もの書きから遠ざかった人間のリハビリ&トレーニング場。
目指すは1日1題、365日連続投稿(とハードルを高くしてみる)
2013
「ねーえ、これどうかしら?」
試着室のカーテンを開け、まどかが言う。スカイブルーのビキニ姿で悩殺ポーズを決めるまどかに対し、俺はやる気のない答えを落とす。
「別に。それでいいんじゃね?」
「その反応なんかつまんなーい。もっと高校生らしい発言はないの? 乳目立つ! とか萌え~とかさぁ」
そりゃ他の女だったら俺も言うかもしれない。だが、目の前にいるのはまどかだ。身内の水着姿見て萌え~なんて言えるかこの野郎。だいたい、女ものの水着売り場に俺を連れてくるんじゃねぇ。
「とにかく、早く決めろよ。俺もう限界」
不服そうなまどかに俺は踵を返す。逃げ場を探していると、壁際に男物の水着が少しだけ置いてあるのを見つけた。そこでいくつか眺めるフリをする。すると。
「文哉はこっちがいいんじゃない?」
そう言ってまどかが何かを俺に投げつける。キャッチし広げてみると逆三角形の水着が現れた。男物のビキニパンツだ。
「絶対似合うよ。履いてみたら?」
「ふざけるな! だれがこんなのつけるかっ!」
俺は渡された水着をまどかに投げつける。が、その前に試着室のカーテンを閉められてしまった。丸められた水着がだらしなく床に落ちるとすかさず店員がそれを拾った。まずい。
俺は小さな声ですみません、と謝る。本来なら咎められて当然なのに、店員はいいえ、と言うだけだった。それどころか口元を緩ませている。他の客も俺を見てくすくすと笑っている。きっときょうだいのじゃれあいにしか思われてないのだろう。案の定、レジでお金を払っていると店員に声をかけられた。
「弟さんですか? 一緒にお買いものだなんて、仲がいいんですね」
「いいえ、彼は私の叔父なんです。ねっ。おーじーさんっ」
店員はその言葉に一瞬え? って顔になった。まどかに腕を絡められ、俺はげんなりとする。ああ、できるものならその関係を今にでも断ち切りたい。でもこれは逃れようもない事実なのだ。
まどかの父は俺の兄である。その年の差はなんと二十五歳。まどかが生まれた四年後に俺が生まれた。だから俺は生まれながらにしてまどかの叔父なのだ。
ところが、まどかはその奇妙な関係を楽しんでいて、暇になると今日みたいに俺を買い物に誘う。周りに仲の良い姉弟を植え付けて、実はとタネを明かす、その瞬間がたまらなく面白いのだとまどかは言っていた。
「ほんっと、性格悪いよな」
買い物帰りに寄った喫茶店で俺は毒づく。
「いい加減俺とつるむのやめろよー。おまえ女子大生だろ?」
「えー。あたしはつるんでいたいのになぁ」
「俺は嫌なの! それに水着買うなら彼氏といけよ」
「だーって。彼氏と買い物行っても遅いだの早く決めろだのって五月蠅いんだもん。同じ反応でも文哉と一緒の方が十倍楽しい」
おいおい、それは問題発言だぞ。俺、彼氏に睨まれちまうじゃねえか!
「それ、絶対彼氏の前で言うんじゃねえぞ」
俺はまどかに釘を刺し、来たばかりのコーラを飲む。炭酸が頭を刺激した。ふっと向かいを見ればまどかが静かに茶を飲んでいる。黙っていればそこそこの美人なのに、どうしてそんな残念な性格なのやら。言っておくが、兄はそんな遺伝子持ってなかったぞ。
一人っ子のまどかには従兄弟がいない。なので小さい頃の遊び相手はもっぱら俺だった。昔からまどかは俺に絡んでいたが、一時期だけ俺を避けていたことがある。おそらく、まどかの周り「叔父さん」がみんな年上で、色んなものを買ってもらったりしたからだろう。
なんで文哉は私よりも年下なの? なんで私より早く生まれなかったのよ!
