2013
私は携帯を購入すると、早速電話番号の登録にとりかかった。私は分厚い説明書と格闘する。短縮一番に乗せるのは勿論、愛しのゆっきーの番号だ。ただ登録するのも何なので確認がてらに電話をかけてみる。けど、ゆっきーが電話に出ることはなく、すぐに留守番電話に繋がった。
「やっほ。えぃみぃだよーん。携帯買ったから次からこっちに電話かけてね」
そう伝言を残して通話を切る。すると十秒もたたないうちにピリリリリ、と芸のない着信音が私の耳をつんざく。画面にゆっきーと表示された。初めての着信にどきどきしながら通話ボタンを人差し指で押すとなぁにいいいっ、という悲鳴がスピーカーから飛び出す。
「おま、何血迷ったことしてんの。俺の寿命縮める気かっ」
「そんなつもりないけど」
「じゃあ止めろ。おまえに携帯は毒だ。今すぐ捨ててしまえ。つうかこの電話もすぐ切れ。でないと――」
「やだ」
「やだ、じゃない! おまえ自分が何してるかわかってんのか?」
「そんなのはわかっているけど」
「けど?」
「ゆっきーが何してるか気になって……私もベッドで電話したり、メールで話したくて」
「だったらパソコンで足りるだろ。毎日メールしてるだろ?」
「私がパソコン使えるの、昼間だけだって知ってるでしょ。ゆっきーは昼間仕事じゃない。私はリアルタイムで話がしたいの。だから勇気出して携帯買ったの。それって悪いこと?願っちゃいけないの?」
それを聞いてゆっきーは黙りこんでしまった。ありったけの気持ちをぶちまけた私は自分の胸元を押さえる。
私は心臓にペースメーカーを埋め込んでる。だから携帯電話の側には近寄るなと日頃から言われていた。自分の体のことについては嫌というほどわかってる。私にとって外出がどれ程危険かということも。
この世の人たちは携帯なしでは生きていけない状態だ。固定電話があっても家の中で使うし、電車や車の中でも使う。電源を切るようにと言われる場所でも、ちゃんと守れているかどうかも怪しい。だから私は死の恐怖を抱えながら外を歩いている。見知らぬ人にぶつかるだけでも悲鳴を上げそうなのだ。
でも、携帯はペースメーカーから二十二センチ離れていれば支障はないという実験結果が出てるのも事実だ。それは二十年近くも前の話で、今は携帯も進化しているからもっと距離を縮めても影響がないことが総務省で報告されている。それでも携帯を買うのにはかなりの勇気がいった。買う前から色んな機種を調べて、ペースメーカーとの因果関係を念入りに確かめて。きっとゆっきーが思う以上に私は携帯に対して神経質になっていたと思う。今だって肌に直接触れないよう、携帯を机に置いてスピーカーをオンにして少し離れた所で喋っているのだ。
多くは望まない。ゆっきーの仕事が終わって自由になる夜の数分だけ携帯を使わせて欲しい。ただでさえ離ればなれになってしまったのだ。これまで毎日会っていたのに。ずっと会えないのは淋しい。触れられないのは辛い。だから私は――
「ゆっきーは私のこと思って言ってくれたんだよね。こっちこそごめんね。まだ仕事なんでしょ?だったらもう切るね」
私は心臓に遠い方の手でボタンを押す。電話を切ったあとでため息をついた。私は机に置いた携帯をぼんやりと見ながら考え込む。するともう一度携帯が鳴った。私は恐る恐る電話に出る。ごめん、とゆっきーの声がした。
「俺が転勤を断ればおまえと離れることもなったのに――ごめんな」
ゆっきーの謝罪に私は首を横に振る。
「私はゆっきーの仕事している姿が好きよ。だから待つって決めたの。五年なんてあっという間よ」
大丈夫だからと私はいきがる。もっと強くなりたいと思った。ゆっきー以外にも自分が夢中になれる何かを探したい。自分の為にもなる「何か」がほしい。そう――私達の遠距離恋愛はまだ始まったばかりなのだから。
2013
「また俺の女にならないか?今度は悪いようにしない」
それを聞いたとたん、私の中に燻っていたものが噴火した。頭の中でヤツとの過去が巡り堪え切れない衝動が走る。
