2013
私はこれまで乗っていた箒をしまうと、森の奥へ通じる獣道の前に立った。この道の終わりに私の師匠が住んでいる。そこへこれから向かうと思うと、心なしか緊張が走る。師匠の元には城からすでに書簡が届いているはずだ。内容は私が城に滞在中に怪我をし戻るのが当初の予定より遅れるというというもの。たぶん怪我の理由も書かれているに違いない。
師匠は私の失態をどう思うのだろうか。それを考えるだけで気が重い。
役目を終えた隕石がこの惑星に衝突する――流星年を控えたある日、城から書簡が届いた。なんでもこの国の緊急事態ということで、世界中から魔法使いに招集がかかっているとのこと。本来なら私は師匠と共に城へ向かうことになっていた。でも師匠はその知らせが届く数日前に怪我をしてしまい、私一人が登城することになったのだ。過疎地にいるので、知り合いと呼べる魔法使いはほとんどいない。
城までの道の途中、心細くなった私は親とはぐれたドラゴンの子を旅の友とした。ドラゴンの成長はあっという間だ。出会った頃は手乗りサイズだったのに、二週間も過ぎるとドラゴンの体長は私の腰の高さまでになる。
ドラゴンには最初から主従の呪文をかけたから、このまま私の使いとして一緒にいることもできた。でもそれを選ばなかったのは、まだ自分がそんな器ではないと悟ったからだ。田舎の山育ちの私にとって彼らは神に近く、尊敬と畏怖の存在に値する。
誰もいない朝、私はドラゴンにかけた術を解き仲間の所へ促した。ドラゴンは同族同士であれば血のつながりはなくとも共存する。そう思って放したつもりだった。
でも、私が放したドラゴンは仲間とは調和せず、彼らを襲ったのだ。私も慌てて止めに入ったが返り打ちに遭ってしまう。今まで一緒にいた友が警戒心の強い、魔法を中和してしてしまうブラックドラゴンだと知ったのは、それからすぐのことだ。ブラックドラゴンは翼を広げると、隕石の衝突から守る魔法のシールドを壊し人々に絶望の恐怖を与えた。
今でも脳裏に浮かぶのは城下町でのこと。私は人々が絶望と狂気に触れるさまを見た。一時的とはいえ、この世界を混乱に陥れてしまった罪は重い。本来なら魔法使いの世界から永久追放されてもおかしくない位だ。
でも事態を収集すべく、己の手でドラゴンを見つけ捕獲したこと、そして偉大なる魔道士、シフ先生の弁護もあり、最終的に私は不問とされた。
私はその結果を素直に喜ぶことはできなかった。だってブラックドラゴンを取り押さえたのは私ではなくシフ先生の弟子だから。私は自分で育てたドラゴンにやられるばかりで、結局何もすることができなかった。
命の恩人ともいえるべき彼女はシフ先生とともにシールドを張り直したあとで、自分の世界へ帰ってしまったらしい。私がお礼を言いそびれたことを残念に思っていると、偉大なる魔道士はあやつに礼などいらん、と言って笑っていた。
私は鬱蒼とした森の中にある小さな山小屋へ到着する。私は呼吸を整え、ドアをノックした。扉を開くと薬を調合している師匠と目が合う。城に向かう前に負った足の怪我はすでに完治している。
「ただ今戻りました」
私は姿勢を正し一礼した。ゆっくりと顔を上げ、師匠の表情を伺う。相変わらず無愛想で何を考えているのかが分からない。私は少しだけ目を伏せ、あの、と声をかける。
「戻るのが遅くなってしまい、申し訳ありません……」
私の謝罪に師匠は何も答えない。もしかしたら相当怒っているのだろうか。
私は思いきって顔を上げる。自分の持っていた杖を師匠に差し出した。この杖は十三の年に弟子入りして、初めて師匠から頂いたものだ。これを返すということは師弟関係を終わらせること。師匠は私の行動に眉をひそめた。
「何をしている」
