2013
「俺が何者か気になるようだな」
私の心を読んだ男に私はぐっと唇を結ぶ。
「でも、俺のことを知りたいのなら先に自分の名を名乗るべきだと思うが」
そう言ってヤツは椅子の下に落ちていた私の生徒手帳を拾った。どうやらさっき転がった時に落としてしまったらしい。ヤツは手帳をぱらぱらとめくって、私の個人情報をあさる。
「名前は――アズマナノハナ? ナノハナとは変な名前だな」
「ヒガシナノカ!」
「ヒガシナ・ノカ?」
「違う! 東 菜乃花!」
私は苗字にアクセントを置いて言い直した。ヤツはふうん、と鼻で返事をするだけで、すぐに次の質問をふっかけてくる。
「茜が丘高校ってのはどこの私立だ? 新しく出来た学校か?」
「少なくともウチらが生まれるずっと前からある公立高校です」
今年で創立四十五周年とかいう話を聞いたような、聞かないような。そりゃウチの高校は偏差値も平均以下で部活動もそれほど盛んじゃない。勉強は憂鬱だけど、友達もクラスメイトもいい子ばかりだ。学校への愛着はそれなりにある。だからヤツの言葉を聞いてると自分を馬鹿にされてるようで腹立たしい。
何なんだこの俺様野郎は。こんなヤツの尋問を受けるなら警察に行ったほうがよっぽどマシだ。
私はヤツに近づいた。ひったくるように生徒手帳を取り返す。分かったわよ! と乱暴に言葉を吐いた。
「勝手に立ち入ったのが気に入らないなら警察にでも突き出せばいいでしょ! さっさと連れて行きなさいよ」
私はヤツを睨み威嚇する。ヤツは一瞬目を丸くしていたが、そのうち顔を歪めた。ぶほっ、という変な音のあとで高らかな笑い声がヤツの口から広がる。
ムカツク、一体何がおかしいって言うんだろう。
「おまえは本当に変わった奴だな。面白い」
「だから何だって言うのよ」
「おまえの度胸に免じて今回のことを不問にしてやってもいいってことだ。ただし一つだけ条件がある」
ヤツはそう言うとブレザーの胸ポケットから上質そうな封筒を私に差し出した。
「来週ウチの学園で文化祭が開催される。おまえも来い。学園の皆におまえを紹介してやるんだ」
意気揚々と語るヤツに私は唖然とした。
えー……っと。言ってる事の意味が良く分からないのですが。
私が更に顔をしかめる。ヤツはにやにやと笑うだけだ。
「――で? その謎の男を筆頭とした集団は何だったの?」
その日の昼休み。親友の久実の質問に私はさあ? と首をかしげた。目の前の卵焼きを箸で割って口に放り込む。ほんのりとした甘さが舌に広がると、頬が緩んだ。同時にできたばかりの傷がうずいて、嫌でもその時の事を思い出してしまう。
あの奇妙な会話のあと、ヤツと私を乗せたベンツはゆっくりと動き出した。そして住宅街を抜けたあとで、私はまたゴミ袋のごとく外へ放り出されたのである。
学祭で待ってるぞ、なんて言われたけど、私はその言葉を強制的に排除した。できることならあんな失礼な生き物とは二度と会いたくない。
私はお弁当をつまみながら、もうどうでもいい事は忘れることにしたから、と久実に言う。口元が汚れたのでハンカチを出そうと制服のポケットに手を突っ込んだ。チェック柄の布と同時に白い封筒を掴んでしまい、せっかくの決意が萎えてしまった。
「何それ?」
久実の目ざとさに私は苦笑する。
「その訳の分からないヤツからの招待状。来週文化祭なんだってさ」
「へー、どこの学校?」
「分かんない。けど、ここに書いてあるんじゃない?」
私はさして興味のない封筒を久実に渡しながら、ヤツの着てた制服を思い返す。あれはどこにでもある様なブレザーで――ああでも襟元は金の縁取りがついていたかも。あとタイにAの紋章がついていたような――
私が記憶の引き出しをあさっていると、封筒の中身を確認した久実から悲鳴が上がった。周りにいたクラスメイトが何事か、と注目する。久実は片手で自分の口を塞ぐと、反対の手で私の腕を引いた。紙パックのジュースを口につけたまま、私は変な体勢を強いられる。
「どうした?」
「……ナノちゃん。あんた、ものすごいのに引っかかったかもしれないよ」
「何それ」
「だってこれ、暁学園の招待状!」
暁学園、その名を聞き流石の私もジュースを吹いた。オレンジ色の液体が古びた机にじわりと染み込んでいく。
暁学園はここから二つほど離れた駅にある私立高校だ。高級住宅地の一角に建てられた学校は敷地面積にしてドーム十個分はあるらしい。生徒の通学は高級車がデフォ。昼は高級ホテルのケータリングで、午後は昼休みとは別に午後のティータイムがあるとかないとか修学旅行は世界一周の旅だとか。その馬鹿高い学費のせいで通っている生徒は金持ちのボンボンやお嬢様だと聞いている。
とにもかくもその学校は浮世離れした噂しか聞いたことがない。つまり私ら一般人にとっては別世界の話であり、そこに通う生徒は私らにとって宇宙人並みの存在と言ってもいい。
その宇宙人からの招待――ですと?
私は久実が見ていた招待状を改めて確認する。確かに。A4の大きさの手紙には『暁学園文化祭のご案内』という文字が打ってあり、私は瞬きを繰り返した。
「ナノちゃん、その男の人の名前とか聞かなかったの?」
「知らない。ああ、でもニシ家の敷地がどうのとか言ってたかな?」
「ニシって……ニシ財閥のことじゃないよね?」
久実の真顔にまさか、と私は鼻で笑った――つもりだった。そんな、神様的存在の一族が私の前に現れるわけないじゃないか、と自分に言い聞かせる。
ニシ財閥は戦後に入ってからは建築や商社、医療や交通機関など幅広く事業を広げ、今や年商何十兆円という巨大企業に成長している。
今日、ニシの名を聞かない日はない。新聞からテレビから、ネットの隅々まで、ニシの名は私達の生活に密着している。天上の一族が街中をふらふらしているとは思い難い。あ、でも関係者という可能性はあるかも。系列会社の役員の息子とか。
私はヤツの顔をもう一度頭に浮かべた。うん、そんな感じの顔だわあれは、と自己処理するけど――
「ナノちゃん、これはチャンスよ!」
何を思ったのか、久実が目をキラキラさせながら私を見上げている。
「ニシ財閥の御曹司からの誘いなんて、天地がひっくり返っても起きないんだから。文化祭行ってきなよ」
「えー、行きたくない」
「何言ってるの! 暁の文化祭って生徒とその身内だけしか参加できないって聞くよ。皆に紹介って――これって見染められたってことじゃない? あわよくば玉の輿とか」
私は顔をしかめた。あんなヤツに惚れられるとか、それは絶対にないだろ。むしろ馬鹿にしていた気がするんだが。そんな輩の誘いに乗ったら、嫌な目に遭うのは目に見えている。
「玉の輿に乗りたいなら久実が行きなよ。それあげるから」
私は封筒を久実に押しつけると、早々と弁当をしまった。