2013
カウンターに座ったのは立木だ。高校時代の元カレで、今は同じ会社で働いている。立木は私と目が合うと、驚きのあとでなんとも言えぬ複雑な表情を見せた。そんな顔をさせたのは私のせいだ。
三十分ほど前、私は立木の唇を奪った。気が動転した私は立木を突き飛ばし、会社から逃げてきた。そしてここで後悔のるつぼにはまっていたわけだが――まさかこんな所で出くわすなんて。この展開を誰が予想できただろう。
さあどうする? 私はグラスを両手で抱えながら思案に暮れる。いつもと同じ調子で明るく話しかければいいのだろうか? あれは本当は冗談なんだよ、っておどければ全てはリセットされるのだろうか? いや違う。今更そんなこと言っても白々しいのは目に見えている。
私は怖いんだ。あいつと気まずくなることを私は何よりも恐れている。ようやく修復された友達関係を、一時の感情で壊してしまったことが悔やまれてならないのだ。
私は唇をそっと噛みしめる。あの時の熱はまだ消えない。勢いとはいえ、立木にキスしてしまったのは私の失態だ。
葛藤に苛まれていると、無駄に時間だけが過ぎてゆく。グラスの中にあった琥珀色はすでに消え、氷だけが虚しく音を立てる。私の中でこのまま無視して逃げてしまおうか、という思いも走るけど、負けず嫌いな性格がそれを邪魔する。そう、ここで逃げても何も変わらない、変われないのだ。だから私は覚悟を決めるしかない。
「びっくり……したよね?」
私はたどたどしい言葉であいつに問いかける。
「その、あんなことして……びっくりしたでしょ?」
しばらくの沈黙のあと、立木が小さく頷いた。
「言い訳にしか聞こえないかもしれないけどさ。私は昔のことをちゃんと整理できてた。昔立木と付き合ったことも、つまんない意地でケンカ別れになったことも。私の中では過去の話になってたんだ。
立木と再会して、これから『ともだち』として付き合っていけるってそう思ってた。立木が彼女と付き合ったって聞いた時も、よかったって心から思っていたんだ」
「なら、どうして――」
「わからない」
私は横にかぶりを振る。どうしてこんな気持ちになったのか――自分でも分からない。気がつけば仕事場で立木の姿を探していた。声を聞いて安堵したり不安になる自分がいるのだ。立木の彼女が嬉しそうにデートの報告をするたびに私はもやもやとした気持ちをずっと抱えてて。でもそれは醜いものだと思って、ずっとゴミ箱の中にぶちこんでいた。
私は空っぽのグラスをテーブルに戻す。硝子を両手で包みこんだままうなだれた。何だか泣けてきて、立木の顔を見ることも出来ない。
すると立木がぽつりと言った。楢崎は俺にどうしてほしいの、と。
「こんな言い方ずるいかもしれないけど……正直に言うよ。さっきキスされて、気持ちを知って――すごくぐらついている。おまえ、昔っから一人で全部背負っていたから。俺に心配かけないよう必死だったから。だから――俺にそういう感情をぶつけてくれたのが嬉しかった。
だからおまえが望むなら、受け入れてもいいって――そう思っている」
どうする? 立木の甘い誘いに私の心は揺れる。正直にわからない、と答えた。勝手に誘惑しておいて何だけど、私はこれ以上踏み込むことを躊躇っている。今、立木に触れられたらきっと私は感情に身を任せてしまう。だから薄っぺらい皮一枚の理性をまとって必死に堪えていた。
立木は席をひとつずらし、私の隣りに座った。狭いカウンター席故に肩が触れる。これ以上近づかないでと私は切に願った。目を見て話すことはできない。でも、この場を――立木の側を離れたくはない。
しばらくの間、私はその場を動くことができなかった。
80フレーズⅠの「29.もう戻れない」「79.酔っているだけ」の続き。その後どうなったかは想像にお任せということで。
帰省&企画物執筆のため、明日から3日間お休みします。次回更新は金曜日となります。
2013
***
その日、私は母に頼まれた食材を届けるため城に来ていた。重い台車を引きながら本棚の間を通り、奥にある書庫の扉を叩く。
「スピンおじさま。いつもの魚を届けに参りました」
「おお、ありがとうなぁ」