いつだったか、そんなことを言われたことがある。まだ小さかった俺は何故そう言われたのか分からなかった。俺がきょとんとした顔でいると、まどかはそれが気に入らなかったのか、僕の頭を叩いたのだ。今でもあれは理不尽だと俺は思っている。
「ねー、『向こう』行ったら何して遊ぶ?」
まどかに話しかけられ、俺は回想を止めた。「向こう」というのは父の実家のことだ。その家は海沿いの小さな田舎町にあり、俺は夏休みの度に遊びに行っていた。昔は海で泳いだり虫取りをして楽しんでいたけれど、成長するにつれて、そんな遊びもつまらなくなり、行ってもただ退屈な場所になってしまった。だから最近は受験や部活を理由に行くのを拒んでいた。でも今年は祖父の七回忌があるので行かなければならない。曾孫のまどかも同じだ。
俺は七年ぶりに訪れる祖父母の家を思い浮かべた。昔からある日本家屋に広い庭。畑にはたくさんの野菜が植えられていた。そして裏の林を抜けた先に小さな離れがあった。そこは亡くなった祖父が書斎として使っていた場所だ。俺にとってあの場所は思い出深い「いわくつき」の場所だった。あの離れは今も残っているのだろうか。
俺はストローでグラスの中をかき回した。氷についた小さな粒はひとつふたつと上昇し、はじけて消えていく。俺の忌まわしい記憶を消すように。その間もまどかが何か言っていた気がするが、全く耳に入らなかった。(2077文字)
奇妙な関係、ということで叔父より年上の姪。去年の「夏祭り」企画で出そうとして没入りしたやつである。人物像を確かめようとネタファイル探したけどプロットすら見つからない。一体どこへいったんだーっ
試着室のカーテンを開け、まどかが言う。スカイブルーのビキニ姿で悩殺ポーズを決めるまどかに対し、俺はやる気のない答えを落とす。
「別に。それでいいんじゃね?」
「その反応なんかつまんなーい。もっと高校生らしい発言はないの? 乳目立つ! とか萌え~とかさぁ」
そりゃ他の女だったら俺も言うかもしれない。だが、目の前にいるのはまどかだ。身内の水着姿見て萌え~なんて言えるかこの野郎。だいたい、女ものの水着売り場に俺を連れてくるんじゃねぇ。
「とにかく、早く決めろよ。俺もう限界」
不服そうなまどかに俺は踵を返す。逃げ場を探していると、壁際に男物の水着が少しだけ置いてあるのを見つけた。そこでいくつか眺めるフリをする。すると。
「文哉はこっちがいいんじゃない?」
そう言ってまどかが何かを俺に投げつける。キャッチし広げてみると逆三角形の水着が現れた。男物のビキニパンツだ。
「絶対似合うよ。履いてみたら?」
「ふざけるな! だれがこんなのつけるかっ!」
俺は渡された水着をまどかに投げつける。が、その前に試着室のカーテンを閉められてしまった。丸められた水着がだらしなく床に落ちるとすかさず店員がそれを拾った。まずい。
俺は小さな声ですみません、と謝る。本来なら咎められて当然なのに、店員はいいえ、と言うだけだった。それどころか口元を緩ませている。他の客も俺を見てくすくすと笑っている。きっときょうだいのじゃれあいにしか思われてないのだろう。案の定、レジでお金を払っていると店員に声をかけられた。
「弟さんですか? 一緒にお買いものだなんて、仲がいいんですね」
「いいえ、彼は私の叔父なんです。ねっ。おーじーさんっ」
店員はその言葉に一瞬え? って顔になった。まどかに腕を絡められ、俺はげんなりとする。ああ、できるものならその関係を今にでも断ち切りたい。でもこれは逃れようもない事実なのだ。
まどかの父は俺の兄である。その年の差はなんと二十五歳。まどかが生まれた四年後に俺が生まれた。だから俺は生まれながらにしてまどかの叔父なのだ。
ところが、まどかはその奇妙な関係を楽しんでいて、暇になると今日みたいに俺を買い物に誘う。周りに仲の良い姉弟を植え付けて、実はとタネを明かす、その瞬間がたまらなく面白いのだとまどかは言っていた。
「ほんっと、性格悪いよな」
買い物帰りに寄った喫茶店で俺は毒づく。
「いい加減俺とつるむのやめろよー。おまえ女子大生だろ?」
「えー。あたしはつるんでいたいのになぁ」
「俺は嫌なの! それに水着買うなら彼氏といけよ」
「だーって。彼氏と買い物行っても遅いだの早く決めろだのって五月蠅いんだもん。同じ反応でも文哉と一緒の方が十倍楽しい」
おいおい、それは問題発言だぞ。俺、彼氏に睨まれちまうじゃねえか!
「それ、絶対彼氏の前で言うんじゃねえぞ」
俺はまどかに釘を刺し、来たばかりのコーラを飲む。炭酸が頭を刺激した。ふっと向かいを見ればまどかが静かに茶を飲んでいる。黙っていればそこそこの美人なのに、どうしてそんな残念な性格なのやら。言っておくが、兄はそんな遺伝子持ってなかったぞ。
一人っ子のまどかには従兄弟がいない。なので小さい頃の遊び相手はもっぱら俺だった。昔からまどかは俺に絡んでいたが、一時期だけ俺を避けていたことがある。おそらく、まどかの周り「叔父さん」がみんな年上で、色んなものを買ってもらったりしたからだろう。
なんで文哉は私よりも年下なの? なんで私より早く生まれなかったのよ!
