2014
「一体何の用だよ」
「今日授業で当たる日なんでしょ。だから宿題見に来た」
「何で隣りのクラスのおまえがわざわざ来るんだよ」
「ぶつぶつ言わないでほら、ノート出しなさいよ」
さぁ、さあ、と私は催促する。私の勢いに呑まれたのか、幼馴染のウメは自分の宿題ノートを渋々見せてくれた。薄っぺらいページをめくると、目前に清々しいくらいの真っ白さが広がる。私は思わず苦笑した。
「また授業聞かないで寝てたんでしょ」
仕方ないなぁ、そんな気持ちで私はノートと一緒に出された教科書を手に取った。マーカーで記した単語を調べるべく、古くなった辞書を広げる。
突然苗字を呼ばれた。声の会った方を見やる。すると教室の廊下側にある窓から真田先輩が顔をのぞかせていた。
「こんな所にいたのか」
「どうしたんですか先輩?」
「今日の部活、先生の都合で休みになったから。豊川から他の一年たちに伝えておいてくれる?」
「あ、はいっ」
真田先輩の指示に私は即答した。じゃあ、と言ってその場を離れて行く先輩の背中を見送る。その背中が見えなくなると、三秒でいびきをかいて寝てしまったウメをジト目で見やった。その無防備な耳を思いっきり引っ張ってやった。
「ってっててて」
「何でウメは突然狸寝入りなんて始めたのかなぁ?」
「あの先輩苦手なんだよ。顔見だけで胸のあたりがムカムカするし頭は痛くなるし。あー最悪」
そう言ってウメは机に頭を沈めた。腕が床に向かってだらりと伸びていく。無気力を体で語る幼馴染に私は眉をひそめた。あのさぁ、と思わず口走ってしまう。
「先輩がウメに何かした? してないよね? なのに顔を見ただけで最悪って何? それって人としてどうなのよ?」
「んなこと言われたって気持ち悪くなるんだから仕方ねーだろ」
「そういう意地悪な態度とってるといつか自分に返ってくるんだからね! だいたいウメは――」
ちょうどその時、昼休み終了を告げるチャイムが鳴ってしまった。本当はもっと文句を言いたかったんだけど、仕方ない。この続きは次の休み時間に言うことにしよう。
「とにかく、ウメはシャキっとしなさい! でなきゃいつかバチが当たるよ」
私は捨て台詞を残してウメの反応を待った。ここまで言えば何かしら言葉が返ってくるだろう。すると数秒後に顔を伏せたままの状態でうるせぇな、とかったるそうに呟く声が聞こえた。
「んなの俺が一番わかってんだよ。どいつもこいつも同じコト言いやがって……」
どうやら私と同じ気持ちでいる「人」はもう一人いるらしい。私は少しだけ口元を右上がりにすると自分の教室へと向かった。
2014
今日、あの人は私に青い瞳を与えてくれた。中にある白い輝きがとても美しい。全てが完璧だ。
私はこの人に作ってもらえたことを心から感謝した。完成したばかりの私は鮮やかな青色の箱の中でしばらくの間待たされた後で蓋を閉められる。
そのあと人の手によって私は動かされた。どこかは分からないが、とにかく騒がしい場所だった。時折美しい音楽が私の耳元に届く。同じ曲が三回ほど続くと、私がいた暗闇にひとすじの光が差し込んだ。
蓋を取ったのは私を作ったあの人ではない。その瞳は明らかに狩人の目に私は固くなった体を更に強張らせた。私はここで命を落とすのだと本能が悟ったのだ。
