2014
アパートの前で男と喋っているとあの人が突然割り込んできた。
「最近仕事で会えないから、心配して見に来ちゃったよ」
相変わらずあの人は口が上手いなと私はこっそり思う。高鳴る鼓動を聞かれないよう、唇を噛んで必死に感情を抑え込む。
あの人は私の隣りに居る男を一瞥した。
「こちらは?」
彼の問いに私は新しい彼氏、と即答する。
「今度一緒に暮らすの。だからもう私の前に現れないで」
私は「新しい彼氏」を家の中に押し込めるとドアを勢いよく閉めた。しばらくの間耳をすませる。玄関の向こう側はとても静かだ。きっとあの人は私を見限った。今度こそ完全に終わったと思った。
私は想像を膨らませる。このあとあの人は自分の家に帰るのだろう。この時間、あの窓からは温かい光が漏れていて、ドアを開ければ可愛らしい少女がおかえりと迎えてくれるだろう。
今日もテーブルには温められた料理が並べられていて、台所で手を動かしていた奥さんが貴方に微笑む。それを見てあの人はほっと息をつくのだろう。
大切な人のそに居られる、平凡だけど変わらない毎日。それは孤独がまとわりついていた私にとってのどから手が出るほど欲しかったもの。
初めてあの人と出逢った時、やばいな、と思った。顔が私の好みだったからだ。
厳しさの中に優しさがあることも、冷静で落ちついていることも、ちょっと間抜けな所も――何もかもが私のストライクゾーンで。
私より年上なぶん、あの人は異性に手慣れていた。女友達も多そうだった。何より薬指につけている指輪がまぶしすぎる。恋の相手としては一番厄介だなと思った。
彼のアプローチを真に受けてはならない。絶対に堕ちてはならないと何度も言い聞かせて必死に堪えていたのに。私の体は心と裏腹で、彼の要求を拒めない。
実際、あの人の方が上手だった。あの人は確信犯だ。あの人には始めから家庭を捨てる気などない。だから私のような女を見つけて遊ぶのだろう。ひとときの冒険、快楽を求めるために。私はあの人を操縦するつもりだったのに、実際はあの人の手の上で転がされただけ。だから私は自分で幕を引く決意をしたのだ。
「さようなら」
私は扉に額をつけ、聞こえるか聞こえないかの声で呟く。これは禁断の果実を手にした私なりのけじめ。私はあの人が大好きだったけど、あの人を取り巻く全てを奪い壊せるほど私は強かな人間にはなれなかった。
ゆっくりと振り返る。私はあがりまちで尻持ちをついている「新しい彼氏」に頭を下げた。実は彼と私は今日が初対面だ。私に呼ばれた彼はというと、突然彼氏呼ばわりされてかなり困惑している。
「引越の見積もり、お願いできますか」
私は何もなかったように話を進めた。