いつだったか、そんなことを言われたことがある。まだ小さかった俺は何故そう言われたのか分からなかった。俺がきょとんとした顔でいると、まどかはそれが気に入らなかったのか、僕の頭を叩いたのだ。今でもあれは理不尽だと俺は思っている。
「ねー、『向こう』行ったら何して遊ぶ?」
まどかに話しかけられ、俺は回想を止めた。「向こう」というのは父の実家のことだ。その家は海沿いの小さな田舎町にあり、俺は夏休みの度に遊びに行っていた。昔は海で泳いだり虫取りをして楽しんでいたけれど、成長するにつれて、そんな遊びもつまらなくなり、行ってもただ退屈な場所になってしまった。だから最近は受験や部活を理由に行くのを拒んでいた。でも今年は祖父の七回忌があるので行かなければならない。曾孫のまどかも同じだ。
俺は七年ぶりに訪れる祖父母の家を思い浮かべた。昔からある日本家屋に広い庭。畑にはたくさんの野菜が植えられていた。そして裏の林を抜けた先に小さな離れがあった。そこは亡くなった祖父が書斎として使っていた場所だ。俺にとってあの場所は思い出深い「いわくつき」の場所だった。あの離れは今も残っているのだろうか。
俺はストローでグラスの中をかき回した。氷についた小さな粒はひとつふたつと上昇し、はじけて消えていく。俺の忌まわしい記憶を消すように。その間もまどかが何か言っていた気がするが、全く耳に入らなかった。(2077文字)
奇妙な関係、ということで叔父より年上の姪。去年の「夏祭り」企画で出そうとして没入りしたやつである。人物像を確かめようとネタファイル探したけどプロットすら見つからない。一体どこへいったんだーっ
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2013
私と佳奈は大学時代からの付き合いだ。佳奈が私の仕事場の近くで働き始めてからは一緒にランチをするようになっていた。会話の肴は専ら佳奈の彼氏の愚痴だ。時間にルーズだとか、最近は全然お洒落じゃないとか。私は佳奈の連続口撃を適当な相づちでかわすのが定番となっていた。
「もうさ、付き合って十年以上たつとお互い空気なんだよね。いてもいなくてもどっちでもいいっていうか」
「んじゃ別れちゃえば? そんな男つまびいちゃえ」
「そうよね。今日こそ言ってやるわ。こんな関係もう終わらせてやる、って」
その時、佳奈の携帯が鳴った。どうやら仕事の呼び出しを受けたらしい。
「んじゃ別れたら連絡するわー」
意気揚々と店を出ていく佳奈に私は頑張れぇとエールを送る。しばらくしてあの、と後ろで聞き覚えのある声がした。振り返ると、後ろの席に社の後輩がいた。どうやら彼女もここでランチしていたらしい。
「二人のお話が聞こえちゃったんですけど……それでいいんでしょうか?」
「何が?」
「そんな簡単に別れろ、なんて言っちゃって――本当に別れちゃったらどうするんですか?」
「ああ、それだけは絶対にないから」
私ははっきりと断言した。佳奈はいつだってそう。もう限界だあんな男とはもう別れてやる―と言っときながら、明日になるとけろっとした顔でそんなこと言ったっけ? と言う。佳奈は相手の文句を言うだけ言ってすぱっと忘れる性質なのだ。
まぁ友達になった最初の頃は毎度の別れます宣言に私もオロオロしてたわけだけど。それが長く続くといい加減慣れてくる。そのうち私も誰か紹介しようか、なんて冗談も言えるようになっていた。
私は後輩に大丈夫だからとなだめすかし、仕事場に戻る。幾つかの打ち合わせを終え、報告書を作成していると佳奈から電話が来た。
「菜摘の言うとおり、恋人関係終わらせたから」
突然の宣言に私はどきりとする。一瞬後輩の言葉が頭をよぎった。
「え…………っと? それって?」
「彼氏もこんな関係うんざりしてたんだって。だからすっぱり終了!」
うわ、それって私の言葉が原因ですか? 後押ししちゃったんですか? 私の額に嫌な汗が出てくる。まさか、こんな展開思ってもみなかった。
「それでね、菜摘、これからのことなんだけど……」
「うん」私はごくりと唾をのむ。
「実はね」
「うん」
「今度から私達夫婦になりまーっす」
「はぁぁあ?」
「もう婚姻届にサインはしたんだ。明日の朝イチで市役所に届けてくるから~用件はそれだけ。じゃあ、まったねー」
電話が切れてからしばらくの間、私は呆然としていた。そりゃ付き合い長いわけだし、そんな話が出てもおかしくないって思ってたけど。あまりにも展開早すぎないか? つうか私、おめでとうの一言を言い忘れたじゃないか!
「……ま、いっか」
私は小さく肩をすくめる。携帯をしまうと、コピー機の前にいた後輩に声をかけた。(1212文字)
「もうさ、付き合って十年以上たつとお互い空気なんだよね。いてもいなくてもどっちでもいいっていうか」
「んじゃ別れちゃえば? そんな男つまびいちゃえ」
「そうよね。今日こそ言ってやるわ。こんな関係もう終わらせてやる、って」
その時、佳奈の携帯が鳴った。どうやら仕事の呼び出しを受けたらしい。
「んじゃ別れたら連絡するわー」
意気揚々と店を出ていく佳奈に私は頑張れぇとエールを送る。しばらくしてあの、と後ろで聞き覚えのある声がした。振り返ると、後ろの席に社の後輩がいた。どうやら彼女もここでランチしていたらしい。
「二人のお話が聞こえちゃったんですけど……それでいいんでしょうか?」
「何が?」
「そんな簡単に別れろ、なんて言っちゃって――本当に別れちゃったらどうするんですか?」
「ああ、それだけは絶対にないから」
私ははっきりと断言した。佳奈はいつだってそう。もう限界だあんな男とはもう別れてやる―と言っときながら、明日になるとけろっとした顔でそんなこと言ったっけ? と言う。佳奈は相手の文句を言うだけ言ってすぱっと忘れる性質なのだ。
まぁ友達になった最初の頃は毎度の別れます宣言に私もオロオロしてたわけだけど。それが長く続くといい加減慣れてくる。そのうち私も誰か紹介しようか、なんて冗談も言えるようになっていた。
私は後輩に大丈夫だからとなだめすかし、仕事場に戻る。幾つかの打ち合わせを終え、報告書を作成していると佳奈から電話が来た。
「菜摘の言うとおり、恋人関係終わらせたから」
突然の宣言に私はどきりとする。一瞬後輩の言葉が頭をよぎった。
「え…………っと? それって?」
「彼氏もこんな関係うんざりしてたんだって。だからすっぱり終了!」
うわ、それって私の言葉が原因ですか? 後押ししちゃったんですか? 私の額に嫌な汗が出てくる。まさか、こんな展開思ってもみなかった。
「それでね、菜摘、これからのことなんだけど……」
「うん」私はごくりと唾をのむ。
「実はね」
「うん」
「今度から私達夫婦になりまーっす」
「はぁぁあ?」
「もう婚姻届にサインはしたんだ。明日の朝イチで市役所に届けてくるから~用件はそれだけ。じゃあ、まったねー」
電話が切れてからしばらくの間、私は呆然としていた。そりゃ付き合い長いわけだし、そんな話が出てもおかしくないって思ってたけど。あまりにも展開早すぎないか? つうか私、おめでとうの一言を言い忘れたじゃないか!
