2013
それはどこにでもありそうな、小さな小さな鍵だった。
あの世の閻魔大王曰く――これは「極悪人」と呼ばれた俺の唯一の良心なんだとか。俺にはそんな記憶はない。たぶん俺の中ではどうでもいい話で、強制排除されたんだろう。
とにもかくも。生前にしでかした親切とやらが、俺の地獄行きを保留にした。
「おまえが今持っている蝋燭が全て尽きるまでに、この鍵に合うものを探し当てれば地獄行きはなかったことにしてやろう」
閻魔大王の提案に俺は二度返事で承諾した。地獄行きがなくなるってことは当然、行くのは極楽浄土――天国に決まってる。
俺は意気揚揚でこのゲームに参加したわけだが――
これは意地悪問題だろ絶対!
今俺の目の前には無数のドアがある。その半数は錠がついたまま開いていた。残りの半数は固く扉が閉ざされていて、鍵穴すら見当たらない。閉じているドアはもちろん、こちら側から開けることができない。
こりゃ一体どういう事だ?
俺はさっきからない頭を必死に振り絞って考えていた。だが答えは出てこない。
そうこうしていくうちに手持ちの蝋燭は半分以下になっていく。
謎解きに疲れた俺はその場に胡坐をかいた。閻魔大王から渡された鍵を睨みつける。僅かな希望は焦りに変わり、やがて諦めに変わった。
どーせ馬鹿な俺には無理な話だったんだよ。
そんなことを思いながら俺は鍵を放り投げる。鍵は地面に打ちつけられ、変な音を立ててのさばった。あまりにも聞いたことがない音だったので、俺の注意がそちらに引かれる。
すると丁度鍵が地面にぶつかった所に煙突のような突起を見つけた。心なしか、その突起の色は子供の頃、天井裏に隠した宝箱の外装にそっくりで。
俺はゆっくりとそこに近づく。円柱の形をした突起は単なる岩ではなさそうだ。
地面に膝をつく。両手を使って箱の周りを丁寧に掘り出した。徐々にその姿があらわになる。それは確かに俺の宝箱だった。
不思議なことに、箱には小さな南京錠が取りつけられている。そんなもの、当時はつけてなかったのに。
そこで俺ははっとした。
そうだ、ヤツはこれが「扉の」鍵とは言ってなかったんだ。
ということは――
俺は小さな鍵を差し込む。右に捻るとぴきんと音を立てて錠が外れた。
この中には昔流行ったゲームやらどっかのお土産の化石やら鳴らなくなったオルゴールやらが入っていたはずだ。俺は何年振りかに見るそれらを期待して箱の蓋を外す。そっと中身を覗きこむが――
え?
俺はつい、間抜けな声をあげてしまう。箱の中にあったのは大きな渦だからだ。
渦は時計回りに回転するともの凄い勢いで俺を箱の中へ吸い込んでいく。小さな箱に閉じ込められた俺を待っていたのは、水しぶきだった。
液体の中へ放り出された俺はぶくぶくと沈んでいく。もとから死んでいるから息苦しさなど感じるわけがなく――というよりかなり心地よい。
しばらくの間、俺は水の中で漂っていた。くるりと体が回転するとぐにゃりとした感触が襲う。どうやらここは薄い膜のようなもので覆われているらしい。
俺の体が薄い壁に埋もれた。ぎゅうと押し付けられると膜はあっけなく破れてしまった。裂け目から水がどくどくと溢れ、俺は流れともに放り出された。
屋根つきのウォータースライダーに頭から乗せられた俺は右へ左へと体をくねらせる。そのうち道は狭くなり、最終的に俺の体は道を塞いでしまった。その情けない姿が蜂蜜を食べた間抜けなクマと重なる。そのうち壁が自ら動いて俺の体を締め付けてきた。
おいおい、ここが終点とか言わないよな?
これが極楽浄土だと? 冗談じゃない!
そんなことを思った矢先だった。
細く長い穴のずっと先にひとすじの光が見える。
それはきらきらと輝いていて、俺は不思議と確信を持てた。きっとあれが天国に違いないと。
俺は肩を左右に揺らす。体を螺子のようにゆっくり回転させながら先を進んだ。
濡れた頬に空気が触れ、思わず身震いした。
俺の肉体はすでに滅びている。だから体温などないはず。なのに、痛みや冷たさを感じる。自分の中で湧きおこる熱を感じる。
死しても五感は残るものなのだろうか。馬鹿な俺には分からない。
でもこれだけはわかる。あの先に極楽浄土とやらがあるのを。
俺は最後の力を振り絞って光の中に飛び込んだ。外側から一気に引きぬかれる。
数秒後、俺は声を上げて泣いていた。何故泣いていたのかは分からない。嬉しいわけでも、悲しいわけでもなく。ただ泣いていた。
泣きながら、俺は「俺」であることを忘れようとしていた――
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「おめでとうございます。元気な男の子ですよ」
看護士の声を、女性はぼんやりと聞いていた。胸の上に温かい何かが置かれる。それは女性の中で育まれた小さな命だ。
その愛らしい姿に女性の目じりが下がる。やっと会えたね、と囁く声は感動に満ちていた。
添い寝をしてたら思いついた転生話。