スピンおじさまは私が引いてきた台車を覗きこむ。水槽の中で泳いでいる巨大魚の群れを見てにんまりと笑った。
「ダックにクロム。お前らの餌が届いたぞ――ほうら」
スピンおじさまは水槽の魚を手づかみすると、飼っているグリーンドラゴンの双子に向かって一匹二匹と放り投げた。彼らは魚が床に落ちる前に口を大きく開けてごくりと丸飲みをした。幼獣だった少し前まではそんな姿も可愛らしかったけど、私の背の三倍あるだろう今は食べ姿を見るのもおどろおどろしい。私はそっと目をそらす。奥のテーブルに視線を移せばシフおじいちゃまと母がのんびりと茶をすすっていた。ああ、今日も三人で秘密の会議をしているわ。私は心の中でつぶやく。本当、この三人が揃うとろくなことがないんだから。
私は彼らをこの世の三大悪魔と呼んでいた。身内を悪く言うことに抵抗がない、と言えば嘘になるけれど、彼らの所業は目に余るものがある。彼らの恩恵を受けている以上ある程度は目をつぶるけど、悪さはほどほどにしてほしいと切に願っている。今はシフおじいちゃまの弟子が可哀想でならない。
「それで今回のことじゃが――あれは、ワシの弟子が『たまたま』出会ったブラックドラゴンに服従魔法をかけたら『たまたま』上手くいって、最終的に助かった、と。偶然が偶然を呼んだ――ということで王に報告しとこうかと思うのじゃが」
「それでいいんじゃね? あの子は最後まで踏んだり蹴ったりだったから。ちょーっとくらい褒美を与えてもいいかと思うぜ」
「私も異議は唱えません。それでいいかと」
「ふぉっふぉ。じゃあ、それでいこうかのぅ」
そう言ってシフおじいちゃまがにたりと笑うと、向かいにいたスピンおじさまがそれにしても、と口を開いた。
「今回は本当にヤバかったなぁ。ここから逃げたブラックドラゴンが卵産んだとは思ってもなくて。しかもすぐに羽化しちゃっただろ? びっくりしたのなんのって」
「研究のためとはいえ、成長を早める機械を発明するから変なことになるんです。生態を崩すのは犯罪行為ですよ。彼女を書庫に案内した時もそうです。私スピンおじさまの口が滑るんじゃないかと、ひやひやしてたんですから」
「こんなにも早く連れてくるとは思いもしなかったんだよ。クレアは俺とあの子が出会うのはずーっと後みたいなことを言ってたろ?」
「そうでしたっけ?」
「そうさ。だから俺は心の準備も何もできてなくて焦ってよぉ」
「その割には果物やお菓子が沢山置いてありましたけど」
「あの子が来るならもっといいものを用意したさ。で、あの子にごはんたらふく食べさせて丸々太った所をダックとクロムに食――あわわ」
「ほらやっぱり。ろくなことを考えてない」
「だってよー。魔力はドラゴンの大好物なんだぜ。こんなチャンスめったにないんだから。それにろくな事考えてないのはそっちだろ? 全てを見透かしているくせに何も言わない方が性質が悪いと思うが。おまえ、本当は夢で見てたんじゃないのか? ブラックドラゴンがシールド破ることも、あの子と一緒についてきた子供がこの国の危機を救うことも。だからあの時子供に魔法を教えてこいってジジィに頼んだんだろ?」
「そのことについてはご想像にお任せします」
「ったく、偉大なる魔導士さんの血を引く奴は曲者ばっかだな」
スピンおじさまは母に悪態をつくと、お茶を一気に飲み干した。まぁ、スピンおじさまの言いたいことはわかるけどその言葉、聞き捨てならないわ。曲者なのはシフおじいちゃまと母だけで、父や私はいたって普通なのだから。というか、この人たちの血が私にも流れているかと思うとちょっと怖い。いつ魔法や予知夢の力に目覚めてしまうか――考えるだけで身震いが走るわ。
母はひとつため息をつくと、シフおじいちゃまに向き直った。
「大おじさま」
「何じゃ」
「そろそろ彼女に本当の事を言ってもいいんじゃないんですか? あの腕輪が師弟の証でもお仕置きの道具でもないことを」
「ほぇ?」
「そりゃ、最初は何も言わないのが彼女の為と思ってましたけど――今回の事で、彼女は他の魔法使いから敵視されました。本人も自分には大した力がないんだって相当落ち込んでいたんですよ。可哀想に思えてなりません」