「……ま、いっか」
私は小さく肩をすくめる。携帯をしまうと、コピー機の前にいた後輩に声をかけた。(1212文字)
2013
バイト前に店のショーウィンドウを覗いていると、何をしている、と声をかけられた。振り返るとニシが立っている。
「最近付き合いが悪いと思ったら、こんな所にいたのか」
その台詞に私はあんたとつき合った覚えはないんですけど、と毒を吐く。ニシがうっ、と言葉に詰まった。HPが10ほど削れたか?
「で、何を見ていたんだ?」
復活したニシが改めて聞いてくる。いつもだったら絶対に教えない所だが、今日は機嫌が良かったので教えることにした。店頭に飾られた商品の一つを指す。私が見ていたのは女物の腕時計だった。円盤で文字は銀色、背景は薄いピンクで覆われている。ベルトもチタン製で上品な仕上がりだ。
「型落ちだが、なかなかのセンスだ。さすが俺の親友」
ニシの評価には余計な単語が多かったが、それをスルーし、そうでしょそうでしょ、と私は頷く。この店の前を通った時一番に目を引いたのはこの時計だった。たぶん一目ぼれだったんだと思う。
私が目をきらきらとさせながら時計を眺めていると、ニシが不思議そうな顔をした。
「買わないのか?」
「え?」
「たかが時計だろ? 欲しいなら買えばいいじゃないか?」
私は頬をひきつらせる。そりゃあ金持ちのニシにとって五桁の金額は「たかが」な物でしょうよ。でも私にとっては高い買い物なのだ。私はこの時計を手に入れるために今まで週三だったバイトを週五に増やした。土日は朝から晩まで詰めて、がむしゃらに働いた。あと一週間で給料日だ。お金が振り込まれたら速攻で買いにいく。時計ちゃん待っててね、すぐに迎えにいくからね。私は心の中で呟くとにっこりと笑う。
「じゃ、私バイトだから」
私はニシに手を振ると、軽い足取りでバイト先へ向かった。
次の日、バイト前に店を覗くと、ショーウィンドウに飾ってあった時計がなくなっていた。私は硝子にはりつく。どこかに移動したのかと思ったけど、何度見てもない。その時丁度店の人が出てきたので、私はあの、と声をかけた。
「ここに飾ってあった一点ものの時計、売れちゃったんですか?」
「ああ、あれねぇ」
店員は私の顔を覚えていたのか、ばつの悪そうな顔をする。それでも正直に話してくれた。今日の昼間、若い男が買っていったらしい。高校生なのにブラックカード出され、店員は仰天したのだとか。その話に私は凍りつく。そんなことができるのは私が知っている中でただ一人だけだ。
その後のことは記憶にない。あまりのショックでどうやってバイト先にたどりついたのか、そこで何をしたかも覚えていない。のろのろとした足取りで帰途につく。家の前に黒塗りのベンツが停まっていた。扉が開く。私の目の前に現れたのはニシだ。
「親友よ、待っていたぞ」
「何の用?」
「おまえに渡したいものがある」
そう言って差し出されたのは小さな紙袋だった。見覚えのある店のロゴに私は眉をひそめる。
「開けてみろ。きっと喜ぶ」
「いらない」
私は即答する。今はその顔を見るのも嫌だ。
「変な物が入ってるわけじゃない。中身は――」
「時計でしょ? 昼間買ってったんだって?」
「だったら早い。じゃあ受け取れ」
「いらないって言ってるでしょ!」
私はニシの手を払った。紙袋がニシの手から離れ地面に落ちる。私の拒否っぷりにさすがのニシもキレたらしい。なんだよ、と言葉を荒げる。
「ずっと欲しかったんだろ? だからお前の代わりに買ってやったのに。なんで断る? 訳わかんねーんだけど」
「そうね。簡単に買えるあんたには、私の気持ちなんて絶対わかんない!」
私は言葉を吐き捨てると、ニシに背を向けた。鍵を差し、家の中に入る。拳が震えた。こみ上げてくるのは悔しさばかりだ。ニシは私の気持ちを踏みにじった。あいつが放つ親友なんて言葉は偽善だ! あいつは何にも分かっていない。
確かに私はあの時計が欲しかった。でも私は自分の稼いだお金で買いたかったのだ。努力して手にした証が欲しかった。自分への褒美が欲しかった。それなのに――
あまりにも悔しくて私は鞄を床に叩きつける。それでも気は一向に晴れなかった。(1694文字)
東西コンビ再び。金銭感覚による友情(?)の亀裂を書いてみた。このあと二人が仲直りするかは考えてないのだが、意外にも書きやすい二人だったりする。
「最近付き合いが悪いと思ったら、こんな所にいたのか」
その台詞に私はあんたとつき合った覚えはないんですけど、と毒を吐く。ニシがうっ、と言葉に詰まった。HPが10ほど削れたか?
