2013
しばらく歩くと林道の先に古めかしい洋館が現れた。そこは暁学園の中でも別館と呼ばれる所らしい。入口には強面顔の生徒が睨みを利かせていたので、私は思わず躊躇してしまう。
「ここは昔『遊技場』として使われていた所だ。今は学園に一定以上の貢献をした生徒だけが入れるようになっているんだが、今日だけ一般の生徒も使えるように開放している」
「ふうん」
一定以上の貢献というのは詰まる所の寄付金ってやつなんだろう。これだから金持ちは――と、私はこっそり毒づく。
さてさて、この扉の先には何が出てくることやら……私は心の中でナレーションを入れると、仁王立ちしていた生徒たちが扉を開けた。まばゆい光が差し込む。
一番最初に目に飛び込んだのは緑色の盤面だ。そこには数字の書かれたマス目が記されており、コインが山積みにされていた。隣りでルーレットがからからと回っている。かと思えば隣りの机では一人の男性が慣れた手つきで生徒たちにカードを配っているし、奥の方ではスロットがくるくると回っている。テレビでしか見たことのないきらびやかさに私は絶句した。
えー……っと。これはどう見てもカジノ、だよね?
「どうだ? これなら生徒も参加しているし、おまえの言う温度のある出し物とはこんな感じか?」
「いや、これは……」
ある意味熱はある、のかもしれない。けどもの凄く違う気がする。つうか高校にカジノ作るのはアリなんですか? 本当、この学校を運営している人間の顔を一度見てみたいわ。
私は喉まで出かかったもろもろの言葉を必死に飲みこんだ。頭をフル回転させ、場に合った言葉を探す。
「何と言うか、もっと健全な――体を動かす的なモノ、というか……ねぇ」
「なるほど、スポーツだな。ならこっちだ」
私の意志を汲み取ってるんだかいないんだか。ヤツは前へ前へと進んでいく。私がついてくるもんだと思っているのか、一度も振り返りやしない。
フロアの奥までたどりつくと、またひとつ扉が現れた。入口と同様、扉の側にいかつい人達が待っている。彼らの手で観音開きの扉が開かれる。
すると扉の向こう側から紙吹雪が飛んできた。大きな歓声が耳をつんざく――
一体何?
私が紙吹雪を払って中を伺うと、コンサート会場などで見られる階段状の客席が目に飛び込んできた。階下の中央には長方形のコートが二つあって、端に赤いフラグが立ててあった。
コートの周辺は所々に赤い染みがついていて不揃いの水玉模様になっている。
「おお、なかなか盛況じゃないか」
満員御礼の場内にヤツは満足そうな表情を浮かべる。
「これは何?」
「ビーチフラッグの変形と思ってくれればいい。これなら生徒も参加できるし、観客も勝者を予想して賭けを楽しめる」
「ふうん」
ヤツの話によると五人一組のチーム対抗戦で行われるらしい。ビーチフラッグは基本五回勝負。同点の場合はサドンデスとなる。フラグ取りに参加するのはチーム五人のうちの一名で連続でも交代でも構わないらしい。残りの三人は敵のランナー(フラグを取る人)をトマトを投げて妨害する役に回る。トマトに当たることなくフラグを取れば百ポイント獲得だが、トマトに当たった場合は一個あたり十ポイントのマイナスとなる。つまりフラグを取っても十回トマトに当たればポイントはゼロということだ。
投げるトマトの数は特に決められておらず、勝負が決まるまでなら幾つでも投げていいらしい。ヤツはフロアに掲げられた電光掲示板を見ながら状況を私に説明した。
「今手前でやっているのは決勝で奥は最下位戦だな。両方ともサドンデスに入ったらしい」
しばらくしてホイッスルが鳴った。双方のランナーがスタートする。
投げる方は一生懸命だが、走る方が早くて追いつかない。両者肩を並べたままフラグに飛び込む。勝敗が決まった瞬間、悲鳴にも近い歓声が広がった。再び舞う紙吹雪。選手と観客が一体感となった会場がヒートアップする。雰囲気に酔ったのか、私の頬も紅潮した。