「私は取り返しのつかないことをしてしまいました。救うべき人々を混乱に陥れて、師匠の顔に泥を塗って――もう魔法使いになる資格はありません。だから」
私がどうか受け取ってくださいと杖を押しつけた。やがて師匠が口を開く。
「それは魔法使いを辞める、ということか」
「そうです。というか、当然のことだと思います。師匠だってそう思いませんか?」
「私はお前が何でそう言うのかがよくわからんのだが?」
「え?」
「――もしかして、城でドラゴンを放したことを気にしているのか?」
「そうですよ。っていうか、それ以外にないじゃないですか!」
私は思わず声を荒げる。でも師匠は私に杖を突き返すとなんだそんなことか、と呟いたのだ。その「どうでもいいや」的な発言に私は思わずは? と声を上げ、慌てて口を手で塞いだ。そんな私に師匠がふっと笑う。
「何を急に言い出すと思ったら――そんなちっぽけなことを気にしていたのか?」
しょうがないな、と言うような顔で師匠が拳を上げる。私の頭を優しくこつんと突いた。
「そんなことより、私はお前の帰りを待っていたんだ。久しぶりにお前の作るパイが食べたい。庭に丁度熟れた実が成っていてな。どのくらいでできる?」
その問いに私は溢れそうな涙をぐっと堪えた。
「今すぐに作ってきます」
私は自分の杖を再び握る。師匠の好きな果実を探すべく外へ飛び出した。
「魔法使いとドラゴン」のその後でプミラとその師匠のやりとり。なんだかんだでお題消化を金曜日に再開できず。でも今日からがんばる。
2013
カウンターに座ったのは立木だ。高校時代の元カレで、今は同じ会社で働いている。立木は私と目が合うと、驚きのあとでなんとも言えぬ複雑な表情を見せた。そんな顔をさせたのは私のせいだ。
三十分ほど前、私は立木の唇を奪った。気が動転した私は立木を突き飛ばし、会社から逃げてきた。そしてここで後悔のるつぼにはまっていたわけだが――まさかこんな所で出くわすなんて。この展開を誰が予想できただろう。
さあどうする? 私はグラスを両手で抱えながら思案に暮れる。いつもと同じ調子で明るく話しかければいいのだろうか? あれは本当は冗談なんだよ、っておどければ全てはリセットされるのだろうか? いや違う。今更そんなこと言っても白々しいのは目に見えている。
私は怖いんだ。あいつと気まずくなることを私は何よりも恐れている。ようやく修復された友達関係を、一時の感情で壊してしまったことが悔やまれてならないのだ。
私は唇をそっと噛みしめる。あの時の熱はまだ消えない。勢いとはいえ、立木にキスしてしまったのは私の失態だ。
葛藤に苛まれていると、無駄に時間だけが過ぎてゆく。グラスの中にあった琥珀色はすでに消え、氷だけが虚しく音を立てる。私の中でこのまま無視して逃げてしまおうか、という思いも走るけど、負けず嫌いな性格がそれを邪魔する。そう、ここで逃げても何も変わらない、変われないのだ。だから私は覚悟を決めるしかない。
「びっくり……したよね?」
私はたどたどしい言葉であいつに問いかける。
「その、あんなことして……びっくりしたでしょ?」
しばらくの沈黙のあと、立木が小さく頷いた。
「言い訳にしか聞こえないかもしれないけどさ。私は昔のことをちゃんと整理できてた。昔立木と付き合ったことも、つまんない意地でケンカ別れになったことも。私の中では過去の話になってたんだ。
立木と再会して、これから『ともだち』として付き合っていけるってそう思ってた。立木が彼女と付き合ったって聞いた時も、よかったって心から思っていたんだ」
「なら、どうして――」
「わからない」