「それって付き合い始めた十年前に戻れってこと? 随分簡単に言うけれど。私はゲームのキャラか何かですか? 過ごした日々は全て水に流せってことですか? あんたが浮気したせいで相手から様々な嫌がらせを受けてたことも、結婚が破談して身も心もボロボロになったことも、それを親の金で済ませようとしたことも。全て忘れてリセットしろってことですか? それはまた大層なことを言いますねぇ。そんな暴言吐くのは親の血ですか?」
私は積年の怨みを淡々と吐くと台所へ向かった。引き出しから包丁を抜き、ヤツの前に突き出す。本当に親と同じ色の血が出るか確かめたくなったのだ。
「あと十数える間にここから失せろ、でないと刺す」
私は本気で脅すとカウントダウンを始めた。ヤツは一瞬きょとんとした顔で私を見ていたが、そのうち声を上げて笑った。やれるものならやってみろ、と挑発する。
「おまえは俺を殺せない。絶対できない」
その自信に満ちた発言に私の顔がひきつった。カウントダウンはすでに後半を迎えている。包丁を握った手に力がこもる。唇かゼロの振動を伝えると、私はヤツに突進した。これから来る衝撃に備えぎゅっと目を瞑る。確かに包丁の刃はヤツの体を貫通した。私の体をごっそり連れて。振り返った私にヤツは俺を殺せないってのはそういうことだ、と言う。
「どうやら俺は幽霊になったらしい、つまりは死んだってことだな」
ヤツは特に悲観することはなく淡々と述べる。それを聞いて私の目元がさらにひきつった。そんなわけない。逃げと悪運だけが取り柄のヤツがそんな、簡単に死ぬわけがない!
私は再びヤツに立ち向かった。けど、何度突進してもヤツの体から血は流れず手応えすらない。十回ほど同じことを繰り返すと、いい加減認めてくれないかなぁ、とヤツが言う。息絶え絶えの私の顔に鼻先を近づけた。ヤツを至近距離で見るのは久しぶりだ。肌の張りが消え少しやつれた顔に別れてからの年月を感じる。
「わかったわよ」
私がしぶしぶ諦めて包丁を台所に戻す。ひととおり落ち着いた所でヤツは言った。
「見てのとおり、俺はこの世の者ではない。でもあの世にも行けずこの世界に留まっているんだ。たぶん、この世の未練を断ち切らないといけないんだと思う」
「で? 私に何をしろと?」
「俺の女になってくれ」
「あのさ。どうしてそういう展開になるわけ? 意味が全然わからないんだけど」
私が正当な理由を求めるとヤツはしぶしぶ話始めた。
ここまで書いておきながら、作者はヤツの真意を全く考えてないという(汗 そんな話。
2013
俺は一度目を閉じ深呼吸をする。それからゆっくりと目を開ける。最初に飛び込んだのは戦慄の赤。俺は赤鉛筆を手にすると相手からにじみ出るオーラをひとつひとつすくい出し紙に叩きつけた。輪郭のみを写しとり表情はあえて飛ばす。そのかわり体のしなりや筋肉の動きを線の太さで表現した。無防備に晒された足は細く柔らかく、握った拳は強く大胆に。そうすることで作品に更なる深みが加わる。
鉛筆を走らせながら、俺は相手の話を聞いていた。内容は――俺と噂になっているクラスメイトのことだ。付き合っているの、と問われ、俺は少しだけ考える。相手の顔を一度伺ったあとで、俺は答えを出した。一瞬だけ鉛筆の動きが止まる。
目や耳から入ってくる情報は雑多で嘘と真実が混在する。それは発信する側も同様で――それに引きずられると俺の手は動かない。余計な感情に振り回されて何も描けなくなってしまうのだ。そういう時、俺は本能に染まれと呪文をかける。そう、自分の直感だけを頼れと言い聞かせるのだ。
下書きをひととおり終えた所で時を知らせるベルが鳴った。俺は赤鉛筆を置くと自分の作品を改めて見る。無言で書いた時よりも上手く描けた気がして――俺は思わず苦笑した。スケッチブックをくるりと翻し、相手の反応を見る。その表情に確かな手ごたえを感じた。俺が受け止めた感情は確かにそれで合っているのかもしれない。