「どうだこれは? おまえの眼鏡にかなうか?」
「まぁ……これまでの中で一番マシっちゃマシ、だね」
「そうだろうそうだろう」
ようやく出た及第点にヤツは満足げに笑った。
「他の出し物と比べられたら困る。何を隠そう、これを考案したのは俺だからな」
「へぇ」
「これは他のどの出し物よりもスリリングで面白い。そして盛り上がる。最初におまえを見た時、このゲームに参加するのが一番ふさわしいと思ったのだが――どうだ? やってみる気はないか?」
ヤツの誘いに私は遠慮します、と即答した。確かに発想は面白いと思う。でも詰めが甘い。ぶつけるのが水風船ならともかく何故トマト? そりゃどこかの国にはトマト投げる祭りがあるけど、私が住んでいるのは勿体ない精神が未だ生きている国だ。何だか食材を無駄にしているようであまりいい気分じゃない。だいたい当たったら制服がシミになっちゃうじゃないか。あ、でもこの学園の人達は「制服が汚れたならドレスを着ればいいでしょ」的な考えだろうから、そんな小さなことはどうでもいいのかもしれない。
そんなことを考えながら私は試合をぼんやりと眺めていたけれど――とある一点に焦点が定まる。奥のコートでトマトにまみれになった生徒を見つけた。生徒? でも来ている服が違う。でも見覚えのある顔だ。
「久実っ!」
私は思わず声を上げる。でもそれは周りの声にすぐかき消された。
「ちょ、何で久実があんな所にいるのよ」
私はヤツに久実の居場所を指で示した。でもヤツはといえばああ、あれかとのんびり口調で答えるだけ。
「『奴ら』最初はポーカーの相手が欲しいって言ってたからくれてやったんだが――飽きて今度はこっちに来たのか」
「何それ。下品なことはしないって言わなかったっけ?」
「それは俺の尺で言ったまでのことだ。それにおまえには関係ないことだろ?」
「――何言ってんの?」
「おまえは俺の招待状をあの女に譲渡した。その時点でおまえはあの女を自分の身代りにした。そうじゃないのか?」
ヤツはそれが当たり前だと言わんばかりに声を上げる。私ははああっ? と声を半音上げた。そんなことするわけないでしょうが、と全力で否定する。
そりゃ、ここに来たくなかったから久実にあげたわよ。けど私は行きたい人が行って楽しめばって考えで渡したんだ。そんな身代わりとかで行かせたわけじゃない!
「今すぐ止めさせなさいよ! あんたが考えたゲームなんでしょ?」
私はヤツに向かって叫んだ。だがヤツはそれはできない、と一蹴する。
「おまえがどういう意図であの女に譲渡したかは知らんが、この学園で『身代わり』とは主の奴隷であり相手に何をされても仕方ないという意味合いを持っている。今更違うと言ってもこの学園の中では通用しない」
「そんな」
私は唇を噛む。そうこうしている間にも次のゲームは始まってしまった。久実がフラグを目指して走り出す。もう何本走らされたのか、足がふらふらだ。何故か相手チームのランナーは一歩も動かない。そして同じチームの味方が久実にトマトをぶつけている。不公平な勝負に私は疑問を投げた。答えは久実がいるチームの、トマトを投げている奴らの後ろにいる女が持っていた。女は敵味方に構わずどんどん投げろと命令している。わざとサドンデスに持ちこんでいるんだ。
久実が床に転ぶとパンツ見えてるぞ、とどこからか野次が飛んだ。味方のはずの女に柄を言いあてられ、久実が慌ててスカートで隠す。それを聞いた周りがどっと笑う。彼らの表情は恍惚で満ちていた。女のあざ笑いが怒りを呼ぶ。久実の泣き顔が私の心を揺さぶった。ここにいる全員が異常としか思えない。陰湿でえげつなくて。これは完全なイジメじゃないか!