私は横にかぶりを振る。どうしてこんな気持ちになったのか――自分でも分からない。気がつけば仕事場で立木の姿を探していた。声を聞いて安堵したり不安になる自分がいるのだ。立木の彼女が嬉しそうにデートの報告をするたびに私はもやもやとした気持ちをずっと抱えてて。でもそれは醜いものだと思って、ずっとゴミ箱の中にぶちこんでいた。
私は空っぽのグラスをテーブルに戻す。硝子を両手で包みこんだままうなだれた。何だか泣けてきて、立木の顔を見ることも出来ない。
すると立木がぽつりと言った。楢崎は俺にどうしてほしいの、と。
「こんな言い方ずるいかもしれないけど……正直に言うよ。さっきキスされて、気持ちを知って――すごくぐらついている。おまえ、昔っから一人で全部背負っていたから。俺に心配かけないよう必死だったから。だから――俺にそういう感情をぶつけてくれたのが嬉しかった。
だからおまえが望むなら、受け入れてもいいって――そう思っている」
どうする? 立木の甘い誘いに私の心は揺れる。正直にわからない、と答えた。勝手に誘惑しておいて何だけど、私はこれ以上踏み込むことを躊躇っている。今、立木に触れられたらきっと私は感情に身を任せてしまう。だから薄っぺらい皮一枚の理性をまとって必死に堪えていた。
立木は席をひとつずらし、私の隣りに座った。狭いカウンター席故に肩が触れる。これ以上近づかないでと私は切に願った。目を見て話すことはできない。でも、この場を――立木の側を離れたくはない。
しばらくの間、私はその場を動くことができなかった。
80フレーズⅠの「29.もう戻れない」「79.酔っているだけ」の続き。その後どうなったかは想像にお任せということで。
帰省&企画物執筆のため、明日から3日間お休みします。次回更新は金曜日となります。
2013
翌朝、あいりが署に出勤すると早速署長室に呼ばれた。一抹の不安を抱えながらあいりが署長室に向かう。すると廊下でご機嫌顔の甲斐と出くわした。
「もしかしたら昨日のことですかねぇ?」
甲斐はうきうき顔だ。どうやら甲斐は犯人逮捕をしたことについて褒められるかと思ったらしい。でも世の中そんなに甘くない。あいりの予想通り、署長の雷をくらった。理由は言うまでのない。事件になりそうな案件をすぐに上司に報告しなかったからだ。全くおまえらは、と毒を吐く署長にあいりと甲斐は肩をすくめる。甲斐と別れ、刑事課に戻ると上司から厭味ったらしい報告を受けた。このぶんだと警察は拉致監禁の容疑で送検の手続きを進めることだろう、と。
その後あいりはアキを訪れた。アキは昨日保護されたあと、病院に検査のため入院することになった。あいりが話を聞くと、アキはとつとつと語り始める。予想通り、アキはtooyaのタッチや癖を熟知していて、完全にコピーできる才能を持っていた。店で問題を起こした後は長島を説得するためにあの家を訪れ、地下に閉じ込められたらしい。あの家の地下室は携帯の電波が届きにくく、アキはなんとかして電波を拾おうと携帯を窓の外に突き出した。だがその時に手を滑らせ携帯を落としてしまったのだという。
白鳥たちは最初、アキを殺すつもりはなかったらしい。その証拠に食事は一日一回長島が届けていた。だがそれも最低限のものでしかなく、特に水分が足りなかったとアキは振り返る。アキは脱水症状を避けるために見張りの残した酒を舐めることで凌いでいた。でもそれは下戸のアキにとって相当辛いもので甲斐がドライエリアに居た時は、人の気配を感じていたが酒のせいで意識が半分飛んでいたのだという。
アキの証言は上司から聞いた白鳥や長島の自白と概ね一致していた。アキは保護した直後は憧れのアーティストや自分の才能を認めてくれた男に裏切られたことにかなりショックを受けていたようだ。だがあいりが訪れた時、本人の口から音楽はやめないという言葉を聞いた。今度は自分の音で勝負するらしい。アキの真っ直ぐな瞳を見てあいりは安堵した。