俺は相手の逆鱗に触れることを知りながらも、その名を口にした。これは嫉妬ではないか、と。案の定、向こうはびくりと体を動かした。憎悪の目が俺に降り注ぐ。その馬鹿正直さが俺の悪意に発車をかけた。殺気を感じつつもよかったらあげるけど? と挑発する。相手の拳が震えていた。このまま殴り飛ばされるかもしれないと思い、俺は身構える。だがそれは杞憂に終わった。第三者の介入があったからだ。
我ながら愚かなことをしたと思う。本当に嫉妬に狂っていたのは自分の方なのに。
俺はひとつため息をつくと、描いた絵に手をかける。このまま破ってしまいたかった。でもそれができない。そんな自分が悔しい。結局俺はスケッチブックを閉じてその場を離れるのが精いっぱいだったのだ。
今日はどーにも書けなくて、前書いた話の別視点でごまかしてしまったorz 以前も同じことしたので「俺」が誰なのか分かる人にはわかる話かなぁ……
2013
「ちょ、騒がないでよ。うるさいなぁ」
もう一人の私は比較的冷静に私を嗜める。そして不思議そうな顔をした。
「それにしてもなんで? なんで貴方が『こっち』にいるの?」
「なんでって――こっちが聞きたいわよ。貴方は誰?」
「貴方は私。貴方の知らない私」
「どういうこと?」
「もっと分かりやすく説明しようか?」
そう言ってもう一人の私はつま先を中心にしてくるりと回る。つけているエプロンがふわりと宙に浮かんだ。
「あのね。私は貴方が選ばなかった未来にいる私なの」
「選ばなかった?」
私がオウム返しすると、もうひとりの私はこくりと頷いた。
「覚えてる? 三年前の夏、友達とキャンプに行ったときのこと。夜、肝試しをしたよね。でも途中で友達とはぐれて道に迷っちゃったよね。そして元きた道を戻ろうとして――分かれ道にたどりついた」
その話を聞き、私はああ、と思いだした。三年前、確かに私は土地勘のない森で迷った。方向音痴の私にとって、それは究極の選択だった。
「実はね、あの瞬間に世界が二つに分かれちゃったの。そして私もまっぷたつに分かれて別々の道を選んだというわけ」
もう一人の私の話は実に胡散臭い。でも目の前にドッペルゲンガーのごとくいるわけだから、まぁそういうことなんだろうと思わざるを得ない。
あの時私は左の道を選んだ。何故そっちを選んだかというと、どこからか突然現れた蛍がそちらの道を選んだからだ。蛍は綺麗な水辺を好むと聞いている。私は行きの途中で川沿いを通り小さな橋を渡っていたことを思い出した。だから蛍の飛んでいった方向に行けば元の道に戻れると思ったのだ。
私は蛍のおかげで友達とすぐに再会することができた。蛍に奇妙な縁を感じた私は大学で蛍の研究をするようになって――毎年ここを訪れるようになった。蛍の生態に関する論文をいくつか上げてそれなりの評価を得た。でもそれだけじゃ物足りなくて、今度この地域の家を借りて更なる研究を続けるつもりでいる。
とまぁ、自分の話は置いておいて。私はもう一人の私について考えることにした。
私が選ばなかった未来――つまり、三年前の分かれ道で反対の道を選んだと言う事だ。私はふむ、と唸る。少しだけ、というかかなり「その未来」とやらが気になった。私の心を読んだのか聞きたい? ともうひとりの私が聞いてくる。私はこくりと頷いた。その答えにもうひとりの私はわかった、と返事する。
「右の道はね。歩いていくうちに上り坂になって、道も険しくなって。最後は道ともいえない場所を歩いてた。ああ間違ちゃったなって思ったわ。でも私って方向音痴じゃない? 真っ暗だし帰りの道も分からなくなっちゃって。仕方なく歩き続けたの。ひたすら歩いて、歩いて。最後には山のてっぺんまで辿り着いた。そこから見える麓の景色は最高だった。真っ暗な山の中にぽつんぽつんって見える家の灯りが蛍みたいでね。空は澄んでいて、星がキラキラしていて。見ているだけで幸せな気分になれた。けどこれ以上歩くことができなくて――翌日の夕方、地元の捜索隊に発見されるまでずっとそこにいるしかなかったの。友達はすごく心配されたし親にはこっぴどく叱られて。すごい悪い事しちゃったなぁって思ったわ。
でもね、私はあの時歩き続けたことを後悔してないの。だって、あんなにも素敵な景色を見ることができたんだもの。だからいつかは、ここに住んでみたいと思った。そして今度、その夢が叶うことになったの」