「そんなもの、自分で解決できんようじゃ魔法使いにもなれぬわい。他人に与えられることだけを求めるなら落ちこぼれで結構。一番の問題はあやつが魔法使いになるということを何かの資格か趣味ぐらいにしか思っておらんことだ。まぁ、最初に習い事でいいと言ってしまったワシにも責はあるが――あいつには魔法使いになる覚悟が足らん。そんな生ぬるい気持ちの者にワシの奥義など教えることはできんわい。それに、本当の事を話したら、ワシの方が殺されるじゃないか」
「ああ、それは言えてますね。あの時は大おじさまが本当に殺されるんじゃないかと思いましたから」
「何? ジジィってばあの子に殺されかけたの?」
「そうじゃ。あやつ魔法を使わなくても怪力で――まったく、誰があやつをそんな風に育てたんだか」
「そんなの決まってるじゃないですか」
「だな」
母とスピンおじさまが顔を見合わせ、シフおじいちゃまに目を向ける。同時ににやりと笑った。偉大なる魔法使いがそれを誤魔化すかの如く咳払いする。
「まぁよい。で、次の作戦じゃが――」
シフおじいちゃまの言葉に他の二人が身を乗り出す。遠く離れた異世界の彼女の話をする時はいつもそう。三人で書庫に籠りあーだこーだと悪だくみを展開する。それはまるで子供が大人に悪戯を仕掛けるかのごとく幼稚で単純で。いい大人が何をやってんだかと思うけど、三人はとても楽しそうだ。
さてさて、次はどんな事件を巻き起こすのやら。私は一番の被害を受けている彼女を思い、そっとため息をついた。
(使ったお題:23.ほどほどに)
最後はクレアさんの娘視点で描いた後日談。魔法使いの話はこれで完結です。最後まで読んでいただきありがとうございました。
明日明後日と(企画参加作品の執筆のため)お休み。来週火曜日から新しい話が始まります。今度はどんな話になるのやら。
2013
全ての作業が終わった後で、ヤツは盛大な高笑いを上げた。
「さっき投げたのはシールドの核となるものじゃ。それを電気玉と間違えてこの馬鹿弟子が。こんな大事な場でお仕置きなどするか! 全くいい気味じゃのう」
その、やーい引っかかった、とでも言いたげな様子に私は顔を赤くする。このクソジジィ! とヤツに噛みつくけど、その瞬間痛いほど強い視線が私を射抜いた。ヤツを偉大な魔導士と信じて疑わない魔法使いたちが私を睨みつける。その殺意とも呼べる眼差しに私は一歩どころか十歩近く後ずさりした。彼らの杖の先が一斉に私に向けられる。うわ。もしかして攻撃される? もう嫌だこんな世界。ヤツ至上主義なんてそれこそ詐欺だーーっ!
四面楚歌状態で私が唇を噛んでいると、ヤツが一歩前に出た。ゆったりとした口調でやめんか、とたしなめる。
「口は悪いが、こやつはワシが認めた弟子じゃ。弟子の粗相はワシの粗相だ。手出しはするな」
その威厳ある言葉に全ては収集した。ヤツが魔法使いたちを城に戻るよう指示すると、彼らは渋々それを受け入れた。箒の群れが空の彼方へ消えていくと私はヤツの杖でこつんと頭を叩かれる。
「師匠に感謝の一言もなしか? ぃえ?」
「もう師匠じゃないんだからそんなのするかっ! そっちが先に騙したんでしょ」
「じゃあ電気玉を出せばよいのかぇ?」
うわ、それはもっと嫌だ!
「まぁ、冗談はこれくらいとして。このあと隕石の衝突でここの魔力も打ち消されるかもしれん。城もゴタゴタするじゃろうから、今のうちに向こうの世界に飛ばしてやろう」
「え、そんな急に?」
「何じゃ? 戻りたくないのか?」
「いや」
飛ばせるものなら飛ばしちゃって欲しい。本当なら壊れた城の修復をしなきゃと思うけど、いかんせん体がバキバキで今は立つのもやっとなのだ。それに本音をぶっちゃけるなら魔法使い達の前で自分の失態を見せたのが一番痛い。騙されたとはいえあんな情けない悲鳴を上げちゃったし。ヤツを殺しそうになったことが暴露されてしまった以上、他の魔法使いたちにこれから何をされるかと思うとガクブルです。あ、でもプミラさんのことは気になる。彼女大丈夫かなぁ。先に帰ってしまうのは心苦しいけど、この世界が滅ばずに済んだのだからまた会えるよね?