私は踵を返した。一番近くの階段を降りようとする。すぐにヤツに引きとめられた。
「どこに行く?」
「アンタがやらないなら私が止めてくるの!」
「それは構わないが公務執行妨害とテロの疑いで警察に突き出されるのがオチ」
「それで親友が助かるなら御の字よ!」
警察でも何でも呼べばいいじゃない、私の啖呵にヤツは目を丸くした。そのあと一瞬真面目な顔をしたと思ったら、急に笑い出す。
「面倒事に自らすすんでいくとは。おまえは本当に面白いヤツだな」
「何? それって見下してる?」
「いや。これは褒め言葉だ」
ヤツはそう言って笑いを噛みしめる。そんな無駄をしなくてもおまえ次第であの女は助かるというのに、と続けた。その一言に今度は私が目を見開く番だ。見上げた先にヤツの不敵な笑みがある。
「もともとあの女はおまえの身代わりなんだろ? 別におまえが出ても不自然じゃないってことだ」
どうする? とヤツが問う。
「黙って学園のルールに従うか? それとも友情でも気取って正義のヒーローにでもなるか?」
ヤツはさもおかしげに皮肉をこぼした。でも私はそれを無視する。迷うことなく下へ降りる階段へ向かった。
2013
私がヤツと最初に顔を合わせたのは学園のエントランスと呼ばれるところだった。いわゆる昇降口らしい。先を進むと奥にお洒落な長机が置かれていて、そこに男女三人の生徒が座っていた。おそらくここが受付なのだろう。彼らはヤツの顔を見るなり起立してお辞儀をした。
「この者に来客カードを渡してやってくれ」
ヤツの言葉を受け、私は来客カードを受け取る。
「飲食の際はこのカードを提示すればいい。精算は俺が後日することになっている」
ええと、それっておごりって事ですか?
私はちょっとだけラッキーと思いつつ、カードをポケットにしまった。ヤツの背中を探す。するとヤツはエントランスの先にある回廊を臨んでいた。そこには美術の教科書で見たことのある作品がずらりと並べられていた。それはそれは絵画から彫像から、オブジェに至るまで。
「これ全部レプリカ?」
「まさか。全て本物だ。美術クラブの連中が各国のコレクターに交渉して買ってきたものだ」
「へぇ……って、んん?」
なんかおかしい? 美術クラブって自分で描くじゃなく、買う方なわけ?
私はヤツにその真意を問おうとする。だがヤツがさっさと先に行ってしまったので、その答えを聞くことができなかった。作品ひとつひとつをじっくり見ることなく、その場を通り過ぎる。
次に訪れたのは大理石の階段を上ってすぐの教室だった。どういうわけか古めかしそうな車があって、運転席に座るのに男子生徒たちが列をなしている。
「これはクーペのブガッティタイプ57というものだ。こんな良品はめったにお目にかかれるものじゃない」
車のことに私はあまり詳しくないけど、なだらかで個性的なフォルムは聞かずともレアで高いシロモノなのだろう。ヤツに乗ってみないかといわれたけど、触るのも恐れ多かったので私は外から眺めるだけにした。つうか、どうやって車を運び込んだのかしら?
そのあとも私は幾つか連れまわされた。本場インドのカレーとか、フランス料理とか、高級エステとか……それらの桁違いの値段に私は泡を吹きそうになる。さすがというか何と言うか。普通の私立高でもこんなことはしないだろう、というか。ひとクラスいったいどんだけの予算で出し物運営してるんだ?
