2014
ヒロトは幼稚園の頃からの友達だ。うれしい時もヘコんだ時もいつも一緒にいる、マブダチってやつだ。そんなマブダチが、放課後、真面目な顔で俺に言ってきた。
「ちょっとソウダンしたいことがあるんだけど、今日僕の家にきてくれる?」
いつもと違うヒロトに俺は首を横にかしげつつ、分かったと言う。放課後、家に帰ってランドセルを置くとヒロトの家に向かった。
ヒロトの家は二つ先の角にある一軒家だ。見ればちょうどヒロトがインターホンを押している。俺が声をかけると同時に家の扉が開いた。
「おかえりー」
俺たちを出迎えてくれたのはヒロトのお母さん。ヒロトのお母さんは若くて綺麗でとっても優しい。ウチの母ちゃんやミカコとは大違いだ。
「あら健太郎くんも一緒?」
「僕が呼んだんだ」
むすっとした顔でヒロトが言う。
「それよりも。僕の部屋に勝手に入ってないよね?」
「入ってないわよ。おやつ、テーブルに置いてあるから」
「あっそ」
俺はヒロトのそっけない態度に少しだけ驚いていた。だって、ヒロトと博人のお母さんはすごく仲がいいところしか見てないから。ヒロトがこんな態度を取るなんて思いもしなかったんだ。
「ケンタロウ行こ」
ヒロトに腕を引かれた俺はおじゃまします、と一言声をかけてからついていく。
ヒロトの部屋は二階だ。ヒロトは扉の前に立つと、僕の方を向いた。
「この部屋の中の事、誰にも言わないって約束してくれる?」
真面目な顔でヒロトが言うから、僕は顔を引きしめた。ヒロトが扉をそっと開ける。人一人がやっと入る隙間に入って、と言われたので俺はあわてて体を滑り込ませる。
ヒロト相談って何だろう? この部屋に一体何があるんだろう?
ちょっとの緊張と好奇心に包まれながら僕は部屋の中を見る。
ヒロトの部屋は何ら変わりがなかった。勉強机にベッド、本棚には漫画と小説と図鑑が行儀よく並んでいる。
なんだ。いつもと同じ普通の部屋じゃん。そんなことを思ったら突然、目の前を何かが横切った。ひらひらと舞う姿は白い羽根には小さな黒点がついている。
これって――まさか。
「モンシロチョウ?」
俺の言葉に博人は頷いた。
「何? ヒロト飼ってるの?」
「うん。この間、ケンタロウん家に遊びに行った時、野菜あげたよね?」
「うん。鍋にして食ってやったやつな」
トロトロに煮た大根と白菜はとろけるほど柔らかくてすごくうまかった。あの日はごはん三杯もおかわりしたっけ。
「それ、群馬のおばあちゃんが送ってきたものなんだけど、それにくっついてきちゃったみたいなんだ」
「チョウが?」
「正確にいうと、成虫になる前の青虫がね」
話によると、ヒロトは晩ごはんのの手伝いで野菜を洗ってて気づいたらしい。ヒロトのお母さんからは葉ごとゴミ箱に捨てなさい、と言われたけどヒロトはこっそり自分の部屋に持ちこんで飼っていたそうだ。
青虫はすくすくと育ち、やがてさなぎになったという。ヒロトの調べだとモンシロチョウは冬の間はさなぎで過ごし、温かくなってからさなぎから出て成虫になるんだとか。だから博人もチョウは春になってから出てくるものだと信じていた。
でもここ最近はとっても寒くて、日当たりの良いこの部屋もエアコンをガンガン利かせていたらしい。温度は常に二〇度を保っていて――そのせいでチョウは春とカン違いして出てきてしまったのだ。
「ねぇケンタロウ。僕、どうしたらいいと思う?」
真剣な顔でヒロトが聞いてくる。
「モンシロチョウは成虫になったら二週間位しか生きられないんだって。でもこの時期、仲間の蝶はいないし、近くに餌になる花なんてない。だからこのまま家の中で一生過ごさせようかなって思ってた。でもね……」
ヒロトはちらりと窓を見た。そこには羽根を広げたチョウがばたばたと騒いでいる。全身を使って窓を必死にたたいている。
「なんか、外に出たそうだな」
「このチョウはきっと、空が恋しいんだと思う。ねぇケンタロウ。僕はどうしたらいいと思う? チョウをこのまま育てるか、それとも外に放すべきか」
「そうだなぁ……」
俺はうでを組んで考える。ヒロトのソーダンってこれだったんなぁ、と思いつつ。
ふつーに考えれば外に出すのはチョウにとってゴーモンだよな。たぶん外に出たら死ぬんだろうな。長生きしたいなら部屋の中に居る方がいいんだろうな。
この部屋はあったかい。窓のそばには花の咲いた鉢植えある。たぶんヒロトが用意したんだろう。ここでも十分カイテキなんだと思う。
でも――
俺は窓に張り付いたチョウを眺めた。ガラスの上でじたばた羽根を動かしているのを見ているとそっちのほうがゴーモンに思えてきた。
羽根があるのに、もっと先に行きたいのに。このヘンな壁がジャマなんだよ。目の前のチョウがそう言ってるみたいだ。
コイツにとってどっちが幸せかなんて俺にはわからないけど。何がしたいのかは想像がつく。たぶんヒロトも自分がどうすればいいのか分かっているのかもしれない。でもその決心がつかなくて俺に聞いてきたんだ。
だったら俺の答えはひとつ。
「ヒロトが決めろ」
「え?」
「たぶん、俺よりもヒロトの方がコイツの気持ちを分かっていると思う。だから自分で決めろ」
「ケンタロウ」
「ヒロトが決めたことは正しいと俺は思う」
俺はにっと笑う。俺の返事にヒロトは少し黙りこんで、最後にこくりとうなずいた。ゆっくりと歩き出す。
ヒロトが向かったのはチョウがいる大きな窓ではなく、机の側にある小さな窓だ。
こっちの方が河原に近いから、そう言ってヒロトは窓を全開にした。冷たい空気がいっきに部屋の中へ入ると、チョウがふわりと飛んだ。あっという間に空に吸い込まれていく。
そのあとどうなったかは俺もヒロトも知らない。でも、チョウはあこがれた世界に羽ばたいた。だから残り少ない時間を逞しく生きている、そんな気がした。