私はクロムの首に触れると、そっと抱き寄せた。ありがとう。今度会う時は好きな物、沢山もってくるからね、と伝えると、クロムは私の顔をべろんと舐めた。
私の様子に何かを悟ったのか、ももちゃんがバイバイなの?と聞いてくる。私はそうだよ、と答えた。
「そこのジジ――魔法使いのおじいちゃんがもとの世界に戻してくれるって。ももちゃんもお母さんに会いたいでしょ?」
この世界に飛び込んでから数時間もしないうちに、ももちゃんはお母さんを恋しがっていた。それは事実を歪める暗示をかけなきゃならないほどで。だからすんなり受け入れるかと私は思っていた。けど、ももちゃんから返ってきたのはいや、の一言だ。
「もも、ここにずっといたい。あのドラゴンさんのところにいきたい。おじーちゃんにもっとまほーおそわりたぁいーっ」
だたをこねられ、私は困ってしまった。するとヤツが、おおそうじゃなぁ、と言って同調した。
「ワシとてもっとももと一緒にいたいぞよ。でも――そろそろ戻らないと、家の人も心配するじゃろう?」
ヤツはももちゃんの頭をそっとなでる。小さな光がももちゃんの前に現れた。
「なぁに。またすぐ会える。今度はな、夢の中で会おう。ワシらはいつだってもものそばにおる。じゃから――またな」
やがて光をじっと見ていたももちゃんの意識がぷつりと途切れた。突然倒れたものだから私は両手を広げて小さな体を支える。一体ももちゃんに何したの?
「ももの中にあるワシらの記憶を全て夢にすり替えておいた。こうした方がそなたも都合がいいじゃろう」
「そうね」
「さあ、時間がない。次元の扉を開くぞよ」
そう言ってヤツが自分の杖をくるりと回した。私はももちゃんを抱き上げ、その時を待つ。すると突然ヤツが私の腕を掴んだ。いきなり何? 私が目を見開くと、ヤツは真剣な顔で言った。
「そなたのおかげでこの世界は救われた――ありがとうな」
「え?何を急に」
「おまえじゃない。ももにいってるんじゃ。まぁ、おまえもそれなりに頑張ったんじゃないのかぃえ? ふぉっふぉ」
それは褒め言葉として受け取っていいのかしら?私が眉をひそめていると、足元が宙に浮いた。光の泉の中へ吸い込まれる。長い長いトンネルを抜けたあとで、自分の部屋のベッドに放り出された。ももちゃんを抱えた私はそのままごろんと一回転して、布団ごとベッドの下にずり落ちる。腰を打った私は悶絶した。ヤツの移動ときたら相変わらず着地点の設定に難がある。今度会ったら文句を言ってやろう。
私はぎこちない動きで体を起こすと枕元に置いてある目覚まし時計を取った。時刻はあっちの世界に行った日の三十分後。もう少ししたら従妹がももちゃんを迎えに来るだろう。それまでにせめて、この如何にもなコスプレを脱がないと。私は着ている服に手をかけようとして――あっと声をあげる。一度外れたはずの腕輪がそこに絡められていたからだ。そして私は悟る。ヤツめ。さっき私の腕を掴んだのはそういうこと?
私はももちゃんを抱えていた腕を解くと仰向けになる。声を上げて笑った。ジジィとの師弟契約は一度切れてたはずなのに、向こうの世界を離れる時私は次に訪れた時のことを考えていた。それは私にとって詐欺魔法使いのあれこれも、あっちの世界も私の生活の一部になってしまったということ。慣れというのは恐ろしい。でも――それも悪くない。
笑いすぎたせいなのか体中のあちこちが痛い。けど心はとても晴れやかだ。やがてインターホンが鳴る。私は痛む体を引きずりながら玄関へと向かった。
結局、体の痛みが癒えるまで一週間かかった。
その間は仕事を休むわけにはいかず――ええ、頑張りましたとも。ただ家に着いてからは何もする気がおこらず、風呂に入る以外は泥のように眠り続けた。おかげで洗濯物はたまるばかり。台所のシンクはコンビニの容器で溢れ、部屋は異臭を漂わせていた。
体の錘がようやく取れた日曜日、私は朝から忙しかった。その間放置していた服を洗濯し部屋に掃除機をかける。午後には従妹が改めて先日のお礼にやってきた。ももちゃんも一緒だ。
「この間はももを見てくれてありがとう。母も大事に至らず退院したし。これ、よかったら食べてね」
そう言って従妹が私に差し出したのは、一日限定十個しか売らないという極上スイーツだ。私の喉がごくりと鳴る。
「これ、高かったでしょう? いいの?」