ヤツに振り回されて一時間弱、私の頭は許容範囲を遥かに超えてショート寸前だった。ようやくたどりついた英国喫茶でお茶を頼んだ私は円形のテーブルに顔を伏せる。一気に疲れが押し寄せた。隣の席ではここの紅茶は私が現地に足を運んで選んだのとか、このお菓子作るためにパテシエを呼んだとか、自慢話が聞こえてくる。私はそれを左から右へ流すと、届いた紅茶に手を伸ばした。
「どうだ。ウチの学園祭は。すごいだろう」
紅茶を飲んだあとで、とにかくすごい、とだけ答えた。私の評価にヤツの口元が上がる。
「それは褒め言葉として受け取っていいのか?」
そこで素直に頷けば、遠回りすることもなかったのかもしれない。でも、私の顔は嘘をつけなかったらしい。
「何だ、何か不満でもあるのか?」
「そんなこと――ないけど」
私は煮え切らない言葉を吐いてからティースタンドにある菓子をひとつついばんだ。ここのケーキはスポンジがしっとりとしていて私好みである。とても美味しい。美味しいのだけど。
「文化祭って言葉からはすごくかけ離れた感じがする」
「どういうことだ?」
「すごいんだけどぐっとくるものがないというか――体温を感じられない?」
私はこれまでに見た場所を振り返った。エントランスで見た絵画は確かにすごいものばかりだった。けど、それはかの有名な人達の作品であり、生徒たちが描いたものではない。珍しい絵画や彫像を集めて並べました、ってだけじゃ美術館と何ら変わらない。それは次に見た車も一緒だ。
この英国喫茶を含めた飲食やエステもそう。給仕や裏方の仕事はどう見ても大人としか呼べない人達(ここの教師なのかは分からないが)がやってるし、生徒たちは客として食べるだけ。紅茶をたしなむ女子高生たちは一見きらびやかだ。でも、歯の浮くような台詞が薄っぺらいものにしか聞こえない。そりゃ、紅茶や食材はそうそうないものかもしれない。でもそれを調達した自分はすごいんだって偉そうな口を叩かれても、ぴんとこない。それは相手の顔が全然見えないからなのかもしれないけど。
私の中にある文化祭のイメージは机を繋げてクロスを敷いた喫茶店とか家庭用のタコ焼き機を使った縁日とか、暗幕を張って暗くしたお化け屋敷とか、そういったものだ。廊下の壁にはそれぞれの宣伝ポスターが不揃いに貼られたり風船や紙で作った花が飾られたり。とにかくごちゃっとしている、そんな感じ。
素人が作るものだから、食べ物に焦げたものが入ったり失敗したりする。内装だって段ボールや廃材を使ったりするからチープさが否めない。でも一生懸命作りました的な、あの手作り感が心を引きつけるのだ。
「つまりおまえは、ここの生徒たちが積極的に参加してないのが気に食わないと」
「気に食わないとは言ってない。ここの昔からの校風かもしれないし」
私は文字通りお茶を濁す。これ以上重箱の隅をつつくつもりはなかったし、早く久実を連れて帰りたい。そろそろ久実の所に連れて行って欲しいんだけど、と私は話を切り出す。だが、ヤツの耳にその声は届かなかったらしい。
「分かった。おまえが気に入りそうな所へ連れて行こうじゃないか」
何をどう思ったのか、ヤツは息を巻いていた。席を立ったヤツについて来い、と言われたので思わず嫌、と言いたくなる。だが、この学園はあまりにも広すぎて今自分がいる場所が分からない。コイツと離れたら絶対迷子になって外に出られない。
残念ながら久実の居場所を知ってるのは目の前にいるヤツだけなのだ。
私は渋々と席を立つ。のろのろとした足取りであとをついていくしかなかった。
2013
ヤツの目的はあくまでも私だ。私がヤツとの約束を果たしさえすれば久実は助かるかもしれない。
私はベッドから降りると壁に吊るしてあった制服をそのまま着こんだ。簡単に身支度を整え電話から三十分も経たずに家を出る。太陽の日差しがまぶしい。一瞬目がくらんだ。
暁学園は私の通う高校の二つ前の駅が最寄りだ。私は電車に乗り込む。普段降りない駅の改札をいっきに抜ける。そこから先の道は分からなかったので、私は交番を訪ねだいたいの場所を聞きルートを確認する。あとは携帯の地図ナビを頼った。最悪タクシーを使おうかと思ったけど、徒歩で行ける距離でよかった。
この間の住宅地とは違う、いかにも高そうな家の並びを通り抜けると、塀が私を迎える。私の背の三倍はあろう塀の上には鉄線が張り巡らされていた。刑務所の前の道を歩いているような物重しさが私にのしかかる。
角を曲がり、塀沿いの道を三分の一ほど歩くと重厚な門扉が私を迎えた。門柱に暁学園の看板が掲げられている。門扉は塀と同じ高さの壁にも等しく、外から中の建物を見ることはできない。壁の頂上を見上げると、監視カメラらしきものが確認できた。
勢いでここまできちゃったけど――さてどうしよう? 一度久実の携帯に連絡を入れた方がいいのかしら?