署に戻ったあいりは一連の事件の調書を綴る。書き終え、上司に提出すると時刻はお昼を回っていた。あいりは警務課を訪れ、甲斐をお昼に誘う。もちろん昨日のお礼だ。奢るからの一言に甲斐は尻尾を振ってついてきた。
いつものように署の近くにある行きつけの店を訪れると、衣咲が早速あいりの腕に飛びついてきた。
「おねーさまっ、アキちゃんは?」
真剣な目で訴える衣咲にあいりは無事見つかった旨だけを伝える。
「本当ですか?」
「色々あって――今はまだ会える状況じゃないけど、でも元気になったらまたお店に行くって。アキさん言ってた」
あいりの報告に衣咲の表情がぱあっと明るくなる。話を聞いていたのか、カウンターでマスターが安堵の笑みを浮かべていた。マスターに特別に奢るから何でも頼んで、と言われたのであいりは牛タンシチューを二つ頼む。すると衣咲が口を挟んだ。
「マスター、盛りつけ、私がやっていいですか?」
「いいよぉ」
マスターの返事に衣咲はご機嫌顔でカウンターの奥へ入っていった。皿を二枚出しシチューを盛るとあいりたちの前に差し出した。が――
「え?」
あいりと甲斐は絶句する。同じものを頼んだはずなのに、あいりはなみなみと注がれた大盛りで、甲斐のは皿の半分以下の量。あいりはいーさーきーぃ、と声を上げた。
「あのさぁ、いくらなんでも差がありすぎじゃない? 私、こんなに食べれないんだけど」
「そんなこと言わずに食べて下さいよぉ。衣咲の気持ち受け取ってください」
「あのね、甲斐くんがいなかったらアキさんの居場所も分からなかったし助け出すこともできなかったの。盛るなら私と同じ量を甲斐くんに出しなさい」
「そんなのわかってますよぉーだ」
そう言って衣咲は口を尖らせると、奥の冷蔵庫から冷えたアイスをもうひとつ出し、私のおごりですと言って甲斐の前に置く。甲斐は思わず苦笑した。
一方、あいりは何かを思い出したようにあ、と呟く。中上さんにもお礼を言っておかないと、と言うと甲斐がすかさず、あの人は僕から言っておくんでいいです、と返した。
「あの人に関わるとろくなことがないんで。瀬田さんは近づかないで下さい」
「そうなの?」
「そうです」
「でもあの人、今後何度か関わるかもしれない、って言ってたわよ。つうかあの人何者? 甲斐くんの先輩って言ってたけど」
「それは――」
甲斐が何か言いかける。するとその前にあいりの携帯が鳴った。相手は課の上司だ。調書に何か書き損じでもあったかと思い、電話に出る。しかし話の内容は全く別だった。管内で強盗殺人事件が起きたらしい。
「わかりました。今そちらに向かいます」
あいりは食事に手をつけることなく席を立つ。大股で一歩二歩、と歩いた後であ、と呟いた。
「甲斐くん、あなたの出番だから」
「ふぇ?」
大盛りの皿に手をつけた甲斐に事件が起きたの、とあいりは説明する。ほおばった肉を完全に咀嚼したあとで、甲斐がえーっ、と声を上げた。
「まさか。死体とかありませんよねぇ?」
「さぁそれはどうでしょう?」
そう言って首を横にかしげるあいりに何かを察したらしい。甲斐がぶるぶると首を横に振る。
「僕、嫌ですからね。あとで美味しい所とか綺麗なお姉さんの所とか連れていってくれるって言っても、ぜーったい現場には行かないんですからっ! というかいい加減、普通でいさせてくださいよーっ」
「はいはい。愚痴はあとで聞くからねー」
あいりは事務的に答えると、甲斐の襟首をむんずと掴み引きずっていく。いーや―だと叫ぶ甲斐の声が店の中に無情に響き渡ると、二人はいずこへと消えて行った。(了)
