていったんだっけ?」
「だーかーらー。今度俺にピアノ教えてって」
「え?」
「俺、おねえさんのピアノ聞いてカンドーしたんだ。俺もあんなふうにカッコよく弾いてみたい。だから教えて」
宿題を教えてと言うのと同等に少年は私に頼んできた。それを聞いて今度こそ止めて、と拒むチャンスだと思った。
無理なの。どんなに頑張ってもできないの。だから他の人に頼みなさい。
私はもう終わった人間。ピアノはもう一生弾けないんだから――だから。
「嫌……だ」
私はようやく本音を言葉に落とす。でも、それは少年に向けた言葉ではない。気がつけば私の頬を涙が伝っていた。
ピアノが弾けないのなら私には生きている意味がない――
他人が聞いたら何を大げさな、と笑われるだろうけどそれが今の私の心境だ。私は崖っぷちに立っていた。未来に希望なんてあるわけがない。
崖から飛び下りることができたらどんなに楽だろうって思う。体も粉々になれば、私は救われるのかもしれないと。でもそんな勇気などなく、惰性のままリハビリに通うのが現実で――
否、違う。
本当は一縷の望みに賭けていた。
今日はできなかったけど、明日はできるかもしれない。次はできるかもしれない。そんな未練たらたらの気持ちでリハビリを続けていたんだ。
こんな自分はみっともないって思ったから、渋々やってるんだって思いこませて。
本当は、本当は――
「なぁ、おねえちゃん。大丈夫か?」
突然泣き出した私に少年はどうしていいのか分からず、おろおろとしていた。再び現実に戻された私はごめん、と最初に謝る。
そんな、泣くほど嫌だった? と聞いてくる少年に私は首を横に振った。ああ、大の大人が子供の前で泣いて情けない、と思いつつ。
「ごめんね。違うの、そうじゃないの」
私は頬に残る涙を払う。それから口元をほころばせて笑った。
「おねえさんってこの間テレビでピアノ弾いてたよね。なんでここにいるの?」
いがぐり頭の少年は身を乗り出して私に聞いてくる。すぐそばに親らしき人の姿がないことが気になったけど、少年の着ていた服がパジャマだと気づき、嗚呼、と納得する。ここに入院しているんだ、となんとなく悟った。
私は当たり障りのない答えで少年の質問をかわす。
「ここの先生にご用事があったの」
「そうなんだー。じゃあなんでボールにぎにぎしてるの?」
「ボールを握って手の力を鍛えてるの」
「それってピアノ弾くのに必要なの?」
「――そうだよ……僕、飴でも食べる?」
私はバッグからソーダ味の飴玉を取りだした。それは以前DVDを借りた時に店員がくれたものだ。
甘い誘惑に子供はやったあ、と声を上げる。
「おねえさん優しいー。ありがとぉ」
無邪気に喜ぶ少年はすぐさま包装紙を取り払い、飴玉を口の中に入れる。
美味しそうに味わう少年に周りは温かい眼差しを向けていた。顔見知りの看護士でさえも、私たちのやりとりを微笑ましく見守っていた。
でも彼らは知らない。私が子供の純粋な言葉に心を抉られていることを。
にこにこ笑っているけど、本当は頬がずっと前からひきつっている。肩だって、ぷるぷると震えている。
本当は大声を上げて叫びたかった。
五月蠅い、目障りだ、私の前から消えてしまえ。二度と私に話しかけてくるな。
ここが病院でなかったら、私は握りしめているボールをこのガキにめいっぱい叩きつけていただろう。
先月、私は交通事故に巻き込まれた。命は助かったけど、命よりも大切な指を失った。負った傷は神経をも引き裂き、私は自由を奪われた。
見た目は分からないけど、私の指はもう以前のように動かない。リハビリは続けているけれど元に戻る確証などどこにもない。今の私はピアノを弾くことも、世間のいう「七色の音」を紡ぐこともできない。
物心ついた頃から私は音楽と共に生きてきた。ピアニストになるために血のにじむような努力を積んできた。それは辛いことの方が多かったけど、それでも私は音楽を愛し続けていた。
私から音楽を奪う事は死を意味する。傷は塞がれたけど、私の心は死んだも同然なのだ。
「なぁ、おねえちゃん聞いてる?」
少年の声に私ははっとする。顔を上げると少年の眼差しが私を射抜いた。あまりにも真剣に見てくれるから私は戸惑ってしまう。
「えっと。何ていったんだっけ?」
「だーかーらー。今度俺にピアノ教えてって」
「え?」
「俺、おねえさんのピアノ聞いてカンドーしたんだ。俺もあんなふうにカッコよく弾いてみたい。だから教えて」
宿題を教えてと言うのと同等に少年は私に頼んできた。それを聞いて今度こそ止めて、と拒むチャンスだと思った。
無理なの。どんなに頑張ってもできないの。だから他の人に頼みなさい。
私はもう終わった人間。ピアノはもう一生弾けないんだから――だから。
「嫌……だ」
私はようやく本音を言葉に落とす。でも、それは少年に向けた言葉ではない。気がつけば私の頬を涙が伝っていた。
ピアノが弾けないのなら私には生きている意味がない――
他人が聞いたら何を大げさな、と笑われるだろうけどそれが今の私の心境だ。私は崖っぷちに立っていた。未来に希望なんてあるわけがない。
崖から飛び下りることができたらどんなに楽だろうって思う。体も粉々になれば、私は救われるのかもしれないと。でもそんな勇気などなく、惰性のままリハビリに通うのが現実で――
否、違う。
本当は一縷の望みに賭けていた。
今日はできなかったけど、明日はできるかもしれない。次はできるかもしれない。そんな未練たらたらの気持ちでリハビリを続けていたんだ。
こんな自分はみっともないって思ったから、渋々やってるんだって思いこませて。
本当は、本当は――
「なぁ、おねえちゃん。大丈夫か?」
突然泣き出した私に少年はどうしていいのか分からず、おろおろとしていた。再び現実に戻された私はごめん、と最初に謝る。
そんな、泣くほど嫌だった? と聞いてくる少年に私は首を横に振った。ああ、大の大人が子供の前で泣いて情けない、と思いつつ。
「ごめんね。違うの、そうじゃないの」
私は頬に残る涙を払う。それから口元をほころばせて笑った。
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プロフィール
HN:
和
HP:
性別:
女性
自己紹介:
すろーなもの書き人。今は諸々の事情により何も書けずサイトも停滞中。サイトは続けるけどこのままでは自分の創作意欲と感性が死ぬなと危惧し一念発起。短い文章ながらも1日1作品書けるよう自分を追い込んでいきます。
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