私がどうしようか悩んでいると、モーター音のような響きを耳にした。頭上の監視カメラが私の顔を認識したのだろう。重い扉がゆっくりと開かれる。私の視界に広がったのは広大な針葉樹の並びと砂利道。どこかの避暑地を思い起こさせるような林道が私を迎える。私は一度息を吸い込むと、握っていた拳に力を込めた。
一歩二歩と学園の敷地に踏み入る。今日は文化祭だと聞いていたのに、それらしきモニュメントやアーチは一切なく、人の声すら届かない。聞こえるのは私が砂利を踏む音と枝に止まっている雀の鳴き声だけ。恐ろしいほど静かな学園内に私はごくりと唾をのみこむ。
まさか、この間みたいに無人ってことはないよね?
私は一抹の不安を抱えながら、奥へ奥へと進む。緑のトンネルを百メートルほど歩くと、林道は終点を迎えた。まばゆい光が差し込む。最初に目に飛び込んだのは乳白色の輝きだった。エントランスや廊下に立てられた柱や窓に装飾された模様は美しい。突然中世のヨーロッパに飛ばされた気分になった私は口をぽっかりとあけてしまった。ゆっくりと建物に近づき、壁に手を触れてみる。これ、レンガじゃなくて大理石っぽいんですけど。つうかどんだけ金かかってんだ?
目の前に佇む建物に私はただただ圧倒される。だが、そんな浮ついた気持ちは早々に打ち消された。入口でヤツが仁王立ちしている姿を見つけたからだ。
「遅い」
ヤツはしごく不機嫌そうな顔で私を迎える。
「こんなにも俺を待たせたヤツは生まれて初めてだ。おまえは何様だ」
「人質にされた親友を取り返しに来た人間ですが、何か?」
歯に着せぬ私の返答にヤツの頬がぴくりと上がった。
「俺がいつ誘拐まがいのことをした! だいたいおまえが約束を守らないのが悪いからで」
「名も言わない男の誘いに乗るほどバカな人間じゃありません」
「何だと!」
「とにかく、アンタの望みは叶えたんだから久実を返してよ。これは最大限の譲歩よ」
私は話をいっきに畳んだ。ここでヤツと揉めても時間の無駄。私はヤツ適当にあしらって久実を連れて帰ろうとする。そのはずだったのだけど――
「無理だな」
ヤツはあっさりとそれを反故にした。
「な、無理ってどういうことよ」
「俺にはどうしようもないってことだ。おまえが来るってわかった以上、あの女はもうどうでもいい存在だったんだが――『奴ら』がそれを許すかどうか」
「奴ら?」
私はいぶかしげにヤツを見上げた。奴らって何よ。この間みたいに白昼堂々銃ぶっ放す奴らとか?