「で、何を見ていたんだ?」
復活したニシが改めて聞いてくる。いつもだったら絶対に教えない所だが、今日は機嫌が良かったので教えることにした。店頭に飾られた商品の一つを指す。私が見ていたのは女物の腕時計だった。円盤で文字は銀色、背景は薄いピンクで覆われている。ベルトもチタン製で上品な仕上がりだ。
「型落ちだが、なかなかのセンスだ。さすが俺の親友」
ニシの評価には余計な単語が多かったが、それをスルーし、そうでしょそうでしょ、と私は頷く。この店の前を通った時一番に目を引いたのはこの時計だった。たぶん一目ぼれだったんだと思う。
私が目をきらきらとさせながら時計を眺めていると、ニシが不思議そうな顔をした。
「買わないのか?」
「え?」
「たかが時計だろ? 欲しいなら買えばいいじゃないか?」
私は頬をひきつらせる。そりゃあ金持ちのニシにとって五桁の金額は「たかが」な物でしょうよ。でも私にとっては高い買い物なのだ。私はこの時計を手に入れるために今まで週三だったバイトを週五に増やした。土日は朝から晩まで詰めて、がむしゃらに働いた。あと一週間で給料日だ。お金が振り込まれたら速攻で買いにいく。時計ちゃん待っててね、すぐに迎えにいくからね。私は心の中で呟くとにっこりと笑う。
「じゃ、私バイトだから」
私はニシに手を振ると、軽い足取りでバイト先へ向かった。
次の日、バイト前に店を覗くと、ショーウィンドウに飾ってあった時計がなくなっていた。私は硝子にはりつく。どこかに移動したのかと思ったけど、何度見てもない。その時丁度店の人が出てきたので、私はあの、と声をかけた。
「ここに飾ってあった一点ものの時計、売れちゃったんですか?」
「ああ、あれねぇ」
店員は私の顔を覚えていたのか、ばつの悪そうな顔をする。それでも正直に話してくれた。今日の昼間、若い男が買っていったらしい。高校生なのにブラックカード出され、店員は仰天したのだとか。その話に私は凍りつく。そんなことができるのは私が知っている中でただ一人だけだ。
その後のことは記憶にない。あまりのショックでどうやってバイト先にたどりついたのか、そこで何をしたかも覚えていない。のろのろとした足取りで帰途につく。家の前に黒塗りのベンツが停まっていた。扉が開く。私の目の前に現れたのはニシだ。
「親友よ、待っていたぞ」
「何の用?」
「おまえに渡したいものがある」
そう言って差し出されたのは小さな紙袋だった。見覚えのある店のロゴに私は眉をひそめる。
「開けてみろ。きっと喜ぶ」
「いらない」
私は即答する。今はその顔を見るのも嫌だ。
「変な物が入ってるわけじゃない。中身は――」
「時計でしょ? 昼間買ってったんだって?」
「だったら早い。じゃあ受け取れ」
「いらないって言ってるでしょ!」
私はニシの手を払った。紙袋がニシの手から離れ地面に落ちる。私の拒否っぷりにさすがのニシもキレたらしい。なんだよ、と言葉を荒げる。
「ずっと欲しかったんだろ? だからお前の代わりに買ってやったのに。なんで断る? 訳わかんねーんだけど」
「そうね。簡単に買えるあんたには、私の気持ちなんて絶対わかんない!」
私は言葉を吐き捨てると、ニシに背を向けた。鍵を差し、家の中に入る。拳が震えた。こみ上げてくるのは悔しさばかりだ。ニシは私の気持ちを踏みにじった。あいつが放つ親友なんて言葉は偽善だ! あいつは何にも分かっていない。
確かに私はあの時計が欲しかった。でも私は自分の稼いだお金で買いたかったのだ。努力して手にした証が欲しかった。自分への褒美が欲しかった。それなのに――
あまりにも悔しくて私は鞄を床に叩きつける。それでも気は一向に晴れなかった。(1694文字)
東西コンビ再び。金銭感覚による友情(?)の亀裂を書いてみた。このあと二人が仲直りするかは考えてないのだが、意外にも書きやすい二人だったりする。
2013
喫茶店に呼び出したのは俺と同期入社の今川だった。相変わらずチャラそうな顔をさせて俺のもとへやってくる。
「悪いな、休日なのに呼び出して」
「別にいいよ。で、俺に聞きたいことって何?」
「その、芹花のことなんだけど。昔のこととか――元カレのこととか聞きたいんだ」
「苑村の元カレって……ああ、戸波課長かぁ。あの人って今ブラジルだっけ?」
今川のぼやきに俺は小さく頷く。日本の裏側へ赴任した戸波課長は芹花や今川の上司だった。仕事もできて上からも下からも慕われていた。趣味はテニスで学生時代はインターハイにも出場したとか。とにかく有能な人だった。
戸波課長の海外赴任が決まった時、芹花は一緒についてきてほしい、と言われたらしい。でも芹花はそれを断り、結局二人は別れた。決して相手を嫌いになったから別れたというわけではなかった。
だから俺は不安になる。
「もしかしたら芹花はまだ、課長の事を好きなんじゃないかなぁって」
俺は自分を落ちつけるよう、頼んだコーヒーに口をつけた。今川のアイスコーヒーがテーブルに揃うと、何だよそれ、と今川が呆れる。