「いいのいいの。ももに服を買ってくれたでしょう? あの子すっかりご機嫌で。あの如何にもな魔女服、どこで売ってたの?」
真剣に聞いてくるものだから私はさぁどこだったっけ、とすっとぼけた。元の世界に戻ってきた時、私とももちゃんはクレアさんの見立てた服を着たままだった。私とお揃いのそれを、ももちゃんはとても気に入っているらしい。小さな魔法使いは今日もそれを身にまとい、困っている人のために私の部屋をを奔走していた。
「わたしはまほうつかいもも。そなたのねがいをかなえるぞよ。なぬ? どらごんがしろであばれている? まほうつかいももがいまたすけるからまっててー」
ヤツの影響を受けたせいかたまにおひょ、とか、ふぉっふぉとか、あと語尾がおかしくなるのが非常に残念なんだけど――ま、いいか。
ももちゃんの大活躍は夢の中の出来事に変換されてしまった。でも、ももちゃんの将来を考えると、これが一番いいのだと私も思う。私たちの世界においての魔法はそれこそ夢のような存在だから。むやみに撒き散らすのはかえって迷惑だし周りの視線は冷たく厳しい。とはいえ、魔法を信じるのはその人の自由だ。だから何年かたって――そう、立派に成長したももちゃんが魔法を信じて、困った人を助ける魔法使いになりたいと言うようなら、あれは夢じゃなかったんだよと話してあげよう。その頃にはは私もいっちょまえの魔法使いになっているかな?
私は新たに巻かれた腕輪にそっと手を触れる。あれからだいぶ日が経ったけどヤツは私の前にまだ現れない。事件の後処理が大変なのかもしれないけど――ヤツのことだ。そのうちまたひょっこり現れるに違いない。あの独特の喋りを聞かせながら。そしたらまた騒々しい日々が始まるのだ。だから今はひとときの休息を楽しもう。
私は貰ったお菓子をほおばると満面の笑みをこぼした。(本編 了)
(使ったお題:58.騒々しい日々)
2013
魔法使いもも――その響きに小さな体が揺れる。
「ももちゃん。このままだとお城も壊れちゃうしお姉ちゃんもドラゴンに殺されちゃう。だからここから出して。だんごこーえんのおじいちゃんに教えてもらった魔法、まだ覚えてる?」
「だんごこーえん?」
「ももちゃんがいつも遊んでいる公園。滑り台で遊ぶのが大好きだったよね。そこに魔法使いのおじいちゃんが来て、ももちゃんに魔法を教えてくれたでしょ?」
「まほーつかいのおじいちゃん……」
ももちゃんはしばらくの間考え込むような仕草をしていたが、突然、はっとしたような顔をする。
「もも、そこでおじーちゃんみたっ! もものまえでおだんごいっぱいたべてたー」
「教えてもらった魔法、まだ覚えてる?」
「うんっ」
「あれはモノを壊す魔法なの。ももちゃんの力でこの瓦礫を壊して。そこにある杖を持って、呪文を唱えて!」
私の言葉にももちゃんがはいっと立派な返事をする。地面に転がっていた杖を拾い、すぐさま呪文を唱えた。隕石の接近で全てを粉砕することはできなかったけど、一番大きな瓦礫が割れたことで私はなんとか脱出することができた。自由になった私はももちゃんのもとへ走り、ぎゅうと抱きしめる。
「ありがとうももちゃん。あなたは最高の魔法使いよ」
「おねえちゃん、わたしなにをすればいいの?」
「あのね、ドラゴンをおとなしくさせてほしいの。お願いって頼むだけでいいから。できるかな?」
「わかったー」
ももちゃんは私に杖を返すと、くるりと踵を返す。荒ぶるドラゴンにありったけの声で叫んだ。
「ドラゴンさん、やめてぇーっ!」
小さな子供の声に大きな獣の体がびくりと揺れる。ドラゴンがこちらを見た。ギラギラした目でぎろりと睨まれビビるももちゃんに私は大丈夫だから、と言葉を重ねる。
「ももちゃんなら絶対できるよ」
手を握り、肩を抱くとももちゃんが小さく頷く。私達は改めてドラゴンと正面から向き合った。
「ドラゴンさん、このおしろこわさないでっ。ここがこわれちゃうとおかあさんがしごとできなくなっちゃう。そうしたらおかあさんおかねもらえなくなって、もも、すごくこまるの。おもちゃもおかしもかってもらえなくてすごーくこまるの。だからおとうさんのしごと、とらないで!!」