目があって十秒も経たず私は襲われる。まずは鼻をがぶり。そのあとで頬と目玉をもぎ取られた。悲鳴を上げられないよう口元を抑えると、後頭部を剥がされる。力の加減を知らないのか、私の顔はぐにゃりと潰れた。ピンク色の中身が飛び出す。
ヤツは私を細胞レベルまで粉砕すると自分の中へすべて取り込んでいく。私を全て平らげると満足げに笑った。残ったのは頭についていた鋭い角が二つだけ。ヤツはそれに興味がないらしい。私は再び暗闇の世界へと閉じ込められた。
――二度目に蓋をあけられたのはそれからまた数時間後のこと。
私をのぞきこんだのは私をつくったあの人だった。跡形もなく消えた私を見てにっこりと笑う。
「今日も全部食べたわね。えらいえらい」
「ママ。明日は仮面ライダーにして」
「はいはい」
創造は大変でも、破壊は至極簡単で。キャラ弁という名の私は毎回幼児という怪獣に跡形もなく消されてしまう。そしてふたり分の笑顔を与えるのだ。
2014
事件が起きたのは、そこに引っ越してから数日後のことだった。
私が家でだらだらテレビを見ていると、天井から鈍い音が聞こえた。
前々から夜になるとみしり、みしりと軋むような音は聞こえていた。最初は家鳴りかと思ったけど、それにしては重々しい音である。
同居予定の婚約者に相談してみると猫かネズミじゃないの? と返された。ここ、建ってからそれなりに年数経っているし住みついていてもおかしくないよね、と。
確かに、その可能性はなきにしもあらずだと私は思った。
私の実家も農家だし、家もそこそこ古い建物だから(不本意だけど)ネズミとも共存していたわけだし。一人暮らしを始める前まで、私にとってネズミの運動会は夜の恒例行事のようなものだった。
加えて言うなら私は猫とネズミの足音の区別もできる。だからこそ私は腑に落ちない。何故なら天井裏の物音はこれまでに聞いたどの音にも当てはまらないのだ。
私の胸がどくんどくんとうずく。
この最小限に留めたような軋みがどんなものか、私は色々思い浮かべてみた。
そう――これは音を立てないよう、息を殺して歩く様子にとても似ている。
私の脳裏に密会の現場を天井裏から覗く忍者が浮かんだのは今まで時代劇を見たせいだろう。
まさか、これと同じように私も「見られて」いたとか――?
恐ろしい推測に身震いが走った。嫌な想像を膨らませてしまった自分をちょっとだけ呪ってしまう。
けど一度湧いてしまったら最後、考えはそう簡単に消えない。こうなると白黒はっきりさせないと気が済まないのが私の性格で。
「ああ、ダメだ」
不安と好奇心を隠しきれない私は懐中電灯を持ち出した。部屋をそっと抜け、忍び足で隣りの和室に向かうと押し入れを開けた。湿気にカビが交じったような匂いが鼻につく中、私は首を上に逸らす。押し入れの天井に手を伸ばした。
実家で一度、ネズミの駆除を頼んだことがあるのだけど、その時押し入れから天井裏に入り込む作業員の人を見た。
その時と同じよう天井の角を軽く叩くと、塞いでいた板が簡単に持ち上がる。人ひとりが入れる四角い穴に、私の動機がひどくなる。これは私の主観でしかないけれど、ものすごーく嫌な、危険を知らせるシグナルが私に襲い掛かった。
嗚呼、どうしよう。
婚約者は夜勤で朝にならないと帰って来ない。隣りの家までは直線距離でも六百メートルはある。ここは田舎だし、こんな時間に家を訪ねたら迷惑だろうし――
ここは恥を承知で110番か? それとも今夜は耳をふさいで聞こえなかったフリをする?