「もっと自信持てよ。今苑村の彼氏はおまえだろ? 過去の事気にしてどうする?」
確かに今川の言う事は正しい。戸波課長と俺は別個の人間だし、芹花にとってはもう過去の出来事だ。頭では分かっている。
「だけどさ、俺、あの人には一生勝てない気がする」
「何で?」
「俺、課長みたいに仕事できないし喋りも下手だ。お洒落な所も知らない。デートしてもつまらないんじゃないかって思うんだ。
芹花だって、俺と一緒にいて、課長の時と色々比べちゃうことがあると思うんだよ。何で俺みたいなのを好きになったんだろう……何かの間違いじゃないのかな?」
俺の言葉に眉をひそめながら今川がストローに口をつけた。アイスコーヒーを飲む。残り僅かな液体がずこずこずこ、と音を立て吸い上げられていく。今川は最後に氷を一つつまんで噛み砕いた。背筋を伸ばしあのさ、と言葉を紡ぐ。
「おまえ、今苑村に対してすげー失礼こと言ったぞ」
「え?」
「確かに戸波課長は完璧な人だよ。苑村だって本気で好きだったと思うよ。けどさ。苑村だって課長が人生で初めて付き合った人なわけないだろ? 他に付き合った奴もいたんだろ?」
「そりゃあ……まぁ」
いつだったか、昔付き合った人間は何人って話になった時、僕のゼロに対して、芹花は二人と答えていた。
「課長に比べたらおまえは弱くて頼りなくて、どーしようもない欠けまくりの人間だ。でも苑村はその欠けている所も含めて好きになったんだ。欠けている部分は個性だ。個性は相手と補いあえば完璧にもなるし、それ以上にもなる。恋愛ってさ、そういう助け合いというか、信頼が大事じゃないのか? お互いを思いやりながら個性を育てていくもんじゃないのか? 俺の言ってる事、間違っているか?」
今川の熱弁に俺はぽかんと口を開けていた。普段はちゃらいことばっか言ってるのに、今だけはまともに――いや、もの凄い奴に見える。
「とにかく、お前は苑村の手を絶対離すんじゃねぇ。あんないい女、あとにも先にもいないんからな!」
だん、とテーブルを叩かれたので俺は体を委縮した。睨んだような目で射られ、俺の口から思わずはい、と大きな声が出る。一気に目が覚めた、そんな感じだった。(1389文字)
実は今川が芹花のもう一人の元カレだったというオチ。喝の部分は今川の教訓だった。でもうまくまとまらなかったのでカットすることに。このあと主人公たちはお互いの気持ちを打ち明け絆を深めたとさ。
「悪いな、休日なのに呼び出して」
「別にいいよ。で、俺に聞きたいことって何?」
「その、芹花のことなんだけど。昔のこととか――元カレのこととか聞きたいんだ」
「苑村の元カレって……ああ、戸波課長かぁ。あの人って今ブラジルだっけ?」
今川のぼやきに俺は小さく頷く。日本の裏側へ赴任した戸波課長は芹花や今川の上司だった。仕事もできて上からも下からも慕われていた。趣味はテニスで学生時代はインターハイにも出場したとか。とにかく有能な人だった。
戸波課長の海外赴任が決まった時、芹花は一緒についてきてほしい、と言われたらしい。でも芹花はそれを断り、結局二人は別れた。決して相手を嫌いになったから別れたというわけではなかった。
だから俺は不安になる。
「もしかしたら芹花はまだ、課長の事を好きなんじゃないかなぁって」
俺は自分を落ちつけるよう、頼んだコーヒーに口をつけた。今川のアイスコーヒーがテーブルに揃うと、何だよそれ、と今川が呆れる。
「もっと自信持てよ。今苑村の彼氏はおまえだろ? 過去の事気にしてどうする?」
確かに今川の言う事は正しい。戸波課長と俺は別個の人間だし、芹花にとってはもう過去の出来事だ。頭では分かっている。
「だけどさ、俺、あの人には一生勝てない気がする」
「何で?」
「俺、課長みたいに仕事できないし喋りも下手だ。お洒落な所も知らない。デートしてもつまらないんじゃないかって思うんだ。
芹花だって、俺と一緒にいて、課長の時と色々比べちゃうことがあると思うんだよ。何で俺みたいなのを好きになったんだろう……何かの間違いじゃないのかな?」
俺の言葉に眉をひそめながら今川がストローに口をつけた。アイスコーヒーを飲む。残り僅かな液体がずこずこずこ、と音を立て吸い上げられていく。今川は最後に氷を一つつまんで噛み砕いた。背筋を伸ばしあのさ、と言葉を紡ぐ。
「おまえ、今苑村に対してすげー失礼こと言ったぞ」
「え?」
「確かに戸波課長は完璧な人だよ。苑村だって本気で好きだったと思うよ。けどさ。苑村だって課長が人生で初めて付き合った人なわけないだろ? 他に付き合った奴もいたんだろ?」
「そりゃあ……まぁ」
いつだったか、昔付き合った人間は何人って話になった時、僕のゼロに対して、芹花は二人と答えていた。