そう言ってもう一人の私は左手を天にかざした。左手の薬指に銀色の指輪が光っていた。
「私ね、今度結婚するの。相手は三年前に遭難した私を見つけてくれた人。私の恩人でもあるの」
そして面白いよね、ともう一人の私は言った。
「貴方と私、それぞれ違う選択をしたのに着地点は一緒。これってすごくない?」
確かに。ひとつの分岐点から更に分岐が続いた場合、元の世界と再び重なる確率はかなり低い。一時的とはいえ世界は一つに重なった。これはかなりすごい事なのではないだろうか。
しばらくすると部屋の中がぐにゃりと歪んだ。重なった世界がまた二つに分かれて行くのだろう。
もう一人の私の姿がかすんでいく。ばいばい私、ともう一人の私が言う。私も手を振った。世界が遠のいていく。
この先もう一人の私にまた会える保証などどこにもない。でもどうしてか私は言葉にしていた――また会おうね、と。
気がつけばSFっぽいのになってた話。
2013
帰り道の途中で考え事をしていると、幼馴染のミナに声をかけられた。
「どうしたの、道端でぼーっとして」
「名前、考えてたんだ」
「名前って――ウメのお母さんのお腹にいる子の?」
「そう。親に『名前つけさせて』って頼んだら、いいって言われたから」
名前決めたの? と問うミナに俺は聞きたい? と問い返す。ミナが二度返事で食いついた。俺は思い付く限りの名前を口に出す。
「ええと、杏也だろ、杏太に杏次に杏馬に……」
「やっぱり杏の字を使うんだ」
「当然だろ。他にもあるぞ。杏太郎に杏輔に杏平。それから――」
「それって男の子の名前ばかりじゃない。そりゃウメの気持ちも分からなくもないけどさ。こういうのは天からの授かり物って言うでしょ? 女の子の名前もちゃんと考えないと。それに子供産まれる五月って杏の季節には早いわよ。その漢字名前に使って何か言われたりしない?」
小姑じみたミナの言葉を俺はああそのへんは大丈夫だから、と軽い言葉で吹き飛ばす。
「ウチはそういったの気にしない――というか、いい加減だから」
年が離れているとはいえ、子供も五人目となると両親も色々なことが適当になるらしい。そのいい例が俺だ。
俺は四人きょうだいの末っ子だ。俺の「青梅」という名前には俺の生まれた六月の果物がついている。でもそういった意味で付けられたわけじゃない。両親が俺の名付けで悩んでいたときにすぐ上の姉――桃ねぇが梅酒の青い瓶を持ってきて「これがいい」と言ったのだ。しかも名付けの当人は当時三歳で全く記憶にない。この話を聞いたとき、あまりの適当さに俺は頭を抱えた。今回名付け役を買って出たのもそういったのが根底にある。
そう、俺にとってこれから生まれてくる弟(であってほしい)は特別な存在になる。だからこそ、適当な名前をつけられてたまるかという気持ちになるのだ。
俺はそらに浮かんだ候補をもう一度繰り返す。最後にうなり声をあげた。やっぱり女の子の名前も考えるべきだろうか。ああは言ったものの、ミナの言葉も一理あると思った。でもやっぱり俺の中では弟のイメージしかなくて。
俺は腕を組んで考える。しばらくしたあとでうん、と頷いた。
「女の子の名前はミナに任せるわ」
「はぁ?」
「だから俺ら二人で分担して子供の名前を考えるんだよ」
俺の提案にミナは目をぱちぱちとさせた。
「……いいの?」
「仕方ないだろ。俺の中では男の名前しか出ないし」
それに、ミナならいい名前を考えてくれる。そんな気がするのだ。
俺はすっかり高くなった秋の空を見上げた。寺町を吹き抜ける風も涼しさから遠のいて、だいぶ冷えてきた。あの暑かった夏の日が遠い昔へと変わってゆく。この胸に残ったのはもうひとりの自分との思い出。それはこれから形を変えて、新しい時を刻んでゆく。思い描く未来は無限に広がるのだ。
やがて隣にいたミナがぱちんと手を合わせる。名前決めたよ、の声に俺の心がうずいた。
本サイト掲載作品「君といた夏」から少し後の話。ここ最近こんな話ばっかだが、物語の隙間を埋めるのは結構楽しかったりする。