「ちょっと。あんたら久実に何かしたとか?」
「ここは由緒ある暁学園だ。おまえが想像するような下品なことはしない」
「だったら!」
「まぁ焦るな。まずは学園の中を案内してやろう」
そう言ってヤツはにやりと笑った。
2013
ウチの学校は中の下をいく偏差値だけど、赤点のラインは他の学校よりも十点高い。だから試験前は皆必死で勉強する。それはそれは過去の失態や無礼を忘れるほどに。そういうことで、私も例外に漏れることなく勉強に集中した。
その後中間試験は予定通り行われ日程を全て消化した。最後の科目を終えた私はまっすぐ家に帰る。明日は休み。だらだらしてても誰も咎めたりはしないだろう。私は削られた部分を補給すべくベッドにもぐりこむ。すぐに深い眠りについた。
次に私が目を覚ましたのは翌日の午後だった。カーテンの隙間から光が差し込む。ベッドサイドで携帯がぶるぶる震えている。振動があまりにもしつこいので、私は布団の中に携帯を引きずり込んだ。しょぼしょぼした目をこすり画面を確認する。蛍光色の指先に久実の名前があった。
「ナノちゃん寝てた?」
「今起きた……なぁに?」
「えと、あのね――」
そう言って受話器の向こうで久実が喋り始める。でも向こうの電波がよろしくないのか、声が飛び飛びだ。
「もしもし? あのー、声が聞きとりずらいんだけど」
「身代わりをよこすとは大層な御身分だな」
突然耳元がクリアになる。割って入った低い声は久実のものじゃない。私は目元をひきつらせた。思わずアンタ誰? と聞いてしまう。次の瞬間、つまるような声が耳元に届く。
「誰、って――おま、俺のことを忘れたのか?」
「忘れたも何も、知らないものは知らないんだけど。久実の彼氏か何か?」
それとも電波が悪すぎて回線が混乱したのかしら? 私は一度欠伸をしたあとで携帯から耳を離す。自分の携帯に異常がないことを確認すると再び携帯に耳をあてた。でも聞こえてくるのは男の罵声だ。
「おい、アズマだかヒガシだかのハナ! 命の恩人にその態度は何だ。おまえは阿呆以下の存在か」
「はぁ?」
私はすっとんきょうな声を上げる。
「命の恩人って何。顔も知らないアンタに助けられた覚えなど全くないんだけど」
「おま……俺の顔も忘れたのか?」
信じられない、と嘆く男に私は困ってしまう。丁度その時、ぼさぼさの髪の毛が顔についた。頬に手が触れる。その瞬間、かすかに残るかさぶたに気づいた。すっぽ抜けていた記憶がブーメランのごとく返ってくる。思わずあああっ、と大きな声を上げた。被っていた毛布がふっとぶ。
「ふんぞり返った俺様男っ。えっと名前は――何だっけ?」
「ニシだ!」
そこでヤツが初めて名を名乗った。神の一族とは無関係と思いこんでいた私は思わず西田? とツッコミそうになったが、すぐに違うと脳みそがツッコんだ。ここでボケたら収集がつかないだろう、なんて叩かれながら。
私は一度姿勢を整えるとその節はどうも、と形式上のお礼だけ述べた。受話器からヤツの満足げな頷きが耳に届く。相変わらず高飛車な、私はこっそり毒づいた。
確かに助けてもらったことに感謝はしている。だけど私としてはそれで終わらせたかったのが本音だ。本心としてはヤツのことに首をツッコミたくないなぁ、という気分だった。でも親友が巻きこまれてしまった以上は足を踏み入れるしかない。
「それで、私の友達に何がおきたんでしょうか?」
私は口調を変え、ヤツに問いただした。一体久実に何が起きたというのだろうか。
ヤツの話によると、招待状には案内状とカードが入っていたと言う。カードはスーパーや駅で使うようなプリペイドになっていて、学園内の飲食や買い物の精算に使えるようになっていた。 また、受付に頼めば持ち主の通過時間や招待状を渡した生徒が誰なのか調べることができるらしい。