ももちゃんの訴えは少々リアルで切羽詰まっている。最初「おかあさん」だったのが最後「おとうさん」になっていたのはももちゃんにかけた暗示が解けてきたせいだろう。ももちゃんの母親である従妹は専業主婦で旦那の給料が日々の家計がと嘆いていた。ももちゃんはそれを子供なりに感じとっていて、あんな台詞が出てきたのかもしれない。
声に反応したのか、ドラゴンの動きが鈍くなる。
「こっちおいで。おとなしくしてくれたらももが『いいこいいこ』してあげる」
ももちゃんは両手を天に向かって広げた。ドラゴンが空中に体を留める。二、三回ほど翼を上下させたあとで大きく旋回しながら高度を下げていった。地上に降り立つと頭を垂れ、首をももちゃんに差し出す。ぐるう、と猫にも似た音がドラゴンから発せられる。ドラゴンさんいいこいいこ、と頭をなでるももちゃんにドラゴンはゆっくり瞼を閉じた。とても気持ちよさそうだ。
「やっ……た」
私はほうとため息をつく。それと同時に腰が抜けた。気を張っていたせいなのか城壁にぶつかった時の痛みが今頃になってやってきた。うわ、半端なく痛いんですけど。骨とか折れてないよね?
やがて、私達の周りが急に騒がしくなった。声のある方を見やると、建物の上でヤツが沢山の魔法使いを連れていた。その隣には地図を広げたスピンさんの姿が。さっき言ってた魔力が潜んでいる場所――『気』の抜け道に当たりをつけたのだろう。
ヤツは一度私の方に視線を向けた。落ちついたブラックドラゴンを見据え納得したように頷く。ヤツが箒にまたがり空に飛び出すとあとから魔法使いがぞろぞろとついていった。私は痛む体に鞭を打ち立ちあがった。私なんか猫の手にもならないけど、何もしないよりかはずっとましだ。それに(最終的にはももちゃんの手柄だけど)ドラゴンと対峙したことで自信がついたというか。今なら何でも出来る――そんな気がしたのだ。
私はクロムを呼び、その背にまたがった。すぐさまヤツを追いかけようとする。でも私はそれを一瞬躊躇った。ももちゃんが私たちの前に立ちはだかったからだ。
「もももいくっ。ももはまほうつかいだから。こまったひとをたすけるのがおしごとだもん。だからもももいくっ」
必死で訴えるももちゃんに私は困ってしまった。別にももちゃんが一緒に来るのは構わない。魔力は私以上にあるし戦力として役に立つだろう。けど問題がひとつある。
私は骨抜きにされたドラゴンを見た。このぶんだと、こいつもついていくと言いかねない。まかり間違って翼を広げられたら、せっかくの魔法も効かなくなる。さて、一体どうしたものか。
「あのね、ドラゴンさんがいると、みんなのお仕事の邪魔になっちゃうというか……ちょっと、ね」
私が言葉を濁すと、ももちゃんはわかった、と言ってクレアさんの所へ走った。彼女から紐のようなものを一本貰って戻ってくると、片方をドラゴンの首に、もう一方をまだ若い苗木にくくりつけた。
「ドラゴンさん、ここからはなれないでね。このひもきったら『めっ』だからねっ」
ももちゃんの指示にドラゴンは小さな唸り声をあげて固まった。ついさっきまで暴れまくり城を半壊させたブラックドラゴンも、今は細く長い紐を切らさないよう必死だ。その姿を見て思わず苦笑がこみあげた。小さな女の子に頭が上がらないブラックドラゴンって、傍から見たらすごい光景――って、感心してる場合じゃないんだっけ。
私はももちゃんを抱き上げると自分の前に座らせた。小さな手を包み込むようにして手綱を握る。
「飛ぶからね。しっかりつかまってて」
「うんっ」
クロムは翼を広げ大きく羽ばたいた。城を半周し海に向かって弾丸のごとく飛んでいく。あっという間に魔法使いの群衆を捕まえた。クロムは更に高度を上げ空に浮かぶ積乱雲を突き抜ける。箒で飛ぶ彼らを軽々越え、先頭にいるヤツに追いついた。ヤツがおひょ、と変な声を上げる。
「おまえら、追いかけてきたのかぃえ?」
「追いかけてきて悪い?」
「そんなことはないが――まぁ、手間が省けて丁度よかったわい」
ヤツはさっきの私と似たような台詞を落としたあと、こっちじゃ、と言って私達を誘導した。ドラゴンが右に旋回すると景色が変わる。連れてこられたのは山間にある渓谷だった。そこは緑と水に溢れていて、見るからにマイナスイオンが放出されていそうな――癒しの空間だった。空気がとても澄んでいて、深呼吸すると体の芯から力がみなぎってくる。ここがパワースポット、なのだろうか?