明日からは以前と同じ単発の掌握を書く予定。気が向いたらまたお題の連載をはじめるかもしれません。
2013
あいりの正体を知った長島が目を見開く。その手が先程から小刻みに震えていた。
「『光と影』に収録された曲はtooyaが作ったものではありません。全て盗作だった――演奏もアキさんがしていたんじゃないんですか? 違いますか?」
あいりが真を突くと、突然長島が訳の分からない叫び声を上げた。斧をあいりと甲斐の間に突き落とす。二人がそれぞれの方向へ逃げると、長島は比較的動きの鈍い甲斐を狙った。白鳥が甲斐の腕を捕らえ、はがいじめにする。そこへ長島が斧を振りかぶる。長島の強行を防ごうと、あいりは体当たりをした。同時に甲斐が白鳥の頭に頭突きをくらわせる。白鳥が悶絶し、甲斐の身が解放された。
「甲斐くん大丈夫?」
「大丈夫ですけど――って、瀬田さん右っ!」
甲斐の指示にあいりはわかってる!と叫びながら長い足を持ち上げる。くるりと体をひねると、見事な回し蹴りが再び襲ってきた長島の首にヒットした。持っていた斧が床にはじかれ、刃を中心にくるくると回る。床に沈められた長島は一度呻き声を上げた後、意識を失った。
「これでコイツを縛って」
あいりがスーツの上着を脱いで放り投げた。甲斐はそれを受け取ると袖の部分を使って犯人の手首をぐるぐる巻きにする。これで残った敵はただ一人。白鳥は唯一の脱出口に立つ砦に顔を歪ませた。
「おまえら……警察がこんなことしていいと思ってるのか?」
「今のはどうみたって正当防衛です! 斧なんて振り回す方が悪い!」
さあ、どうします? 冷静な口調であいりが白鳥を追いつめる。
「今ここでアキさんを拉致監禁したことを認めるのなら、自首扱いにすることもできますけど」
「残念だが私らは何の罪も犯していない。『光と影』はtooyaのオリジナルだ。演奏だって本人がしている。それが真実だ」
「そんなのは嘘です」
甲斐は叫んだ。気絶した長島を一旦見据え、それから白鳥を睨み付ける。
「匂いを嗅げば一発でわかる。この人は今ピアノを弾ける状態じゃない。彼にはアルコール依存症の症状が出ているんです。手の震えが止まらない人間にどう演奏させたと言うんですか!」
甲斐の指摘に白鳥が言葉に詰まった。そこへあいりが更なる追いうちをかける。
「あなたはデビューの話でアキさんを誘い真実を告げないままレコーディングをして――tooyaの曲として売り出した。つまり、あなたは始めからアキさんの才能を利用したということです」
「それは詭弁だよ。証拠はどこにある? tooyaの曲じゃないって証拠が何処に?」
「確かにレコーディングに関わった人間をひとりひとり任意同行するのは難しいかもしれません。でも、私と同じことを思う人が他にもいたら?」
そう言ってあいりはパンツのポケットから携帯を取り出した。指で操作すると、ピアノを演奏している画像が流れてくる。それはアキがあるイベントのリハーサルで『光と影』を弾いている姿だった。背景にある垂れ幕には、イベントの名と日付が書かれている。あいりはそれを白鳥に突きつけた。
「これは今年の春に撮ったものです。先ほど動画サイトに投稿しました。これを見た視聴者は彼女がtooyaよりもずっと前に『光と影』を演奏していることに疑問を持つはず。これが証拠にならなくても、世間やマスコミに興味を持たせるには十分です。大手とは言い難いあなたの事務所は彼らの噂や追求を止めることができますか?」
「――そんなの、放っておけばいいだろ」
急に白鳥の口調が変わった。開き直ったのか、白鳥は急にあいりを見下し始める。
「お前らは知らないだろうがなぁ、この世界は夢を見させてナンボなんだよ! 話が違う? それがどうした? そんなの騙された方が悪いんだ!