でも。でも――
ぐるぐると考えを巡らせ、最後に私は自分の頬を両手で叩いた。口を真一文字に結ぶ。持っていた懐中電灯を口にくわえると押し入れの中へ体をねじこませた。
2014
藤木ちゃんはクラスでちょっと浮いている。そのふわっとした外見と一風変わった言動から女子たちの間では「不思議ちゃん」と呼ばれていた。もちろん、本人を目の前にして言う事はない。ガールズトークの時隠語として出すのだ。
「藤木ちゃん」
その日の放課後、王様ゲームで負けた私は彼女の席に近づき声をかける。彼女が読みかけの本を広げたまま顔を上げた。
「……何?」
ぼんやりとした返事に私は愛想笑いをする。王様からの指示は不思議ちゃんの好きな人を聞くこと。あとでネタにしてからかおうって魂胆なんだろうけど無茶ぶりもいい所だと思う。
でもこれができないと、私は自分の恥ずかしい秘密を暴露しなきゃならない。だから私は変に思われても果敢に挑むしかないのだ。
「えーと。藤木ちゃんは好きな人いる? 例えば――イチゴとか。イチゴのこと、どう思ってんの?」
「イチゴ?」
「そう。好きなの?」
「イチゴは好き」
「ホント?」
「沢山のってるショートケーキとか、ジャムとか好き」
「いやいや。そうじゃなくて」
私はがっくりとうなだれる。掌で顔半分を覆い、ごめん、と言葉を続けた。
「色々説明が足りなかったね。イチゴってのは果物じゃなくて――」
私はちらりと黒板の方を見た。男子が数人、箒でチャンバラごっこをしている。そのうち小柄でぎゃあぎゃあわめいてる男子が私が言っていたイチゴ――庄司一悟だ。
「藤木ちゃん、最近一悟とよく喋ってるでしょ? 仲がいいなぁって思って」
「そう?」
「藤木ちゃんは一悟のことどう思う? その、恋愛対象として見れるかなって話なんだけど」
「レンアイタイショウ……」
不思議ちゃんは一悟の顔をじっと見る。そのあと不機嫌そうな顔でこう言った。
「イチゴは好きだけど――イチゴは嫌い」
「え?」
「大好きだけど、大嫌い、な人」
不思議ちゃんは開いていた本を乱暴に閉じる。突然帰り支度を始め席を立った。
すれ違いざま、彼女の耳が赤くなっていたことに気づく。
え? 何今の。イチゴが好きでイチゴが嫌い――?
「一体どっちよ」
私は思わず言葉を落としてしまった。
2014
アパートの前で男と喋っているとあの人が突然割り込んできた。
「最近仕事で会えないから、心配して見に来ちゃったよ」
相変わらずあの人は口が上手いなと私はこっそり思う。高鳴る鼓動を聞かれないよう、唇を噛んで必死に感情を抑え込む。
あの人は私の隣りに居る男を一瞥した。
「こちらは?」
彼の問いに私は新しい彼氏、と即答する。
「今度一緒に暮らすの。だからもう私の前に現れないで」
私は「新しい彼氏」を家の中に押し込めるとドアを勢いよく閉めた。しばらくの間耳をすませる。玄関の向こう側はとても静かだ。きっとあの人は私を見限った。今度こそ完全に終わったと思った。
私は想像を膨らませる。このあとあの人は自分の家に帰るのだろう。この時間、あの窓からは温かい光が漏れていて、ドアを開ければ可愛らしい少女がおかえりと迎えてくれるだろう。
今日もテーブルには温められた料理が並べられていて、台所で手を動かしていた奥さんが貴方に微笑む。それを見てあの人はほっと息をつくのだろう。
大切な人のそに居られる、平凡だけど変わらない毎日。それは孤独がまとわりついていた私にとってのどから手が出るほど欲しかったもの。
初めてあの人と出逢った時、やばいな、と思った。顔が私の好みだったからだ。
厳しさの中に優しさがあることも、冷静で落ちついていることも、ちょっと間抜けな所も――何もかもが私のストライクゾーンで。
私より年上なぶん、あの人は異性に手慣れていた。女友達も多そうだった。何より薬指につけている指輪がまぶしすぎる。恋の相手としては一番厄介だなと思った。
彼のアプローチを真に受けてはならない。絶対に堕ちてはならないと何度も言い聞かせて必死に堪えていたのに。私の体は心と裏腹で、彼の要求を拒めない。
実際、あの人の方が上手だった。あの人は確信犯だ。あの人には始めから家庭を捨てる気などない。だから私のような女を見つけて遊ぶのだろう。ひとときの冒険、快楽を求めるために。私はあの人を操縦するつもりだったのに、実際はあの人の手の上で転がされただけ。だから私は自分で幕を引く決意をしたのだ。
「さようなら」
私は扉に額をつけ、聞こえるか聞こえないかの声で呟く。これは禁断の果実を手にした私なりのけじめ。私はあの人が大好きだったけど、あの人を取り巻く全てを奪い壊せるほど私は強かな人間にはなれなかった。
ゆっくりと振り返る。私はあがりまちで尻持ちをついている「新しい彼氏」に頭を下げた。実は彼と私は今日が初対面だ。私に呼ばれた彼はというと、突然彼氏呼ばわりされてかなり困惑している。
「引越の見積もり、お願いできますか」
私は何もなかったように話を進めた。