ヤツに促され、私達は地上に降り立った。気がつくとヤツと私たちのまわりを魔法使いたちが囲んで円陣を組んでいた。
「よいか。ワシが合図したら一斉に呪文を唱えろ。それまで目を閉じて『気』を集中させるのじゃ」
偉大なる魔道士の言葉に、精鋭の魔法使い達は頷き瞼を閉じた。私もももちゃんも目を閉じて集中する。けど――ヤツはいつまで経っても合図の声をかけなかった。数分後、痺れをきらした私が片目だけ開け様子を伺う。するとヤツが私に向かってにたぁと笑うのが見えた。
ヤツは私に向かってこう言う。
「ところでおまえ。先ほどはワシにとんでもないことをしたな」
「は?」
「さっきワシの胸ぐらを掴んで殺してやると言ったじゃろう? この国で偉大な魔道士と呼ばれるワシを亡きものにしようとするのは大罪に等しい。つまり、お仕置きじゃな」
「ちょ、ちょっ! 何でここでお仕置きされなきゃいけないの? 今はそれどころじゃないでしょ?」
「ここは魔力がたーっぷりあるからのう。いつもの何十倍の電力が……ほれっ」
そう言ってヤツが自分の杖を振る。刹那、ばちばちと音を立てるでかい玉が私めがけて飛んできた。
「ぎゃーっ!やーめーてえええっ!」
私はいつもの反動で防御魔法を唱えた。自分を守るシールドが張られると持っていた杖から光の銃弾がいくつも放たれ、電気玉にヒットする。バチバチという音とともに光の噴水が溢れた。その瞬間を、ヤツは逃さない。
「それぇっ、今じゃ!」
ヤツの号令とともに円陣から魔法が解き放たれる。私と同じような銃弾が空に打ち上げられた。赤、橙、黄、緑、青、藍、紫――放出した七つの光は私の出したそれと結合した。点どうしが繋がり、線が広がるとやがて空に巨大な魔法陣が現れる。
七色の光をまとった魔法陣は地上から溢れる『気』を吸い込んで膨張した。そして徐々に色を失い大気と同化していく。そして魔法陣が消えてなくなると、空に見えない壁が再び張りめぐらされた。
(使ったお題:12.積乱雲)
2013
私がその詳しい方法を問いただすとヤツはこう答えた。
「知っているとおり、ブラックドラゴンの翼は魔法を中和する力を持っている。ドラゴンが翼を広げている間は何をしても無駄じゃ。だからドラゴンが地上に降りた瞬間に翼を根元から斬りおとす。それから服従の魔法をかけ、ヤツを誘導するのじゃ」
その話を聞いて、何だか痛そうというかドラゴン可哀想かもと思ったのだけど、ヤツが言うにはブラックドラゴンに限らずドラゴンというものは体の一部分を破損しても時間がたてば再生するらしい。つまりさっき翼を破損したホワイトドラゴンも時間がたてば元通りに修復する、ということ。それを聞いて私はちょっとだけほっとした。あのドラゴンは子連れで、あまりにも気の毒だったから。消えてしまってからも少し心配していたのだ。
私達はこの世界を守るために動き出す。スピンさんは世界地図と各国の地形を詳しく調べ上げた本を開き、この世界にあると言われているパワースポットを探し始めた。ヤツは力のある魔法使いを集めるべく奔走する。そして逃げたドラゴンを抑える役目は私とプミラさんが引き受けることになる。
護身用に一振りの剣が渡され、絶対に傷つけないという条件で、スピンさんからダックとクロムを借りる。彼らの背中に乗れば長距離の移動もだいぶ楽になるだろう。
私はクロムの背中に乗ると城の窓から外へと飛び出した。ダックに乗ったプミラさんが私のあとにつづく。目指すはブラックドラゴンが好む温暖な地域だ。私達はドラゴンが飛んで行った方向の果てを目指して飛行する。
やがて、城から数十キロほど離れた郊外で空を旋回するホワイトドラゴンを見つけた。ドラゴンは気が立っているのか、私達を見た瞬間、牙をむき出しにして威嚇した。悲鳴にも似た雄たけびが耳をつんざく。かなり興奮状態な為、おいそれと近づくことすらできない。
それにプミラさんは傷のせいで動くのも辛そうだ。ここでの闘いは避けられないけど、できることならその負担を少しでも軽くしないと。
しばらくの間私達とブラックドラゴンのにらみ合いが続いた。時間の経過とともに負の感情が私に忍び寄る。
目の前の絶望を放っておけなくて、つい勢いで出てきちゃったけど――やっぱり私には荷が重すぎるというか、無茶だったのかもしれない。そもそも、私がドラゴンを服従させることが無理。だってそうじゃない。ヤツからはちゃんとした教えもなかったし、力だってままごと程度でももちゃん以下だし――って、あれ?