お前らに俺の何が分かる? どーしようもねぇコイツを売るために頭下げて、血を吐きながら会社を守って――あいつをここまで育て上げたのは俺だ! tooyaの奇跡の復活はこれから始まる。それを邪魔されてたまるか!」
そう言って白鳥はおもむろに走り出した。床に置かれた斧を取ろうとしたので、甲斐がそれを蹴飛ばし、手の届かない部屋の奥へ飛ばす。すると白鳥はあいりに向かって拳を突き立て突進してきた。あいりはすんでのところで攻撃をかわす。相手の腕を捉えると後ろに回し手首をひねった。
どこからかパトカーのサイレンが聞こえる。それはアキがあいりの指示通り動いた証拠でもあった。家の中にひとりふたりと警察官が入っていく。あいりが彼らに事情を説明すると、白鳥と長島を署へ連行して欲しいと伝える。
長い夏の一日がようやく終わりを迎えようとしていた。
2013
玄関の中に入るとすぐ目の前に階段が見える。二人は目で合図を送ると、あいりは一階の部屋の扉の影に、甲斐は階段を昇って二階へ向かう。しばらくして火災報知機が鳴り響いた。音を聞きつけた男二人――白鳥とtooyaこと長島が地下から戻ってくる。長島が手に小振りの斧を持っていたのが気になったが、彼らが二階と一階で手分けして原因を探し始めたのを確認すると、あいりはタイミングを見計らって地下への階段を下りた。開けっ放しになっている扉の中へ入る。
そこはコンクリートが打ちつけられただけの部屋だった。物置代わりにしていたのか、年代物の家具が埃を被っている。視線を上にずらすと壁に小窓があるのを見つけた。おそらくあの窓が甲斐の言ってたドライエリアに繋がっているのだろう。外側から格子が張られた窓は人の出入りができず、空気の入れ替えだけの役目を果たしていた。
あいりは部屋を隅々まで見渡した。すると、部屋の隅っこで何かが蠢いた。毛布にくるまれたそれはちょうど人一人の大きさに等しい。あいりは毛布をはぎ取り目隠しと猿ぐつわを外す。目の前に写真で見た顔が現れた。
「安芸翠さんですね?」
突然現れた第三の人物にアキの体がびくりと揺れる。あいりは相手の警戒心を下げるため、自分の警察手帳を提示した。
「立花衣咲さんの相談を受けて、あなたを探していたの」
「衣咲ちゃんが?」
アキが思わず声を上げたので、あいりは人差し指を自分の口にあてた。あいりはアキが暴行を受けていないかどうかを確認する。抵抗した時についたのか、アキの頬には痣と小さな引っかき傷があった。だがそれ以外は大きな怪我もなさそうだ。
あいりは自分の持っていた車の鍵をアキに渡すと小声で喋った。
「これから家の外に案内するから、私が合図したら右の角に停めてある車の中に逃げて。あと、車の中に貴方の携帯があるからそれで一一〇番通報をして欲しいの。車に鍵をかけることを忘れないで。できる?」
その言葉にアキがこくりと頷いた。あいりは彼女を支えるようにして部屋を出、階段を昇る。一階の玄関前にたどり着くと警報はすでに止まっていた。そのかわりてめぇ何しに来た! という罵声が飛んでくる。
「いやその。たまたま訪れたら電気ついてたし。何か鍵が開いてたからつい」
「つい、じゃねえだろ!明日来いって言っただろ!」
長島と甲斐の接触を声で確認したあいりは逃げて、とアキの背中を押す。アキが家の外へと飛び出した。扉が閉まりその姿が見えなくなると、今度は後ろからうわぁ、という悲鳴とともに甲斐が階段の踊り場からふっ飛んできた。
「甲斐くん!」
あいりは着地点に滑り込むと甲斐を受け止めた。甲斐は華奢な体だが体重はそれなりにある。支えきれなくなったあいりが尻もちをつくと、重力に従って甲斐が重なる。
「うわあああっ、瀬田さんありがとうというかごめんなさいっ」
「申し訳ないって思うなら早くどいて……」
あいりの呻き声に甲斐が更にごめんなさいと謝罪する。すると一階でにいた白鳥があいりを見て声を上げた。
「おまえ、さっきの――こいつの仲間だったのか?」
「ええと、彼女は僕の結婚相手で、その」
「もう芝居しなくていいんじゃない?」
あいりが面倒くさそうに言うと、まぁそうですねと甲斐が返事をする。いちいち説明するのもかったるいと感じたあいりは先に警察手帳を出した。
「安芸翠さんは私が保護しました。あなたたちを拉致監禁の現行犯で逮捕します」