一般公開の今日、昼を過ぎてもなかなか来ない私にヤツは肝入っていた。そして学園に私が来ているかどうか受付で調べてもらったらしい。でも、全くの別人が通り抜けたからこれはどういうことなんだという話になり――学園内はかなり大騒ぎになったらしい。暁学園の生徒の親は著名人や年商ン億という実業家や金持ちたちだ。そんなセレブを恨む輩少なくない。一般公開される学園祭は他人を受け入れる唯一の機会。厳重なセキュリティをうたっても生徒の誘拐や学園の乗っ取り、テロなどが起きてもおかしくはないのだというのだ。
つまり――久実はそのもろもろの容疑をかけられているのである。
「というわけで、ナノちゃんお願い。今すぐ暁学園に来て」
今にも泣きそうな声が私の耳に届いた。現在久実は暁学園の生徒指導室に連行されているという。このままだと両親や学校に通報されてしまうらしい。私は久実に招待状をあげてしまったことを後悔した。これは自分で蒔いた種なのか、はたまた運が悪いだけなのか。
私はだらりと垂れた前髪をかきあげた。
2013
「俺が何者か気になるようだな」
私の心を読んだ男に私はぐっと唇を結ぶ。
「でも、俺のことを知りたいのなら先に自分の名を名乗るべきだと思うが」
そう言ってヤツは椅子の下に落ちていた私の生徒手帳を拾った。どうやらさっき転がった時に落としてしまったらしい。ヤツは手帳をぱらぱらとめくって、私の個人情報をあさる。
「名前は――アズマナノハナ? ナノハナとは変な名前だな」
「ヒガシナノカ!」
「ヒガシナ・ノカ?」
「違う! 東 菜乃花!」
私は苗字にアクセントを置いて言い直した。ヤツはふうん、と鼻で返事をするだけで、すぐに次の質問をふっかけてくる。
「茜が丘高校ってのはどこの私立だ? 新しく出来た学校か?」
「少なくともウチらが生まれるずっと前からある公立高校です」
今年で創立四十五周年とかいう話を聞いたような、聞かないような。そりゃウチの高校は偏差値も平均以下で部活動もそれほど盛んじゃない。勉強は憂鬱だけど、友達もクラスメイトもいい子ばかりだ。学校への愛着はそれなりにある。だからヤツの言葉を聞いてると自分を馬鹿にされてるようで腹立たしい。
何なんだこの俺様野郎は。こんなヤツの尋問を受けるなら警察に行ったほうがよっぽどマシだ。
私はヤツに近づいた。ひったくるように生徒手帳を取り返す。分かったわよ! と乱暴に言葉を吐いた。
「勝手に立ち入ったのが気に入らないなら警察にでも突き出せばいいでしょ! さっさと連れて行きなさいよ」
私はヤツを睨み威嚇する。ヤツは一瞬目を丸くしていたが、そのうち顔を歪めた。ぶほっ、という変な音のあとで高らかな笑い声がヤツの口から広がる。
ムカツク、一体何がおかしいって言うんだろう。
「おまえは本当に変わった奴だな。面白い」
「だから何だって言うのよ」
「おまえの度胸に免じて今回のことを不問にしてやってもいいってことだ。ただし一つだけ条件がある」
ヤツはそう言うとブレザーの胸ポケットから上質そうな封筒を私に差し出した。
「来週ウチの学園で文化祭が開催される。おまえも来い。学園の皆におまえを紹介してやるんだ」
意気揚々と語るヤツに私は唖然とした。
えー……っと。言ってる事の意味が良く分からないのですが。
私が更に顔をしかめる。ヤツはにやにやと笑うだけだ。
「――で? その謎の男を筆頭とした集団は何だったの?」
その日の昼休み。親友の久実の質問に私はさあ? と首をかしげた。目の前の卵焼きを箸で割って口に放り込む。ほんのりとした甘さが舌に広がると、頬が緩んだ。同時にできたばかりの傷がうずいて、嫌でもその時の事を思い出してしまう。
あの奇妙な会話のあと、ヤツと私を乗せたベンツはゆっくりと動き出した。そして住宅街を抜けたあとで、私はまたゴミ袋のごとく外へ放り出されたのである。
学祭で待ってるぞ、なんて言われたけど、私はその言葉を強制的に排除した。できることならあんな失礼な生き物とは二度と会いたくない。