その瞬間、私はあああっ、と大きな声を上げていた。私の悲鳴にプミラさんは勿論、ドラゴン達も体を揺らす。私ってば! なんて大事なことを忘れていたんだろう。
「プミラさん、一旦城に戻ろう」
「え?」
「もっと簡単な方法を思い出したの」
一先ず、戦略的撤退だ。私は急旋回し城へ戻ろうとする。すると戦線を離脱したことに腹を立てたのか、ドラゴンが超特急で私達を追いかけてきたではないか。なんという執念深さ。ええい、こうなったらついて来い。その方が手間が省ける!
ダックとクロムが必死に飛んでくれたおかげで、城に着くまでそう時間はかからなかった。建物の周りをぐるりと一周すると中庭にももちゃんとクレアさんの姿を見つける。私は二人の名を呼ぶと、彼女たちに近づいた。
「あらあらどうしたの? 何か忘れ物?」
相変わらずゆったりした口調のクレアさんに私はいえ、と返事をすると花壇で花つみをしていたももちゃんに声をかける。
「ももちゃん、あなたにお願いが――」
その時、地面が大きく揺れた。地震かと思ったけど――違う。私達を追いかけたブラックドラゴンが城に体当たりしたのだ。鋭い爪で壁を引っかかれ、近くにあった見張り塔が崩壊する。瓦礫がこちらに降ってきた。
私は慌てて防御の呪文を唱え、クレアさんとももちゃんの身を守る。が、それを邪魔するかのようにドラゴンが私めがけて火を吹いてきた。
「ひえええっ!」
私の悲鳴が空を抜ける。すると機転を利かせたクロムが翼を広げ旋回した。すんでのところで炎を回避した私はクレアさんとももちゃんを探す。空中から目をこらすと、彼女たちが崩れた塔の陰でかたずを飲んでいるのが確認できた。よかった――私はひとまず安堵する。
ドラゴンは自分の攻撃が失敗したと知ると更に奇声をあげ、今度はプミラさんに向かってきた。鋭い爪が何度も空を斬る。プミラさんは絶妙な所でドラゴンの連続攻撃をかわすけど、その動きはだんだん鈍くなる。私の目から彼女の服に血がにじんでいるのが確認できる。ドラゴンは血の臭いに更に興奮を覚えたらしく目が爛々と光っている。
プミラさんが腰につけていた剣を抜いた。ダックをドラゴンの死角につけ跳躍する。大きな背にまたがり、その翼に剣を突きたてようとした――まさにその瞬間だった。ドラゴンが自分の腹を天上に翻しプミラさんを振り落とす。すぐさまダックが救出に向かった。血の気を失い気絶した彼女を拾ってスピンさんのいる書庫へと向かっていく。
残された戦力は私だけ。私はきゅっと唇を結び、浮遊するドラゴンに突進する。するとドラゴンはくるりと向きを変え、その尻尾でクロムごと私を吹き飛ばした。クロムはすんでの所で一回転して助かったけど、私は慣性の法則に従って城壁に叩きつけられる。背中に強い衝撃を受け、そのまま地上に落下した。瓦礫が私を覆うと持っていた杖が手から離れ、ももちゃんのすぐそばまで転がった。
うわ、なんて素敵なシュチュエーション。ももちゃんにしてみればファンタジーの主人公さながらのドキドキ展開ではないか。
瓦礫に体を捕らわれた私は半ばやけっぱちでその名を叫んだ。
「ももちゃん! その杖を拾って。あなたの力で私を――お姉ちゃんを助けて!」
「え、でも……」
「あなたならできる。だってあなたは『魔法使いもも』なんだから!」
(使ったお題:09.一先ず、戦略的撤退)