「課長に比べたらおまえは弱くて頼りなくて、どーしようもない欠けまくりの人間だ。でも苑村はその欠けている所も含めて好きになったんだ。欠けている部分は個性だ。個性は相手と補いあえば完璧にもなるし、それ以上にもなる。恋愛ってさ、そういう助け合いというか、信頼が大事じゃないのか? お互いを思いやりながら個性を育てていくもんじゃないのか? 俺の言ってる事、間違っているか?」
今川の熱弁に俺はぽかんと口を開けていた。普段はちゃらいことばっか言ってるのに、今だけはまともに――いや、もの凄い奴に見える。
「とにかく、お前は苑村の手を絶対離すんじゃねぇ。あんないい女、あとにも先にもいないんからな!」
だん、とテーブルを叩かれたので俺は体を委縮した。睨んだような目で射られ、俺の口から思わずはい、と大きな声が出る。一気に目が覚めた、そんな感じだった。(1389文字)
実は今川が芹花のもう一人の元カレだったというオチ。喝の部分は今川の教訓だった。でもうまくまとまらなかったのでカットすることに。このあと主人公たちはお互いの気持ちを打ち明け絆を深めたとさ。
2013
「本当に帰っちゃうのか? ウチで少し休んで行けよ」
「気持ちだけ受け取っておくよ。明日も午後から仕事入ってるし、始発で帰るわ」
僕は旧友の好意を丁重に断ると、手を振って別れた。ゆっくりとした足取りで駅へ向かう。田舎の駅は無人駅になっていて、この時間は誰もいない。扉の鍵が開いていたので、僕は待合室に入る。昔からある木のベンチに横になるとスマホを取りだした。幾つかのサイトを回ってみるが、興味をそそられる話題は何もなかった。
スマホをしまった所で僕はため息をつく。時刻表を見ると、始発まではあと三時間ほど、らしい。
今日は――というより昨日は中学校の同窓会だった。昼間から酒を飲んでは食べ移動する。それを数回繰り返したから相当疲れた、はずだった。なのに眠気がなかなか訪れない。酔っているはずなのに、頭がどんどん冴えていく。こんなことは初めてだ。
やっぱり、あの言葉が引っかかっていたのだろうか。
「そういえばこの間、△△で篠崎を見かけたよ。男と腕組んでた」
それは同級生の誰かが漏らした情報だった。
篠崎は美人で性格もよくて何時も人に囲まれている――いわゆるアイドル的な存在だった。一方の僕はその正反対を地でいく人間で、クラスでも平凡の斜め下を歩いていた。
ある日の昼休み、僕は休んだ同級生の代わりに放送室に詰めていた。好きな曲をかけていいから、と言われたので、その日たまたま持っていたバンドのアルバムを流したら、その日の放課後篠崎に声をかけられた。
昼休みにかかっていた曲、あなたが選んだんだって? ああいうの好きなの? そう問われ僕は小さく頷いた。その時の篠崎の反応は今も覚えている。目をきらきらとさせていて、本当に嬉しそうで、とてもまぶしかった。
私もね、あのバンド好きなんだ、そう言われて僕は驚いた。意外だね、と思わず呟いたらひどいなぁ、と返された。私がヘビメタ好きなのがそんなに可笑しい? と言われたので僕は 可笑しいというか、意外だった、と答えた。篠崎はどちらかというと、明るい、爽やかで元気なイメージがあったから。その時、僕は外見と好きな曲は必ずしも一致しないのだと思った。
そして僕達は好きな音楽の話で盛り上がった。音楽を語る篠崎はとても興奮していた。歌詞についてはちょっと偏ったような解釈もあったけど、僕もそのバンドは好きだったし共感する部分も多かった。
しばらくして僕と篠崎はそのバンドを通じて連絡を取り合うようになった。新しい情報を見つけるとお互いに報告する。当時は携帯すら持たせてくれなかったから、連絡手段はもっぱら手紙だった。ノートの切れ端にメモ書きをし、小さく折りたたんでお互いのロッカーの中に投げ入れる。それがなかなかスリルがあって面白い。僕はゲーム感覚で篠崎とのやりとりを楽しんでいた。
でも、そんな時間も長くは続かない。僕が親の仕事の都合で県外の学校に転校することになったからだ。
引越の前日、もろもろの挨拶を終えて教室に戻ると、窓辺に篠崎がいた。篠崎は僕に橙色の海が見たい、と言った。それはあのバンドの曲のタイトルにもなっていた。朝焼けの海が描かれていて、橙色に染まる海に飛び込めば全てが浄化される、歌詞にはそんな意味がこめられていた。
僕は篠崎を自転車の後ろに乗せると、ただひたすらペダルを漕いだ。篠崎の願いを叶える、ただそれだけのために僕は自転車を走らせた。
学校から一番近い浜辺に到着すると、空は茜色になっていた。水平線の先に太陽が浮かんでいる。その日僕達が見たのは夕暮れの太陽だったけど、橙に染まる海の色は夜明けのと何ら変わらない気がした。
夕陽を見ながらさびしくなるね、と篠崎は言った。泣きそうな顔で僕を見ていた。唇が動く。篠崎の声は小さくて、何を言っているのか分からなかった。僕がもう一度尋ねると、何でもないとかぶりを振られた。
篠崎とはその浜辺で別れたきりだ。今回同窓会の案内状が届いて、僕は篠崎も来るんじゃないかとこっそり期待していた。でも篠崎は仕事の都合で来れなかった。篠崎は今何をしているのだろう。今もあのバンドの曲を聞いているのだろうか。