私はお弁当をつまみながら、もうどうでもいい事は忘れることにしたから、と久実に言う。口元が汚れたのでハンカチを出そうと制服のポケットに手を突っ込んだ。チェック柄の布と同時に白い封筒を掴んでしまい、せっかくの決意が萎えてしまった。
「何それ?」
久実の目ざとさに私は苦笑する。
「その訳の分からないヤツからの招待状。来週文化祭なんだってさ」
「へー、どこの学校?」
「分かんない。けど、ここに書いてあるんじゃない?」
私はさして興味のない封筒を久実に渡しながら、ヤツの着てた制服を思い返す。あれはどこにでもある様なブレザーで――ああでも襟元は金の縁取りがついていたかも。あとタイにAの紋章がついていたような――
私が記憶の引き出しをあさっていると、封筒の中身を確認した久実から悲鳴が上がった。周りにいたクラスメイトが何事か、と注目する。久実は片手で自分の口を塞ぐと、反対の手で私の腕を引いた。紙パックのジュースを口につけたまま、私は変な体勢を強いられる。
「どうした?」
「……ナノちゃん。あんた、ものすごいのに引っかかったかもしれないよ」
「何それ」
「だってこれ、暁学園の招待状!」
暁学園、その名を聞き流石の私もジュースを吹いた。オレンジ色の液体が古びた机にじわりと染み込んでいく。
暁学園はここから二つほど離れた駅にある私立高校だ。高級住宅地の一角に建てられた学校は敷地面積にしてドーム十個分はあるらしい。生徒の通学は高級車がデフォ。昼は高級ホテルのケータリングで、午後は昼休みとは別に午後のティータイムがあるとかないとか修学旅行は世界一周の旅だとか。その馬鹿高い学費のせいで通っている生徒は金持ちのボンボンやお嬢様だと聞いている。
とにもかくもその学校は浮世離れした噂しか聞いたことがない。つまり私ら一般人にとっては別世界の話であり、そこに通う生徒は私らにとって宇宙人並みの存在と言ってもいい。
その宇宙人からの招待――ですと?
私は久実が見ていた招待状を改めて確認する。確かに。A4の大きさの手紙には『暁学園文化祭のご案内』という文字が打ってあり、私は瞬きを繰り返した。
「ナノちゃん、その男の人の名前とか聞かなかったの?」
「知らない。ああ、でもニシ家の敷地がどうのとか言ってたかな?」
「ニシって……ニシ財閥のことじゃないよね?」
久実の真顔にまさか、と私は鼻で笑った――つもりだった。そんな、神様的存在の一族が私の前に現れるわけないじゃないか、と自分に言い聞かせる。
ニシ財閥は戦後に入ってからは建築や商社、医療や交通機関など幅広く事業を広げ、今や年商何十兆円という巨大企業に成長している。
今日、ニシの名を聞かない日はない。新聞からテレビから、ネットの隅々まで、ニシの名は私達の生活に密着している。天上の一族が街中をふらふらしているとは思い難い。あ、でも関係者という可能性はあるかも。系列会社の役員の息子とか。
私はヤツの顔をもう一度頭に浮かべた。うん、そんな感じの顔だわあれは、と自己処理するけど――
「ナノちゃん、これはチャンスよ!」
何を思ったのか、久実が目をキラキラさせながら私を見上げている。
「ニシ財閥の御曹司からの誘いなんて、天地がひっくり返っても起きないんだから。文化祭行ってきなよ」
「えー、行きたくない」
「何言ってるの! 暁の文化祭って生徒とその身内だけしか参加できないって聞くよ。皆に紹介って――これって見染められたってことじゃない? あわよくば玉の輿とか」
私は顔をしかめた。あんなヤツに惚れられるとか、それは絶対にないだろ。むしろ馬鹿にしていた気がするんだが。そんな輩の誘いに乗ったら、嫌な目に遭うのは目に見えている。
「玉の輿に乗りたいなら久実が行きなよ。それあげるから」
私は封筒を久実に押しつけると、早々と弁当をしまった。