再びスマホを掲げると、音楽プレーヤーに切り替えた。いくつかある曲の中で「橙色の海」を選ぶ。流れていく音楽に当時の想いを重ねながら、僕は瞼を閉じた。(1790文字)
少年と少女だった頃の恋愛未満な思い出。
「気持ちだけ受け取っておくよ。明日も午後から仕事入ってるし、始発で帰るわ」
僕は旧友の好意を丁重に断ると、手を振って別れた。ゆっくりとした足取りで駅へ向かう。田舎の駅は無人駅になっていて、この時間は誰もいない。扉の鍵が開いていたので、僕は待合室に入る。昔からある木のベンチに横になるとスマホを取りだした。幾つかのサイトを回ってみるが、興味をそそられる話題は何もなかった。
スマホをしまった所で僕はため息をつく。時刻表を見ると、始発まではあと三時間ほど、らしい。
今日は――というより昨日は中学校の同窓会だった。昼間から酒を飲んでは食べ移動する。それを数回繰り返したから相当疲れた、はずだった。なのに眠気がなかなか訪れない。酔っているはずなのに、頭がどんどん冴えていく。こんなことは初めてだ。
やっぱり、あの言葉が引っかかっていたのだろうか。
「そういえばこの間、△△で篠崎を見かけたよ。男と腕組んでた」
それは同級生の誰かが漏らした情報だった。
篠崎は美人で性格もよくて何時も人に囲まれている――いわゆるアイドル的な存在だった。一方の僕はその正反対を地でいく人間で、クラスでも平凡の斜め下を歩いていた。
ある日の昼休み、僕は休んだ同級生の代わりに放送室に詰めていた。好きな曲をかけていいから、と言われたので、その日たまたま持っていたバンドのアルバムを流したら、その日の放課後篠崎に声をかけられた。
昼休みにかかっていた曲、あなたが選んだんだって? ああいうの好きなの? そう問われ僕は小さく頷いた。その時の篠崎の反応は今も覚えている。目をきらきらとさせていて、本当に嬉しそうで、とてもまぶしかった。
私もね、あのバンド好きなんだ、そう言われて僕は驚いた。意外だね、と思わず呟いたらひどいなぁ、と返された。私がヘビメタ好きなのがそんなに可笑しい? と言われたので僕は 可笑しいというか、意外だった、と答えた。篠崎はどちらかというと、明るい、爽やかで元気なイメージがあったから。その時、僕は外見と好きな曲は必ずしも一致しないのだと思った。
そして僕達は好きな音楽の話で盛り上がった。音楽を語る篠崎はとても興奮していた。歌詞についてはちょっと偏ったような解釈もあったけど、僕もそのバンドは好きだったし共感する部分も多かった。
しばらくして僕と篠崎はそのバンドを通じて連絡を取り合うようになった。新しい情報を見つけるとお互いに報告する。当時は携帯すら持たせてくれなかったから、連絡手段はもっぱら手紙だった。ノートの切れ端にメモ書きをし、小さく折りたたんでお互いのロッカーの中に投げ入れる。それがなかなかスリルがあって面白い。僕はゲーム感覚で篠崎とのやりとりを楽しんでいた。
でも、そんな時間も長くは続かない。僕が親の仕事の都合で県外の学校に転校することになったからだ。
引越の前日、もろもろの挨拶を終えて教室に戻ると、窓辺に篠崎がいた。篠崎は僕に橙色の海が見たい、と言った。それはあのバンドの曲のタイトルにもなっていた。朝焼けの海が描かれていて、橙色に染まる海に飛び込めば全てが浄化される、歌詞にはそんな意味がこめられていた。
僕は篠崎を自転車の後ろに乗せると、ただひたすらペダルを漕いだ。篠崎の願いを叶える、ただそれだけのために僕は自転車を走らせた。
学校から一番近い浜辺に到着すると、空は茜色になっていた。水平線の先に太陽が浮かんでいる。その日僕達が見たのは夕暮れの太陽だったけど、橙に染まる海の色は夜明けのと何ら変わらない気がした。
夕陽を見ながらさびしくなるね、と篠崎は言った。泣きそうな顔で僕を見ていた。唇が動く。篠崎の声は小さくて、何を言っているのか分からなかった。僕がもう一度尋ねると、何でもないとかぶりを振られた。
篠崎とはその浜辺で別れたきりだ。今回同窓会の案内状が届いて、僕は篠崎も来るんじゃないかとこっそり期待していた。でも篠崎は仕事の都合で来れなかった。篠崎は今何をしているのだろう。今もあのバンドの曲を聞いているのだろうか。
再びスマホを掲げると、音楽プレーヤーに切り替えた。いくつかある曲の中で「橙色の海」を選ぶ。流れていく音楽に当時の想いを重ねながら、僕は瞼を閉じた。(1790文字)
少年と少女だった頃の恋愛未満な思い出。
プロフィール
HN:
和
HP:
性別:
女性
自己紹介:
すろーなもの書き人。今は諸々の事情により何も書けずサイトも停滞中。サイトは続けるけどこのままでは自分の創作意欲と感性が死ぬなと危惧し一念発起。短い文章ながらも1日1作品書けるよう自分を追い込んでいきます。
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